2019年02月15日

2019年度の報酬改定の資料がでました

消費税や政策的な要因で2019年度は報酬改定の年ではないにもかかわらず、報酬改定が行われます。

その資料が今週、介護保険、障害福祉ともでました。

第168回社会保障審議会介護給付費分科会(ペーパーレス)資料

https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000202420_00014.html

第5回「障害福祉サービス等報酬改定検討チーム」資料
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000167016_00009.html?fbclid=IwAR1fBi5j5ccJeW6vmhbnJq5Zn74Z7mBxAVRBDowTo7ZaRel7zBoQdoWrmx4
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2019年02月08日

「偶発性」そして、「分断化社会」

 昨夜、たまたま、TVのチャンネルをまわしていたときに、目について、しばらく観ていた。この「落合陽一×宮台真司 対談」。
おそらく最後の数分だけをみていたらしい。それが動画で全部見ることができる(まだみていない)。

落合陽一×宮台真司 次の時代をどう生きる #日テレNEWS24 #日テレ #ntv
http://www.news24.jp/articles/2019/02/08/07416470.html

そもそも、私は、落合陽一さんという方を先日、ちまたで大騒ぎになった対談ではじめて名前をしり、そのあと、荻上チキさんとのtwitterでのやりとりから興味をもって少しみたり、読んだりするようになったので、あまりよく知らない。

この対談の後半で、人間=ヒューマンがヒューマンであるための という文脈で、「偶発性」という「ことば」が語られる。

ネットの要約やポータルの紹介のタイトルはこのことばが使われている。
http://news.livedoor.com/article/detail/15990801/

そのことばに至るやりとりや、タイトルにもある「ポスト平成時代(このことばそのものには違和感が満載だが)」におとずれてくるであろう「社会」の語りの中で、

たとえば

昭和時代に「SFの世界で描かれていたような」システム社会の実現の中で、

人間が人間であることは「脱身体化」していくだろう想定は、一定の説得力のある風な議論で、その中ででてきたヒューマン=「偶発性」は議論としては興味深かった。

しかし一方で、私が気になったのは「分断化」というワードだった。

実はこの「分断化」というワードについては、正直、あまりことばの規定もされずに使われていたような感じもしたし、お二人の議論がかみあっているのか、かみあっていないのかも、再度、きいたり文章化されてこないとよくわからない感じもあった。

しかし、この「分断化」についてはかなりひっかかった。

たとえば、インターネットの検索で「分断化社会」を検索してみると、そこには大きく二つの「分断化社会」の解釈が出てくる。
一つは、社会の「再階級化」と言われるもので、グローバル社会の中で世界中で起こっている「階級化」を20世紀から21世紀を語る中ででてくるもの。
そして、もう一つは分極化(polarization)と言われるインターネットによる分断化である。
たとえば、http://www.fujitsu.com/jp/group/fri/column/opinion/2018/2018-7-6.html 
これは最近「GAFA」などの話題の中でもよく取り上げられる。

しかし、対談の中での印象は、この2つのコンセプトを意識しつつ、今後の社会の中では新たな「分断化」が起こってくるというようなニュアンス(ととれる)議論が展開された印象だった。

身体代替的なテクノロージーや空間代替的なテクノロジーは、たとえば、ひきこもりで家から一歩もでることができない方の就労をバーチャル社会だけではなく、実際の社会の中でも可能にする。ねたきりの方でもそうだ。
これは、実際に先日、オリィ研究所と、一般社団法人分身ロボットコミュニケーション協会(ARCA)が、「オリヒメ(OriHime)-D」での喫茶店の運営というプロジェクト
https://www.timeout.jp/tokyo/ja/ニュース/重度障がい者らが操作-分身-ロボットが運営するカフェオープン-082318
で、構想されている。

「障害」とは社会参加を制限されていることであるから、まさにテクノロジーによる「障害」をなくすこころみである。もともと、社会の「分断化」の現象は、階級化を生み出す(国家政治的な要因ではなく)個人因子、環境因子によるものから生み出されるものが多く、その典型的な因子は「障害」である。また、情報へのアクセスという意味でも「障害者」は高い障壁と「障害」を被り「分断化」されている。

こういった現存する分断化の要因が、仮に身体代替的なテクノロージーや空間代替的なテクノロジー、また(倫理上はかなり問題があるが)生物学的ボーダーなテクノロジー(たとえば、動物やロボットと恋愛するとか性行為をすることができるようになるとか、クローン人間が誕生するとか)の「進歩」によって、分断(化)の価値(というか実際的な線引き)が大きく変わってくることが起こりうるという議論が可能になる。

また、テクノロジーの進歩が「知」による分断ではなく、論理を理解することができるか否か、「知」に対するヒューマン(人間固有的)なアクセスができるかどうか、による分断に置き換わっていくのではないかとう議論が可能になる。(この文脈から「偶発性」がでてきたような)

という議論の展開だったような。(必ずしも、対談を紹介しているわけではないので、うけた印象を自分なりに書いているのでご容赦)

ただ、宮台さんが「資本主義にはもはや抗えない」といいつつはじめた議論なので、前提には「資本主義」ありき。

仮に「わたしたち」が、

人間が人間であることが「偶発性」であるならば、それは人間関係の中から生み出されるものであって、

と、おそらく言い始めることと、同じ言葉(コンセプト)をしてもここまで議論が違ってくるのかというおもしろさ。

そんなことをこの対談をして思いました。

posted by 凸凸 at 19:35| 大阪 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする