今回の話題はマクロか、メゾかよくわからない話である。話題は都道府県である。障害者自立支援法における都道府県の役割、ということになろうか。
障害者自立支援法をはなれても実は都道府県にはいいたいことが山ほどあるのだが。これまでも言っているような知事に対してということはもちろん、いまの国−のあり方を思うときに、いまの都道府県の存在はあまりに中途半端である。
障害者自立支援法でいう都道府県の存在は、実はとてもうすい存在である。都道府県の地域自立支援協議会とか地域生活支援事業とかいう位置づけはあるのはあるが、はっきり言って役にたっているのだろうか、疑問である。おそらく、これそのものに、地域差=都道府県の差というのがあるのだと思うが。
障害者自立支援法の制度構造を考えたときに、広域的な施策推進以外の都道府県の役割というのは、実はそれほど見あたらない。これは介護保険も同じで、調整金のようなものをもっているがゆえの副次的な役割といったものにすぎない。特に18年改正からは、地域密着型サービスについては、市町村に指定や指導、監査の権限まで委譲されているので、今後、広域の市町村連合も含めれば、事業書の指定や指導、監査の権限も市町村レベルに権限委譲されるようになるかもしれない。とすると、ますます都道府県は何をするとことか?となる。
(消しそうなので、中途半端ですがあげておきます。後日加筆します)
2009年11月11日
2009年11月07日
なんのための計画か−障害者自立支援法を総括してみる(17)
さて、前回のエントリーで前ふりをした計画についてである。
障害者自立支援法のマクロ的な最大の失敗は、厚生労働省が画策した介護保険との統合がなしえなかったことである。そして、グランドデザインから介護保険を見通しながらも障害者自立支援法を作るにいたって、介護保険との統合を意識しながらも、介護保険の仕組みだから成り立ち得るものを、そのまま取り組んでしまったことにある。
この障害福祉計画も、その失敗の中心的な一つである。
わかりやすいように、介護保険制度の介護事業計画と比較して障害者福祉計画をみてみよう。
介護保険制度は、社会保険の制度である(といわれる)。65歳以上の第1号被保険者、40〜64歳までの第2号被保険者が保険料を支払う。第1号被保険者は、保険者である市町村に保険料を納付する。保険者である市町村は、介護保険事業計画によって、3年間のサービスとサービス量を推計し、第1号被保険者の介護保険料を決める。単純な計算ではないので、平易に説明することが難しいが、極めて単純化すると介護保険のサービスが充実し、たくさんサービスを利用する人がいれば、第1号被保険者の介護保険料もあがる仕組みになっている。【注】
介護保険の場合、@要介護認定によって一人一人のサービス利用上限がきめられる。A居宅介護支援員によって、サービスのコントロールが行われる。B第1号被保険者の保険料というエッセンスで、介護保険事業計画が決められ、総量としてのサービス量が抑えられる。という3つの要素があり、@ABがきちんと連携するような仕組みになっている。介護保険は、確かにサービスを民間に開放し、民間事業者の参入を受け入れたが、総体として、このような仕組みになっているので、パイは決められている。また、4つめのエッセンスとして、報酬自体のコントロールによっても、事業者の経営はコントロールされている。
比較してみて、障害者自立支援法はどうだろうか。
@障害程度区分は介護給付の一部のサービスの利用制限を行うが、訓練等給付には関係ない。また、一人一人の利用基準もきめない。A居宅介護支援員はいない。B保険制度ではない。その中で、障害者福祉計画だけが3年ごとの計画としてたてられた。もともと、介護保険より全般的に報酬単価が低く定められている障害者自立支援法のサービスは、報酬的な参入インセンティブが働かない。そうすると、みため、介護保険に類似する仕組みをつくっても、介護保険のように押さえる仕組みもなければ、ニーズはたくさんあってもサービスを開発するエッセンスもない。介護保険の居宅介護支援員がたくさんのニーズを吸い上げる仕組みを持っているのに対し、障害者自立支援法は機能不全を起こしている相談支援(+地域自立支援協議会)。そしてその関係性もあきらかではない。そうなってくると、変な話だが、障害者福祉計画は、国が出す重点施策は無理矢理にでも計画化し開発する。国が押さえたい部分については、ワークシートを配り、計画の数値というコントロールをかけるという構造になる。
つまり、障害者福祉計画は障害者自立支援法が介護保険と同様の仕組みになれば、意味があったが、機能不全の障害者自立支援法では何の意味もない計画づくりになってしまうのである。数値をいれても「達成されませんでした」。必要ないのに「数値」や達成目標が計画化される。これを計画とはよべまい。
介護保険との統合がなされないとなった時点で、セカンド・カウンタープランを示せなかった障害者自立支援法は、マクロ政策としては大失敗だといわざるをえない。
【注】実はこんな単純な計算ではでない。市町村の高齢化率、要介護高齢者の人数などいろいろな要素がたくさんある。介護保険事業計画をたてるためのワークシートが、三年ごとに国から配られるが、とても複雑である。最後にしっかり、第1号被保険者の保険料も出る。
障害者自立支援法のマクロ的な最大の失敗は、厚生労働省が画策した介護保険との統合がなしえなかったことである。そして、グランドデザインから介護保険を見通しながらも障害者自立支援法を作るにいたって、介護保険との統合を意識しながらも、介護保険の仕組みだから成り立ち得るものを、そのまま取り組んでしまったことにある。
この障害福祉計画も、その失敗の中心的な一つである。
わかりやすいように、介護保険制度の介護事業計画と比較して障害者福祉計画をみてみよう。
介護保険制度は、社会保険の制度である(といわれる)。65歳以上の第1号被保険者、40〜64歳までの第2号被保険者が保険料を支払う。第1号被保険者は、保険者である市町村に保険料を納付する。保険者である市町村は、介護保険事業計画によって、3年間のサービスとサービス量を推計し、第1号被保険者の介護保険料を決める。単純な計算ではないので、平易に説明することが難しいが、極めて単純化すると介護保険のサービスが充実し、たくさんサービスを利用する人がいれば、第1号被保険者の介護保険料もあがる仕組みになっている。【注】
介護保険の場合、@要介護認定によって一人一人のサービス利用上限がきめられる。A居宅介護支援員によって、サービスのコントロールが行われる。B第1号被保険者の保険料というエッセンスで、介護保険事業計画が決められ、総量としてのサービス量が抑えられる。という3つの要素があり、@ABがきちんと連携するような仕組みになっている。介護保険は、確かにサービスを民間に開放し、民間事業者の参入を受け入れたが、総体として、このような仕組みになっているので、パイは決められている。また、4つめのエッセンスとして、報酬自体のコントロールによっても、事業者の経営はコントロールされている。
比較してみて、障害者自立支援法はどうだろうか。
@障害程度区分は介護給付の一部のサービスの利用制限を行うが、訓練等給付には関係ない。また、一人一人の利用基準もきめない。A居宅介護支援員はいない。B保険制度ではない。その中で、障害者福祉計画だけが3年ごとの計画としてたてられた。もともと、介護保険より全般的に報酬単価が低く定められている障害者自立支援法のサービスは、報酬的な参入インセンティブが働かない。そうすると、みため、介護保険に類似する仕組みをつくっても、介護保険のように押さえる仕組みもなければ、ニーズはたくさんあってもサービスを開発するエッセンスもない。介護保険の居宅介護支援員がたくさんのニーズを吸い上げる仕組みを持っているのに対し、障害者自立支援法は機能不全を起こしている相談支援(+地域自立支援協議会)。そしてその関係性もあきらかではない。そうなってくると、変な話だが、障害者福祉計画は、国が出す重点施策は無理矢理にでも計画化し開発する。国が押さえたい部分については、ワークシートを配り、計画の数値というコントロールをかけるという構造になる。
つまり、障害者福祉計画は障害者自立支援法が介護保険と同様の仕組みになれば、意味があったが、機能不全の障害者自立支援法では何の意味もない計画づくりになってしまうのである。数値をいれても「達成されませんでした」。必要ないのに「数値」や達成目標が計画化される。これを計画とはよべまい。
介護保険との統合がなされないとなった時点で、セカンド・カウンタープランを示せなかった障害者自立支援法は、マクロ政策としては大失敗だといわざるをえない。
【注】実はこんな単純な計算ではでない。市町村の高齢化率、要介護高齢者の人数などいろいろな要素がたくさんある。介護保険事業計画をたてるためのワークシートが、三年ごとに国から配られるが、とても複雑である。最後にしっかり、第1号被保険者の保険料も出る。
2009年11月06日
可能性を示した地域自立支援協議会の思想−障害者自立支援法を総括する(16)
さて、メゾ、マクロの話に進んでいくことにする。マクロの話は、一番はじめのグランドデザインの通信簿でかなりやっているので、ポイントを絞って議論を行っていくことになると思う。それよりも、課題は介護保険の推進システムとは違う地域レベル(市町村&広域)での障害者福祉支援の推進システムをどう作り上げるか、である。その意味で、介護保険制度との統合に失敗したグランドデザインは、違った仕組み作りを模索する。その一つが地域自立支援協議会である。すでに触れたことであるが、当初は、地域移行・退院支援もそのメゾレベルでの話として想定されていた感じがあったが、障害者自立支援法が進むに従い、地域自立支援協議会がその中心として捉えられていくことになる。
別のエントリーでなんども地域自立支援協議会については書いているので、改めてその課題や問題点を一から議論する必要はないと思うが、ポジティブな評価をすれば、介護保険のシステムとは違ったシステムの提示として、地域自立支援協議会という仕組みは地域での障害者福祉支援システムを進めるものとして、可能性を示したといえよう。
ただ、可能性を示したとはいっても、地域自立支援協議会とはなんぞや?という規定をなしに、地域に投げ、介護保険制度を進めた方法論のように、全国の地域での実践例をただ垂れ流すやり方はいただけなかった。そのやり方の結論は、地域自立支援協議会なるものを形式的に作るということに終始し、魂も思想もない地域自立支援協議会が登場しつづける。
もう一つの問題は、相談支援との関係性である。地域自立支援協議会を障害者ケアマネジメント理論でいうサービス調整会議をイメージした人たちもいたが、それは一定の人口規模の地域までの話であって、中規模の自治体(人口10万人以上くらい)になると、途端に階層が多くなりすぎて、現場との距離が遠く離れてしまう。そうなると、地域自立支援協議会というものをどう生かすのか、どう位置づけ活用するのかという政策論が必要になる。それが障害者自立支援法にはない。つまり、障害者自立支援法下での自治体の障害者福祉施策についての政策方針がない。
障害者自立支援法で三年ごとに策定が義務づけられた障害福祉計画の策定方針が、介護保険とは違う地域支援システムである地域自立支援協議会とは違い、介護保険事業計画同様の策定方針を国が自治体に課したことも、ちぐはぐさをいっそう助長した。(計画については、次回別エントリーで)
結果として、地域自立支援協議会の位置づけは、ある意味「地域の顔」になった。一口に地域自立支援協議会といっても、さまざまな形、位置づけの協議会が存在する。しかし、原則論のない地域自立支援協議会。今後の展開次第では、これまでの官僚的な組織になる悪しき可能性を否定できる要素はなにもない。
別のエントリーでなんども地域自立支援協議会については書いているので、改めてその課題や問題点を一から議論する必要はないと思うが、ポジティブな評価をすれば、介護保険のシステムとは違ったシステムの提示として、地域自立支援協議会という仕組みは地域での障害者福祉支援システムを進めるものとして、可能性を示したといえよう。
ただ、可能性を示したとはいっても、地域自立支援協議会とはなんぞや?という規定をなしに、地域に投げ、介護保険制度を進めた方法論のように、全国の地域での実践例をただ垂れ流すやり方はいただけなかった。そのやり方の結論は、地域自立支援協議会なるものを形式的に作るということに終始し、魂も思想もない地域自立支援協議会が登場しつづける。
もう一つの問題は、相談支援との関係性である。地域自立支援協議会を障害者ケアマネジメント理論でいうサービス調整会議をイメージした人たちもいたが、それは一定の人口規模の地域までの話であって、中規模の自治体(人口10万人以上くらい)になると、途端に階層が多くなりすぎて、現場との距離が遠く離れてしまう。そうなると、地域自立支援協議会というものをどう生かすのか、どう位置づけ活用するのかという政策論が必要になる。それが障害者自立支援法にはない。つまり、障害者自立支援法下での自治体の障害者福祉施策についての政策方針がない。
障害者自立支援法で三年ごとに策定が義務づけられた障害福祉計画の策定方針が、介護保険とは違う地域支援システムである地域自立支援協議会とは違い、介護保険事業計画同様の策定方針を国が自治体に課したことも、ちぐはぐさをいっそう助長した。(計画については、次回別エントリーで)
結果として、地域自立支援協議会の位置づけは、ある意味「地域の顔」になった。一口に地域自立支援協議会といっても、さまざまな形、位置づけの協議会が存在する。しかし、原則論のない地域自立支援協議会。今後の展開次第では、これまでの官僚的な組織になる悪しき可能性を否定できる要素はなにもない。
2009年11月05日
障害者自立支援法を総括してみる(付録)
本来ならば、(16)でメゾ&マクロの議論に進むはずなのだが、今回は変化球である。なぜか
実は、来週の当圏域の精神の会議で、精神の分野で障害者自立支援法の総括を簡単に報告してほしいという、当圏域の保健所の相談員のK氏からオーダーをいただいている。まさか、自分の活動地域からオーダーをいただくとはちっとも思っていなかったし、自分の地域での活動スタンスとこのBLOGなどでの発言は必ずしも一致しないので、どうかなとも思ったが、いろいろ関係性のこともあるし、少しでもお役に立てばということで、簡単に報告を、をお引き受けした。
しかし、もともとこのシリーズのコンセプトからすると、【精神障害者】という特だしした切り口はちっとも想定していないし、全体としての視点なので、精神特別のは正直、とても難しい。だから付録。
障害者自立支援法の全体的な枠組みの説明ははずさず、すでに書いた部分によるとして、精神障害者の分野として、正確に言うと、精神障害者福祉分野として、障害者自立支援法を総括してみると、いくつか特筆すべきポイントに出会うと思う。
全体として、精神障害者保健福祉が歩んできた道筋の中で、精神医療からスタートし、精神保健にすすみ、精神障害者保健福祉になった歴史と、精神障害者福祉が、福祉制度でみると、措置の時代がなく、補助制度から障害者自立支援法に進んだという、ほかの身体障害、知的障害と別の歩みをしてきていること。そして、支援費の時代に精神障害者福祉の身体障害、知的障害の歩み寄りの課題とともに、いわゆる精神保健福祉法第5条の精神障害者の規定と、精神障害者福祉サービスとしての整合性の問題などの法律としての不備を、障害者自立支援法および発達障害者支援法によって、解決しようとしたことなどがある。つまり、極論すれば、精神障害者福祉としては、その冠としては、精神障害者という冠はいただかなくても障害者自立支援法になり三障害の一本化によってようやく精神障害者「福祉」のサービスがはじまったといえる。それまでは、先に書いたような精神医療が保健、福祉の分野に拡大したような法律・制度・サービスだったものが、ようやく身体障害者、知的障害者の福祉的支援と並べて議論できる土俵にのったという感じである。それゆえに、関係者のよくいう「精神障害者の支援の特性」を加味しない障害者自立支援法の制度設計は、精神障害者福祉関係者を特に悩ませている。
余談になるが、いまから10年ほど前、2,3の地域で障害者ケアマネジメントのモデル事業に学識経験者として関わらせていただいたことがあった。そのときに、よく議論をしていたのは、三障害1本の障害者ケアマネジメントの方法論的確立が可能なのかどうか、という議論と、仮の議論として、精神障害者の地域・福祉的支援のモデルは、身体障害者(特に全身性障害者)モデルが近いのか、知的障害者モデルが近いのか、どちらだろうか、という問いを考えていたことを思い出す。もちろん、諸外国の規定を導き出すまでもなく、医療的なカテゴリーでは、精神障害者は知的障害者を包含する概念になるので、それに従えば、当然、知的障害になるのだろう。しかしながら、支援のモデルを考えたときには、本人を中心にし、ご本人のエンパワーメントを基礎に置いた当時の全身性障害の自立生活モデルのほうが、当時の発達・教育モデルの知的障害者支援よりも近いという議論をした覚えがある。
障害者自立支援法は、介護保険ベースの制度設計であるので、そのような議論は、どこかに飛んでしまっているので、精神障害者が障害者自立支援法になって、それまでの福祉サービスであった、ホームヘルプ、通所施設、地域生活支援センター、グループホーム、生活訓練施設が、どうであるのか、サービス利用者として、1割負担の問題や通所施設の日割りの問題ばかりが問題になってしまう。あとは障害程度区分についての話ばかりだ。
マクロな議論では、精神障害者という冠をつけなくても、問題点はほぼ共通している。問題は、ミクロな部分の是々非々である。
通所施設の日割りの考え方は、前にも少し触れたように、実は、実質の利用定員の増加をねらったものである。一つの通所施設、従前であれば30人の施設は、毎日30人が来なくても30人しか利用できない。しかし、日割りにすれば、一日30人。登録は125%までOKとして、37〜38人までOK。一気に10人近くの通所枠を確保できるという考え方だった。また、以前の相互利用というややこしい考え方がなくなったので、新体系の移行が積極的にすすんだ地域では、知的障害者の通所施設に10%くらいの精神障害者の方がどんどん利用するようになり、その地域の精神障害者の日中活動不足が一気に解消されたという事例もある。しかし、多くの施設は歴史的にそのような弾力的な運用をのぞまず、利用率の低下とそれに伴う収入減に悩み続けることになる。
もう一つ大きくかわったことは、精神障害者地域生活支援センターである。支援費がはじまったときに、一般財源化された身体障害者、知的障害者の支援センターと違い、精神障害者地域生活支援センターは、国庫補助事業として障害者自立支援法がはじまるまで存在していた。他の2障害とは違い、障害者ケアマネジメントの機能というより、居場所的な役割を果たしていたので、相談支援+地域活動支援センターT型という分離的な移行が果たして、精神障害者地域生活支援センターの地域の中で果たしていた役割を、継続して担えたかどうかははなはだ疑問である。そして、他の2障害に比して、福祉的また本人中心の障害者ケアマネジメントの蓄積が薄かった精神障害者の相談支援は、障害者自立支援法の相談支援の設計の中で、その独自性を失いつつあるように思われる。
そういう意味で、恩恵をうけているのは、ホームヘルプぐらいか。
しかしながら、精神障害者福祉を考えるという意味で、三障害者一本化を旗印に掲げた障害者自立支援法の歴史的意味は大きいと思われる。今後、精神医療の歴史の系譜に甘んじるのではない、精神障害者の福祉的支援の積極的な議論を行ったうえで、三障害のベースと個別性を制度の中に反映していくことが必要である。その意味においてのみ、精神障害者福祉にとっての障害者自立支援法の意味は見出し得るだろう。
実は、来週の当圏域の精神の会議で、精神の分野で障害者自立支援法の総括を簡単に報告してほしいという、当圏域の保健所の相談員のK氏からオーダーをいただいている。まさか、自分の活動地域からオーダーをいただくとはちっとも思っていなかったし、自分の地域での活動スタンスとこのBLOGなどでの発言は必ずしも一致しないので、どうかなとも思ったが、いろいろ関係性のこともあるし、少しでもお役に立てばということで、簡単に報告を、をお引き受けした。
しかし、もともとこのシリーズのコンセプトからすると、【精神障害者】という特だしした切り口はちっとも想定していないし、全体としての視点なので、精神特別のは正直、とても難しい。だから付録。
障害者自立支援法の全体的な枠組みの説明ははずさず、すでに書いた部分によるとして、精神障害者の分野として、正確に言うと、精神障害者福祉分野として、障害者自立支援法を総括してみると、いくつか特筆すべきポイントに出会うと思う。
全体として、精神障害者保健福祉が歩んできた道筋の中で、精神医療からスタートし、精神保健にすすみ、精神障害者保健福祉になった歴史と、精神障害者福祉が、福祉制度でみると、措置の時代がなく、補助制度から障害者自立支援法に進んだという、ほかの身体障害、知的障害と別の歩みをしてきていること。そして、支援費の時代に精神障害者福祉の身体障害、知的障害の歩み寄りの課題とともに、いわゆる精神保健福祉法第5条の精神障害者の規定と、精神障害者福祉サービスとしての整合性の問題などの法律としての不備を、障害者自立支援法および発達障害者支援法によって、解決しようとしたことなどがある。つまり、極論すれば、精神障害者福祉としては、その冠としては、精神障害者という冠はいただかなくても障害者自立支援法になり三障害の一本化によってようやく精神障害者「福祉」のサービスがはじまったといえる。それまでは、先に書いたような精神医療が保健、福祉の分野に拡大したような法律・制度・サービスだったものが、ようやく身体障害者、知的障害者の福祉的支援と並べて議論できる土俵にのったという感じである。それゆえに、関係者のよくいう「精神障害者の支援の特性」を加味しない障害者自立支援法の制度設計は、精神障害者福祉関係者を特に悩ませている。
余談になるが、いまから10年ほど前、2,3の地域で障害者ケアマネジメントのモデル事業に学識経験者として関わらせていただいたことがあった。そのときに、よく議論をしていたのは、三障害1本の障害者ケアマネジメントの方法論的確立が可能なのかどうか、という議論と、仮の議論として、精神障害者の地域・福祉的支援のモデルは、身体障害者(特に全身性障害者)モデルが近いのか、知的障害者モデルが近いのか、どちらだろうか、という問いを考えていたことを思い出す。もちろん、諸外国の規定を導き出すまでもなく、医療的なカテゴリーでは、精神障害者は知的障害者を包含する概念になるので、それに従えば、当然、知的障害になるのだろう。しかしながら、支援のモデルを考えたときには、本人を中心にし、ご本人のエンパワーメントを基礎に置いた当時の全身性障害の自立生活モデルのほうが、当時の発達・教育モデルの知的障害者支援よりも近いという議論をした覚えがある。
障害者自立支援法は、介護保険ベースの制度設計であるので、そのような議論は、どこかに飛んでしまっているので、精神障害者が障害者自立支援法になって、それまでの福祉サービスであった、ホームヘルプ、通所施設、地域生活支援センター、グループホーム、生活訓練施設が、どうであるのか、サービス利用者として、1割負担の問題や通所施設の日割りの問題ばかりが問題になってしまう。あとは障害程度区分についての話ばかりだ。
マクロな議論では、精神障害者という冠をつけなくても、問題点はほぼ共通している。問題は、ミクロな部分の是々非々である。
通所施設の日割りの考え方は、前にも少し触れたように、実は、実質の利用定員の増加をねらったものである。一つの通所施設、従前であれば30人の施設は、毎日30人が来なくても30人しか利用できない。しかし、日割りにすれば、一日30人。登録は125%までOKとして、37〜38人までOK。一気に10人近くの通所枠を確保できるという考え方だった。また、以前の相互利用というややこしい考え方がなくなったので、新体系の移行が積極的にすすんだ地域では、知的障害者の通所施設に10%くらいの精神障害者の方がどんどん利用するようになり、その地域の精神障害者の日中活動不足が一気に解消されたという事例もある。しかし、多くの施設は歴史的にそのような弾力的な運用をのぞまず、利用率の低下とそれに伴う収入減に悩み続けることになる。
もう一つ大きくかわったことは、精神障害者地域生活支援センターである。支援費がはじまったときに、一般財源化された身体障害者、知的障害者の支援センターと違い、精神障害者地域生活支援センターは、国庫補助事業として障害者自立支援法がはじまるまで存在していた。他の2障害とは違い、障害者ケアマネジメントの機能というより、居場所的な役割を果たしていたので、相談支援+地域活動支援センターT型という分離的な移行が果たして、精神障害者地域生活支援センターの地域の中で果たしていた役割を、継続して担えたかどうかははなはだ疑問である。そして、他の2障害に比して、福祉的また本人中心の障害者ケアマネジメントの蓄積が薄かった精神障害者の相談支援は、障害者自立支援法の相談支援の設計の中で、その独自性を失いつつあるように思われる。
そういう意味で、恩恵をうけているのは、ホームヘルプぐらいか。
しかしながら、精神障害者福祉を考えるという意味で、三障害者一本化を旗印に掲げた障害者自立支援法の歴史的意味は大きいと思われる。今後、精神医療の歴史の系譜に甘んじるのではない、精神障害者の福祉的支援の積極的な議論を行ったうえで、三障害のベースと個別性を制度の中に反映していくことが必要である。その意味においてのみ、精神障害者福祉にとっての障害者自立支援法の意味は見出し得るだろう。
2009年11月01日
思うこと 忍耐
自立支援法の総括シリーズを延々書いていて、11月になった。ようやく、終わりが見えてきたかな。あとは、メゾが2〜3回とマクロ。そんな中で、自分のところの圏域の某氏より、圏域の会議でこの話題、少し話をしてほしいとのこと。
それを少し付録にしようかなと思っています。
ただ、これ書ききってもな〜んもなんないかな。
ほとんど反応ないし。ま いいけど
閑話休題
最近、新聞読むのに時間がかかります。いままでと読む姿勢が違うのか、背景を読まないといけないからなのか。
それと、一紙読んでもよくわからないので、機会があると何紙も読んでる。政権が変わったから、ようやく、マスコミも横並びじゃなくなったか。
民主党の政治がどうのこうの、ということはよくわからないし、ただ、どうなっても大きな方針をかえなきゃ、この国沈んでいくんじゃないの?とは思う。
前にも書いたけど、ベーシックインカムに興味がわいて、山森亮氏の「ベーシックインカム入門」読んでみた。
けっこうおどろきだったのは、この考え方ずいぶん昔からあった考え方であり、経済学でいえば、右派も左派も別のスタンスから唱えているということ。
そういえば、昔、ガルブレイス読んだときにでてきたなぁとかね。
この国、内需拡大とかいっているけれど、これ以上、消費なんて拡大しないんじゃないかな。消費が拡大することによって経済の成長がおこるとか、福祉国家的な考え方で、完全雇用をめざすとか、その大きな方向性が間違っているんだ、って思う。
いま、派遣法の改正が話題になっているけど、やったらいいとおもう。その結果、企業が海外流出するっていってるけど、そんな企業は早晩どうせ、海外流出するって。
派遣法を改正し、最低賃金をあげるかわりに、年金、雇用保険の企業の負担をなくしちゃえばいい。法人税はあげるけどね。
いまある基礎年金、手当、控除全部なくして、それをベーシックインカムにしちゃう。額はいまの生活保護基準くらい。こどもはその半分。
これ何がいいって、役所の人が減らせる。年金とかにかかる膨大な事務料がへる。いまの政権がそんなに郵便局が好きなら、ベーシックインカムのお金はみんな郵便局でもらえばいい。役所と住民基本台帳だけオンラインで結んで。
思いつきだから、厳密な計算なんかしないけど、そんなに増税しなくても、いいんじゃないかな。
ガルブレイスがいってた。ITが進めば進むほど労働力がいらなくなるって。少子高齢化で労働力が減るんだから、そもそもの価値観を変えようよ。お金にならなくても、「仕事」はたくさんあるよ。
ふー 書いちまった
それを少し付録にしようかなと思っています。
ただ、これ書ききってもな〜んもなんないかな。
ほとんど反応ないし。ま いいけど
閑話休題
最近、新聞読むのに時間がかかります。いままでと読む姿勢が違うのか、背景を読まないといけないからなのか。
それと、一紙読んでもよくわからないので、機会があると何紙も読んでる。政権が変わったから、ようやく、マスコミも横並びじゃなくなったか。
民主党の政治がどうのこうの、ということはよくわからないし、ただ、どうなっても大きな方針をかえなきゃ、この国沈んでいくんじゃないの?とは思う。
前にも書いたけど、ベーシックインカムに興味がわいて、山森亮氏の「ベーシックインカム入門」読んでみた。
けっこうおどろきだったのは、この考え方ずいぶん昔からあった考え方であり、経済学でいえば、右派も左派も別のスタンスから唱えているということ。
そういえば、昔、ガルブレイス読んだときにでてきたなぁとかね。
この国、内需拡大とかいっているけれど、これ以上、消費なんて拡大しないんじゃないかな。消費が拡大することによって経済の成長がおこるとか、福祉国家的な考え方で、完全雇用をめざすとか、その大きな方向性が間違っているんだ、って思う。
いま、派遣法の改正が話題になっているけど、やったらいいとおもう。その結果、企業が海外流出するっていってるけど、そんな企業は早晩どうせ、海外流出するって。
派遣法を改正し、最低賃金をあげるかわりに、年金、雇用保険の企業の負担をなくしちゃえばいい。法人税はあげるけどね。
いまある基礎年金、手当、控除全部なくして、それをベーシックインカムにしちゃう。額はいまの生活保護基準くらい。こどもはその半分。
これ何がいいって、役所の人が減らせる。年金とかにかかる膨大な事務料がへる。いまの政権がそんなに郵便局が好きなら、ベーシックインカムのお金はみんな郵便局でもらえばいい。役所と住民基本台帳だけオンラインで結んで。
思いつきだから、厳密な計算なんかしないけど、そんなに増税しなくても、いいんじゃないかな。
ガルブレイスがいってた。ITが進めば進むほど労働力がいらなくなるって。少子高齢化で労働力が減るんだから、そもそもの価値観を変えようよ。お金にならなくても、「仕事」はたくさんあるよ。
ふー 書いちまった
2009年10月31日
旧制度を追認したが…障害者自立支援法を総括してみる(15)
ミクロの話題は今回かぎりになりそうです。最後はいままでにふれられていないものをアットランダムに。
障害者自立支援法の財源区分けによって、移動介護=いわゆるガイドヘルプや日中活動以上に複雑になったのが、補助具/日常生活用具給付である。自己負担の上限換算の仕方もころころ変わり、中には一度の申請に双方の制度にまだがるものも出たり、ほんとうに混乱した。これに自治体独自の制度が加わり、役所の窓口でもわからなかったりといったことまでおこった。給付される中身はほとんどかわらなかったのになぜこんなにややこしくしたのだろうか。
他にも、法制定前からを追認した制度も散見された。日中活動の自立訓練施設などもその一つだろう。三障害の33種の施設を6つにするとはいってもしきれないままに残った感があり、議論しつくせないままだったのかもしれない。障害者自立支援法が介護保険との整合性を念頭においたがゆえに介助や支援を必要とする障害者を対象にせざるをえなかったことは、戦後の身体障害者福祉法で初めに想定された対象者をどうするのか、という課題をもった。結果、周辺部にのこさざるをえなかったということだろうか。
障害者自立支援法の中核的な議論からするとなんともおさまりの悪い話になってしまう。
障害者自立支援法の財源区分けによって、移動介護=いわゆるガイドヘルプや日中活動以上に複雑になったのが、補助具/日常生活用具給付である。自己負担の上限換算の仕方もころころ変わり、中には一度の申請に双方の制度にまだがるものも出たり、ほんとうに混乱した。これに自治体独自の制度が加わり、役所の窓口でもわからなかったりといったことまでおこった。給付される中身はほとんどかわらなかったのになぜこんなにややこしくしたのだろうか。
他にも、法制定前からを追認した制度も散見された。日中活動の自立訓練施設などもその一つだろう。三障害の33種の施設を6つにするとはいってもしきれないままに残った感があり、議論しつくせないままだったのかもしれない。障害者自立支援法が介護保険との整合性を念頭においたがゆえに介助や支援を必要とする障害者を対象にせざるをえなかったことは、戦後の身体障害者福祉法で初めに想定された対象者をどうするのか、という課題をもった。結果、周辺部にのこさざるをえなかったということだろうか。
障害者自立支援法の中核的な議論からするとなんともおさまりの悪い話になってしまう。
2009年10月29日
見捨てられようとしていた障害児の支援−障害者自立支援法を総括してみる(14)
支援費制度で一躍クローズアップされ、障害者自立支援法の中でほぼ見捨てられたのが障害児の支援である。
いま、私のこの取り組みに賛同してlessorさんもBLOGで書いておられるが、彼のBLOGの総括にこのことは詳しい。http://d.hatena.ne.jp/lessor/
自分自身のホームページを見返すと、実は支援費制度がはじまる寸前、児童の居宅のサービスが形骸化するかもしれないということで、キャンペーンを張ったことがある。当時の記憶をたどれば、愛知や埼玉、千葉、新潟といった障害児のレスパイト事業をNPOなどが積極的に取り組んでいたところはともかく、実際は支援費制度になってもほとんど使えないのではないか?という危惧があったからだ。それほど支援費制度の設計が発表されたあとのネガティブな行政の反応が続いていた。それは、あとからするとサービスの爆発的利用に関する心配だったのだろうし、それは支援費制度の利用の動向をみると明らかだった。
少し話がはずれるが、実は障害児のサービスについては、地域的なバイアスの要素が大きく、単純に全国比較をすることが難しいと私は思っている。どういうことかといえば、【障害】という枠で捕らえるのではなく、教育のあり方や学齢児の支援のあり方が地域によってずいぶん違うからである。養護学校(支援学校)のあり方考え方、統合教育の考え方、学童保育(放課後児童健全育成事業など)児童館のあり方考え方、学校に通うことそのものが、寄宿舎的な生活の場を用意せざるを得ない地域の教育・学齢児支援のあり方。そして、子そだて支援の枠組みで普遍化し、そこに加配をつけていくやり方なのか、障害児だけの施設を設けるほうがいいのか、という考え方。これらは、その地域地域の長い歴史の上にたって、行われている。
支援費制度の移動介護や居宅介護なども、その実、そういった地域性を色濃く表し、分析を難しくした。それが、逆に障害者自立支援法の中での学齢児に関しての制度の設計が行われなかったという結果を生み出した。
グランドデザイン当事に、厚労省関係者から、学齢児の支援については文科省に返す、あとは地域で、という発言をきいたことがある。支援費制度から障害者自立支援法へ。児童デイのあり方に関してなどは、少し揺る戻しがあったとも言えるだろうが、大きな柱としては、バサッときられた感じがある。
この流れは変わらないように思う。民主党の総合福祉法?でも児童のサービスは地域へだ。
発達障害者支援法との関係や教育と福祉の連携など、問題は多々ある。
児童の特に学齢児の支援の課題は、ミクロ課題からははずされ、メゾレベルの課題として投げれらたという評価が、私自身のこの課題に対しての評価である。
いま、私のこの取り組みに賛同してlessorさんもBLOGで書いておられるが、彼のBLOGの総括にこのことは詳しい。http://d.hatena.ne.jp/lessor/
自分自身のホームページを見返すと、実は支援費制度がはじまる寸前、児童の居宅のサービスが形骸化するかもしれないということで、キャンペーンを張ったことがある。当時の記憶をたどれば、愛知や埼玉、千葉、新潟といった障害児のレスパイト事業をNPOなどが積極的に取り組んでいたところはともかく、実際は支援費制度になってもほとんど使えないのではないか?という危惧があったからだ。それほど支援費制度の設計が発表されたあとのネガティブな行政の反応が続いていた。それは、あとからするとサービスの爆発的利用に関する心配だったのだろうし、それは支援費制度の利用の動向をみると明らかだった。
少し話がはずれるが、実は障害児のサービスについては、地域的なバイアスの要素が大きく、単純に全国比較をすることが難しいと私は思っている。どういうことかといえば、【障害】という枠で捕らえるのではなく、教育のあり方や学齢児の支援のあり方が地域によってずいぶん違うからである。養護学校(支援学校)のあり方考え方、統合教育の考え方、学童保育(放課後児童健全育成事業など)児童館のあり方考え方、学校に通うことそのものが、寄宿舎的な生活の場を用意せざるを得ない地域の教育・学齢児支援のあり方。そして、子そだて支援の枠組みで普遍化し、そこに加配をつけていくやり方なのか、障害児だけの施設を設けるほうがいいのか、という考え方。これらは、その地域地域の長い歴史の上にたって、行われている。
支援費制度の移動介護や居宅介護なども、その実、そういった地域性を色濃く表し、分析を難しくした。それが、逆に障害者自立支援法の中での学齢児に関しての制度の設計が行われなかったという結果を生み出した。
グランドデザイン当事に、厚労省関係者から、学齢児の支援については文科省に返す、あとは地域で、という発言をきいたことがある。支援費制度から障害者自立支援法へ。児童デイのあり方に関してなどは、少し揺る戻しがあったとも言えるだろうが、大きな柱としては、バサッときられた感じがある。
この流れは変わらないように思う。民主党の総合福祉法?でも児童のサービスは地域へだ。
発達障害者支援法との関係や教育と福祉の連携など、問題は多々ある。
児童の特に学齢児の支援の課題は、ミクロ課題からははずされ、メゾレベルの課題として投げれらたという評価が、私自身のこの課題に対しての評価である。
2009年10月27日
働きたいと思う人を応援できる仕組みになったか?〜障害者自立支援法を総括してみる(13)
そろそろミクロ的な話題の終わりが見えてきた。今回の話題は少しミクロとそして、自立支援法の枠組みを越える。
障害者自立支援法が大きくその目的として掲げた就労支援である。
私自身が思うに障害者自立支援法が描いた就労支援の仕組みはある意味完成度が高いと思う。念のためにいっておくが「ある意味」(注1)である。
一般企業への就職を目指す人への仕組みのスタンダードは、障害のあるなしにかかわらずオーソライズされつつある。いまの不況下ではその仕組みそのものの根底がくつがえされる議論もあるが、障害者自立支援法が考えられた2004、05年当時を考えれば、学校→訓練(機能/生活自立)→就労訓練→就職→定着フォローという道筋はオーソライズされたものであったといえるだろう。実際に自立支援法で想定された仕組みはこのスタンダードな仕組みであった。
先に書いたようにグランドデザインから自立支援法への移り変わりの議論の中で就労継続支援B型という論理的な不整合な種別が出現しなければ、仕組み的にはすっきりしただろう。
しかし、仕組みがしっかりしたが故に、労働行政/雇用支援システムの不備も露呈する。ハローワークの機能、雇用の枠組み(派遣 労働保険 企業の法定雇用率など)障害者の就労支援をする就業・生活支援センターなどすっきりした道筋がえがけているとはいいがたいし、必ずしもうまく機能しているとはいいがたいように思う(注2)。
障害者自立支援法ができて三年。就労移行支援事業の評価はどうなのだろうか?
ミクロ的にはここまでだが、この話題もう少しマクロ視点やメゾ視点で考える必要がある。特に、労働雇用行政との関係も踏まえて、整理するとわからないのが就労移行支援事業を障害者自立支援法の中でおこなわないといけなかった意味はなんだったのだろうか。同じく就労継続A型も。
全く議論がなかったとは思えない。制度の枠組みから考えたときに障害自立支援法はやはり介護保険制度のフレームで設計されている。福祉的就労は、それまで障害者福祉の現状から考えていれこまざるえないとしても、なぜ、就業・生活支援センターのように厚生・労働折衷の仕組みにできなかったのだろうか?高等養護学校や職業訓練校があったからは理由にはならないだろう。
まさか全国の授産施設や作業所の工賃の現状をしらなかったわけではあるまい。まじめに、すべての施設の工賃を数万円に引き上げられると思っていたとは思えないが。
ならばなぜ?
(注1)そもそも障害者自立支援法でいわれる就労の意味づけはとても狭く、きわめて狭い能力主義に基づいている。その議論にたてば、という意味である。そのことを私自身肯定しているわけではない。どちらかといえば否定的である。
(注2)ハローワークの特に、職業紹介所としての機能については、民間に開放すべきという議論が何年も前からあり、すでに市場化調査によっての社会実験も行われている。民間開放の方向性が正しいかどうかはわからないが、現代日本の社会において、職業紹介所としてのハローワークの機能と位置づけはあいまいであるように私も思う。
障害者自立支援法が大きくその目的として掲げた就労支援である。
私自身が思うに障害者自立支援法が描いた就労支援の仕組みはある意味完成度が高いと思う。念のためにいっておくが「ある意味」(注1)である。
一般企業への就職を目指す人への仕組みのスタンダードは、障害のあるなしにかかわらずオーソライズされつつある。いまの不況下ではその仕組みそのものの根底がくつがえされる議論もあるが、障害者自立支援法が考えられた2004、05年当時を考えれば、学校→訓練(機能/生活自立)→就労訓練→就職→定着フォローという道筋はオーソライズされたものであったといえるだろう。実際に自立支援法で想定された仕組みはこのスタンダードな仕組みであった。
先に書いたようにグランドデザインから自立支援法への移り変わりの議論の中で就労継続支援B型という論理的な不整合な種別が出現しなければ、仕組み的にはすっきりしただろう。
しかし、仕組みがしっかりしたが故に、労働行政/雇用支援システムの不備も露呈する。ハローワークの機能、雇用の枠組み(派遣 労働保険 企業の法定雇用率など)障害者の就労支援をする就業・生活支援センターなどすっきりした道筋がえがけているとはいいがたいし、必ずしもうまく機能しているとはいいがたいように思う(注2)。
障害者自立支援法ができて三年。就労移行支援事業の評価はどうなのだろうか?
ミクロ的にはここまでだが、この話題もう少しマクロ視点やメゾ視点で考える必要がある。特に、労働雇用行政との関係も踏まえて、整理するとわからないのが就労移行支援事業を障害者自立支援法の中でおこなわないといけなかった意味はなんだったのだろうか。同じく就労継続A型も。
全く議論がなかったとは思えない。制度の枠組みから考えたときに障害自立支援法はやはり介護保険制度のフレームで設計されている。福祉的就労は、それまで障害者福祉の現状から考えていれこまざるえないとしても、なぜ、就業・生活支援センターのように厚生・労働折衷の仕組みにできなかったのだろうか?高等養護学校や職業訓練校があったからは理由にはならないだろう。
まさか全国の授産施設や作業所の工賃の現状をしらなかったわけではあるまい。まじめに、すべての施設の工賃を数万円に引き上げられると思っていたとは思えないが。
ならばなぜ?
(注1)そもそも障害者自立支援法でいわれる就労の意味づけはとても狭く、きわめて狭い能力主義に基づいている。その議論にたてば、という意味である。そのことを私自身肯定しているわけではない。どちらかといえば否定的である。
(注2)ハローワークの特に、職業紹介所としての機能については、民間に開放すべきという議論が何年も前からあり、すでに市場化調査によっての社会実験も行われている。民間開放の方向性が正しいかどうかはわからないが、現代日本の社会において、職業紹介所としてのハローワークの機能と位置づけはあいまいであるように私も思う。
2009年10月26日
どこにだれとすめばいいの?−障害者自立支援法を総括してみる(12)
支援費制度になってから本格的に地域生活支援の話がでるようになった。入所施設の建設をしない施設から地域へというスローガンが声高にいわれた。支援費制度にも自立支援法にもその理念は掲げられている。
しかし、日本の福祉の最大の欠陥である「住まい」のこと、そして「親亡き後の生活の基盤」という課題は、支援費制度、障害者自立支援法の2つの制度でも解消せず、大きな店ざらしの課題になっている。
これは、実は障害者福祉の問題だけではなく、高齢者福祉・介護サービスでも大きな問題になっているから、日本の社会福祉制度の中で大きく欠落していて、大きな課題であるといえるだろう。特に、障害者の分野でいえば、知的、精神、高齢者の分野でいえば、認知症の方。ここ数年、全国的に少しずつ進んできた精神病院からの退院促進が、その一方で認知症のお年寄りの精神病院に入院されている方の中での割合が高まっている。介護保険サービスなどでは対応できず、精神病院しか行き場がなく、ということなのだろう。認知症のケアがこれだけ医療モデルではなく、ケアモデルになっているというのに、である。
よくいわれているように、日本の入所施設偏重、精神病院への長期入院者の数の多さは、先進国で突出している。しかしそのことを批判するとして、オルタナティブ(かわりになる)政策、制度が打ち出されているとはいいがたい。その中でもグループホームの件が落ち着いていない。
障害者自立支援法の中で、グループホームは支援費制度からすると大きく後退した制度の一つに挙げられるだろうし、その中での迷走は顕著だった。介護給付のケアホーム、訓練等給付のグループホーム、地域生活支援事業の福祉ホームという3つの給付体系に分類。所得の保障のないままに、机の上の議論で、入居者の所得までも規定する。支援費制度では認められていた入居者へのヘルパー派遣の制限。実質的には夜間の職員配置がなくても認める。支援費制度時代よりも規模を拡大など、保護者や関係者からの信頼を失うに足りる制度変更だった。少なくとも私の周りの保護者たちは、この制度変更に失望し、再び入所施設への希望を口にするようになった。支援費制度で、ようやく入所施設ではなく地域生活と希望をもった保護者たち失望を含めた叱責を受けた。
障害のある人たちの住まいの課題。どう、体系的に今後語っていくのだろう。私自身あまり得意ではないこの分野。詳しい方にぜひ教授願いたいものである。
しかし、日本の福祉の最大の欠陥である「住まい」のこと、そして「親亡き後の生活の基盤」という課題は、支援費制度、障害者自立支援法の2つの制度でも解消せず、大きな店ざらしの課題になっている。
これは、実は障害者福祉の問題だけではなく、高齢者福祉・介護サービスでも大きな問題になっているから、日本の社会福祉制度の中で大きく欠落していて、大きな課題であるといえるだろう。特に、障害者の分野でいえば、知的、精神、高齢者の分野でいえば、認知症の方。ここ数年、全国的に少しずつ進んできた精神病院からの退院促進が、その一方で認知症のお年寄りの精神病院に入院されている方の中での割合が高まっている。介護保険サービスなどでは対応できず、精神病院しか行き場がなく、ということなのだろう。認知症のケアがこれだけ医療モデルではなく、ケアモデルになっているというのに、である。
よくいわれているように、日本の入所施設偏重、精神病院への長期入院者の数の多さは、先進国で突出している。しかしそのことを批判するとして、オルタナティブ(かわりになる)政策、制度が打ち出されているとはいいがたい。その中でもグループホームの件が落ち着いていない。
障害者自立支援法の中で、グループホームは支援費制度からすると大きく後退した制度の一つに挙げられるだろうし、その中での迷走は顕著だった。介護給付のケアホーム、訓練等給付のグループホーム、地域生活支援事業の福祉ホームという3つの給付体系に分類。所得の保障のないままに、机の上の議論で、入居者の所得までも規定する。支援費制度では認められていた入居者へのヘルパー派遣の制限。実質的には夜間の職員配置がなくても認める。支援費制度時代よりも規模を拡大など、保護者や関係者からの信頼を失うに足りる制度変更だった。少なくとも私の周りの保護者たちは、この制度変更に失望し、再び入所施設への希望を口にするようになった。支援費制度で、ようやく入所施設ではなく地域生活と希望をもった保護者たち失望を含めた叱責を受けた。
障害のある人たちの住まいの課題。どう、体系的に今後語っていくのだろう。私自身あまり得意ではないこの分野。詳しい方にぜひ教授願いたいものである。
2009年10月22日
寄り道
最近ずっと「障害者自立支援法を総括してみる」のシリーズエントリーを続けている。ぼちぼち、私自身もあきてきたがみなさんもあきてきたみたいで、更新頻度の問題もあるのか 内容がおもしろくなくなったのか アクセスも以前くらいに戻ってきた。新政権発足の華々しい祭が終わって現実路線に世相がもどってきたことも影響しているのかもしれないが…。
私自身としてはいろいろとおもしろくない日々が続いている。特に仕事関係はこの時期低調だ。
最近、たまたまみた雑誌の特集で興味をもってベーシックインカムの本を読みはじめた。
まだまだ、途中だしいろいろ疑問もありだが興味深い。
そんな中やっと日本も相対的貧困率の数字を公表した。自分自身のまわりの実感と違わない数字だった。ワーキングプア 派遣ぎり めにつく事象ではあるが日常的な貧困の深化はリーマンショックや世界恐慌以前 もっといえば小泉構造改革以前から日本の社会構造の中に根深く横たわっていたと思う。そういう意味でもベーシックインカムの考え方は興味深いと思う。
私自身としてはいろいろとおもしろくない日々が続いている。特に仕事関係はこの時期低調だ。
最近、たまたまみた雑誌の特集で興味をもってベーシックインカムの本を読みはじめた。
まだまだ、途中だしいろいろ疑問もありだが興味深い。
そんな中やっと日本も相対的貧困率の数字を公表した。自分自身のまわりの実感と違わない数字だった。ワーキングプア 派遣ぎり めにつく事象ではあるが日常的な貧困の深化はリーマンショックや世界恐慌以前 もっといえば小泉構造改革以前から日本の社会構造の中に根深く横たわっていたと思う。そういう意味でもベーシックインカムの考え方は興味深いと思う。



