2020年02月19日

「地域文化」とは何か 連Twi

「地域」文化とはなんだろうか?マスコミことばで使われる「県民性」とはなんだろうか?大学時代からずっと「地域」にこだわってきた。研究も実践も。この10数年その中でも「local」にこだわってきた。あえてこだわってきた意味は?暮らしぶりが見えること「地域の顔」が見えると説いた。
「地域の顔」が見えたとき、地域文化の消失に気づいた。動ける人は動き、自然から離れていく。コミュニティは形成されるがlocalからは離れ金銭だけを媒介にしたものになり、地域文化はなくなっていく。ちょっと待て?それは本当か?失われていくと感じた文化は本当に「文化」か?そもそも虚像では?

風土や水土。日本人が自然との共存の中で培ってきた「文化」は人が大衆や群衆が集まることによって練られた「文化」にとって変わられきたのではないのか?そこには、土の匂いも自然への畏怖もなく、そこに住むことのみ風や土、そして水に触っているだけではないのか?護るべきは文化ではなく慣習に。

慣習は「既得権」になりかわり、自らの生の文化を抱きしめながら死を迎えるのでなく、生の文化すら「得」に変え、そして病院で「患者」になり消えていく。生と死の循環は自然との共存の中にのみあり、残すべきは文化であったはずなのに。残すべきは金銭になり残すべきは閉鎖的な「家族」になった。

閉鎖的な家族たちは慣習を作り、生産し、消費していく。森を喰らい、文化を雲散霧消する。それでも私たちは幻の中。localなエリアに地域の文化を信じる。作られた消費文化と単なる物理的な近接性というマヤカシに支配される。肌が触れ合うような人の距離はデジタルの世界の中でどうなるのだろう?

現実社会とデジタルな仮想社会。誰かこの二項対立を描いた?いまや仮想社会でもあたたかさやにおいまでも感じることができる。仮想社会のコミュニティと現実社会のコミュニティ、そこにはまだ対立があるのか?それともいまや親和性の世界か?仮想社会にlocalは存在しないはずなのに。

そんな仮想社会は、慣習を乗り越えるのか
再生産するのか?
そこに、地域はあるのか?
そこに、文化はあるのか?
地域文化とは何か?
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2020年02月03日

「共感」とクラウドファンディング そして 仮想空間としてではない「クラウド」世界

クラウドファンディング
wikiの紹介文を引用すると次のようにかかれている

クラウドファンディング英語:crowdfunding)とは、不特定多数の人が通常インターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などを行うことを指す、群衆crowd)と資金調達funding)を組み合わせた造語である[1][2]。ソーシャルファンディングとも呼ばれ[3]、日本語では「クラファン」と略されることもある[4]

日本人の中には「 l」と「 r」 の区別がうまくできない人がおり、「クラウドコンピューティング(cloud computing)」の「クラウド(cloud)」と混同して ×「cloud funding」と誤表記してしまう人もいるが、これはあくまで誤りであり、正しくは「crowd」である。

寝屋川市民たすけあいの会もクラウドファンディングを行っているし、私のSNSをごらんいただいている方たちはいくつかのチャレンジを応援支援しているのでなじみ深い方もおられるだろう。

本格的に日本で展開されてから10年くらいといわれている。私がかかわることが多い「寄付型」は実は少なく実際は商品開発型やソーシャルファンディングと位置づけられることが多い投資型のプログラムが多い。

寄付型でいうと「READY FOR」と「CAMPFARE」が大手になる。

その「READY FOR」のnoteにこんな文章が掲載されている。

「共感」でお金を集める時代は終わった? 2020年代のクラウドファンディング論

共感でお金を集める、新しい資金調達の形ーー。

クラウドファンディングは、日本にその仕組みが輸入されて約10年、しばしばそんなキャッチフレーズで語られてきました(*1)。

でも2020年、そろそろこの言葉から脱しても良いのではないかと思うのです。

 

そして、その内容の巻末に以下の三つの「共感」に関する文章が紹介されている。

例えばnoteの記事では、これらが記憶に残っています。
https://note.com/yokogao/n/ned6c8a9c64d0
https://note.com/ahs345/n/nc3f219fca60d
「共感」という言葉は使われていないけれど、この記事も。
http://apartment-home.net/long-visiter/border/

文末に

この先の10年は、まずは「共感」という言葉の重石を外して、クラウドファンディングがさらに多様な手段になるように、可能性を模索していきたいと思っています。

と、作者の意図が説明されているので、発信のねらいは理解できましたが、正直、このタイトルには驚かされました。

もちろん、作者がひいた巻末の3つの文章を読んだときに【共感】と【理解】についての思いや対人関係のなかでの【わかる】という「共感」「同意」の暴力性、また、ポリコレ的多様性理解が深まっていくときにおこる悲劇的アイデンティティクライシス。

しかし、そのことがある種の「クラウドファンディング」に近い(あえてコントロールできるとはいわない)キューレーターの公式的な投げかけとして受け止めがたい発信として私自身にはひっかかりがあります。

あえて、文頭にwikiの文章をひきました。そこに、クラウド(群衆)とクラウド(コンピューター 雲)を混同する人がいるという指摘がありますが、このエントリーのタイトルはまさにそれを逆手に使っています。

実際、クラウドファンディングの世界はいまやインターネットをなしには語れません。ReadyforはFACEBOOK、campfareはfacebookとtwitter、LINEというSNSにひもづけされてきました。しかし、congrantなどの新しいサービスはSNSを必要としません。そもそも論で言えば、インターネットがどんどんと仮想社会から日常社会に降りてきている今、クラウド(群衆)性がより高まっているといえるのではないでしょうか。つまり、あらためてのインターネット上の「匿名性」を「群衆」におきかえる可能性がたかまっていると思うのです。

くりかえし指摘がされるようにSNS、とくにfacebookは親和性の高い人たちとの結びつきを指南しています。つまり、共感を得やすい、思想性や思考性が近い人たちを仮想世界でも実現するシステムです。それにクラウドファンディングの世界も依拠してきたように私は思っています。(もちろん、この考え方は偏っているといわれる方もいることも承知しています。)しかし、クラウドファンディングそしてSNSを使えば使うほど、考え方の違う人たちとふれあう機会はかなり無理をしないと難しいです。匿名性の高いtwitterではありうりますが。

このnoteの作者がいわれるように、クラウドファンディングが共感という重い石をはずしていくとするならば、そこにある方法論はクラウド(コンピューター)世界を実社会におとしこめていくことを試行することにもなっていくと思います。もちろんそれはインターネットがそもそももっている可能性にもなるでしょう。しかし、それはたとえばソードアートオンラインの世界観のなかにある危険性を孕みます。つまり、仮想社会と実社会の可逆性をみとめていくことにもなります。

日本の寄付文化の醸成を25年以上前からみてきたものとして、日本には残念ながら寄付文化は醸成されましたが経済的にその余裕がなくなったと感じます。クラウドファンディングをみても、寄付をする人たちは同じ人たちばかりです。寄付をする人としない人にはやはりクレバスが存在していると感じます。それをできる限り乗り越えていきたいそんな意気込みをこの文章から感じながら、あえて、共感をつくりだすための仕掛けを考えていきたいとおもっています。

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2020年01月18日

ストリートピアノのマップをつくりたい 協力のおねがい

私は楽器が弾けませんが芸術で街を豊かにする取り組みに興味があります。

日本でも少しずつ広がっていると言われるストリートピアノ。

もっといろいろなところに設置してほしいという思いからマップを作りたいと思います。
特に「駅」や「道の駅」など不特定多数の方が通られるところに設置してほしいと願っています。

ストリートミュージシャンがたくさんいる昨今。もっとあっていい、って。

サイトやブログで紹介されているものはたくさんあるんですけど、パッとみてわかるものをみんなで作りたいと思って。

調べてみるとSNSのグループやサイトもあるようなんですけど、実際に弾く人たちが盛り上がっているようで弾けない私などはちょっと。。。

まちづくりを考えたい人たちで盛り上げたいと思っています。
もちろん、好きな方が書き込んでいただいても全然OKです。

Googleのマイマップで用意しています。

常設と期間限定を分けてプロットできればとおもいます。

Googleマイマップの使い方がわからないって方は、コメントやDMでも大丈夫です。

ぜひ、身近な街にあるストリートピアノ教えてください。

毎年、ジャズフェスやっている高槻なんて、ぜひおいてほしいし、京阪の寝屋川市駅や香里園駅、枚方駅にもあったらいいのに。って。
そんなムーブメントを作り出せればと夢想しています。

ご協力おねがいします。

#ストリートピアノ
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2020年01月13日

「地域」を考えると関係人口〜過疎問題から視点を得る

 特に福祉関係者は「地域」が好きだなぁと思う。自分がいわゆる「福祉」関係に近いところにいるからかもしれないが、つくづくそう感じる。
いわゆる日本型福祉といわれることばが政策的に出たのが1970年代。そして、そのころ、福祉分野にも地域福祉ということばがうまれている。

 地域福祉ということばは、Community care というイギリスのコンセプトからの訳語からといわれている。
1990年代に入り、日本の福祉政策が劇的に転換してからとくに地域福祉がいわれるようになり、2000年代の社会福祉関係法律の改正によって法律制度にも位置づけられた。
 1980年代からの現場的な地域福祉は、住民運動、地域改良的な活動と1990年代のアメリカからの障害者の自立運動とのリンクからの脱施設思想とともに、かたられることが多かったように思う。前者は保健所を中心とした地域医療や公衆衛生、そして日本独特の社会福祉協議会の住民主体活動との関係で語られ、後者はノーマライゼーションの思想との混在をみながら、個別具体的な運動として発展した。1990年代も半ばになると政策的転換ともあいまって、「サービスエリア」としての「地域」が語られるようになり、このころから、社会学、経済学的なコミュニティ、自治体政策的な視点からの地方自治論や地方財政論から地域が本格的に議論されるようになった。

 1990年前後のバブル期からいわゆる「失われた20年(最近は30年ともいうらしいが)」、都市圏への人口集中→東京圏への人口集中という現象が指摘されて、現象としてもその流れは一気に進んだ。現象としてはもっと前、高度経済成長期からはじまっている現象だが、田中角栄の「日本列島改造論」やバブル期の過剰な地方への公共事業の見境ない投資開発により、その現象は本質論として中心的に語られることは少なかった印象がある。地方経済の崩壊、エネルギー革命などそれらの現象は循環しながらどんどんと進んでいく。

 その中で、過疎ということばが使われるようになった。
 
高度経済成長のなかで地方から大都市への人口の大量移動が進行し、地方の過疎化と大都市の過密化が大きな問題となった。一九六七年(昭和四二)一一月に経済審議会地域部会が報告書を提出し、「人口減少地域における問題を『過密問題』に対する意味で『過疎問題』と呼び、過疎を人口減少のために一定の生活水準を維持することが困難となった状態、たとえば防災、教育、保健などの地域社会の基礎的条件の維持が困難となり、それとともに資源の合理的利用が困難となって地域の生産機能が著しく低下することと理解すれば、人口減少の結果人口密度が低下し、年齢構成の老齢化が進み、従来の生活パターンの維持が困難となりつつある地域では過疎問題が生じ、また生じつつあると思われる。」と述べ、以後「過疎」という言葉が定着した(今井幸彦『日本の過疎地帯』)。

 実はこの今井の著作は1968年に出ている。まさに高度経済成長の最中である。

 この日本の過疎地帯とともによく引用させていただくのが、「限界集落」。

社会学者・大野晃が、高知大学人文学部教授時代の1991年(平成3年)に最初に提唱した概念である。過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭などを含む社会的共同生活や集落の維持が困難になりつつある集落を指す。

ことばだけが一人歩きしているという批判もこの「限界集落」にはあるが、問題と課題提起をした意味は大きいといわれる。
高齢化が著しく進んだ「集落」がその生活(生産)維持機能を持ち得なくなるという批判は実は中山間地域や離島だけに限らない。今井の「日本の過疎地帯」の中にも、実は大野がはじめに指摘した「限界集落」に当たる集落や消滅した集落の話はでてきている。

その後、20年あまり、この限界集落の議論はさまざまな波紋をもたらしながら、集落機能、地域機能の維持、循環とは何かという議論と実践が行われてきた。また、社会基盤の変化も見逃せない。他方、平成の大合併による自治体再編についても大きな変化要素といえるだろう。

2010年代入り、災害が頻繁に起こる中で、単に日常的な生活機能や生産機能の維持だけではなく、インフラの維持や災害の対応力といった課題が露呈してきている中で、新たな様相を見せている。


そしてここ数年、国 総務省が盛んに使い始めているのが関係人口という考え方である

「関係人口」とは、移住した「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、地域と多様に関わる人々を指す言葉です。

地方圏は、人口減少・高齢化により、地域づくりの担い手不足という課題に直面していますが、地域によっては若者を中心に、変化を生み出す人材が地域に入り始めており、「関係人口」と呼ばれる地域外の人材が地域づくりの担い手となることが期待されています。

総務省 ポータルサイト

従前の移住や定住者による「地域」の考え方をかえるともいえるこの打ち出しは単に、単なる新たな予算獲得の方法であるという批判も一歩であるが、「地域」というものを考えるなかでは、大きな転換点になる可能性もある。

過疎問題といわれる人口構成の著しい高齢化とそれにともなう、「そこに住み続けられなくなる」要素は積み上げられている。

そして、それは、単に高齢化が進みエリアということではなく、交通問題や買い物難民といった問題にも連続性をもっている。また、もっと注目すべきは、狭いエリアの中で経済が完結してしまうことの弊害である。里山時代の中山間地域は自然との連続性をもって、その問題を解消することができたが、都市部ではその自然との連続性がおこらず、消費にのみ偏り、人口構成の変更をうながすしか方法がないと思ってしまいがちである。1970年代80年代に開発されたベッドタウンでは、これから本格的にこの問題を抱えていくことになる。その解消のコンセプトとして「関係人口」は注目すべき考え方であると思っている。


posted by 凸凸 at 06:34| 大阪 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月11日

暮らしネットフォーラム5〜廣瀬明彦氏を囲んで〜『この国は、ほんまもんの「共生社会」へ向かっているのか?』

以下のBLOGからの転載です。

とみたも登壇させていただきます。


みなさま、お待たせいたしました。この季節を熱くする今年度の「暮らしネットフォーラム」の案内です。

数えるコト5回目のこの企画。今回のテーマは『この国は、ほんまもんの「共生社会」へ向かっているのか?』です。

これから「障害者権利条約」の審査や「障害者差別解消法」の改正が行われます。それらの動きを踏まえながら、この国はまやかしではない「共生社会」への道を歩んでいるのかということを問いながら、一方で私たちはそれに対してほんまもんの「共生社会」に向かうべく、何をどうすべきであるのか、を考えるフォーラムです。

今回も基調講演にはDPI日本会議の尾上浩二氏をお招きし、条約審査や差別解消法の改正などから見える動向を踏まえ、とても大切なことをお話しいただきます。思いを共有しましょう!
また寝屋川市民たすけあいの会の冨田昌吾氏からは恒例になりました『思考の回路』シリーズをお願いしており、今年もここでしか聞けない内容を話していただきます。頭をフル回転させて”考え”ましょう!

で、最後のシンポジウムは”まとまらない”いや”まとめられない”何でもアリのシンポです。ほんまもんの「共生社会」、私たちはそれぞれ「どうやって」創り出していくのか。

考える、そして行動する、みなさま今年も「暮らしネットフォーラム」にぜひご参加ください!

暮らしネットフォーラム5〜廣瀬明彦氏を囲んで〜『この国は、ほんまもんの「共生社会」へ向かっているのか?』

日  時:2020年2月29日(土) 10:30〜16:30
場  所:奈良県社会福祉総合センター 6F第ホール
参加費:2000円

≪開催プログラム≫

  9:30受付 10:15開会
10:30基調講演『この国は、ほんまもんの「共生社会」へ向かっているのか?』
     講師:尾上浩二氏 認定NPO法人 DPI日本会議副議長 特定非営利活動法人ちゅうぶ代表理事

12:00休憩
13:00講演『次代を斬る! 思考の回路4』
     講師:冨田昌吾氏 寝屋川市民たすけあいの会 事務局長
14:15休憩
14:30シンポジウム『この国で”どうやったら”ほんまもんの「共生社会」を創り出せるのか?』
     シンポジスト: 清水明彦氏 西宮市社会福祉協議会 常務理事
               尾上浩二氏 DPI日本会議副議長 ちゅうぶ代表理事
               冨田昌吾氏 寝屋川市民たすけあいの会
               藤本貴久氏 eight代表理事
     進     行: 北野誠一氏 共生のまちづくり研究・研修所
16:30終了
17:30懇親会 19:30終了


こくちーずからもお申し込みが出来ます

暮らしネットフォーラム5 2020年2月29日(奈良県) - こくちーずプロ https://www.kokuchpro.com/event/f1c1635ebbea4822002bce4ff94a664a/ @kokuchproさんから


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posted by 凸凸 at 06:27| 大阪 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月04日

「働く」「稼ぐ」「仕事」 あらためて「しごと」

昨日のFBの書き込みに以下の「特定地域づくり事業」のことをエントリーしました。

**************************************

これなぁ、過疎地とは書いてないけど、基本は過疎地限定なんだろうなぁ。実際はもう少し広い適応範囲を考えて欲しい。都市部でもOKしてほしい。
いまの労働者派遣法に基づいて、労働者派遣事業をやろうとすると、ハードルが高すぎる。かといって、グレーゾーンの有償ボランティア/地域通貨、介護事業所、障害者就労系事業所を大々的に地域の働く仕組みにするのは難しい。
ひきこもり支援も含めて、いまの仕組みのハードルを「小地域共同的」に規制緩和する(かつ、既得権域にしばられない)ことをしてほしい

『労働者派遣法の特例』を含む地域人口の急減に対処するための特定地域づくり事業の推進に関する法律について
https://www.jassa.or.jp/…/upl…/191225tokuteichiikidukuri.pdf

https://www.jassa.or.jp/information/detail.php…

***************************************

興味のある方はそれぞれの資料をみてください。

こういった「仕事」作り出して、地域を活性化させる取り組みって、実はこれまでも地域ベースでいろいろと行われていました。

たとえば、↑の事業のおそらくモデルの一つになった岡山県奈義町の「しごとスタンド」

岡山県奈義町が創った「新しい仕事の形」 「地方は働く場所がない」という不安を解消 | 岡山県奈義町 - 東洋経済オンライン https://toyokeizai.net/articles/-/268047 #東洋経済オンライン @Toyokeizaiより‬

 https://www.kantei.go.jp/jp/singi/sousei/meeting/shoshikataisaku/h31-04-15-sankou1.pdf

古くは、島根県の海士町や岡山県の西粟倉村などなど。(西ばっかりの紹介ですけど)

あたりまえだけど、上の新聞のタイトルのように、「地方は働く場所がない」というパターナリズムなんですよね。

東京のホームレスの多さを支援団体の様子から見聞きしていると、ほんとうに「働く場所」がないのは、いったいどこなんだろう、と思ってしまったりします。30年前のゴーストに支配されているんじゃないって?ちょっと、本題からずれました。

いまの労働者派遣事業って、どこまでいっても企業の雇用調整弁のような事業になっていて、調べてみるとわかるけど、労働者派遣事業そのものの参入のハードルってかなり高い。少なくても、非営利でやろうと思っても難しい。高齢化の進んだ都市中心部や都市近郊部で実はこんなことをやりたいと思っても難しかったりします。

障害者就労支援の仕組みで、就労継続B型をつかって、「障害のある人」たちが地域貢献的な事業をする。

有償ボランティアの仕組みをつかって、地域通貨とかの活用で地域貢献的な事業をする。

それこそ、豊中市みたいに、ボランティア活動・地域活動として、行う。

これくらいしか思い浮かばない。もし他の方法があったら教えていただきたい。

なにを思っているかというと、シルバー人材センターの若い人版。働く側に重点をおいた上記のような取り組み。

障害者就労からボランティアはどちらかといえば、地域貢献が主になり、「動く側」に重点が置かれていない。

シルバー人材センター事業や特定地域づくり事業は、「働く側」に重点が置かれている。

高齢化の進む都市中心部、都市近郊部、特にどちらかといえば、所得階層がそれほど高くない地域。高度経済成長期に開発され、高齢化が進む地域。

あ、念のため 既存の方法や工夫を否定していないので。障害者就労、有償ボランティア、地域ボランティア、それらが進められればいらないのかもしれない。けれど、いわゆる過疎地、地方で展開されている取り組みが、何度もいうけど、都市部、都市近郊部に合わないとは思わない。それが、企業活動の妨げになるとも思わない。すでに、個人商店はほぼ壊滅して、細やかな暮らしをささえる企業や商店はほぼないわけじゃないですか。

そんなことを考えていると、学生時代に読んだ内山節さんの本を思い出す。

働くことの変化を、「稼ぎ」と「仕事」として対比し考察した(『情景のなかの労働』『自然・労働・協同社会の理論』等)。

村人が言葉を使い分けていることに気づく。「稼ぎ」と「仕事」だ。「仕事をする」「仕事に行く」という場合と、「稼ぎに行く」というように。

内山節さんの「働く」の考察をあえて逆説的に。「しごと」がすべて「稼ぎ」になったいまの都市生活者の中に、やはり「稼ぎ」をつくりださなければ、都市中心部や都市近郊部の人たちに届かない。そして、それを企業の雇用安全弁ではなく「しごと」を作りだしていくことで、地域(注:あえてコミュニティということばは使わない)での暮らしを支え合う、そんな取り組みが必要な地域も少なからずあるように思うのだ。

(勉強不足な私に何か、知恵をさずけてくださいな。笑)


posted by 凸凸 at 16:39| 大阪 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月01日

オープンイノベーションと関係人口

2019年のふわりんクルージョンに関係する話は12月22日のBLOGに書きました。そのエントリー自体は、戸枝さんの終わりの挨拶に私の名前がでた衝撃から今後を憂うという書き方をさせていただきました。

2019年のふわりんクルージョン、有名な川北秀人さんと岡山NPOセンターの石原達也さんとご一緒させていただいたのは、とても刺激的な時間でした。

少し批判的になってしまうのですが。

私が寝屋川市民たすけあいの会の活動に参画するようになったのは、1990年代のはじめ。

中学校、高校時代にいわゆる重い障害のある級友との出会いから、現在の小規模作業所づくりの「走り」のような活動に入り、大学時代は環境社会学のゼミに入り、富山県五箇山のフィールドワーク、静岡・藤枝の水車村。ネットワークということばが日本でも少しずつ紹介されることをして卒業論文を書きました。そんな自分が、大学院の博士課程に進学する前にきっかけがあって寝屋川市民たすけあいの会にかかわるようになりました。まぁ、当時 会の活動はほぼ行われておらず、そこからいろいろなことを興していくわけですが。

寝屋川市民たすけあいの会の10周年記念誌は「たすけあいからのネットワーキング」というタイトルで上程されています。これは私がかかわる前に発行されたものですが、1989年に編纂された書籍の中に「ネットワーキング」ということばが入っていること自体すごいことだと思います。「住民主体のネットワーク」ですね。このフレーズにはときめきを覚えましたが、一方で現実との乖離に悩まされたものです。

1990年代は、ボランティア活動が少しずつ社会的に認知を広めていった時期です。学生が夏休みの間にボランティア活動を行う、といったことが全国的に広まりはじめ、その是非が議論されていました。一方で、バブル期の終わり頃にいたる90年代のはじめは、CSR(企業の社会貢献活動)の議論が盛んに行われていて、市民活動が一部の地域ですが盛んになってきていた時代でもあります。

そして、1989年のいわゆるゴールドプランが策定され21世紀の高齢(化)社会の議論が本格的に行われるようになります。住民参加型サービスがおこりはじめるのもこのころです。旧前の「社会運動」と結びついているものもあり、また、まったく新しい形のムーブメントもおこりはじめます。

高知大学の大野先生が「限界集落」ということばを提唱したのが1991年、その時期に、私自身は当時、高齢化率が全国で最も高かった山口県の東和町で開かれた「過疎地サミット」に参加しています。

1995年に阪神淡路大震災が起こり、こういった活動が一気にいい意味でも悪い意味でも「集積」し、「NPO時代」に突入していきます。

最近はNPOとそのリーダーたちを世代分けする議論も散見されますが、私自身は、すでにほとんどの2000年以前に設立されたNPO(市民団体)が、NPO法人とその活動形態を保持できず、消滅しているか、活動形態を変えていることをして、やはり特定非営利活動促進法ができた1998年、まあ、2000年を境にして、前史とNPOの時代のスタートが区切られている気がします。つまり、NPOや市民活動の「事業化」です。

1990年代の後半に、寝屋川市民たすけあいの会の活動に参加をしていた私は、地域の中でのネットワーク活動に積極的に取り組みます。寝屋川市民たすけあいの会自体はボランティアさんたちが集まる拠点のみをもっている団体ですから、自分たちだけで事業を行うことはほぼできません。場所も他を借り、お金は寄付と会費とバザー、人はボランティアでやっているわけですから、ボランティアコーディネートといっても、いろいろな団体組織とのつながりを強くもっていくことが活動の下支えになります。少し思い出話的ですが、1995年の阪神淡路大震災のあと春に寝屋川で支援イベントを行いました。会が発足当初からボランティア先としてお世話になっていた老人ホームの職員さんたちとの協働事業で、寝屋川市民会館の大ホール・小ホールを借り切り、市内の市民団体障害者団体に声をかけ、イベントとバザーで一日で400万近いお金を集めました。1000人から2000人以上の方が参加してくださったと思います。そのあと、その活動は、市の環境イベントでのフリーマーケットの開催を担うという流れに動きます。足かけ3年間行ったイベントは10万人以上を集めるというイベントになりました。

なぜ、こんな昔話を書いているのか、というと理由は2つあります。一つはこの頃のネットワーク・エネルギーを検証し、いまの時代に生かしていくためのヒントを整理したこと。もう一つは、批判的なと書いた理由と深くかかわかります。

90年代の終わりに先に書いたとおりに、寝屋川市民たすけあいの会は、ネットワーク型の活動を深く行い、かかわった方、かかわりはじめた方たちの発想と「やりたい」という気持ちに共感し、主にイベントではありますが、どんどん行っていきましたが、まだ、当時は大阪ボランティア協会からの支援を資金的に中心に運営を行っていました。大阪ボランティア協会は「創出会議」「予算会議」というものを行っておられて、その会議に出させていただくようになりました。その中で私は、徹底的に「事業の運営」は「善意」ではできないということを言われました。思えばいち早く「事業化」のspiritをたたき込まれたわけですね。当時は正直ものすごく反発しました。大阪ボランティア協会がきっかけになって生まれたといっても、別組織。いまは法人解散されましたが隣市にあった「北河内ボランティアセンター」との支援の差など、会の内部での不満もあり、その後、完全な自立(自律)運営にいち早く舵をきります。1990年代の終わりに行ったその流れが、大阪ボランティア協会と共有できず、まさに、「人・モノ・情報知識」をシェアリングすることができなかった。資金の話だけに終始してしまったことが、いまとなってはとても悔やまれます。

今回、岡山の石原達也さんのお話をおききしていて、寝屋川市民たすけあいの会の「産みだし」が、戸枝さんが制度外から「支援」を生み出してきた同志として評価していただけたとしても、それはあくまで「クローズ(閉じる・接近する)・イノベーション」にすぎず、もともと、私自身がもっていた意識と乖離しているように感じて「しまいました」。

2020年、私のテーマは「オープン・イノベーション」。動きます。

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オープンイノベーションという概念が生まれたのは2000年代の初め。米ハーバードビジネススクールのヘンリー・チェスブロウ博士により提唱されたイノベーションに関する概念の一つです。その概要は次の通りです※。

「オープンイノベーションとは、企業が技術の価値を高めようとする際、内部のアイデアとともに外部のアイデアを用い、市場化の経路としても内部の経路と外部の経路を活用することができるし、また、そうすべきであると考えるパラダイムである」

「オープンイノベーションは、企業が自らのビジネスにおいて外部のアイデアや技術をより多く活用し、自らの未利用のアイデアは他社に活用させるべきであることを意味する」

「オープンイノベーションとは、内部のイノベーションを加速し、イノベーションの外部活用市場を拡大するために、その目的に沿って知識の流入と流出を活用することである」

※出典: 文部科学省 「平成29年版 科学技術白書

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オープン・イノベーションで「死の谷」に橋を架ける

図:インサイド・アウト型オープン・イノベーション
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基本的に、この言葉は製品開発の企業の中で使われるものであり、ちょっと、私のような門外漢がことばを使うことに違和感を感じられるかもしれません。上の図など、製造工程をもとに作られたものですから、NPO活動とは全く関係ない典型ですよね。
ITに詳しい方はオープンソースの代表格であるLinuxなどを思い浮かべられるかもしれません。

しかし、私はあえて、この「オープン・イノベーション」というコンセプトを掲げたいと思います。

上記、「オープン・イノベーションで「死の谷」に橋を架ける」の中で、バーチャル組織が関係型になることが指摘されています。よく私たちの世界でいわれる「プラットフォーム」もリアルに人が集まって作られていても、基本的にはここでいう「バーチャル組織」のような(あくまでも【ような】ですが)になります。つまり、内部のリソースを連続した形で外に出し外部の団体とプロジェクトなどで結びついたとしてしても、それは内部のイノベーションにはならず、外部のインキュベートで終わってしまいかねません。

最近、地方創生の世界で「関係人口」ということばがつかわれるようになってきています。参考https://nativ.media/9544/
寝屋川市民たすけあいの会は40年を超えた活動を行ってきました。そのかかわりは、小さな寝屋川市というまちの中にとどまらずたくさんの応援者を得てきました。全国各地に応援してくださっている方がおられます。まさに、そのことを実感したのが2018年9月4日の台風21号の被災でした。昔かかわったことのあるかた、常に応援してくださっている方、新たに知って応援してくださっている方。
大阪の小さな町の小さなNPO活動をこんなにもたくさんの方が応援してくださっている。それは、この資料でいう「交流」ではなく「関係」してくださっている方がいてくださる。
でも自分たちの活動の毎日はともすれば、
クローズで、内向きで、自己完結的で、「応援お願いします」「支援お願いします」とか、しか言わない活動になってしまう危険性があります。
もちろん、これまでもそうならないように、寝屋川市の私たちの支援活動は、全国どこでもある課題をクローズアップし、その必要性を訴えかけていいく、発信をするということをしてきました。

しかし、先に書いたように、「オープン・イノベーション」のコンセプトを頭において考えると、
「内部のアイデアとともに外部のアイデアを用い内部の経路と外部の経路を活用することができる。自らの未利用のアイデアは他社に活用させるべきであること、その目的に沿って知識の流入と流出を活用することである」ができているようには思えません。

2000年前後にNPOが法人化してきたときに、ガバナンス、マーケティング、コンプライアンスが重要視され、「企業化」しました。そして、いまや社会課題解決は営利企業の独壇場になり、どんどん、NPO法人のような中途半端な非営利法人の出番は少なくなっています(ちなみにここで、中途半端でない非営利法人は社会福祉法人をさしています)。

「寝屋川市民たすけあいの会」の40年のレガシーを内部だけでなく、外部に活用してもらうために、「寝屋川市民たすけあいの会」という極めてローカルな名前を冠する団体組織にいながらも、寝屋川市外にも出て行くことを「オープン・イノベーション」のコンセプトに基づいて行っていく。
まさに「人・モノ・情報知識」を動かしていくことを考えています。それはまさに、寝屋川市民たすけあいの会もイノベーションしていくことになっていきます。
まだ、オープンにできる時期ではないですが、春までには、具体的にいくつかのことをアピールできるように準備を進めたいと思います。

2020年 大変長い、年頭のメッセージになりました。 どうぞ、よろしくお願いいたします

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2019年12月25日

2020年春 労働力の流動化が助長する?

ちょっとメモ書き。
先日、税理士さんと話をさせていただいていたときに首をかしげられた話なんですけど。

私の中では2020年以降、フリーランス(個人事業主)は一時期いろいろと危ない時期に入るのではないか、という所感をもっています。
ポイントは
・2020年の税制改革が中途半端であったこと
・2019年10月からのインボイス制度
の二つに狭い意味ではなりますが。

これだけみると、いいじゃないの?と思われるかもしれません。

私の中のポイントは「働き方改革」です。

来年4月から本格的にスタートする「働き方改革」先日も、正業副業の労働基準法上の労働時間管理の話がでていました。

★私が懸念していること
いまの政府の方向性は、労働形態の流動化です。ヨーロッパのように社会保障のセーフティネットがない中での労働形態の流動化。
この数年の流れは、企業が、たとえば「派遣」という調整弁を使い、「労働の流動化」を現象として一定確保しつつ、インセンティブとして副業化などを間接的に推し進めてきました。つまりは、象徴的な看板として「副業」。ホリエモンなんかがそんなことを言っていましたよね。
そのことについて、制度的な規制をかけないから、ある種、秩序なくやれてきたところもありました。ほんとは違法だけど、わかんないよね。って。だから、やる側としては利があった。
ところが、今回は表だって、制度的に、「個人事業主」「フリーランス」を正業・副業としても、表面上推し進める制度改革です。「副業」も入れましたが、実はターゲットは「正業」すなわち、より労働力の流動性を高めて、自己責任を強く押し進める制度に見えます。
話が大きくなりますが、グローバル経済の敗者である日本は、国内のニッチな消費を所得の低い層の中で、回し続けていると現状があると思っています。この流れは、さらに拍車をかけます。個人事業主 フリーランスを増やします→税の申告や収入管理、事務的な作業はちっとも軽減されていません。IT化も遅れています。→税理士や労務士、司法書士・行政書士などのいわゆる士業の人たちを頼らなければなりません。セーフティネットのために、生命保険などの保険にお金を投入します。などのなど。結局、お金をそちらに投下せざるを得なくなるのではないかという懸念です。

杞憂に終わればそれはそれです。「心配性の冨田が何か言っているで。」

でも、ちょっと立ち止まって、小さな会社であれば、先に引用した中にあるように「ティール型みたい」な組織も作れるように思います。ちょっと慎重に考えてみる時期だと思いますよ。
posted by 凸凸 at 20:18| 大阪 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月22日

介護の市場化から20年 見えているFieldとは?

毎年、ふわりんクルージョンのレポートを事細かに書かれる愛知県田原市の新井さんが、今年のふわりんクルージョンのレポートはこれだけ。「自分探しの旅へ(秋葉原) http://feel1999.cocolog-nifty.com/lallapallooza/2019/12/post-0742a7.html

さて。このふわりんクルージョン今年で10回目。
かの有名な「戸枝さん」が主催をしているこのイベント。
毎年のように強くお声かけをいただき、今年もお役目をいただきました。

そして、今年は彼の終わりの挨拶の中で、なんと「冨田」の名前が出ました。彼がその挨拶の文脈の中で「冨田」の名前を出さざるを得なかった現在の状況を、私は私なりにかなり重くうけとめています。

そして、新井さんが(単にそのあと旅にでたからかけなかったのかもしれませんが)、毎年のように書かれていたレポートが出てきてないことをこれも重くうけとめています。それは内容がどうのこうのということではありません。

この20年、いろいろなことがあり、いろいろな社会の動きがありました。
こうなることはわかっていながら、「それしかなかった」(これには大いに疑問がありますが)、2025年の超高齢化・団塊の世代の75歳突入にむけて、「介護の市場化」にふみきった。
そして、そのことは制度当初の目的を、クリスタルのように唱えられた「介護の社会化」には失敗しているけれども、十分な「介護の市場化」には成功したといえると思います。
おりしも、2000年日本は、失われた20年といわれる大不況の真っ只中。新たな雇用をうみだす必要性があったという側面も無視できません。いまや、医療・介護は産業別でいえば、全体でも三位、女性は一位です。

産業別就業者数(男女計、就業者数計=6,664万人、2018年平均)


こうした「介護の市場化」はことばを変えれば「制度ビジネス」の成立という側面も見いだしました。当初いわれていたシルバービジネスの創出にももちろん成立していますが、反面、全く制度外の大きなビジネス市場を生み出したとはいえないようにも思います。ここらあたりは日本の国民の政治への不信感と揶揄されることともリンクするでしょうね。つまり、一番もっているはずの高齢者の資産を市場に排出できない状況があいかわらず続いている要因です。いったいどこに資産をもっている高齢者はお金を使っているのか?ということになります。これに説得力のある資料は私はいまだみたことがありません。

こうした「介護の市場化」は保育や障害福祉の分野にも大きく取り入れられ、いまや介護・福祉・保育はサービス化し、ユーザーは「消費者」になってきました。それが「市場」か「制度」かということに左右されず、いまやあたり前になりました。

そして、いまわたしたちの目前に広がる(荒)野は、自ら生み出すエネルギーを仲間と共有し大きなエネルギーとする営みをみんなが失ってしまっているFieldです。本来、そのことを積極的に取り組むべきNPOは、「社会課題解決」という毒入りの美辞麗句により「制度化」され、そのエネルギーの多くを失ってきています。いまや「社会課題解決」はMarket niche needであり、営利企業にその主役を渡しつつあります。
よりAdvocateなSocial problemは(本来のポジションなんですが)「政治的(political)」かつ「Ideology」に近接・傾斜してきているように思えます。そして、それらはポリティカルコレクトネス political correctness 社会の中で、深層で大きく分断化されているように感じます。
その分断化された社会深層が一気に顕在化するのではと思わなくもないですが、それはいまの日本の世界の中での位置を考えたときに、そんなことをしたら日本自体が沈没してしまうという懸念から起こらないのかなという気もします。極めてブラックですが。

私たちが実現したいと思ってきた社会は、市場が全面&前面の社会ではなかったはずです。市場はあくまでも手段だったはず。
エネルギーを失い「制度ビジネス」servantと課した「福祉業界」に未来はあるのか?

そういったことを考えるに十分な時間でした。
私自身もこの15年。狭い地域にひきこもってきていましたが、そろそろ大きく動きはじめようか、と思いはじめています。 




posted by 凸凸 at 14:15| 大阪 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月09日

「本人・家族吊し上げ会議」になっていませんか?

この土日、東京・秋葉原で「、ふわりんクルージョン」でした。

何年かぶりに、東日本大震災以降、使っていなかった頭の回路を復活させた感じの勉強になった会でした。その整理はまた、として。

そこ中での立ち話的なお話なのですが。

詳細は書けないですが。

介護保険や障害者総合支援法の中に制度的に位置づけられるようになった「個別支援会議」。「サービス担当者会議」。ご本人やご家族を入れて会議を行うことが必要・望ましいとされていますよね。
制度化されたのには意味があるわけですが、こいつがけっこう危険。

病院でも患者、家族を入れての会議もありますし、少し前に炎上した〇〇会議とかも(あれは本来ちょっと違いますが)。どんどん、そういった会議が制度化されます。

が、
実はそういった会議は二つの前提があります。

ひとつは、関係者は「性善説」に基づいた「専門性」を発揮するという前提。ここでいう「性善説」に基づいた専門性とは【ご本人、ご家族】の希望を第一にするということ。
もちろん、ご本人とご家族の希望が違うことは多々ありますが、ここではちょっと置きます。

もう一つは、集まった関係者、特に同業者が同じ意見をもっていること。

でも、みなさんそんなにうまくいってますか?

実は私はこの制度化された会議が「大嫌い」。
誤解のないようにやらなくていいとか、やめてしまえとか言ってるわけではないですよ。形骸化してるとめんどくさいとか無駄とか思うこともありますが、集まることには意味があることももちろん多い。

ただ。。。
この会議に
私がつけた別名は「本人・家族吊し上げ会議」。

くりかえし支援機関が「できない」「無理」を繰りかえし、本人、家族を批判し、説得してやめさせよとする。
本人の意思発意を制限する。ご本人が言えないなら決められないなら必要ないですという。
意見の違う事業所を集団で説得、従わないなら、「あんたのところがすべてやれ」とソフト恫喝

そんなことになるケース、特に重い障害のあると言われる人の会議である話と、カイマキキマス。


支援機関がすべてポジティブに応援できない場合は本当にやめてほしい。
ディスパワメントはともすれば虐待です。
posted by 凸凸 at 08:39| 大阪 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする