2018年02月21日

重度障害者等包括支援事業について(2)

 昨年の12月22日に、このブログに「重度障害者等包括支援事業について」  http://totutotu.seesaa.net/article/455716129.html
をエントリーした。

そのエントリーの最後は、

「少なくとも、国がもし、いわゆる重度障害者への支援をすすめる上で、重度障害者等包括支援を活用したいと思うのであれば、報酬をあげるだけでは明らかに不十分である。そのことを声高に主張したい。」

という締めで終わっている。

そして、先日2月5日の「平成30年度障害福祉サービス等報酬改定の概要」がでた。
まさか私の声がとりあげられたわけでもあるまいが、請求の方法がかわっていて、これまでとてもとてもわかりにくくなっていた仕組みが廃止になった。

@ 基本報酬の見直し

・ 他の障害福祉サービスの報酬算定の考え方を踏まえ、以下の報酬算定の取扱いを廃止する。
イ 提供したサービスの実績単位数が支給決定単位数の100分の95を超える場合 支給決定単位数とする。
ロ 提供したサービスの実績単位数が支給決定単位数の100分の95を超えない場合 実績単位数の95分の100を乗じて得た単位数とする。

 
確かに、わかりにくい仕組みを廃止した。が、これって、報酬さがるってことですよね?

そして、報酬構造
基本部分
イ 居宅介護、重度訪問介護、同行援護、行動援護、生活介護、自立訓練、就労移行支援、就労継続支援、就労定着支援、自立生活援助
(1) 1時間未満 ( 201単位 )
(2) 1時間以上12時間未満 ( 301単位に30分を増すごとに+100単位 )
(3) 12時間以上24時間未満 ( 2,499単位に30分を増すごとに+98単位 )

これまで、4時間802単位でした。

あれ?下がってますけど・・・

あげるんじゃなかったですか?

ロ 短期入所 1日につき ( 946単位 )
これは・・・(1)福祉型短期入所サービス費(T)896単位に重度障害者支援加算の50単位を足すってことね。

 この仕組み、これまでの重度障害者等包括支援事業の取扱いではとりあげてこられなくて、請求的には通っていたんですけど。
 そもそも2006年に重度障害者等包括支援事業ができたときには、短期入所には(T)(U)はありませんでした。その後の改正で、日中支援をいれた(T)と日中は別サービスの(U)という報酬算定単位ができました。しかし、重度障害者等包括支援は、短期入所の取扱いが難しく(支給決定単位の算定のときに、短期入所も組み入れて計算をする。つまり、短期入所何日という支給決定をしない)、理論的には組み入れになっていました。
 なので、短期入所に別だしで、ヘルパーを派遣したり、2006年当時ルールで、短期入所は一日報酬だけど、日中やヘルパーを使ったりができていました。
 ただ、このたびの改正でいうと(まだ、支給決定計算がでてきていないので、なんともいえませんが)、「他の障害福祉サービスの報酬算定の考え方を踏まえ」といわれると、この取扱いはだめになるということなのかと。
また、
ハ 共同生活援助(介護サービス包括型に限る)1日につき ( 997単位 )
と、もともと、算定基準がよくわからない共同生活援助。
 さきほどの短期入所の議論と同じく考えれば、これは「個人単位で居宅介護等を利用する場合(特例)」を運用して、重度障害者等包括支援のなかで、共同生活援助+居宅のダブルカウントをしていいのか?という話になる。そうすると、報酬的には少し高いですよね。

 詳細の事務処理要領まで待たないとたぶんだめなんでしょうけど、いままでの矛盾点を解消しないままの中途半端な、それも報酬をさげる改定は、ますます、重度障害者等包括支援事業の利用を引き下げてしますのかを懸念します。

posted by 凸凸 at 12:25| 大阪 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月16日

平成30年度 相談支援事業の改正について

先の2月5日の平成30年度障害福祉サービス等報酬改定の概要(障害者の報酬改定チームの資料)をもとに、相談支援事業に係る資料をつくってみました。

いやみったらしく(この前の2月3日の奈良のくらし支援ネットの私の話をきいた人はわかる)、国の居宅介護支援事業の資料の形を流用してつくってみました。

パワポであげるので、まちがいの訂正とか、活用とか、みなさんでお好きにどうぞ。
平成30年度相談支援事業見直しについて.pptx
posted by 凸凸 at 15:55| 大阪 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月14日

制度や法律と、常識との戦い

 この仕事と活動、をしているといわゆる『「身寄り」のない方』の「お見送り」をすることが少なくない。
それも長寿社会の今にしては、若くしてお送りすることになることが多い。

 この週末、脳性麻痺で一人暮らしをされていた方が逝かれた。
私とは20年近くのおつきあい。数年前には、お母さんを亡くされて、葬儀も出された(お手伝いをさせていただいた)。そのあとは、ほんとうに一人で暮らされてきた。

 脳性麻痺の二次障害で、横隔膜弛緩症になり、そこから、肺、腸といろいろな病気がでて、入院をしては、退院。その中で、数年前には腸を切除するという大きな手術も乗り越えられ、この2年ほどは入院もせずに暮らしてこられた。もちろんそれだけではなく、いろいろいろいろいろいろ。メインでかかわってくださったヘルパーの事業所さんには、ほんとうに感謝のことば以外ない。

 夏に一度、危篤になり、そこからいったん奇跡的に生還して、二度目の大きな手術も乗り越え、11月には退院まできまっていたが、残念ながら、帰ってくることはできなかった。

 ただ、ほんとうに、最後の最後まで、自分の意見や希望をきちんと伝えてくださった。そして、そのご意見や希望をただただ、「伝えて」、尊重するのが、私の役割だった。言語障害がきつく、トーキングエイドも使いながら、コミュニケーションをとられる彼は、それでもご本人の意思と理解を深めるためには、関係性と工夫がいる。

 長くかかわってくださった主治医の先生も病院さんも、そうしたご本人の意思や希望を最大限尊重してくださった。それだけではなく、家族ではない私に家族と同様の役割も担わせていただき、臨終のときもお電話をいただきよんでいただいた。

 ほんとうに信頼していただき、「家族」でない自分に病状や治療の方針を丁寧にご説明いただき、私も精一杯、ご本人の代行をさせていただいた。

 いっぽうで、いまの社会の中ではそのことは普遍化されるものではない。
 私は家族ではないのだ。
手術の同意でも大きく躓いたし、最後の最後も、生活保護受給者ということで、見送りの中で、私たちの思いははたせなかった。家族でなくても、なかまや支援者がたくさんいる。ということは、制度や法律の枠を簡単には超えられない。

 明日から、彼の遺志=私(たち)との約束を果たすために、また、戦いがはじまる。制度や法律と、常識との戦いだ。
 
 きっと、彼の思いと私(たち)の思いで、のりきっていける。そう信じている。

posted by 凸凸 at 15:42| 大阪 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月01日

2018年 新年のご挨拶

2018年になりました。
 
 旧年中はいろいろとお世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いします。
 めずらしく年末に風邪をひいてしまいました。2017年の想定外の激務でやっとほっ、とできるということで気が緩んだのでしょうか。それとも、年末に容量以上の激務を押し込んだからでしょうか。
 
 予定通りにいかないのが人生ですが、2017年は、2016年に見直したはずの生活がまた逆戻りをしてしまい、休みのない生活に戻ってしまいました。非常勤講師をやめたことが逆に作用して、べったり寝屋川という時間が多かったです。

 寝屋川では、ご存じの方も多いと思いますが、なんと都市計画道路の立ち退きにかかってしまい、大騒ぎになっています。また、時代の変化とともに、40周年を迎えるにあたり、今後の方向性を大きく変えることになりそうです。

 そんな中で、いろいろな団体さんとのコラボ事業、活動を積極的にすすめていくことになり、めずらしく、新潟県上越市や和歌山市に視察にいくということも経験しました。

 理念を守りつつ、時代に迎合せず、しかし、時代にあわせて、変えていくことが必要になります。しんどい作業です。

 講演などの依頼は、少しずつですが、ここ数年増やしています。
 定藤福祉記念研究会の連続研修会の企画にかかわらせていただいています。
その流れは2018年も続きそうです

いまの予定では、
1月20日(土) 東京 ふわりんクルージョン2018
2月3日 奈良にて くらしネットフォーラム
に登壇予定です。

 あと、少し書きたい思いがでてきています。今年は少しBLOGの更新頻度をあげたいといまはおもっています。

 本年もどうぞよろしくおねがいいたします
posted by 凸凸 at 08:00| 大阪 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月22日

重度障害者包括支援事業について

先週あたりで、医療・介護・障害の分野の報酬についての議論が一通り終わったかんじがある。
診療報酬・介護報酬・障害福祉サービス等報酬改定について
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000188402.html

もちろん、関係者にとってみれば、ここからはさらに具体的な話として、実際の事業の単価がどうなっていくのか、に注目は移っていく。それはご本人の負担にもかかわってくるわけで注目していかなければならないことはいうまでもない。

障害者総合支援法の関係でいえば、今回は法改正時の対応として、いくつかの点での改正や新設のサービスが予定されている。

それとは別に、とても注目していることは、平成18年度に施行された障害者自立支援法の中で、今回はじめて、その事業内容について改正がされるだろう事業がある。それが重度障害者等包括支援事業である。

とみた、そして、寝屋川市民たすけあいの会を知る方は、障害者自立支援法施行当時に、どれだけ苦労をして、この事業にたどりついたか、そして、その後もこの事業に積極的に私たちがたずさわっているか、を、ご存じだろう。
全国で、わずか30人程度しか利用されていない事業のうち、7人がうちである。

そして、施行当時に書いたものが以下である。

重度障害者等包括支援から障害者自立支援法の本格施行について考える
http://totutotu.la.coocan.jp/jiritusiennhoutobira.htm

重度障害者等包括支援事業は、実は平成18年9月27日にでた通知以外にほぼ詳細の事業内容について、まとまって解説したものがない。いわば「忘れられた事業」である。
その忘れさられた事業が、今回の改正で施行後はじめて改正されるそうである。

しかし、いまさら、どう変えようというのだろうか。
これまで、数少ないものではあるが、重度障害者等包括支援事業については研究が行われてきた。
私自身がかかわったものが以下の2つ。発足してすぐのときの研究事業である。
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/jiritsu-report-DB/db/19/009/report.pdf
http://www.houmon-no-ie.or.jp/office/jiritu-sien/20-jiritu-sien-report-top.html

このふたつに、施行前から、施行してみての課題点と問題点はすでに指摘してしまっている。

その後、障害者自立支援法が平成21年、24年に、そして総合支援法への流れの中で、改正されていく際に、まったく、重度障害者等包括支援事業はおきざりにされて、改正されてきた。

その間にもふたつの研究事業があるようである(私は直接は関係していない)
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/ce/2010/sh01.pdf
http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12200000-Shakaiengokyokushougaihokenfukushibu/h24_seikabutsu-08.pdf

このふたつの研究は、実は重度障害者等包括支援事業の対象者の中のT類型(筋ジスやALSの方を想定)を主たる対象者像として行われているようである。しかし、実は平成18年度施行以来、全国でひとりもT類型の方への重度障害者等包括支援事業のサービスが行われたことがないときいている。

なぜ、重度障害者等包括支援事業が広がらなかったのか
平成18年度重度障害者等包括支援事業ができたとき、重度障害者等包括支援事業の対象者像の支援を考えるときに、いくつかのメリットがあった。たとえば、行動援護のサービスが一日5時間上限であったのを(単価の問題はあるにしろ)、5時間の枠を超えて支援を行うことができた。
そういったメリットは、実はこの3,4回の改正の中で、それぞれのサービスが行えることになり、ほぼ消滅し、矛盾だらけの制度になりさがってしまった。

今回の30年改正にあたり、調査研究がおこなわれ、当会にも調査にきていただいた。
その際の報告書が国立のぞみの園の研究紀要P55〜
「重度障害者等包括支援事業のサービス利用の実態と運営上の課題」
http://www.nozomi.go.jp/investigation/pdf/report/02/ky10.pdf

として掲載されている。
それに、重度障害者等包括支援事業の課題について、まとめてくださっている。
つまるところ、広がらなかった主要因は単価と事務の繁雑さになってくるのだが。

重度障害者等包括支援事業、どう改正するのか

2017年12月12日から行われている障害者総合支援法の政省令案のパブリックコメントでは、以下のように重度障害者等包括支援事業についての改正案の記載がある。
指定重度障害者等包括支援
・ 「重度障害者等包括支援サービス利用計画」を「重度障害者等包括支援計画」に改める。
・ サービス提供責任者が重度包括支援サービス利用計画の策定に際し、担当者会議を開催する等を定めた規定を削除する。

 平成24年の改正において計画相談が全員につくようになった改正時に、重度障害者包括支援事業との矛盾がおこった。どういうことかといえば、重度障害者等包括支援は居宅介護事業に位置付いているにもかかわらず、サービス提供責任者は支援実務の経験のある「相談支援専門員」となっている。では、重度障害者等包括支援事業方のサービス利用計画は、サー責が書くのか、別の方が書くのか。が、不明確なままであった。そして、もっといえば、その役割についてはどう整理していいのか、が全くわからないままになっていた(ちなみに重度障害者等包括支援はサービス利用計画は年に1回の標準になっていて、モニタリングは実質はない=というより、それはもともと重度障害者等包括支援事業の事業の中に含まれている)。

 上に示した内容でいえば、重度障害者等包括支援事業を施設入所支援に近いものとしてとらえて、サービス提供責任者の仕事を施設入所支援のサービス管理責任者のような仕事にするのだろう。
では、それで改正になるのだろうか。

 重度障害者等包括支援事業の一番の矛盾点は、実は請求にかかわることである。
基準になる単位数の計算式が複雑かつ論理性に著しく欠けている。そもそも、4時間で800単位といいながら、その実、請求上では、30分100単位のサービスである。支給決定単位もそれを元にして、支給決定を算出する。そして、GHを利用しているのでなければ、非現実的な3ヶ月95%以下の支援量であれば、プランの見直しである。この仕組みは、請求の複雑さだけを生み出し、その結果として、(利用母数が少ないこともあるが、)対応しているソフト会社がほぼ存在しないという結果を生み出している。

 また、加えて、再委託という仕組みがさらに複雑にしている。もちろん、初期の文章に私が書いたように、再委託の仕組みは利用者サイドからみると、使える部分もある。しかし、事務の繁雑さとともに、処遇改善が導入されて、制度矛盾が如実にあらわれた。重度障害者等包括支援を利用していれば、重度障害者等包括支援の低い処遇改善%になる。再委託先が身体介護であれば、その実、20倍の%差がでるようなことも起こる。
 居宅(訪問)介護の支援として設計され、運用がされている介護保険の小規模多機能型居宅介護が再委託を制度的には行っていない。制度創設当初は、再委託(他事業所の利用)が利用者サイドからはできるようにという声も大きかった。
 その意味で、難しいが、このままの請求の仕組みではなんの解決策にもならない。

 少なくとも、国がもし、いわゆる重度障害者への支援をすすめる上で、重度障害者等包括支援を活用したいと思うのであれば、報酬をあげるだけでは明らかに不十分である。そのことを声高に主張したい。 
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2017年08月01日

「福祉」とスティグマ

「福祉」に【スティグマ】は大前提である。
福祉が「福祉サービス」として、サービス化する中で、「福祉」に付与されていた【スティグマ】が払拭されるという議論はそれこそ1980年代ごろから議論されていたことだった。社会福祉サービスと社会保険の議論でも行われ、それこそ、オランダ・ドイツの議論そして日本の介護保険の創設議論のなかでも行われてきた。

 昨日、FBでシェアさせていただいた「こども宅食」事業にかかる鈴木和樹さんのご意見の中で、この【スティグマ】が登場する。また、彼はフードバンク活動を貧困者支援ではなく「食品ロス」活動が前面にでるべきだという(メディア的に)。そして、どこの地域でも、フードバンク(的な)事業が公的に保障された活動として位置づけばと言われる。

 なるほど。と。思いつつ。
 チャリティ、ボランティア活動の歴史を思ったとき、また、理論的な社会福祉対象論を思ったときに、社会運動・活動としての彼の発信はわかりつつ、厳しいなぁと思ったのも事実。そして、日本でこの10年余、この世界を席巻してきている「社会起業家」という「魔術的」な戦術論が市民権を得たことを見せつけられているのだと思う。起業家は「ビジネスチャンス」を見つけ、それを事業化することによって起業する。社会起業も同じだ。そして、それはニーズをなんてかっこいいような言い方をしているが「社会起業家」も同じだ。ぶっちゃけいえば、彼らの中には、【スティグマ】なんてことばは自分たちの辞書にはないと活動に邁進する方もいるだろう。それは肯定的な意味でもだ。自分たちの活動を続けていくことで、社会・コミュニティが変わりスティグマも払拭されるだろうと。それはおそらくは正しくもあり間違っていることでもあるのだろう。
わかっていることは、その正否をきめるのは、私ではない。スティグマは受けた人、感じた人のものだ。

 こども支援(だけではない)が、「ほんとうに困っている人はつながっていない」のだ。そして、声もあげられないのだ。ファンドですら、自分たちの活動のために、対象者の写真や実情を求める。そのことは彼らにスティグマを付与する。私たちは「見えやすい」「わかりやすい」という権力的抑圧にここでも闘っていかなければならないのだ。あらためてそのことを強く思った文章だった。


 
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2017年06月13日

いわゆる高次脳機能障害者の地域での生活を再構築するための・・・

私が「学会的なもの」とから距離をとって久しい。そんな中で、とあることからそういった「学会的なもの」との接点を「視点」として、再度もつ必要がでてきた。
あまり、自分自身、研修というものに参加することもなく、現場で使われていることばも理念と解離されて使われていることも多いから、あまりそこに、力点をおくこともなかった。
また、福祉の分野でいえば、あふれまくる「カタカナ」用語のひどさは、90年代以降、どうしようもなくなっているわけで、そのどうしようもなくなっていることにきちんと立ち向かう気もなくしているから、改めて対峙するつもりをもたないと結構、どうしようもないなぁ、と感じていた。

 きっかけは、現場から。2年ほど前からうちに理学療法士さんが来てくれた。その理学療法士さんと会話を重ねる中で、おもったり、感じたりすること、そして、彼らの理念や専門性テリトリーを垣間きくなかで、自分たちがやっていることと、実際の多職種連携の支援のなかでおこってくる「すきま」と、「支援の連続性のためのマネジメント」をどのようにするべきなのだろうかという疑問を強くもつようにもなった。

 今回のエントリーのタイトル、実によくわからないタイトルだ。このタイトルをつけるにあたっても、さまざまな、横文字のことばをならべてみた。が、少しそれを調べてみると、あいかわらずのわけのわからない「カタカナ」用語の乱発で「意味がわからない」状況になっていることだけが露呈する。では、このことは、医療従事者なら(医療モデルなら)解消する、、、わけでも[ 当然]ない。検査の方法や術式などきわめて数値化ができているものをのぞけば、実はよくわからないことばがあちらも乱立しているようだ。その最たるものがエビデンスとナラティブだったりする。
 話をもどそう。
 当初はICFからの生活モデル、とか。ストレングスモデル、とか。つかってみようかと思ったが、いくつかの文献をみた瞬間にやめた。そのことばを使うことで誤解を招く気がしたからだ。

 いま自分たちは、大きな仮説をもとに、多職種支援のアプローチを実践している。この多職種支援ということばもよくわからないことばで、誰と誰、どの専門職とどの専門職がみたいな話になるとまた、めんどくさい。とりあえず、ここでは、かっこよく、理学療法士、精神保健福祉士、社会福祉士、介護福祉士、相談支援専門員 といっておこう。そうすると、多職種支援といっていいだろう。個人的には、毒を吐けばそれぞれどんな専門職やねん、資格をもっていれば専門職といえるんかい、といいたいところだが。だから、はじめにこの取り組みをするときに、それぞれの役割をきちんと明確化した。福祉職のスタッフはどうもここらあたりが苦手で、とくにうちのスタッフはすぐに「よりそって」しまう。別の場面ではとってもすばらしい実践力なのだが、今回のプロジェクトでは、そこは修正をしていただいた。

 高次脳機能障害者に限らず、中途障害者は「リ・ハビリテション」を強いられることになる。まさに、生活を取り戻す。生活を再構築していく。そのことは避けて通れない。進行性の難病による中途障害者と医療的な症状がある種固定される方とでも実は違っていて、再構築のやり方もかなり違う。
 今回の仮説はその中でも、脳損傷の患者で、身体的な障害が少ない(車いすは常用ではない)かつ、記憶障害、遂行機能障害、注意障害などがあると診断された方を対象に、「医療制度の中ではリハビリが終了」し、かつ、「就労支援(就労リハビリ)」の対象ではないといわれている方たちへの「リハビリ視点を加えた」生活再構築プログラムの有効性についての仮説である。
 この前者の「医療制度の中ではリハビリが終了」はわかりやすい。精神科のデイケアをのぞけば彼らに対して行われる医療制度の枠のリハビリは縮小している(もちろん、自費は別)。後者の「就労支援(就労リハビリ)」の対象は、よくわからない。わたしなどのいいかげんな現場的な視点をいえば、本人が就職したいと思ってとりくむことすべて、といいたくなるが、それはおそらくダメだろう。しかし、障害者総合支援法上の就労支援施設や職業訓練校がこれにあたるといわれると、なんかちがうよなとおもいつつ、うけいれざるをえないのかなともおもう。
 また、「生活リハビリ」ということばをつかおうかともおもったが、これもたぶん、違うなと。「生活リハビリ」はかの有名なM氏が高齢者支援の場面で広くつかったことばで、おそらくそちらの意味が強いのでやめた。そうすると、自分たちの思うことばがない。まぁ、ことばがなければつくってもいいが、それはあんまり思ってもいない。

 私たちが対象にしている方は、医療リハビリの世界の中では、リハビリ対象者になりにくい、リハビリの効果のあがりにくい方なのだそうだ。ご本人や、ご家族はリハビリを強く望まれている、が、リハビリを受けることができないという現状がある(訪問リハは除くが)
 批判をしても仕方がない。あたりまえである。医療リハは、短い時間の中で、強い効果性を求めてアプローチを行うものとされているのだから(そのことについてのはなしはここでは主題ではない)。また、退院に近づくにしたがって、とにかくも歩けてADLが自立、に近い方については、生活上のこまりごとは、記憶障害や遂行機能障害、そして、注意障害と称される障害だ。充分な時間がとれないなか、都道府県にある高次脳機能障害の専門のセンターに入所(・通所)して、という方もおられるだろう。そして、そこでは集中的にそれらの障害へのリハビリ?が行われる。
 そのセンターからの「地域移行」の支援ニーズがうちに近年、多く寄せられている。

 高次脳機能障害として称される
/なぜ、こんな言い方をするかというと高次脳機能障害という言葉がそもそも行政用語でしかないからだ。最近、このカテゴリーづけはやめてほしいと思う。「難病」というカテゴリーも広すぎて困る。狭い意味の「社会福祉」でいえば、支援の共通項は一定以上存するので、許容できなくはないが、医療から福祉、生活へのマネジメントのなかでは、かなりうっとうしい。共通言語化(コンセプト化・コード化)しにくくてしかたがない。/
「障害」も実はかなりあいまいで、また、それぞれの「障害」もよくわかっていないらしく手探りのようだ(私はここの専門家ではないのであいまいな表現になる)。脳損傷特有の半側空間無視などはもっと研究されてほしいと思う。
 わかっていることは、「なんらかの」脳の障害によって、行動に一定の「行いづらさ」があり、生活のしづらさが起こるという点である。中途障害に必ずある「障害の受容」はここでは前提中の前提なので横に置いておく(これはこれで大きな課題なのだが)。

 そこで、最近、研究や実践が進んでいる発達障害の方へのその中での支援・アプローチ方法を応用することと脳と身体の相互作用に強く着目して、生活スキルの向上と再構築に効果がみられるだろうという仮説をたてて実践を行っている。特に参考にさせていただいたのは、 水野敦之さんの「「気づき」と「できる」から始める フレームワークを活用した自閉症支援」です。
記憶障害や遂行機能障害、注意障害は、自閉症スペクトラムよりもADHDの方の行動に似ているように思われるかもしれませんが、方法論的には、フレームワークをつかい、
@視覚的なわかりやすさ →見通しをたてる →忘れたときにも確認ができる 
※記憶障害支援に使われるメモリーノートとの併用によって、日常生活の代償手段として身につけていただく
A遂行機能障害や注意障害のある方は、細部よりも全体に注目がいきがちになるので、細部に注目する特性をいかしたこの方法論を逆に活用して、細部への注目を行うように構造化を行う。
B環境のセットアップを「個人で集中できる環境」と「グループで行える環境」とを併用し、かつ、プログラムを個人・集団/グループだけではなく、「パラレル」=同じ作業をあえてグループにせず、個々で行うプログラムを導入して、注意の切り替えをトレーニングする。
C生活上にとくに課題にならない身体的な障害=麻痺に対しても、積極的にアプローチを行う

そして、この限られた空間・時間だけでなく、生活上にこれらのアプローを生かす工夫をいれていただく(実はこれが一番、難しい)。また、ご本人にはつらいだろうが、就労訓練もセットし受けていただく、などの総合的なアプローチを行う。この部分は、障害の受容にもかかわる。

 こういったアプローチは、いわゆる「福祉」ではない。また、「医療」でもない。個人のストレングスに着目するアプローチからすれば、介入しすぎだろう。しかし、過渡的に時期を決め、ICFでいう環境要因に対してのアプローチを「あえて作り出す負荷」によって行うことによって、生活スキルの向上と再構築に寄与できるのではないかと思っている。←これが仮説

 さて、こういった実践が、はたして学会的なものなのか、どうなのかは今後、問われていくだろう。現状は、その地平にはかなりの距離があることはよくよく承知しているが。 
posted by 凸凸 at 09:07| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月07日

今日が自分の49回目の誕生日だと???

おもっきり忘れていました。
今日は5月7日。自分の誕生日でした。

SNSで、まわりの方に教えていただいて気づくという
なんともはや。。。

この春は、何年かぶりにこれでもかこれでもかというくらいに忙殺されています。

昨年、48歳(4回目の年男)を気に、かわろう、かえようと、一年してきました。

そうして、いろいろなことが大きく変わろうとしています。

とっても忙しくまわっていない春。
相方から、そんなにこんつめてもできないから、一日ぱっと休みをとったらと助言をもらい一日休みをとりました。

気分転換に

野田藤
http://nodafuji.com
の町歩き

りっぱな恵比寿神社
http://www.noda-ebisu.com

に、出会いました。

で、

賢人
https://www.facebook.com/kashikobito/

で、昼まっから、とてもおいしい、にごり酒を。

このお店、何を隠そう、私の弟がやっている店です。開店して1年少しになります。
みなさんにかわいがっていただき、1年になりました。

おかげさまで、気分転換できました。

49歳になりました。
この一年、またいろいろと、変わっていくと思います。

よろしくおねがいいたします
posted by 凸凸 at 23:18| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月24日

社会保障政策と政策研究、反研究について思うこと

「居場所」は
政策的に
創って広げることを目的にするときには
使われてきたことばだが
今後の政策としては
おそらくは事業としては
「居場所」だけでは補助の対象にはされず
そこに、いろいろな「機能」が付与されなければならないと
なっていくだろう。
「わが・丸」の中心的施策になりながら、
おそらくは、少なくとも国事業としては
消えていくだろう。

この話としては、関係者はわかっていなければならないことだし、

そのことと
地域の中で、必要かどうかの話は別の話である

と同時に
政策的デザインとして、同じ土俵で議論すべきことかどうか、は、現場の者としては、考えておくべきことだと思うし、
そのことを議論されている諸研究者の方たちは、
ボトムアップ型実践をも、トップダウン型実践と同じく議論をしないでほしい。

いまの日本が危機的であるという視点はもちろん共有するが、マクロ(的)議論を仕掛けるための、全体論的思考のために、小さな実践を、自分たちの思考、論考のために「まとめる」ことは、
実は、論理展開そのものが、自分たちが批判をしている政策的論理となんらかわりのない論理展開であることに、きちんと気づいた上でおこなわれるべきだとおもう。

社会科学や政策科学のエビデンス主義的論考ではなく、きちんとした「科学」としての議論は、ミクロとメゾとマクロが、研究としては、必ずしも結びついていないことをきちんと諸科学の研究史から学んでおこなうべきだ。

いまこそ、丁寧な議論を望む。
posted by 凸凸 at 07:41| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月21日

「制度化」とひとりひとりにむきあうこと

 ここのところ、ずーと同じ疑問の中をぐるぐるとまわっている。

 まだ、アウトプットできるほど「ことば」にのっかっていない。

 つまりは。
 ○○な人を支援する とか、○○なこどもを支援する とか。
と、
ひとりひとりにむきあったときの「ズレ」をどう考えていったらいいのか。ということ。

 私たちは事業をやるときに、○○を対象にするといいます。
それが制度内だろうと私的サービスだろうと、公益的なサービスだろうと。

 それが必要であるといわれます。
お金を集める 制度でやる なんでもそうです。見える化が必要であるとも言われます。

 私たちはいろいろなきっかけで、いろいろな方に出会います。出会い方はさまざまです。
それは、○○な人を集めるではないのです。
 
 出会った人に対して、できることをする。それはカテゴリーではないのです。
でも、なにかをしようとすると、そのカテゴリーに因らないといけないことになっています。

 すっきりしないのです
posted by 凸凸 at 06:15| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする