2017年06月13日

いわゆる高次脳機能障害者の地域での生活を再構築するための・・・

私が「学会的なもの」とから距離をとって久しい。そんな中で、とあることからそういった「学会的なもの」との接点を「視点」として、再度もつ必要がでてきた。
あまり、自分自身、研修というものに参加することもなく、現場で使われていることばも理念と解離されて使われていることも多いから、あまりそこに、力点をおくこともなかった。
また、福祉の分野でいえば、あふれまくる「カタカナ」用語のひどさは、90年代以降、どうしようもなくなっているわけで、そのどうしようもなくなっていることにきちんと立ち向かう気もなくしているから、改めて対峙するつもりをもたないと結構、どうしようもないなぁ、と感じていた。

 きっかけは、現場から。2年ほど前からうちに理学療法士さんが来てくれた。その理学療法士さんと会話を重ねる中で、おもったり、感じたりすること、そして、彼らの理念や専門性テリトリーを垣間きくなかで、自分たちがやっていることと、実際の多職種連携の支援のなかでおこってくる「すきま」と、「支援の連続性のためのマネジメント」をどのようにするべきなのだろうかという疑問を強くもつようにもなった。

 今回のエントリーのタイトル、実によくわからないタイトルだ。このタイトルをつけるにあたっても、さまざまな、横文字のことばをならべてみた。が、少しそれを調べてみると、あいかわらずのわけのわからない「カタカナ」用語の乱発で「意味がわからない」状況になっていることだけが露呈する。では、このことは、医療従事者なら(医療モデルなら)解消する、、、わけでも[ 当然]ない。検査の方法や術式などきわめて数値化ができているものをのぞけば、実はよくわからないことばがあちらも乱立しているようだ。その最たるものがエビデンスとナラティブだったりする。
 話をもどそう。
 当初はICFからの生活モデル、とか。ストレングスモデル、とか。つかってみようかと思ったが、いくつかの文献をみた瞬間にやめた。そのことばを使うことで誤解を招く気がしたからだ。

 いま自分たちは、大きな仮説をもとに、多職種支援のアプローチを実践している。この多職種支援ということばもよくわからないことばで、誰と誰、どの専門職とどの専門職がみたいな話になるとまた、めんどくさい。とりあえず、ここでは、かっこよく、理学療法士、精神保健福祉士、社会福祉士、介護福祉士、相談支援専門員 といっておこう。そうすると、多職種支援といっていいだろう。個人的には、毒を吐けばそれぞれどんな専門職やねん、資格をもっていれば専門職といえるんかい、といいたいところだが。だから、はじめにこの取り組みをするときに、それぞれの役割をきちんと明確化した。福祉職のスタッフはどうもここらあたりが苦手で、とくにうちのスタッフはすぐに「よりそって」しまう。別の場面ではとってもすばらしい実践力なのだが、今回のプロジェクトでは、そこは修正をしていただいた。

 高次脳機能障害者に限らず、中途障害者は「リ・ハビリテション」を強いられることになる。まさに、生活を取り戻す。生活を再構築していく。そのことは避けて通れない。進行性の難病による中途障害者と医療的な症状がある種固定される方とでも実は違っていて、再構築のやり方もかなり違う。
 今回の仮説はその中でも、脳損傷の患者で、身体的な障害が少ない(車いすは常用ではない)かつ、記憶障害、遂行機能障害、注意障害などがあると診断された方を対象に、「医療制度の中ではリハビリが終了」し、かつ、「就労支援(就労リハビリ)」の対象ではないといわれている方たちへの「リハビリ視点を加えた」生活再構築プログラムの有効性についての仮説である。
 この前者の「医療制度の中ではリハビリが終了」はわかりやすい。精神科のデイケアをのぞけば彼らに対して行われる医療制度の枠のリハビリは縮小している(もちろん、自費は別)。後者の「就労支援(就労リハビリ)」の対象は、よくわからない。わたしなどのいいかげんな現場的な視点をいえば、本人が就職したいと思ってとりくむことすべて、といいたくなるが、それはおそらくダメだろう。しかし、障害者総合支援法上の就労支援施設や職業訓練校がこれにあたるといわれると、なんかちがうよなとおもいつつ、うけいれざるをえないのかなともおもう。
 また、「生活リハビリ」ということばをつかおうかともおもったが、これもたぶん、違うなと。「生活リハビリ」はかの有名なM氏が高齢者支援の場面で広くつかったことばで、おそらくそちらの意味が強いのでやめた。そうすると、自分たちの思うことばがない。まぁ、ことばがなければつくってもいいが、それはあんまり思ってもいない。

 私たちが対象にしている方は、医療リハビリの世界の中では、リハビリ対象者になりにくい、リハビリの効果のあがりにくい方なのだそうだ。ご本人や、ご家族はリハビリを強く望まれている、が、リハビリを受けることができないという現状がある(訪問リハは除くが)
 批判をしても仕方がない。あたりまえである。医療リハは、短い時間の中で、強い効果性を求めてアプローチを行うものとされているのだから(そのことについてのはなしはここでは主題ではない)。また、退院に近づくにしたがって、とにかくも歩けてADLが自立、に近い方については、生活上のこまりごとは、記憶障害や遂行機能障害、そして、注意障害と称される障害だ。充分な時間がとれないなか、都道府県にある高次脳機能障害の専門のセンターに入所(・通所)して、という方もおられるだろう。そして、そこでは集中的にそれらの障害へのリハビリ?が行われる。
 そのセンターからの「地域移行」の支援ニーズがうちに近年、多く寄せられている。

 高次脳機能障害として称される
/なぜ、こんな言い方をするかというと高次脳機能障害という言葉がそもそも行政用語でしかないからだ。最近、このカテゴリーづけはやめてほしいと思う。「難病」というカテゴリーも広すぎて困る。狭い意味の「社会福祉」でいえば、支援の共通項は一定以上存するので、許容できなくはないが、医療から福祉、生活へのマネジメントのなかでは、かなりうっとうしい。共通言語化(コンセプト化・コード化)しにくくてしかたがない。/
「障害」も実はかなりあいまいで、また、それぞれの「障害」もよくわかっていないらしく手探りのようだ(私はここの専門家ではないのであいまいな表現になる)。脳損傷特有の半側空間無視などはもっと研究されてほしいと思う。
 わかっていることは、「なんらかの」脳の障害によって、行動に一定の「行いづらさ」があり、生活のしづらさが起こるという点である。中途障害に必ずある「障害の受容」はここでは前提中の前提なので横に置いておく(これはこれで大きな課題なのだが)。

 そこで、最近、研究や実践が進んでいる発達障害の方へのその中での支援・アプローチ方法を応用することと脳と身体の相互作用に強く着目して、生活スキルの向上と再構築に効果がみられるだろうという仮説をたてて実践を行っている。特に参考にさせていただいたのは、 水野敦之さんの「「気づき」と「できる」から始める フレームワークを活用した自閉症支援」です。
記憶障害や遂行機能障害、注意障害は、自閉症スペクトラムよりもADHDの方の行動に似ているように思われるかもしれませんが、方法論的には、フレームワークをつかい、
@視覚的なわかりやすさ →見通しをたてる →忘れたときにも確認ができる 
※記憶障害支援に使われるメモリーノートとの併用によって、日常生活の代償手段として身につけていただく
A遂行機能障害や注意障害のある方は、細部よりも全体に注目がいきがちになるので、細部に注目する特性をいかしたこの方法論を逆に活用して、細部への注目を行うように構造化を行う。
B環境のセットアップを「個人で集中できる環境」と「グループで行える環境」とを併用し、かつ、プログラムを個人・集団/グループだけではなく、「パラレル」=同じ作業をあえてグループにせず、個々で行うプログラムを導入して、注意の切り替えをトレーニングする。
C生活上にとくに課題にならない身体的な障害=麻痺に対しても、積極的にアプローチを行う

そして、この限られた空間・時間だけでなく、生活上にこれらのアプローを生かす工夫をいれていただく(実はこれが一番、難しい)。また、ご本人にはつらいだろうが、就労訓練もセットし受けていただく、などの総合的なアプローチを行う。この部分は、障害の受容にもかかわる。

 こういったアプローチは、いわゆる「福祉」ではない。また、「医療」でもない。個人のストレングスに着目するアプローチからすれば、介入しすぎだろう。しかし、過渡的に時期を決め、ICFでいう環境要因に対してのアプローチを「あえて作り出す負荷」によって行うことによって、生活スキルの向上と再構築に寄与できるのではないかと思っている。←これが仮説

 さて、こういった実践が、はたして学会的なものなのか、どうなのかは今後、問われていくだろう。現状は、その地平にはかなりの距離があることはよくよく承知しているが。 
posted by 凸凸 at 09:07| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月07日

今日が自分の49回目の誕生日だと???

おもっきり忘れていました。
今日は5月7日。自分の誕生日でした。

SNSで、まわりの方に教えていただいて気づくという
なんともはや。。。

この春は、何年かぶりにこれでもかこれでもかというくらいに忙殺されています。

昨年、48歳(4回目の年男)を気に、かわろう、かえようと、一年してきました。

そうして、いろいろなことが大きく変わろうとしています。

とっても忙しくまわっていない春。
相方から、そんなにこんつめてもできないから、一日ぱっと休みをとったらと助言をもらい一日休みをとりました。

気分転換に

野田藤
http://nodafuji.com
の町歩き

りっぱな恵比寿神社
http://www.noda-ebisu.com

に、出会いました。

で、

賢人
https://www.facebook.com/kashikobito/

で、昼まっから、とてもおいしい、にごり酒を。

このお店、何を隠そう、私の弟がやっている店です。開店して1年少しになります。
みなさんにかわいがっていただき、1年になりました。

おかげさまで、気分転換できました。

49歳になりました。
この一年、またいろいろと、変わっていくと思います。

よろしくおねがいいたします
posted by 凸凸 at 23:18| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月24日

社会保障政策と政策研究、反研究について思うこと

「居場所」は
政策的に
創って広げることを目的にするときには
使われてきたことばだが
今後の政策としては
おそらくは事業としては
「居場所」だけでは補助の対象にはされず
そこに、いろいろな「機能」が付与されなければならないと
なっていくだろう。
「わが・丸」の中心的施策になりながら、
おそらくは、少なくとも国事業としては
消えていくだろう。

この話としては、関係者はわかっていなければならないことだし、

そのことと
地域の中で、必要かどうかの話は別の話である

と同時に
政策的デザインとして、同じ土俵で議論すべきことかどうか、は、現場の者としては、考えておくべきことだと思うし、
そのことを議論されている諸研究者の方たちは、
ボトムアップ型実践をも、トップダウン型実践と同じく議論をしないでほしい。

いまの日本が危機的であるという視点はもちろん共有するが、マクロ(的)議論を仕掛けるための、全体論的思考のために、小さな実践を、自分たちの思考、論考のために「まとめる」ことは、
実は、論理展開そのものが、自分たちが批判をしている政策的論理となんらかわりのない論理展開であることに、きちんと気づいた上でおこなわれるべきだとおもう。

社会科学や政策科学のエビデンス主義的論考ではなく、きちんとした「科学」としての議論は、ミクロとメゾとマクロが、研究としては、必ずしも結びついていないことをきちんと諸科学の研究史から学んでおこなうべきだ。

いまこそ、丁寧な議論を望む。
posted by 凸凸 at 07:41| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月21日

「制度化」とひとりひとりにむきあうこと

 ここのところ、ずーと同じ疑問の中をぐるぐるとまわっている。

 まだ、アウトプットできるほど「ことば」にのっかっていない。

 つまりは。
 ○○な人を支援する とか、○○なこどもを支援する とか。
と、
ひとりひとりにむきあったときの「ズレ」をどう考えていったらいいのか。ということ。

 私たちは事業をやるときに、○○を対象にするといいます。
それが制度内だろうと私的サービスだろうと、公益的なサービスだろうと。

 それが必要であるといわれます。
お金を集める 制度でやる なんでもそうです。見える化が必要であるとも言われます。

 私たちはいろいろなきっかけで、いろいろな方に出会います。出会い方はさまざまです。
それは、○○な人を集めるではないのです。
 
 出会った人に対して、できることをする。それはカテゴリーではないのです。
でも、なにかをしようとすると、そのカテゴリーに因らないといけないことになっています。

 すっきりしないのです
posted by 凸凸 at 06:15| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月16日

インフィニティ

ものすごく思いつき的な書き込みですが。
インフィニティマークってあるじゃないですか。

これね
地域福祉っていうのかな、地域活動、地域政策っていうのかな。
どんどん、小地域、居住地域ベースのローカル・コミュニティをベース理論にしようとしているじゃないですか。
それは一方で、閉鎖性を伴うわけで。
そのいろいろな弊害も当然あるわけでしょう。
もちろん、効果性も当然ありますけど。

サービスの近接性(アクセシビリティ)としてのローカル・コミュニティだけでは語られない部分があるわけで、それがいまの「我がごと丸ごと」(我・丸=わがまる、っていんだってね)なんかには見え隠れするわけで。まぁ、ある種の政策的示唆ですわな。おそらくイデオロギー化しそうだったりもするし、そうなっているかもしれないけど。

日本で言えば、そもそもは(歴史的にいえば)地方政府が、コミュニティの集合体によって、形成されてきてみたいな歴史があるから、中央政府がそれを活用しようという政策的な打ち出しはこれまでも何度もおこなわれてきたし。

ただ、考えなければならないことは、残念ながら、ローカルコミュニティ政策は、それだけではインクルーシブなコミュニティにはなりきれず、かならず「排除」システムが起動すること。また、ローカルコミュニティ自体が排他性を起動し、そのコミュニティが、構成員ひとり一人の「幸福満足度」をたかめるために、コミュニティ自体の独立性を担保しようとうごくこと。すなわち、その意味でも多様性を排除すること。

社会課題を解決するというNPO、社会企業という仕組みすら、日本ではどうもローカルコミュニティベースに傾きがちになってきている昨今。

ものすごく、思いつきで、インフィニティマークのように動く人がいるよなぁ、って。
伝わるかしら?

posted by 凸凸 at 07:27| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月31日

自分自身の立ち位置

 1/21の奈良 くらしネットフォーラム
 1/29のふわりんクルージョン

 その間に地元 寝屋川での浜松 ダダクリニックのみなさんとの勉強会

数年ぶりのこの話を続ける過密スケジュール。もちろん、この時期のバタバタは当然、おこるわけで。

ついでにインフル渦もくるわけで💦

 奈良は廣瀬明彦さんを偲んで、というより、彼に(清水さんのことばを借りれば)薫陶をうけた奈良のメンバーが昨年からやりはじめたフォーラム。生前、さんざんにお世話になった廣瀬さんへの少しの恩返しの気持ちで、これだけはオーダーを断らず、いつもの「超めんどくさいやつ」を返上して、素直に応じているお話です。まぁ、きっかけは、西宮の清水さんの「やりたないんか!」といういつもの飲み会の席のひとことできまった話だったりしますが。
 昨年は、山田優さんの体調不良によるキャンセルがあり、それはそれという会でしたが、そのリベンジで今年は山田優さんのお話をお聞かせいただき、北野誠一先生と清水さんとのセッションというある意味、いつものメンバーで、西宮でないところでそれをやったという感じもありつつ。
 ですが、なにが違うって、今回は、北野先生をはじめみなさんの「とみたの頭の中、思考をのぞきたい」という恐ろしいオーダーがあり、それにお応えをしました。

 もう二度とないです。暴れ馬を放牧するとどういうことになるか、よくおわかりいただいたとおもいます。

 ききにきていただいた旧知のすばらしい実践家であり理論家の方が、「まとめてほしかった」とFBにお書きいただいていましたが、おそらく聞かれていた方は、私が何を話しているのかが、ほぼおわかりいただけなかったのではないか、と思います。

 講演の時間のはじめにも申し上げたのですが、おおよそ福祉とは無縁の話が、それもばらばらの分野で展開をしていきます。「地域」の話になるとまさにその論理展開になってしまいます。ミドルレンジが私の本来のフィールドなので、全方向性の中から可能性をさぐる方法論を常に頭の中で展開をしつづけていっているのでなかなかにむちゃくちゃになります。
 自分の中では論理性があるのですが、学術的に理論化されているAの分野のものと学術的に理論化されているBの分野のもの でもそのAとBは関連性に言及されていないものを「人のくらし」というリアリズムでつないでいるという論理性はなかなか共有しにくいものなのだとおもいます。
 すいません。って感じです。おそらくは、バラバラで、鮮烈なリアルキーコンテンツだけが残られたのだろうと。
 ただ、講演の中でも申し上げましたが、9月にほんとうに久しぶりに、千葉・ばおばぶの五十嵐さんとお話をさせていただいたときに、「わかりやすい話はしない」という意味のことをおっしゃっていて、それにとても共感をさせていただきました。なんでも「わかりやすく」しないといけないということは、ともすれば、「考えない」「調べない」ことにつながっているいま。みなさんがそれぞれ考えていただければ、と。偉そうですがそんなメッセージを込めさせていただきました(これが前回のエントリーの大学の講師をやめることの理由の一つでもあります)。
 考えましょう 疑問をもちましょう みなさん

 で、一昨日は始発で東京へ。
 いまや超有名人の戸枝さんからの年に1度の生存確認のための出席依頼のふわりんクルージョンなんですが、こちらに関しては、まったく素直でないいつもの「超ひねくれ者」。今回も、さんざんにひねて出演拒否を繰り返しておりました(すいません。私、基本、講演を素直にお受けしませんので。)。
 週末に自分も支援に入っている一人暮らしのメンバーさんがインフルになり、それにかこつけて、ドタキャンも考えましたが、(実はまじにうつされたと思いました。いまはまだだいじょうぶですけど)結果、参加させていただきました。
 こちらは、超有名人の豊中市社協 勝部さん。毎日新聞の論説委員の野沢さん。SNOW DREAMS 山口さん、そして横浜市 小林さん。とご一緒という またしても、気後れする(だれですか、うそだと言っている人は)メンバーの中にぽつりと一人。場違い感満載。
 奈良のときに、山田優さんが、NPO法人 抱樸 の奥田知志さんとのお話をされていました。時期を同じくして、ちょうど寄り添い支援のことで、奥田さんも書かれていた本を読ませていただいていて、そしてまさにこのシンポジウム&分科会での与えられたテーマが、「生きづらさ」を抱える人への寄り添い支援というテーマでした。
 ひねくれている私は、おなじく登壇されるみなさん(周知のかたばかりですので)がおそらくされるだろうお話を予測して、あえての課題提起をもち、私たちとともに歩んでいただいている「多久寛子さん」をお連れしました。多久寛子さんについては→動画です
 生きづらさを抱えるとか、寄り添い支援とかいうと、なぜか発達障害とか軽度の障害の方(だけ)がクローズアップされてしまいます。それは議論を矮小化することにしかならず、課題や問題を覆い隠してしまいます。私は「支援とは何か」「サービスに絡みとられない生活とはなにか」そんな問題意識をもっています。
 今回、当初はやまゆり園の件の話をしてほしいという応えられないオーダーがあり、そのことは裏テーマのように分科会では少しだけ話されましたが、私としては、ご自分によっての「地域」を作り、そこで堂々と「多久寛子」として生きておられる彼女(あたりまえなんですけど)をどまんなかでご紹介させていただくことが当初、そして、今回のテーマに関するお答えであり、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。
 冨田のところの でもなく 寝屋川市民たすけあいの会に支援されている でもなく 重度の知的障害者のでもなく、 そんな冠言葉はいっさいない 「多久寛子」という人をして。

 控え室、分科会はなかなかに濃かったです。何しろあのメンバーでずっと話をしているわけですから。って言っても、野沢さん、小林さんとは15年ぶりくらいに直接お会いしましたし、勝部さんにいたっては20年くらい前に一度お会いしただけなんですけど。すばらしい時間を過ごさせていただきました。
 その中で、地域の中での発達障害の方の支援の話や高次脳機能障害の方の支援の話、そしてその方たちとの精神科医療との話もしました。ちょうど22日に寝屋川で浜松ダダクリニックの方をおよびして寝屋川のメンバーとの勉強会をしていました。その話は、また改めてにします。このときは寝屋川市社会福祉協議会社会福祉法人みつわ会、そして、三家クリニックというメンバーでした。
 そうそう、私の所属する寝屋川市民たすけあいの会はあくまで、地域の触媒役であり、先駆性と開拓性をもつことをミッションにしているので、事業をバンバンやっている団体でも事業所でもないでしし、本来、実践を外でお話できるようなレベルのことができているわけではないです。
 外でお話をさせていただくと、なんだかすごいことをやっているようにきこえてしまって、ものすごく罪の意識にさいなまれます。現場では毎日毎日、うまくいかずへこむことの繰り返しです。「おまえは偉そうにしゃべっているらしいが、なにもしてくれないではないか」といわれるばかり。でも、少しでもなかまを増やし、少しずつ歩んでいくしかない。それが前だろうが、後ろだろうが、右だろうが左だろうが。

 ふわりんクルージョンが終わった後、帰る前に、戸枝さんと少しだけ、お話させていただきました。
 もうすぐお互い50歳。
 「50歳、大きいよな」

 大きな人生の転換期 節ですね。

 今日、また生きていきます。
 
posted by 凸凸 at 07:29| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月28日

今年度で大学などの非常勤講師をやめます

お知らせ?
 私は24歳のときから大学や短大、専門学校の教壇に立たせていただいてきました。2003年に院生を引退?し、ほぼ現場の人としてやってきた間も非常勤講師として、数校行かせていただいてきました。
 
 が、今年度限りで大学、専門学校の非常勤講師はやめさせていただきことにしました。

 いままでありがとうございました。
posted by 凸凸 at 16:21| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月01日

2017年1月1日 新年のご挨拶

 2017年になりました。
 旧年中はいろいろとお世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いします。
 2016年も熊本・大分地震をはじめ、日本国内でもさまざまな災害がおこり、たいへんな一年になりました。
人智を越える自然の力に対して畏敬の念を抱くしかないと同時に1日1日を大切に生きるこを感じる毎日です。

 2016年で4回目の年男をむかえ、日々の生活を見直すことを考えました。
そういった意味では大きく考え方を変えました。おこがましい言い方をさせていただければ、「トップランナー」をあきらめいろいろな意味でプライドを捨てました。自分しかできないこと、自分がいる前提でしかつくっていなかったことを見直しました。少しずつ、休みをつくるようにもしました。また、数年来行っていなかった外にも出て行きました。
 もちろん、すぐには変えられないことも多いので2017年も引き続きになります。

 2017年ですが、いまの予定では、大学院の博士課程に進学したときからずっとやらせていただいていた大学、専門学校の非常勤講師をやめます。ここ数年は半期だけお世話になっていた大学があったのですが、こちらの調整と先方の事情があわず、いよいよやめることになりました。
 逆に、講演などの依頼は、少しずつですが、ここ数年増やしています。いまの予定では、
1月21日 奈良にて くらしネットフォーラム

1月29日(日) 東京 ふわりんクルージョン2017

2月23日(木)北河内高次脳機能障害ネットワーク主催北河内高次脳まつり 高次脳機能障害地域支援の実際

 が決まっています。
 そんなにたくさんの講演をどんどんお受けする気はありませんし、また、そんなニーズもないでしょうが(もう時代遅れでしょうから)、ぼちぼちとやっていこうとおもってます。

 所属団体では、今年はいろいろな意味で打って出る昨年からの流れがより進んでいくと思います。

 本年もどうぞよろしくおねがいいたします。

 
 
posted by 凸凸 at 07:22| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月17日

鈴木大介「脳が壊れた」新潮新書

フェイスブックではたまに、本や映画を紹介することはあるけれど、自分が興味があるとか読んだ、みたくらいの紹介で、この本をぜひ!ということはめったにないのですが、この「脳が壊れた」はぜひ、手にとって読んでみて欲しい一冊です。

鈴木大介さんというライターさん。
私たちの世界に近接している分野の方は目にされたことがあるライターさんかもしれません。「最貧困女子」など社会の「底辺」といわれるところで生活している方たちの現状をルポという形でこれまでも多く取材し、発信してきた方のお一人です。

この本、その彼の仕事のスタンスをもろに反映した形で書かれていますが、中味は高次脳機能障害体験記になっています。一体験記としては、「体験記」としての意味としてのそれぞれの評価がありますが、一番興味深いのは、彼が自分が苦しんでいる症状が、これまで取材などを通して接してきた方たちの「症状」に類似していることに気づくところです。彼の表現をお借りすれば「苦しみを他者に伝えられない」ことであり、目線をあわせて会話ができない、などの症状の共通性を高次脳機能障害と発達障害の共通性や精神疾患をかかえる女性、虐待をうけて育ってきた方の症状との共通性を自分の症状としてのべていくのである。

P232 「やはり原因が脳梗塞であれ脳出血であれ、脳外傷や先天的障害であれ、脳を壊した人間の感覚やパーソナリティの表出には、共通性がある。」

彼はリハビリ医療(←この言い方には違和感があるが)に対して、高齢者にだけ消費されるリハビリをもっと、自分たちが出会っているこどもたち、青年たちにまわしてほしいという。それは、自分が体験したリハビリを発達障害や精神疾患などをかかえるこどもたちのために活用として欲しいと体験から思うからだと。

まさに、これはいま私(たち)が、高次脳機能障害とともに取り組んでいる視点と共通する。
そして、それは批判をおそれずにいえば、いまのリハビリが病院内視点にどんどんと押し込められていて、細分化縦割りになり、トータルな生活的視点を失っていることにもなる。また、リハビリの一番大きな「要因」の一つであるメンタリティーの課題をつきつける。病院での「患者」(役割)でなく、社会復帰したい、社会へ参加したいとおもう「回復(recover)」者へのリハビリの可能性をみせてくれる。

ぜひ、福祉、療育、リハビリにかかわる専門職のみなさんに読んで欲しい一冊である。

https://www.amazon.co.jp/脳が壊れた-新潮新書-鈴木-大介/dp/4106106736/ref=cm_cr_arp_d_product_top?ie=UTF8
posted by 凸凸 at 07:42| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月12日

奈良フォーラム

2017年1月21日土曜日の出番。
北野先生にすごいお題をあたえられています。

いま、お話することを考えていますが、

国の考えていること
これからの社会でおこること、考えないといけないこと

マクロとメゾ

私の思考
あんまり、政策的なことばかりになってもおもしろくないでしょうから、
マクロメゾとミクロ
四つを

四等分して
話させてもらおうかと思っています
posted by 凸凸 at 09:17| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする