2020年01月18日

ストリートピアノのマップをつくりたい 協力のおねがい

私は楽器が弾けませんが芸術で街を豊かにする取り組みに興味があります。

日本でも少しずつ広がっていると言われるストリートピアノ。

もっといろいろなところに設置してほしいという思いからマップを作りたいと思います。
特に「駅」や「道の駅」など不特定多数の方が通られるところに設置してほしいと願っています。

ストリートミュージシャンがたくさんいる昨今。もっとあっていい、って。

サイトやブログで紹介されているものはたくさんあるんですけど、パッとみてわかるものをみんなで作りたいと思って。

調べてみるとSNSのグループやサイトもあるようなんですけど、実際に弾く人たちが盛り上がっているようで弾けない私などはちょっと。。。

まちづくりを考えたい人たちで盛り上げたいと思っています。
もちろん、好きな方が書き込んでいただいても全然OKです。

Googleのマイマップで用意しています。

常設と期間限定を分けてプロットできればとおもいます。

Googleマイマップの使い方がわからないって方は、コメントやDMでも大丈夫です。

ぜひ、身近な街にあるストリートピアノ教えてください。

毎年、ジャズフェスやっている高槻なんて、ぜひおいてほしいし、京阪の寝屋川市駅や香里園駅、枚方駅にもあったらいいのに。って。
そんなムーブメントを作り出せればと夢想しています。

ご協力おねがいします。

#ストリートピアノ
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2020年01月13日

「地域」を考えると関係人口〜過疎問題から視点を得る

 特に福祉関係者は「地域」が好きだなぁと思う。自分がいわゆる「福祉」関係に近いところにいるからかもしれないが、つくづくそう感じる。
いわゆる日本型福祉といわれることばが政策的に出たのが1970年代。そして、そのころ、福祉分野にも地域福祉ということばがうまれている。

 地域福祉ということばは、Community care というイギリスのコンセプトからの訳語からといわれている。
1990年代に入り、日本の福祉政策が劇的に転換してからとくに地域福祉がいわれるようになり、2000年代の社会福祉関係法律の改正によって法律制度にも位置づけられた。
 1980年代からの現場的な地域福祉は、住民運動、地域改良的な活動と1990年代のアメリカからの障害者の自立運動とのリンクからの脱施設思想とともに、かたられることが多かったように思う。前者は保健所を中心とした地域医療や公衆衛生、そして日本独特の社会福祉協議会の住民主体活動との関係で語られ、後者はノーマライゼーションの思想との混在をみながら、個別具体的な運動として発展した。1990年代も半ばになると政策的転換ともあいまって、「サービスエリア」としての「地域」が語られるようになり、このころから、社会学、経済学的なコミュニティ、自治体政策的な視点からの地方自治論や地方財政論から地域が本格的に議論されるようになった。

 1990年前後のバブル期からいわゆる「失われた20年(最近は30年ともいうらしいが)」、都市圏への人口集中→東京圏への人口集中という現象が指摘されて、現象としてもその流れは一気に進んだ。現象としてはもっと前、高度経済成長期からはじまっている現象だが、田中角栄の「日本列島改造論」やバブル期の過剰な地方への公共事業の見境ない投資開発により、その現象は本質論として中心的に語られることは少なかった印象がある。地方経済の崩壊、エネルギー革命などそれらの現象は循環しながらどんどんと進んでいく。

 その中で、過疎ということばが使われるようになった。
 
高度経済成長のなかで地方から大都市への人口の大量移動が進行し、地方の過疎化と大都市の過密化が大きな問題となった。一九六七年(昭和四二)一一月に経済審議会地域部会が報告書を提出し、「人口減少地域における問題を『過密問題』に対する意味で『過疎問題』と呼び、過疎を人口減少のために一定の生活水準を維持することが困難となった状態、たとえば防災、教育、保健などの地域社会の基礎的条件の維持が困難となり、それとともに資源の合理的利用が困難となって地域の生産機能が著しく低下することと理解すれば、人口減少の結果人口密度が低下し、年齢構成の老齢化が進み、従来の生活パターンの維持が困難となりつつある地域では過疎問題が生じ、また生じつつあると思われる。」と述べ、以後「過疎」という言葉が定着した(今井幸彦『日本の過疎地帯』)。

 実はこの今井の著作は1968年に出ている。まさに高度経済成長の最中である。

 この日本の過疎地帯とともによく引用させていただくのが、「限界集落」。

社会学者・大野晃が、高知大学人文学部教授時代の1991年(平成3年)に最初に提唱した概念である。過疎化などで人口の50%以上が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭などを含む社会的共同生活や集落の維持が困難になりつつある集落を指す。

ことばだけが一人歩きしているという批判もこの「限界集落」にはあるが、問題と課題提起をした意味は大きいといわれる。
高齢化が著しく進んだ「集落」がその生活(生産)維持機能を持ち得なくなるという批判は実は中山間地域や離島だけに限らない。今井の「日本の過疎地帯」の中にも、実は大野がはじめに指摘した「限界集落」に当たる集落や消滅した集落の話はでてきている。

その後、20年あまり、この限界集落の議論はさまざまな波紋をもたらしながら、集落機能、地域機能の維持、循環とは何かという議論と実践が行われてきた。また、社会基盤の変化も見逃せない。他方、平成の大合併による自治体再編についても大きな変化要素といえるだろう。

2010年代入り、災害が頻繁に起こる中で、単に日常的な生活機能や生産機能の維持だけではなく、インフラの維持や災害の対応力といった課題が露呈してきている中で、新たな様相を見せている。


そしてここ数年、国 総務省が盛んに使い始めているのが関係人口という考え方である

「関係人口」とは、移住した「定住人口」でもなく、観光に来た「交流人口」でもない、地域と多様に関わる人々を指す言葉です。

地方圏は、人口減少・高齢化により、地域づくりの担い手不足という課題に直面していますが、地域によっては若者を中心に、変化を生み出す人材が地域に入り始めており、「関係人口」と呼ばれる地域外の人材が地域づくりの担い手となることが期待されています。

総務省 ポータルサイト

従前の移住や定住者による「地域」の考え方をかえるともいえるこの打ち出しは単に、単なる新たな予算獲得の方法であるという批判も一歩であるが、「地域」というものを考えるなかでは、大きな転換点になる可能性もある。

過疎問題といわれる人口構成の著しい高齢化とそれにともなう、「そこに住み続けられなくなる」要素は積み上げられている。

そして、それは、単に高齢化が進みエリアということではなく、交通問題や買い物難民といった問題にも連続性をもっている。また、もっと注目すべきは、狭いエリアの中で経済が完結してしまうことの弊害である。里山時代の中山間地域は自然との連続性をもって、その問題を解消することができたが、都市部ではその自然との連続性がおこらず、消費にのみ偏り、人口構成の変更をうながすしか方法がないと思ってしまいがちである。1970年代80年代に開発されたベッドタウンでは、これから本格的にこの問題を抱えていくことになる。その解消のコンセプトとして「関係人口」は注目すべき考え方であると思っている。


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2020年01月11日

暮らしネットフォーラム5〜廣瀬明彦氏を囲んで〜『この国は、ほんまもんの「共生社会」へ向かっているのか?』

以下のBLOGからの転載です。

とみたも登壇させていただきます。


みなさま、お待たせいたしました。この季節を熱くする今年度の「暮らしネットフォーラム」の案内です。

数えるコト5回目のこの企画。今回のテーマは『この国は、ほんまもんの「共生社会」へ向かっているのか?』です。

これから「障害者権利条約」の審査や「障害者差別解消法」の改正が行われます。それらの動きを踏まえながら、この国はまやかしではない「共生社会」への道を歩んでいるのかということを問いながら、一方で私たちはそれに対してほんまもんの「共生社会」に向かうべく、何をどうすべきであるのか、を考えるフォーラムです。

今回も基調講演にはDPI日本会議の尾上浩二氏をお招きし、条約審査や差別解消法の改正などから見える動向を踏まえ、とても大切なことをお話しいただきます。思いを共有しましょう!
また寝屋川市民たすけあいの会の冨田昌吾氏からは恒例になりました『思考の回路』シリーズをお願いしており、今年もここでしか聞けない内容を話していただきます。頭をフル回転させて”考え”ましょう!

で、最後のシンポジウムは”まとまらない”いや”まとめられない”何でもアリのシンポです。ほんまもんの「共生社会」、私たちはそれぞれ「どうやって」創り出していくのか。

考える、そして行動する、みなさま今年も「暮らしネットフォーラム」にぜひご参加ください!

暮らしネットフォーラム5〜廣瀬明彦氏を囲んで〜『この国は、ほんまもんの「共生社会」へ向かっているのか?』

日  時:2020年2月29日(土) 10:30〜16:30
場  所:奈良県社会福祉総合センター 6F第ホール
参加費:2000円

≪開催プログラム≫

  9:30受付 10:15開会
10:30基調講演『この国は、ほんまもんの「共生社会」へ向かっているのか?』
     講師:尾上浩二氏 認定NPO法人 DPI日本会議副議長 特定非営利活動法人ちゅうぶ代表理事

12:00休憩
13:00講演『次代を斬る! 思考の回路4』
     講師:冨田昌吾氏 寝屋川市民たすけあいの会 事務局長
14:15休憩
14:30シンポジウム『この国で”どうやったら”ほんまもんの「共生社会」を創り出せるのか?』
     シンポジスト: 清水明彦氏 西宮市社会福祉協議会 常務理事
               尾上浩二氏 DPI日本会議副議長 ちゅうぶ代表理事
               冨田昌吾氏 寝屋川市民たすけあいの会
               藤本貴久氏 eight代表理事
     進     行: 北野誠一氏 共生のまちづくり研究・研修所
16:30終了
17:30懇親会 19:30終了


こくちーずからもお申し込みが出来ます

暮らしネットフォーラム5 2020年2月29日(奈良県) - こくちーずプロ https://www.kokuchpro.com/event/f1c1635ebbea4822002bce4ff94a664a/ @kokuchproさんから


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posted by 凸凸 at 06:27| 大阪 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月04日

「働く」「稼ぐ」「仕事」 あらためて「しごと」

昨日のFBの書き込みに以下の「特定地域づくり事業」のことをエントリーしました。

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これなぁ、過疎地とは書いてないけど、基本は過疎地限定なんだろうなぁ。実際はもう少し広い適応範囲を考えて欲しい。都市部でもOKしてほしい。
いまの労働者派遣法に基づいて、労働者派遣事業をやろうとすると、ハードルが高すぎる。かといって、グレーゾーンの有償ボランティア/地域通貨、介護事業所、障害者就労系事業所を大々的に地域の働く仕組みにするのは難しい。
ひきこもり支援も含めて、いまの仕組みのハードルを「小地域共同的」に規制緩和する(かつ、既得権域にしばられない)ことをしてほしい

『労働者派遣法の特例』を含む地域人口の急減に対処するための特定地域づくり事業の推進に関する法律について
https://www.jassa.or.jp/…/upl…/191225tokuteichiikidukuri.pdf

https://www.jassa.or.jp/information/detail.php…

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興味のある方はそれぞれの資料をみてください。

こういった「仕事」作り出して、地域を活性化させる取り組みって、実はこれまでも地域ベースでいろいろと行われていました。

たとえば、↑の事業のおそらくモデルの一つになった岡山県奈義町の「しごとスタンド」

岡山県奈義町が創った「新しい仕事の形」 「地方は働く場所がない」という不安を解消 | 岡山県奈義町 - 東洋経済オンライン https://toyokeizai.net/articles/-/268047 #東洋経済オンライン @Toyokeizaiより‬

 https://www.kantei.go.jp/jp/singi/sousei/meeting/shoshikataisaku/h31-04-15-sankou1.pdf

古くは、島根県の海士町や岡山県の西粟倉村などなど。(西ばっかりの紹介ですけど)

あたりまえだけど、上の新聞のタイトルのように、「地方は働く場所がない」というパターナリズムなんですよね。

東京のホームレスの多さを支援団体の様子から見聞きしていると、ほんとうに「働く場所」がないのは、いったいどこなんだろう、と思ってしまったりします。30年前のゴーストに支配されているんじゃないって?ちょっと、本題からずれました。

いまの労働者派遣事業って、どこまでいっても企業の雇用調整弁のような事業になっていて、調べてみるとわかるけど、労働者派遣事業そのものの参入のハードルってかなり高い。少なくても、非営利でやろうと思っても難しい。高齢化の進んだ都市中心部や都市近郊部で実はこんなことをやりたいと思っても難しかったりします。

障害者就労支援の仕組みで、就労継続B型をつかって、「障害のある人」たちが地域貢献的な事業をする。

有償ボランティアの仕組みをつかって、地域通貨とかの活用で地域貢献的な事業をする。

それこそ、豊中市みたいに、ボランティア活動・地域活動として、行う。

これくらいしか思い浮かばない。もし他の方法があったら教えていただきたい。

なにを思っているかというと、シルバー人材センターの若い人版。働く側に重点をおいた上記のような取り組み。

障害者就労からボランティアはどちらかといえば、地域貢献が主になり、「動く側」に重点が置かれていない。

シルバー人材センター事業や特定地域づくり事業は、「働く側」に重点が置かれている。

高齢化の進む都市中心部、都市近郊部、特にどちらかといえば、所得階層がそれほど高くない地域。高度経済成長期に開発され、高齢化が進む地域。

あ、念のため 既存の方法や工夫を否定していないので。障害者就労、有償ボランティア、地域ボランティア、それらが進められればいらないのかもしれない。けれど、いわゆる過疎地、地方で展開されている取り組みが、何度もいうけど、都市部、都市近郊部に合わないとは思わない。それが、企業活動の妨げになるとも思わない。すでに、個人商店はほぼ壊滅して、細やかな暮らしをささえる企業や商店はほぼないわけじゃないですか。

そんなことを考えていると、学生時代に読んだ内山節さんの本を思い出す。

働くことの変化を、「稼ぎ」と「仕事」として対比し考察した(『情景のなかの労働』『自然・労働・協同社会の理論』等)。

村人が言葉を使い分けていることに気づく。「稼ぎ」と「仕事」だ。「仕事をする」「仕事に行く」という場合と、「稼ぎに行く」というように。

内山節さんの「働く」の考察をあえて逆説的に。「しごと」がすべて「稼ぎ」になったいまの都市生活者の中に、やはり「稼ぎ」をつくりださなければ、都市中心部や都市近郊部の人たちに届かない。そして、それを企業の雇用安全弁ではなく「しごと」を作りだしていくことで、地域(注:あえてコミュニティということばは使わない)での暮らしを支え合う、そんな取り組みが必要な地域も少なからずあるように思うのだ。

(勉強不足な私に何か、知恵をさずけてくださいな。笑)


posted by 凸凸 at 16:39| 大阪 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月01日

オープンイノベーションと関係人口

2019年のふわりんクルージョンに関係する話は12月22日のBLOGに書きました。そのエントリー自体は、戸枝さんの終わりの挨拶に私の名前がでた衝撃から今後を憂うという書き方をさせていただきました。

2019年のふわりんクルージョン、有名な川北秀人さんと岡山NPOセンターの石原達也さんとご一緒させていただいたのは、とても刺激的な時間でした。

少し批判的になってしまうのですが。

私が寝屋川市民たすけあいの会の活動に参画するようになったのは、1990年代のはじめ。

中学校、高校時代にいわゆる重い障害のある級友との出会いから、現在の小規模作業所づくりの「走り」のような活動に入り、大学時代は環境社会学のゼミに入り、富山県五箇山のフィールドワーク、静岡・藤枝の水車村。ネットワークということばが日本でも少しずつ紹介されることをして卒業論文を書きました。そんな自分が、大学院の博士課程に進学する前にきっかけがあって寝屋川市民たすけあいの会にかかわるようになりました。まぁ、当時 会の活動はほぼ行われておらず、そこからいろいろなことを興していくわけですが。

寝屋川市民たすけあいの会の10周年記念誌は「たすけあいからのネットワーキング」というタイトルで上程されています。これは私がかかわる前に発行されたものですが、1989年に編纂された書籍の中に「ネットワーキング」ということばが入っていること自体すごいことだと思います。「住民主体のネットワーク」ですね。このフレーズにはときめきを覚えましたが、一方で現実との乖離に悩まされたものです。

1990年代は、ボランティア活動が少しずつ社会的に認知を広めていった時期です。学生が夏休みの間にボランティア活動を行う、といったことが全国的に広まりはじめ、その是非が議論されていました。一方で、バブル期の終わり頃にいたる90年代のはじめは、CSR(企業の社会貢献活動)の議論が盛んに行われていて、市民活動が一部の地域ですが盛んになってきていた時代でもあります。

そして、1989年のいわゆるゴールドプランが策定され21世紀の高齢(化)社会の議論が本格的に行われるようになります。住民参加型サービスがおこりはじめるのもこのころです。旧前の「社会運動」と結びついているものもあり、また、まったく新しい形のムーブメントもおこりはじめます。

高知大学の大野先生が「限界集落」ということばを提唱したのが1991年、その時期に、私自身は当時、高齢化率が全国で最も高かった山口県の東和町で開かれた「過疎地サミット」に参加しています。

1995年に阪神淡路大震災が起こり、こういった活動が一気にいい意味でも悪い意味でも「集積」し、「NPO時代」に突入していきます。

最近はNPOとそのリーダーたちを世代分けする議論も散見されますが、私自身は、すでにほとんどの2000年以前に設立されたNPO(市民団体)が、NPO法人とその活動形態を保持できず、消滅しているか、活動形態を変えていることをして、やはり特定非営利活動促進法ができた1998年、まあ、2000年を境にして、前史とNPOの時代のスタートが区切られている気がします。つまり、NPOや市民活動の「事業化」です。

1990年代の後半に、寝屋川市民たすけあいの会の活動に参加をしていた私は、地域の中でのネットワーク活動に積極的に取り組みます。寝屋川市民たすけあいの会自体はボランティアさんたちが集まる拠点のみをもっている団体ですから、自分たちだけで事業を行うことはほぼできません。場所も他を借り、お金は寄付と会費とバザー、人はボランティアでやっているわけですから、ボランティアコーディネートといっても、いろいろな団体組織とのつながりを強くもっていくことが活動の下支えになります。少し思い出話的ですが、1995年の阪神淡路大震災のあと春に寝屋川で支援イベントを行いました。会が発足当初からボランティア先としてお世話になっていた老人ホームの職員さんたちとの協働事業で、寝屋川市民会館の大ホール・小ホールを借り切り、市内の市民団体障害者団体に声をかけ、イベントとバザーで一日で400万近いお金を集めました。1000人から2000人以上の方が参加してくださったと思います。そのあと、その活動は、市の環境イベントでのフリーマーケットの開催を担うという流れに動きます。足かけ3年間行ったイベントは10万人以上を集めるというイベントになりました。

なぜ、こんな昔話を書いているのか、というと理由は2つあります。一つはこの頃のネットワーク・エネルギーを検証し、いまの時代に生かしていくためのヒントを整理したこと。もう一つは、批判的なと書いた理由と深くかかわかります。

90年代の終わりに先に書いたとおりに、寝屋川市民たすけあいの会は、ネットワーク型の活動を深く行い、かかわった方、かかわりはじめた方たちの発想と「やりたい」という気持ちに共感し、主にイベントではありますが、どんどん行っていきましたが、まだ、当時は大阪ボランティア協会からの支援を資金的に中心に運営を行っていました。大阪ボランティア協会は「創出会議」「予算会議」というものを行っておられて、その会議に出させていただくようになりました。その中で私は、徹底的に「事業の運営」は「善意」ではできないということを言われました。思えばいち早く「事業化」のspiritをたたき込まれたわけですね。当時は正直ものすごく反発しました。大阪ボランティア協会がきっかけになって生まれたといっても、別組織。いまは法人解散されましたが隣市にあった「北河内ボランティアセンター」との支援の差など、会の内部での不満もあり、その後、完全な自立(自律)運営にいち早く舵をきります。1990年代の終わりに行ったその流れが、大阪ボランティア協会と共有できず、まさに、「人・モノ・情報知識」をシェアリングすることができなかった。資金の話だけに終始してしまったことが、いまとなってはとても悔やまれます。

今回、岡山の石原達也さんのお話をおききしていて、寝屋川市民たすけあいの会の「産みだし」が、戸枝さんが制度外から「支援」を生み出してきた同志として評価していただけたとしても、それはあくまで「クローズ(閉じる・接近する)・イノベーション」にすぎず、もともと、私自身がもっていた意識と乖離しているように感じて「しまいました」。

2020年、私のテーマは「オープン・イノベーション」。動きます。

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オープンイノベーションという概念が生まれたのは2000年代の初め。米ハーバードビジネススクールのヘンリー・チェスブロウ博士により提唱されたイノベーションに関する概念の一つです。その概要は次の通りです※。

「オープンイノベーションとは、企業が技術の価値を高めようとする際、内部のアイデアとともに外部のアイデアを用い、市場化の経路としても内部の経路と外部の経路を活用することができるし、また、そうすべきであると考えるパラダイムである」

「オープンイノベーションは、企業が自らのビジネスにおいて外部のアイデアや技術をより多く活用し、自らの未利用のアイデアは他社に活用させるべきであることを意味する」

「オープンイノベーションとは、内部のイノベーションを加速し、イノベーションの外部活用市場を拡大するために、その目的に沿って知識の流入と流出を活用することである」

※出典: 文部科学省 「平成29年版 科学技術白書

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オープン・イノベーションで「死の谷」に橋を架ける

図:インサイド・アウト型オープン・イノベーション
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基本的に、この言葉は製品開発の企業の中で使われるものであり、ちょっと、私のような門外漢がことばを使うことに違和感を感じられるかもしれません。上の図など、製造工程をもとに作られたものですから、NPO活動とは全く関係ない典型ですよね。
ITに詳しい方はオープンソースの代表格であるLinuxなどを思い浮かべられるかもしれません。

しかし、私はあえて、この「オープン・イノベーション」というコンセプトを掲げたいと思います。

上記、「オープン・イノベーションで「死の谷」に橋を架ける」の中で、バーチャル組織が関係型になることが指摘されています。よく私たちの世界でいわれる「プラットフォーム」もリアルに人が集まって作られていても、基本的にはここでいう「バーチャル組織」のような(あくまでも【ような】ですが)になります。つまり、内部のリソースを連続した形で外に出し外部の団体とプロジェクトなどで結びついたとしてしても、それは内部のイノベーションにはならず、外部のインキュベートで終わってしまいかねません。

最近、地方創生の世界で「関係人口」ということばがつかわれるようになってきています。参考https://nativ.media/9544/
寝屋川市民たすけあいの会は40年を超えた活動を行ってきました。そのかかわりは、小さな寝屋川市というまちの中にとどまらずたくさんの応援者を得てきました。全国各地に応援してくださっている方がおられます。まさに、そのことを実感したのが2018年9月4日の台風21号の被災でした。昔かかわったことのあるかた、常に応援してくださっている方、新たに知って応援してくださっている方。
大阪の小さな町の小さなNPO活動をこんなにもたくさんの方が応援してくださっている。それは、この資料でいう「交流」ではなく「関係」してくださっている方がいてくださる。
でも自分たちの活動の毎日はともすれば、
クローズで、内向きで、自己完結的で、「応援お願いします」「支援お願いします」とか、しか言わない活動になってしまう危険性があります。
もちろん、これまでもそうならないように、寝屋川市の私たちの支援活動は、全国どこでもある課題をクローズアップし、その必要性を訴えかけていいく、発信をするということをしてきました。

しかし、先に書いたように、「オープン・イノベーション」のコンセプトを頭において考えると、
「内部のアイデアとともに外部のアイデアを用い内部の経路と外部の経路を活用することができる。自らの未利用のアイデアは他社に活用させるべきであること、その目的に沿って知識の流入と流出を活用することである」ができているようには思えません。

2000年前後にNPOが法人化してきたときに、ガバナンス、マーケティング、コンプライアンスが重要視され、「企業化」しました。そして、いまや社会課題解決は営利企業の独壇場になり、どんどん、NPO法人のような中途半端な非営利法人の出番は少なくなっています(ちなみにここで、中途半端でない非営利法人は社会福祉法人をさしています)。

「寝屋川市民たすけあいの会」の40年のレガシーを内部だけでなく、外部に活用してもらうために、「寝屋川市民たすけあいの会」という極めてローカルな名前を冠する団体組織にいながらも、寝屋川市外にも出て行くことを「オープン・イノベーション」のコンセプトに基づいて行っていく。
まさに「人・モノ・情報知識」を動かしていくことを考えています。それはまさに、寝屋川市民たすけあいの会もイノベーションしていくことになっていきます。
まだ、オープンにできる時期ではないですが、春までには、具体的にいくつかのことをアピールできるように準備を進めたいと思います。

2020年 大変長い、年頭のメッセージになりました。 どうぞ、よろしくお願いいたします

posted by 凸凸 at 00:00| 大阪 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする