2016年05月31日

地域包括ケアを推進と、高齢者福祉の効率化

他の人の書かれた文章をして、それを詳細に紹介するのは少し気が引けるのだけれど、とてもおもしろい話などでご紹介をしたい。

高山義浩さんのfacebookに5月29日に掲載された「対話」だ。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=997883016931872&set=a.167956633257852.47153.100001305489071&type=3&theater

「地域包括ケアを推進することって、高齢者福祉の効率化になるんでしょうか?」

からはじまるこの対話。
学生さんとの飲み会での対話を紹介する形で話がすすむ。

国が進める地域包括ケアの裏側には、どんな思想が隠れているのか。

高齢者の生き方、生かされ方に話はすすむ。

そして、日本の在宅医療というのが、実は、施設介護も含めた「在宅」であること(これはシンポリックマジックなんだけど)を指摘し、

そのことをして、高齢者施設を「効率的」であるのかと問う学生さんに
カルカッタのマザーテレサが運営する『死を待つ人々の家』とタイのプラパットナンプーという寺院のありようをして問う。

高山さんは、「支配はケアではない」と説く(個人的には、ケアはすべて支配的要素を含むと思っているが、ここではそれはことばあそびになるので、彼のいうように)

そして
「病院や施設のシステムに高齢者をはめ込もうとするなら、そのようなケアは支援ではなく支配だ」と私はふたたびオッサンらしく断定的に言いました。「そんななかで効率性をめざすのなら、きっと悪循環に陥るだろう。支配には抵抗する。これが人間だからね」


と。いわれる。

あまりにも鮮やかだ。読める方は、ぜひ、高山さんの原文を読んでいただきたい。
また、朝日新聞にアピタルという連載もあるようだ。
このコラムなんかとてもおもしろい
http://www.asahi.com/articles/SDI201512286224.html

****
マザーテレサの『死を待つ人々の家』とタイのプラパットナンプーの話などは、大学院の時代に、柴田善守先生の「社会福祉の史的発展」の講義を思い出すような話だった。キリスト教と仏教の宗教思想を背景にした「人間」のとらえ方、そこで行われる人と人との営み。「ボランタス」と「共生(ともいき)」の思想。

他方で、「近代医療の支配」と地域包括ケアシステムがめざすのは、医療の支配なのか、それとも違うのか、ということを考えないといけないような気がする。
posted by 凸凸 at 07:31| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月25日

ほんとうに欲しかったのは?

 豊田勇造さんというシンガーソングライターの歌に「そんなんやない」という歌がある。
  
  屋根瓦続くこの街が
  大切にしてきたものを
  今に生かす工夫をして
  出来るだけ余分な事をしない
  俺が好きなのは そんなんや!

  もう止めてくれ妙なモノづくり
  俺たちの街をいじく回すのは
  もう止めてくれ妙なモノづくり
  俺たちの国をいじくりまわすのは
 
  本当に欲しいのは そんなんやない!

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私は

「当事者」でないものが、「当事者運動」が。。。ということには抵抗がある。

 しかし、いまの状況からすれば、地域生活支援は突出した一人の生活実態では進まなくなってきている気がしている。
 運動がなく、ダラッとした制度しかない自治体でできることは、ゆっくりとした全体のシステマティックな底上げ、しかなくなる。

 それももちろん、必要なことだ。
しかし、あるラインまでくると、現状のシステムメンテナンスにいっぱいいっぱいになり、もう一歩先にはいかない。

 制度の中で、制度に左右される生活 

 それでいいのかもしれないが、それがほんとうに望まれている生活か?と。

 それが自己決定であると言われれば、私たちは選択肢を増やすことをせざるを得ない。自己選択できる選択肢を増やすことで、定められた自己決定の枠を広げて自己選択をしていただけるように。しかし、みんなで、システマティックにやることは、選択肢もまた、制度枠内の選択肢を示すことにしかすぎない。
 運動の方向性が、制度の枠の中で行われ続けていけば、その運用は、最終的に、ご本人とご家族の責任に帰する。それが求めてきたものか?それがほんとうに欲しかったものなのだろうか。

 この大きな波にのまれて、みな、生きることに強いられている。

 もう一度言う。ほんとうに欲しかったのは?

 
posted by 凸凸 at 07:52| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月03日

大規模災害をして思っていること

 このたび、熊本県を中心とした九州地域で発生した地震により亡くなられた方々へのお悔みを申し上げますとともに、被災されたみなさま、そのご家族のみなさまに心よりお見舞い申し上げます。 また、皆様の安全と一日も早い被災地の復興を心よりお祈り申し上げます。

 熊本・大分地震が起こって、半月がたった。

 今回は私自身は動けず、大阪からいち早く、また機をみて活動を行っているみなさんの活動を気持ちだけ応援している状況である。東日本のときもそうだったが、日常が落ち着いて余裕がないとなかなか直接の活動はできず、ネットをみながら、つながっているみなさんに情報を整理して流しているのが関の山である。悲しいかな。
 しかし、そんな自分でもできることは、もし、自分の地域で起きたら、を考えることである。考えるだけではだめなんだけれど。

 熊本大分地震 5月2日の時点でまだ2万人の方が避難所に身を寄せられているそうだ。

熊本県などでの一連の地震で熊本県内の避難所に身を寄せる住民の数が、最多の18万人余を数えた本震翌日に比べて1割強になったことが、県の調べでわかった。それでもなお2万557人(2日現在)が避難所にいる。熊本市は6日に「復興部」を立ち上げ、生活再建への取り組みを強化する。
 県によると、本震翌日の4月17日朝には、855カ所に18万3882人が避難。だが5月2日現在では、396カ所で2万人余りになった。(朝日新聞より抜粋)


 本震翌日の4月17日朝には、18万人以上の方が避難されたとある。

 今回の地震被害でつくづく日本の現行の災害対策では大規模の災害には対応できないことが露呈しているように感じている。それは、滑落した山や土砂災害の対策や耐震の話ではなく(そんな話が多く散見されるが)、リアルな被災されたみなさんから出てきている「避難所」中心の災害施策のありようについて、である。

 今回の地震でずっと目にしているのが、車中泊である。これまでに類のないといわれる継続する地震の恐怖に屋内ではなく車に避難をしておられる方。
 地震直後からyahoo個人ニュースでずっと発信している方の昨日の配信も車中泊。そこに書かれている被災者の方の思いにいまの日本の災害対策の限界が如実に表れているように感じる
(私はちなみにこの配信者の方の行動や内容に全面的に賛同しているわけではない。念のため)

【避難所からのメッセージ9】漂流する車中避難者のいま
http://bylines.news.yahoo.co.jp/horijun/20160502-00057305/ 

 行政が指定している避難所のそもそもの耐震性がこうして指摘されるが、行政の関係者はそもそも、市民のどのくらいの方を避難所で受け入れられる想定で災害時の計画を作っているのか、明らかにすべきである。はっきりと、全員は入れませんと言っておくべきだ。

(私が無知ですべての市民の受け入れを前提に災害計画をつくっておられる自治体があれば、教えていただきたい)

となると、避難所はあくまで避難支援拠点となるステーションであり、という前提で災害支援計画をつくっておくべきだというのが1点。

 もう一点は、仮設住宅を前提にした復興計画には今回のような規模の災害には規模的にもスピード的にも限界があるということ。
 アルピニストの野口健さんがテント村プロジェクトとテントを送ってという支援を展開
 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/241050
 これは一時的な車中泊対策という評価ですが

 タレントの清水国明さんが仮設住宅でなくトレーラーハウスを
 http://www.j-cast.com/2016/04/19264430.html

アメリカとかでは、仮設住宅ではなくトレーラーハウスとのこと。

日本の国土にトレーラーハウスがあうのかという話は当然議論になるでしょうが、
今回のような災害が起こることをかんがえれば、日本の一大産業が車産業であるのであれば
その技術の応用から、日本の国土にあった「カーハウス」を開発し、自動車産業の社会貢献、自治体との連携によって、全国に1万台くらい常備(各自治体に10台くらい)しておいて、災害が起こったときに、広域のオペレーションをプランニングしておいて、1週間以内に必要台数を被災地域に、送ることができるようなそんなイメージをもてないだろうか。

 阪神淡路 中越 東日本 ときて、医療救急チームの緊急支援などはずいぶん進んだし、民間の物流復旧オペレーションもずいぶん進んだ感じがあるけれど、なにか根本的なものに突き当たっている感じがする。
 
 今回もまだまだ地震からの復旧がはじまったばかりですが、東日本をはじめ、全国各地のいろいろな災害で被災された方、地域の復興はまだ終わっていないところも数々あります。

 災害列島という呼び名は好きではありませんが、超高齢社会の日本は確実に災害に弱い社会になるわけですから、根本的な発想の転換をさまざまな側面で考えなければならないとつくづく思います。

この文章、もう少し後に書こうと思っていましたが、九州に比較的近い大阪でもすでにこの災害のインパクトは薄れつつあり、首都圏はすでに薄れてきているいう話もあり、また今月末に伊勢でサミットがあり、どんどんそっちにマスコミの意識は移っていくだろうと思いこの時期に書かせていただくことにしました。
まだまだ復興フェイズに変わっていないのに、心苦しいのですが。。。


 
  
 
posted by 凸凸 at 06:57| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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