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2023年5月7日で55歳になりました。
人生は思い通りにいかないのがあたりまえなのですが、それでもここ数年の世界の激動さは、自分がこの世で過ごす中では想定してなかったなぁ、と思うことも少なくありません。
自分の中ではなんとなく50歳を一区切りにして、人生の次のステージにうつるという感じがあったのですが、この5年は、そういった意味では「思い通りになっていない」5年間だったかもしれません。まぁ、それも人生です。
特にこの3年は、生来の反抗心と負けず嫌いを最大限に発揮してか、あえて動いてきた3年でもありました。
そして、世の中が次のステージに移ろうとしているいま。その動きの「原動力」は自分の中では薄れ、自分の中、内発的に、自分が次のステージ(興味関心)に移っていくだろう「声」がきこえてきます。
そんな今年。
人生80年の時代に55才はまだ人生の1/3を残しているのかもしれませんが、それは机上の算式でしかありません。それよりも何よりも、自分の世代よりも上の人たちばかりが、この社会を牛耳っているような現状に、強い危機意識をもちます。上がいるからと自分が下の世代の上に【君臨する】のであれば、上がいても、自分はそんな【君臨】からは退散するぞ、という気持ちです。
もちろん世代間バランスのとれた多種多様な社会づくりが自分の中でも大きな目標でもありますから。古いコトバですが、老若男女関係なくなればいいのですが。いまの中では、絵空事にしか感じません。
上の世代が「あえて」意識して引かないと、バランスはとれていかないような気が個人的にはしています。年齢をとってみて、はじめて気がついたことですが、この社会はこんなにも、年齢と経験が牛耳られる社会なのだとつくづく感じます。自らの一声や指さし一つで、それなりのシステムや仕組みが動いてしまうような「錯覚」に陥ることができる社会はやはりおかしいし、ただただ怖いです。暴力的でしかないと感じます。
なので、ポイントポイントで、「あえて」ひいていく意識をもって今年からは動いていこうと思っています。
あたりまえですが、いくつかの分野では、時代もかわりました。
自分が20代の後半頃から拡がりはじめ、30代に社会にねづきはじめたインターネット世界はいまやその時代を確固たるものにして。そして、2010年代のSNSの世界は2020年代に入って、さらに、次世代に入っているなという感じがします。
パソコン通信からホームページ、そしてSNSでの情報や社会事象の発信を続け、紹介してきましたが、だんだんと自分自身の中での、メリットとデメリットのバランスがかわってきている気もします。二次的な情報の発信を多くすることよりも、違う形の発信をかんがたほうがいいような気もしています。個人が発信できることをメディアが加工できること、メディアに加工しやすいように個人の発信の仕方がかわること、「Attention」がキーになっているといわれるこの構造に与するようなことはできるだけしたくありません。現実には難しくともその意識は持ち続けたいと思っています。
なので、自分の発信媒体も順次整理をしようと考えています。
このBLOGも使いにくくなった感じがあり、昔から使っているし、ここにしかない文章もあったので残してきましたが、そろそろ整理の対象かなと思います。
私は案外とネットだけSNSだけのつながりの方も多いのですが、交流するというより、情報をうけとっていただくって感じの方が多いので、今後どんな風に使っていくのかは、少しずつ考えていこうかなと思ったりします。といっても、自分の生活を切り取ってシェアする趣味はないので、発信するコンテンツがなければ、遠ざかってしまうかもしれないですね。
なにより、SNSのアルゴリズムに翻弄されている感が強くなっているのが正直気に入らないのであえて使っていくのか、それともやめちゃうのかは考えています。すぐにスパッとやめることはないでしょうけど。
この3年は、オンラインが進んだことであえてお受けできた講演依頼もありましたが、だんだんと元に戻りつつある中で。私としては、学校の講義と同じく、もう講演はいいかな、と思っていたところなので、今後、さらに、そういった活動はなくなっていくと思います。この3年で、外に講演にでかけたりしていたので、そろそろ、依頼をと思っておられた方がもしいらっしゃったら、ごめんなさい。幻想だっとあきらめてくださいませ。また、やりとりがめんどくさい偏屈人に戻っています。
少しずつ少しずつですが、あえて変えていく区切りになっていくと思います。そんなことを考えている55歳の誕生日です。アニバーサリーは好きではないのですが、ちょっと、区切りっぽく書いてみました。
何度もいいますが、すぐには何も変わりませんので、引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
(障害福祉の分野で日常的に使われている【言葉】を「【あなたの言葉】で説明できますか?」ー一緒に考えませんか?|冨田昌吾|noteと同じ内容です。)
【障害福祉の常識を問い直す講座season4開催決定】
ここ二年間よりは遅いはじまりになりますが、「障害福祉の常識を問い直す講座season4」を開催させていただきます。
今回も、私、寝屋川市民たすけあいの会の冨田と山口久美さんがコラボしての、障害福祉の常識を問い直す全10回の講座になります。
この三年間のように、基礎編、応用編ではなく、一テーマを2回行い、一度目が基礎編、二回目が応用編と。10回全部参加いただいてもかまいませんし、基礎編だけ、応用編だけでもかまいません。基礎とか、応用とかではなく、自分の頭で考え、自分の言葉にして語るということが、今回の貫通したテーマになると思います。そして、この「常識を問い直す」講座に一貫しているように、「常識」も「答え」もない問いに思考を委ねていきます。ただし、それは「ことば遊び」では決してありません。ことばは時に「暴力」にすらなります。リアリティのない思考のトレーニングではない【ことば遊び】は、福祉の中では「暴力」だと思います。
私は、なんでも3年を区切りにしてこれまで生きてきたように感じます。その冨田が、この講座の4年目をお引き受けしたのはなぜなのか?山口久美さんの言われる「裏テーマ」とも関係しますが、それは、ご参加いただければわかるかとおもいます。
ぜひ、一緒に学びましょう
以下、山口久美さんからのご案内文です。
2023年度の常識講座season4のメインテーマは「あなたの言葉で説明できますか?」です。
日々当たり前に使っている障害福祉にまつわるあれこれ、3歳児の質問に答えるように「そういうものなの!」で押し切っていませんか?
例えば、、、
1.障害ってなんですか?
2.障害福祉ってどういうことですか?
3.「じりつ」するってどういうことですか?
4.「子育て」ってどういうことですか?「こども」ってだれですか?
5.権利擁護ってどういうことですか?
というわけで、season4のテーマはこの5つ。それぞれのテーマを2回ずつ。
1回目は基礎編レベルのお話。
それを受けて2回目は沼の深みへ。
5テーマ全10回、自分の中に大切な言葉を編んでいきましょう。
実は更に深い裏テーマも隠されています。
どこかで明かされるかも!
謎解きにチャレンジしてみてください(⑅•ᴗ•⑅)
【日程・毎月第2月曜日ZOOM開講】
★第1回:障害ってなんですか?@
2023年5月8日(月)19:00〜
★第2回:障害ってなんですか?A
2023年6月12日(月)19:00〜
★第3回:障害福祉ってどういうことですか?@
2023年7月10日(月)19:00〜
★第4回:障害福祉ってどういうことですか?A
2023年8月14日(月)19:00
★第5回:「じりつ」するってどういうことですか?@
2023年9月11日(月)19:00〜
★第6回:「じりつ」するってどういうことですか?A
2023年10月9日(月)19:00〜
★第7回:「子ども・子育て」ってどういうことですか?@
2023年11月13日(月)19:00〜
★ 第8回:「子ども・子育て」ってどういうことですか?A
2023年12月11日(月)19:00〜
★第9回:権利擁護ってどういうことですか?@
2024年1月8日(月)19:00〜
★第10回:権利擁護ってどういうことですか?A
2024年2月12日(月)19:00〜
【対象】
どなたでも参加できます
【参加費】
★1回5,000円
★年間参加:10回35,000円
※参加費は全額、寝屋川市民たすけあいの会に寄付させていただきます。
【お申し込み・お支払いの手順】
★1回ごとの参加の場合
都度1週間前を目処にお申し込み
↓
参加費振込先口座をお知らせ
↓
講座当日までに5,000円をお振込み
★参加希望の回だけお申し込みの場合
ご希望の回をお申し込み
↓
参加費合計、振込先口座をご連絡
初回参加の講座までに参加費合計をお振込み
★年間参加をご希望の場合
年間参加でお申し込み
↓
振込先口座をご連絡
第1回講座までに参加費35,000円をお振込
【お申し込み】
★メール:snow.dream.order★gmail.co (★を@にかえてください)で下記必要事項をご連絡ください
折り返し、参加費の振込先口座をお知らせいたします
(メールでのご連絡が難しい場合、メッセンジャーでご連絡ください)
★お名前、ご所属・職名、お電話番号(講座の変更や中止の場合の連絡用としてのみ使用させていただきます)、ご希望の参加方法
【お問い合わせ】
メール snow.dream.order★gmail.com (★を@にかえてください)
または、メッセンジャーで、山口久美までご連絡ください
昨年度〜スタートし、今年度は基礎編10回を開催した「障害者福祉の常識を問い直す講座」が3年目に突入することになりました。3年目は、主宰の山口久美さん的には、「Think in their shoes(あえて訳すなら「他人の靴を履いてみる」」というテーマだそうです。これまで、やってきたいろいろな視点からみてみる−体操競技でいえば、宙返りやひねり技−を今回はアーティスティック・スイミングのように、プールの中の水中で考えてみるって感じになるでしょうか。方法論ではなく、いろいろな見方、考え方をみんなで学びあうという講座です。他にはない貴重な時空です。ぜひ、ご一緒しましょう。
以下、山口久美さんのからのご案内です
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寝屋川市民たすけあいの会・冨田昌吾さんを講師に迎え「障害福祉の常識を問い直す」・・・という沼にはまってしまった人たちのための、第3クール「Think in their shoes編」。
さらに深く問い直す1年をご一緒に!
★☆★新規に沼にはまってみたい方、大歓迎!!です(^^)★☆★
支援orケアor介護or看護or治療する立場で常識を見直してきた2年間。
「される」側から考えてきたか?見てきたか?やってきたか?が問われる時間に、モグモグ、もやもや、ウニウニ、ぐるぐるしてきた私たち。
2022年はLet’s think in their shoes!
他者の靴を履いて歩いてみましょう!
人の靴は履き心地が悪いものです。
でもあえて、いろいろな人の靴を履いてみようという企画。
冨田さんが探してくる靴・・・どんな靴を履くことになるのか・・・どきどき、わくわくの1年間になること間違いなし!です。
◆2022年3月〜12月全10回
毎月第2月曜日 19:00〜21:00
*参加費をお支払いいただいている方は、後日録画をご視聴いただけます。
◆参加費:
・ご希望の回のみ参加の場合:5,000円/1回
・年間での参加をご希望の方:35,000円/10回+振り返り新年会
*参加費は、全額NPO法人寝屋川市民たすけあいの会に寄付させていただきます。
◆テーマ
1.2022年3月14日(月)
「当事者(になるということ)〜親と子という視点から」
2.2022年4月11日(月)
「市民〜自立を考える」
3.2022年5月9日(月)
「適応〜社会を考える」
4.2022年6月13日(月)
「教育・学ぶ〜特別支援教育を考える」
5.2022年7月11日(月)
「幸せとケア〜自分らしさを考える」
6.2022年8月8日(月)
「“ありのまま”(の功罪)〜行動障害を考える」
7.2022年9月12日(月)
「エンパワメント〜empowermentを考える」
8.2022年10月10日(月)
「問題と課題〜ニーズ・支援計画を考える」
9.2022年11月14日
「Empathyとsympathy〜「違い」を考える」
10.2022年12月12日(月)
「福祉〜専門性を再考する」
☆2023年1月16日(月)振り返り新年会♫
*日程、テーマは、変更する場合があります。
都度お知らせいたします。
◆お申し込み方法
メールでのお申し込みをお願いします。
snow.dream.order★gmail.com(★を@に変えて送信してください)
・件名「常識講座申し込み」
・単回参加または年間参加のご希望
・お名前(ふりがな)
・職業、さしつけなければ所属先
をお知らせください。
折り返し、参加費振込口座をお知らせいたします。
お振り込み確認後、講座前日までにZOOM-IDと当日資料をお送りいたします。
『暮らしネットフォーラム7 〜廣瀬明彦氏を囲んで〜 』が開催されます。
今年のテーマは『好きに生き合う〜多様性を問い、個の確立を問う』です。
毎年このイベントに呼んでいただきます。ここ数年は実は毎年、もう卒業させてほしいとお願いしていますがさせてくださいません(笑)。おそらく廣瀬明彦さんが許してくださってないのだと思います。
それこそ、障害福祉の世界では、私以外のみなさんは日本を代表するような有名な方たちです。そんな中でも私にピンの枠をくださるのは「廣瀬明彦氏を囲んで」という一言に尽きるでしょう。
今年の私は「1990年代」についてお話をします。2020年代に入った今からみた、そろそろ歴史になってきた1990年代。そして、私と廣瀬明彦さんと出会った1990年代を。
廣瀬明彦さんについては、こちらのブログ
https://lessor.hatenablog.com/entry/20130201/1359736000
それから、寝屋川市民たすけあいの会のYouTubeにもお話いただいたときの古い講演ビデオがあります。
以下、主催者からのメッセージです
今年もこの季節がやってまいりました!
『暮らしネットフォーラム7 〜廣瀬明彦氏を囲んで〜 』の案内です。
今年のテーマは『好きに生き合う〜多様性を問い、個の確立を問う』です。
ここ数年ずっと「ほんまもん」の共生社会とは何かを考えてきました。
そこには何気なく使っている言葉の意味を問い直すことから、国連の障害者権利条約や福祉の枠を超えた話まで、色んな視点で原点的な議論がありました。
今年はさらに進みます。進めます。
豪華な講師陣に新しくまたひとり加わってくださり、深く熱い学びの一日になること間違いありません。
また今回は参加者のみなさまから講師陣への質問を募集しています。どんなことでもかまいません。現場の話から地域の話、社会の話、普段疑問に思っていること、悩んでいること、色んなことをお寄せください。可能な限りお答えさせていただきます。
みなさま、ぜひご参加下さい。今年もオンラインで開催します。
3月5日(土)9時45分〜16時45分
参加費3000円
申し込みはPeatixまたはこくちーずでお願いします。昨年参加された方はPeatixの方が簡単かもです。
(Peatix)
https://www.kokuchpro.com/event/496d27b744d51750fad012f446d0d2f8/
(こくちーず)
締め切りは2月19日です。お早めにお申込みください。
私が活動している寝屋川で、10月末から新しい取り組みをはじめた。
寝屋川コミュニティフリッジ
2018年の台風21号の被災からとにかく耐え続けてきて、ようやく本来の地域の活動ができるようになったとき、「お互いさま」「たすけあい」というキーワードの中で展開できる活動に出会った。元祖は岡山の「北長瀬コミュニティフリッジ」で、そのシステムを移築して運営させていただく。全国にこの岡山式を広めていくネットワークにも参加し、その開設第1号になる。
このシステムを導入しようと思ったきっかけというよりも、クラウドファンディングを得て、開設の前段階になってから、予想以上に大きな障壁に突き当たっている。そして、それはここ数年の私の大きな問題意識と完全にオーバーラップする。しかし、それは大きな難題なのだ。
コミュニティフリッジ・システムを導入しようと思ったきっかけを書かないと言ったが、少しだけ。
このコミュニティフリッジ・システムは、非接触、非対面を目指しているシステムだ。もちろん、完全には難しいが、システムに参加できるデバイスをもっていれば、ほぼ非接触・非対面が実現できる。開設して1年の岡山は半数くらいがネットからの利用申し込みであり、デバイスをもっていれば、非対面で利用ができているという。実はこれこそが、私がコミュニティフリッジを取り入れようとした大きな理由だった。
しかし
予想はしていたことだが、岡山と寝屋川では地域性が全く違う。そして、運営団体の正確や姿勢も違う。同じ「まちづくり」を標榜していても、ベタベタに40年以上「福祉」を前面に活動していた寝屋川市民たすけあいの会は、どうしてもその「色」が出てしまう。そして、普段のネットワークからも圧倒的にその「色」がついている。そして、その「色」が前面にでてくることによって、「デバイス」を持ち得ない層のニーズをかくも拾ってきてしまう。
もちろん、それも一つの活動の「ねらい」ではあり、多様なコンテンツと方向性をもつ寝屋川市民たすけあいの会としては「あり」ではあるが、そこが一人歩きし、前面に出すぎると、本来の食品ロスを前面にした「たすけあい」活動という緩やかな地域ネットワークの色が薄れてしまう。個人的にはそこにこそ、「コミュニティフリッジ」の非対面、非接触の良さがでると思っているのに、である。
私は「もっとも困っている人」へ届ける とか、「ひとりも取り残さない」などということばを私たちのような民間のNPOが活動の目標として発することは適切でないと思っている。基本的なセーフティネットは公的に保障されるべきものだ。もちろん、出会った人の「困りごと」を無視するという意味ではない。しかし、そんなことを言ってしまえば、私自身が「困った人」を作りだしてしまう。そして、その構造に自ら身を置くことになる。いまを乗り越え、その先につないでいくことが私たちの大きな役割であると思っている。
ところが、現実はそうはいかない。その現実がなぜ起こり続けるのかを考えたときに、日本の社会福祉制度がその構造を大きく変えようとしはじめた1990年代から2000年代にこの構造の端は発すると思っている。あのとき、社会福祉基礎構造改革という名のもとに、介護保険が創設され、高齢者介護や障害者福祉、そして、保育が「社会サービス」になったのだ。そう、イギリスの「Social services」のようなサービスメニューを一定の市場システムを導入する【官製ビジネス】として。
(いまの首相がまさに繰り出しはじめているものの中に「公定価格」というおもしろいことばを介護や保育の分野に出してきているが、まじめにあの議論をすれば、1990年代の社会福祉基礎構造改革の失敗というようにしか聞こえない)
いまやあたり前のように使われる「福祉サービス」ということばは、その深化とともに、新たに、いや、再び「(社会)福祉」を明らかに必要とする構造を生み出してきている。
もちろん、欧米では、Social servicesには公的扶助(日本で言う生活保護制度)が組み入れられているので、それと同じではないか、と言われる方もおられるだろう。
日本でこの20余年起こってきていることは、社会サービスとなったそれらの「福祉サービス」が依然として、サービス受給者として、必ず「ラベリング」を含む申請を行い、行政に認定された上でそれらのサービスを受けなければならず、かつ、そのサービスは「困りごと」を解決するのではなく、定式化された「消費サービス」としてメニュー化され、サービスを使える人を限定しているという事実である。
そして、さらにいうならば、この20年日本の貧困化が数多く指摘されているにもかかわらず、生活保護制度はその仕組みを変えておらず、かつ、その基準は厳しくなり、受給額も減っているという事実である。
ということは、「福祉サービス」利用者と「公的扶助」適応者の間に大きな層を作りだしているということだと感じているのだ。加えていうならば、これは必ずしも、この20年で新たに言われるようになった「ワーキングプア」の概念や層とは一致しない。ワーキングプアは雇用労働面の視点から指摘されることの多い(日本では?東洋では?)がここで私がいいたいのは、福祉政策の視点からであるからだ。
私たちは行政からの委託事業も受けているし、比較的近いところで事業を行っている。もちろん、福祉制度でやれることもある。それがいまの福祉サービスという制度の枠でもだ。しかし、その限界は、刻一刻とそのラインを下げてきているようにも思う。
それは、従来から指摘されているように、サービスを使いたくても使えない人の存在やサービスそのものが充足されない人やサービスのすきまに陥ってしまい、届かない人たちも含まれる。
しかし、それだけではなく、本来、社会サービスとして、誰でもが必要になれば、使えるようになるはずだった「福祉サービス」がその姿を、選別のシステムとして、巨大化させることによってさらなる「ラベル化」を深めてしまい、「福祉サービス利用者」という医療で言う「患者」のような弱者のラベルを濃厚につけてしまったとき、分断は最高潮に達しているように思う。やり直しのきかない私たちの生きるこの社会は、その「ラベリング」を十分に活かし、強化している。
コミュニティフリッジの取り組みは、小さいささやだけれど、そのことについての対抗でありたいと思っている。早くも風前の灯火であるが、消えてしまわないように、少しでも。
(この文章はnoteとダブルポストです)
毎年、2月に奈良で行われる「暮らしネットフォーラム」というイベントがある。今年もその第6回が2月27日に行われた(今年はオンライン開催)。そのイベントで、第1回から午後の一コマを私の講演時間という設定をしていただいている。私は2007年くらいから講演の依頼をほぼ断ってきていたし、もともと、フリーのテーマの講演依頼をいただくことがほとんどなく、シンポジウムのコーディネーターやシンポジストを依頼されることが多かった。その中で、とてもお世話になった方を冠したイベントであり、つながりから講演をお受けすることになり、今年で6回目になった。
実は、フリーで話をすると、おおよそ狭い福祉の話を私はすることがない。私の関心事はいわゆる「地域」や「まちづくり」といった分野になるので、たいがいが前後のお話しとは合わず申し訳ないかぎりであるが、毎年ラブコールがあるので、しぶしぶお受けしている(申し訳ないからもういいでしょう?と毎年行っているのだけれど)。
そんな中で、一度だけ福祉に類するお話しをしたことがある。それが第3回だった。このとき、平成30(2018)年の医療制度、介護保険制度、障害福祉制度などが同時改正になる寸前のフォーラムだった。このとき厚生労働省はこの時期の改革を「惑星直列」と呼んでいた。
この厚生労働省が「惑星直列」と呼んだ改革について解説をさせていただいたのが、このときの講演だった。
そのときの話題の中心になったスライドがこれ。
そして、このときの話をきかれてから、5月に某所での講演の依頼があり、そのときもこの【「医療」の切り口での統合】という話をさせていただいた。
ここ数日、私のSNS界隈で、話題になっているのが
・厚生労働大臣が定める医療行為(令和3年厚生労働省告示第89号)である。
1つは、DPI日本会議がこの通知に関して、いま緊急に動きはじめている
タイトルはそのまま
「厚生労働大臣が定める医療行為」により、重度障害者の在宅ケア(医療的ケア)がピンチに⁈
である。
そして、他方で反応しているのが、特に児童の分野の通所や教育分野の人たちである。そもそもこの通知が「令和3年度報酬改定における医療的ケア児に係る報酬(児童発達支援及び放課後等デイサービス)の取扱い等について」で導入された新判定スコアに示されたケアの種類を担保するためのものと理解できるからだそうです。いま、次回の国会に議員立法で上程されようとしている「医療的ケア児支援法」にみられるように、ここ数年の動きとして出てきている「医(療的)ケア」の必要なこどもたち(主に)への支援がより強く出てきたとみることは簡単である。
在宅生活における「医療」行為の話は、さまざまな視点からこれまで繰り返し議論がなされてきた。医師や看護師が法律でその業務として認められている「行為」を医師や看護師以外が行うことを認めるか否か、と、簡単に説明してしまうとそういうことなのだが、実はこれは単純な話ではない。長い間、医師や看護師の主戦場は「病院」であり、そこで行われる行為の話は簡単に説明できるが、病院以外の生活の場になると、とたんに話がややこしくなる。「医療」行為を必要とする人が病院で一生生活するというのであれば別だが、多くの方は病院以外のところで生活をしている。家族がいれば、家族にその行為を医師や看護師が教えて行っていることは日常的な話なのである。つまり、暮らしのために介助や支援が必要であることと同じように医療的ケアがある。そして、それは家庭だけでなく、教育の現場や福祉の現場で家族以外の医師や看護師以外の人たちが暮らしをささえる一行為としておこなってきた歴史がある。
いまのこれらの動きだけを見ていると、またぞろ繰り返される議論かと思いがちだが、はたしてそうだろうか。
私が2018年に奈良でお話しをしたことは、そういう現実のリアリティの話というよりも、この国がいま抱えている政策的な「大きな問題解決」の方向に、いまでの議論がくみとられていってしまうことであった。つまり、「患者」の立場から求める「在宅医療」「地域医療」ではなく、超高齢社会の中での社会保障費をどうしても削減していかなければならないという旗印は、入院医療から在宅医療への大きな舵を切り始めたのが2018(平成30)年改正だった。そして、その波は確実に進んできている。
制度化というのは、官僚化社会である日本においては冷酷である。それが運動で作り上げたものであっても、制度化されたとたんに官僚化し、いわゆる「血のかわないもの」になる。
理念と信念をもって、運動し、制度化が必要なものであると信じて、制度化を勝ち取った後に、「当事者」にとっては、使い勝手の悪いものになってしまう。一方で、全くそういった支援を受けることができなかった人たちにとってみれば、その制度ができたことによって、すばらしい制度ができたとなる。
そういうことをこれまでも見てきたし、体験してきた。
今回の話も、私は来るべき序章でしかないような気がしてならない。
医療のリソースは当然、有限である。圧倒的大多数の高齢者が入院医療から在宅医療への受益者であり、病院とその周辺の経営上の利益を産む構図はすでにできつつある。その実は、単に、病院で行われる治療が、病院でなく自宅などで行われる「だけ」であるという話はすでにききおよんでいる。
そこには「暮らしの中の医療」の欠片すらない。
あまりに大きな話をしたがゆえに2018年のときの話は多くの方に理解されなかったのもしれない。しかし、確実にあのときの話がすすんでいる。
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