2009年07月02日

自立生活支援 地域福祉(2)

 1970年代の水俣病などの公害病に対する住民たちの自分たちの生活を守るための運動は、その後の市民運動にむけて、イデオロギー的な運動からのある種の脱却といわれた。マルクス共産主義をはじめとしたイデオロギー的な社会運動・住民運動ではない【私たちの生活を守る】という一言に込められた住民運動・市民運動を萌芽させたとする。私はそのひとつのキーワードが【地域】だったように思っている。
 高度経済成長とともに、都市化・核家族化の波をうけた時代の中で、それでも自治的な生活共同のない、いわば「暮らし共同」のみの結びつきを求めた地域づくりは、社会運動論のいう「共益・共苦」という外在的なパワーにより、より結びつきを強くした。公害はその地理的地域に住む人たちに「共苦」を与えた。琵琶湖の水質保全活動も、その地理的地域に住む人の生活用水の問題として発生してきた。
 しかし、裏返しにいうならば、都市計画もなく、高度経済成長の中で、人口爆発をかかえた都市部が人工的・企業的戦略的に、人の住む住宅地域を開発し、誘導し、人の集まりをきわめて、機能的に作ったにすぎない。機能的に、自治会を組織しようとしても、旧来の自治体行政との上下相互関係の自治会を組織することはできなかった。生産・消費という地域の中での強い人同士の結びつきの中で地域生活が起こることはありえず、自治会で資産をもつこともなく、ごみ当番程度の「暮らしの共同」のためだけに自治会は組織されていった。
 10数年まえに、高度経済成長期にできた新興住宅地で、自治会の解散があいついだという。話にきいたところでは、結局その住宅地の自治会の役割はごみ当番だけだったいう。実際に、自治会がなくなって困ったのは住民ではなく、市行政だったそうだ。
 
 住民の移動が自由になり、その地域が地理的な役割しかもたないように、都市計画政策や自治政策が行われていく一方で、先に指摘したように、住民を集団的に管理するために、あえて、自治会を組織したりするといった政策が行われた。それが【地域】というキーワードで語られてもいた。しかし、終身雇用制をひいていた日本企業の風土は、所属する社会組織を地域ではなく、企業にしていたという一面も指摘できよう。
 一方で、自分たちの暮らすまちを自分たちで考えるという運動は、先にとりあげたように【私たちの生活を守る】というキーワードで、活動を萌芽させていく。80年代、90年代にはそういった活動が【地域】というキーワードをもって行っていったこともあったが、たとえば、生活協同組合の共同購入すら個別配送にとってかわられていったように、消費者としての共同意識をもてても、地域という共同意識をもてるような生活環境にないというのが正直なところであろう。
 
そんな中に登場してくるのが、地域福祉論である。
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2009年07月01日

自立生活支援 地域福祉(1)

7月19日に定藤記念福祉研究会10周年記念セミナーのシンポジウムに登壇することになっている。テーマが「自立生活支援としての地域福祉」。難しいテーマである。このところずっと、頭の片隅に残しながら考えている。

 とみた自身が定藤先生と一緒に仕事をさせていただいた期間はごくごく短い期間だった。しかし、そこから拡がった人のつながりで、多くの貴重な出会いと学びをさせていただいてきた。時代が介護保険時代になり、その裏表のように地域福祉の時代とよばれながら、混沌とした時代の中で、その実を改めて考えようという趣旨なのだが・・・。

 院生時代に、イギリスのコミュニティケアの歴史的な変遷を学んだ。断片的に覚えている60年代から70年代にかけての「シーボーム報告」の時代→70年代から80年代にかけての「バークレー報告」の時代、そして1989年のコミュニティケア白書につづく歴史的な流れは、推移時間の流れのスピードこそ違え、日本の地域社会の背景と共通する部分が多いようにも思う。
 
 私は大学時代から院生、そして現場で、地域(の)福祉に20年余、劇的にかわる時代の中でかかわってきたことになる。その中で、改めて研究者的頭で考えたとき、【地域(コミュニティ)】というイデオロギーをこの時代の中に、政策的なものと、運動論的なものとして指摘できるように思う。ひらいていいかえると、「住み慣れた地域に住む」ということを「住み慣れた地域」に住めない人たちが言われる。そのことを「住み慣れた地域」がない人やそれを望まない人にもあてはめようとする政治的な力が、政策的にも運動的にも存在する。
 本来、共同体的に生活共同(=「たすけあい」)が存在する人間関係があったとする幻想的状態=言説に対して、市場社会は、それがあろうとなかろうと市場的生活→貨幣価値化を私たちの生活の内部に行ってきた。いわゆる生活の外部化である。日本が昔大家族でたすけあいながら生きてきたなどというごく一部の農山村社会の現状をさも常識のように語ることは、そのことを国民に植え付けることに寄与してきた。極めて穿ったいい方をすれば、市場社会に生活をゆだねることのリスクを、社会政策が行えないので、思想的に訴えかけてきたということができまいか。そして、その表裏として、運動側も市場社会や政策に対する生活防衛という一面で、【地域】という思想を掲げてきた。
 (長くなってきたので、エントリーをかえます)
posted by 凸凸 at 09:25| 大阪 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月27日

ケイヤクによるサービスの提供?

 この金曜日のWelの障害者自立支援法の書き込みに、「暴力行為に困っています」という書き込みがされています。通所送迎中に利用者さんが暴力をふるわれる。困っている。という書き込みに、2つのレスがついていて、

 一つは、契約書の中に書いているから、契約が困難です。あとは福祉事務所の仕事の領域ですといわれていて、
 もう一つも契約関係の権利は相互にあって、という見解が書き込まれています。

 介護保険や障害者自立支援法の世界の中の「契約」関係、いいかえれば、高齢者介護や障害福祉の中に、厳然と入り込んできている「契約」という考え方。

 これでいいのでしょうか?

 いつも読ませて頂いているmasaの介護福祉情報裏版の最新のエントリー「存在意義が問われる介護福祉士」 介護福祉士協会への非難が書かれています。吸引行為を見解として否定している介護福祉士協会。介護福祉士の存在意義はないとのこと。
かくいう私も介護福祉士。障害者自立支援法がはじまるときに、国家試験一発でとりました。なぜって、サービス提供責任者がいるから。行動援護やるために。申し訳ないけど、アイデンティティなんかありません。やっぱり、どこかで資格で仕事をするのではないと思っています。

 私は全く三好春樹に傾倒しているわけではないけれど、最近みた「ブリコラージュ」。本間清文という方がいっている「ケアマネなんて、なくしてしまえばいい」はかなり同感。ケアマネがいるから、各事業所が調整機能をなくしてしまっているんだ。。。等々。

 やっぱり仕組みがおかしいのではないグッド(上向き矢印)
posted by 凸凸 at 15:30| 大阪 晴れ| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月25日

クソクラエ!ケアマネジメント&ネットワーク《爆》

戸枝氏がコメントを書き込むなんて、びっくりした〜モバQモバQモバQモバQ
 私がBLOGで名前を出したからだね。
 戸枝氏こそ、大阪近辺で、あまり【冨田】の名前を勝手に語らないように、あとあと、迷惑しますふらふら 昨日もあまり近しくない人に、戸枝氏との関係を問い詰められました。有名人と知り合いになると、たいへんですスペード

さてさて、ここからは読みにくいのはわかっているのですが、あまり大きな声ではかけないので

 コレマデニモ、ナンカイモカイテイルヨウニ、ケアマネジメントヤネットワークニハ、オオキナケッテンガアリマス。
ソレハ、ソレニサンカクスルキカンガ、ジブンタチノジッセンヤヤクワリニタイシテ、セキニンヲモッタタイオウヲオコナワズ、チュウトハンパニゴホンニンヲタライマワシ、ヨケイニジタイヲワルクスルトイウコトデス。
ガンバルキカンヤジギョウショガアルト、ソコニシュウチュウスルトイウコトハモチロン、ケアマネジメントトイウホウホウロンニカンケイナク、アルコトデスガ、ケアマネジメントヤネットワークヲヒョウボウシナガラソンナコトヲシタラ、ヒトツノキカンハツブレマス。
イマ、ヤバイデスヨ。ウチ
posted by 凸凸 at 14:07| 大阪 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月23日

戯れ事

あ〜行き詰まっている。

仕事に息詰まり感をもつのはしょっちゅうだけど、行き詰まっている感じはそうない。でもいまは行き詰まっている。

ソーシャルワーカーの仕事なんてそもそも憎まれこそあれ感謝されることはそうない。華やかに陽があたることはなく、地べたはいつくばってドロドロになって、土をくらいながらやっていくもんだ、と 僕自身は達観してやっている。解決するのはご本人だし、支援者が主人公ではないから。

そう思ってやっていても作ったネットワークがガラガラと崩れ、支援者が自分のエゴに走り、解決の糸口すらみえない課題、問題に直面し続けるとへこむよ(´〜`;

隣の芝は青く見えているとわかっていながら、同じ年生まれの戸枝さんや玉木さんが有名になってテレビとかでてると自分は全然興味ないのに、羨ましく思ったりするんだな。こういうときは、行き詰まっているんだよね。
posted by 凸凸 at 08:04| 大阪 雨| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月21日

メゾの視点とその実践の難しさ

昨日の続編である。

昨日の締めくくりは「謎」であった。よくマクロとミクロをつなぐという話が地域福祉の中では使われる。
ミクロの実践がマクロの政策につながっていくのだ。その間をとりもつのが地域福祉なのだと。
もし、この主張を通すとすればそこに、実践を集約して、政策化する「なんらかのSystematicな方法」がなければならないと思う。実践側は自分達の実践が報われないといい、政策側は実践側の訴えが足りないという。→実践側は訴えるための努力をし、地域にアピールする。政策側は現場に足を運び現場の意見を吸い上げる。
しかし、地域にアピールした実践は一実践に過ぎず、現場から吸い上げた意見は政策化した段階で、普遍化のプロセスを踏み似て非なるものとなる。
これが謎である。どうしてこんなことが起こりつづけるのだろうか。地域福祉研究者はこの問いに答えてくれるだろうか
posted by 凸凸 at 08:22| 大阪 曇り| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月16日

地域で福祉政策をすすめるための「装置」という謎

例の事件で、厚生労働省がさわがしい。おかげでいろいろな事務が遅れているという。真偽のほどは定かではないにしろ、障害者自立支援法を通すために国会議員に配慮したなどという下りがマスコミに書かれるだけで気分は沈む。

もともとケチのついている法律である障害者自立支援法。そのなかに、地域自立支援協議会というものがあって、という話はこれまでも何度もふれてきた話である。が、やはりこの部分にふれないといけないように思う。地域自立支援協議会そのもののことではなくて、タイトルのように政策をすすめるための装置である。
私は地方自治政治の専門家でもなんでもないので的外れな議論をしているのかもしれないが、いまの仕組み、装置では進まない気が実践者としてもしている。
先に書いたように、いまの日本の福祉サービスは行政からの市場への財源供給により、一定の「国」によるコントロールの下に、市場から消費者がサービスを買うというしくみを採用している。しかし、介護保険にしても障害者自立支援法にしても保育所にしても、
・市場への財源の供給量不足
・市場からのサービスの供給不足
・市場システムに淘汰されサービスがいきとどかない利用者の存在
が起こっている。
これは福祉だけではなく、日本の行政システムの中で、社会サービスを行政が直接行わない場合にどれにも起こっているようにも思うが、
政治−行政−市場
の関係の中で決まるもの以外、または行政が一旦その「役割」から市場に投げたものについて、果たすべき「社会サービス」提供の方法を構築できていない気がする。

福祉でもそれが市場からであろうと草の根の実践であろうと素晴らしい取り組みはある。そして、そのかたたちはみな政策や政治や地域社会に働きかけている。しかしそこまでである。

やれコミュニティビシネスだとかやれ社会企業だとかいっても、それは市場社会のシステムの中である。

他方で、法律で規定し、行政の中につくられたしくみなぞ既存のしくみの限界をこえられやしない
結局 市場の英雄 行政の英雄 実践の英雄 が現れなければすすまない

なぜ?
謎が存在するのだ
posted by 凸凸 at 08:22| 大阪 雨| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月15日

シムシティ的な発想と風土的発想論(増補)

 シムシティというゲームをご存じだろうか?
ずいぶん昔からあるまちづくりシュミレーションゲームである。
といってもパソコンを買ってすぐのころ、15年くらい前にしかやったことはないけれど。ゲームそのもの、あまり得意ではないし、はまるタイプでもないけれど、特にRPGは苦手である。TVですら、長時間みていると疲れる。ゲームを長時間というのは、全く苦手である。

 さて、私はいまから10数年前オランダに福祉研修で訪れたことがある。オランダは高齢者が高齢者だけの構成員をもつ政党があり、国会に議席をもっていた。社会サービスと連動した社会保険の仕組みがしっかりしていて、エイジレスに保険により社会サービスが保障されていた。産後すぐに自宅に派遣されるヘルパー制度などがあり、さまざまな在宅サービスが充実し、病院の入院期間が短いときいた。 なにより驚いたのは、北部の干拓されつくられた街の計画性であった。まさにシムシティ的なまちづくり。街の人口は年齢層別にまで計画的に入植者を決めていた。
 このはなしはすでに論文に書いたことがあると思う。
 
 都市計画の考え方にもさまざまあることもきいている。よくわからいが、できるだけ介入しない都市計画の考えからもあるらしい。また、既存の地域の計画実施は「公共の福祉」対「個人の権利」の対抗という議論になってしまいがちである。

 では 都市計画をどのように考えればいいのだろうか?
 
 シムシティでは、プレイヤーが市長になり、バーチャルに都市づくりをすすめていく。古いゲームでは、単純に人気政策をすると、市民が集まってきて、税金が増えて・・・みたいな感じだった。どこかの町の知事がやっているようなことだね(爆弾)。新しいゲームでは、住民参加システムみたいなものも組み入れられているらしい。でも所詮は、機能的なまちづくりである。住民・そこに住みたいと思う人への ニーズに応じたサービス的な都市作りになる。
 SFの世界やアニメのバーチャルな世界の中では、このような極めて計画的な都市計画によりつくられる「まち」がたくさん登場している。
 しかし、一部の権力者たちが作る【都市】【まち】には偏向が必ず起こり、都市計画はそのように行われるべきではないという考え方も一方である。そこに住む人たちの利害は必ず拮抗する。すべての人が100%納得する結論はないという前提の中で、民主的に話しあった中で、作られるまち それは、一方的に権力が作り上げられたまちではない にこそ、都市計画はその軸足をおくべきであり、あくまでも住民の民主的プロセスの中にこそあるべきだと。

 私たちは、なぜそこに住むのだろうか。
 風と土と水と、そして、そこに住んできた人たちが長年にわたって、つくりあげてきた文化と。
 そのような風土論による住むということは、単なる個人に与えられた一権利にすぎないのだろうか。

 市場経済社会の大波は、風土を食いつぶし、文化を喰らう。福祉が財政問題にのみ、収斂され、地域が極めて計画的につくられるようになったら、どうなってしまうのだろうか。それが住みやすいまちなのだろうか。
 
posted by 凸凸 at 21:30| 大阪 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月11日

サービスをコントロールする「地域」とは?

前回のエントリーで平野先生の論文をひき、政策 実践 そして、サービスという構成要素の紹介をした。もちろん、地域福祉の論者の中には、このような構成要素をとるといったスタンスそのものを否定しておられる方もいる。しかし、現実的に介護保険が始まったのちに地域福祉の議論は時代背景に大きく影響を受けながらコミュニティエリアでのサービス展開を軸にされてきたといっていいように思う。

サービス提供形態の議論だけではなく、本来の社会生活の中で行われてきた営みを「サービス」と呼び、専門的手法や行政政策の中に取り入れてしまったこと。インフォーマルサービス

サービスの提供を「市場」に委ねそのコントロールを地域が行うように、みせかけていること。介護保険は市町村が主体。

さも官公民私共同でできあがっている地域福祉的な世界がそこにあるような語りがある。

例えば議論の在り方をサービス提供の手法論としてのみ考えて、議論を構築するスタンスをとれば地域福祉の根本は何になるのだろうか。
在宅サービスであっても入所型のサービスであっても、そのサービスを公的な財源により保障する。仮にそれらのサービスをすべて、市場から(行政が買うのか、個人が買うのかという課題は残るが)買うとして、考えなければならないのは、その財源の使い方、運用の仕方でしかない。
現実には日本ではありえない話であるが、すべて財源が地方自治体にのみ入れば、その運用政策が地域福祉の根幹政策として議論されるだろう。先に書いたようなサービスの情景は 実は介護保険の情景に類似している。介護保険制度が見せている政策的失敗はサービスを市場から個人が買うという方法の危険性を露呈しているように思う。

で ここまで 書いてみるとおそらく地域福祉を知っている方はとても違和感を覚えられるのではないか。
しかし、介護保険時代の前提を見ずして何をいわんかである。
posted by 凸凸 at 13:45| 大阪 霧| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年06月09日

地域生活するためのサービスと地域福祉という考え方の関係

 地域福祉とはなんぞや という話の中で、ちょうど介護保険がはじまったころに出された興味深い論文がある。

「介護保険制度と痴呆対応のコミュニティケア−地域福祉研究の視点から−」平野隆之
福祉の地域化と自立支援 2000年所収 中央法規

 冒頭に、平野先生が参加した社会福祉の辞典のような著作のキーワードに「政策」と「援助(方法)」という区分の間に〈サービス〉加えたのがこの時期と言うことである。
 
 このような下りがある
 「地域(福祉)」の次元にサービス用語を配列するのは、そもそも生活にもっとも身近な地域の特性に即して、サービスが提供される必要があり、地方分権の枠組みの中で、それが模索されるべき
特に地域福祉との関連から、地域福祉の実現はサービス供給の理念抜きには考えられないとの判断があり、他方、サービス論の構築にとっては、障害・児童・高齢等の分野を貫く地域福祉理念が必要と考える( P64)
おそらくは、この考え方が、介護保険がはじまってから10年の地域福祉の考え方になっているように思われる。

 ということは、やはり、地方自治体社会福祉政策が地域福祉なのか?


posted by 凸凸 at 05:59| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする