2009年05月12日

「事件は現場で起きている」では 研究者は?

昨日のエントリーにlessorさんが書き込みをしておられる。
昨日の私の書き込みじたいが中途半端なものだったのでもう少し。少しテーマとしてはずれるかもしれないが…おもいつくままに

今度久しぶりに自分が書いた文章が本の一部にのる(はず)。DPIが編纂して障害者総合サービス法?について本をだされる中の一部である。もちろん依頼されて書いたものなんだけど、テーマは要介護認定と障害程度区分についてだった。
日本で社会福祉が社会サービスとして政策的に成立しはじめた1980年代後半から社会福祉(論/学)はその学問としてのアイデンティティを本格的に模索しはじめた。私の大学以降の学習や研究、そして実践はその前時代から継がれることと新時代の潮流の中で培われてきたと思う。
最近、人を介して大学院時代の自分のことの評をきくことがあった。いまもある意味かわらないなぁと思いきいた。私の中のスタンスはいまもかわらない。
社会福祉が社会サービス政策になる中で、政策立案にコミットする研究者が登場する一方、その政策を評論する研究者もまた増えた。増えたというより席巻した。院生時代に学会だったかで、国の政策の解釈論ばかりの議論に対して、痛烈に批判意見をいったことがある。誰にも相手にされなかったが…。社会福祉士という資格はできたが、その社会的位置付けのなさに対しても政治的な動きが必要だったのだろう。しかしこれらも一部の政策立案にかかわる研究者以外は、介護保険導入後そのアイデンティティを失うことになる(いいすぎか)。
介護保険導入後のその世界の話は、まさに経営論である。社会福祉を研究したことのない人たちや事業の経営者たるひとたちの方が細かいことまで精通している。政策についてもより租借できている。
では、それが、それだけ現場に求められているものか?
自分はいま現在おかれている環境の中で自分が学び経験した理論や実践をふまえて、政策として示されたフレームワークの中にいかに魂や眼をいれていくのかを考え活動している。しかしそれが研究か?そこから発信しても研究ではない気がする。現場のそういった「実践的研究」に金をだす風潮が濃くなってきたので研究といってるし、これも研究なのかもしれない。でも 大学にいる研究者が行う研究ではなかろう。
人類学的な調査手法がひろがり、参与観察や質的調査法がいろいろな場面で利用されるようになった。しかし研究者が研究の方法として使うときいくら参与観察者として現場にいても、その人は現場の人ではない。その逆もしかり。こんなあたりまえのことが当たり前になっていない気もする。
どこまでいっても90年代の社会福祉の社会サービスの政策の流れを社会福祉論/学は整理できていないのではないか。かきながらそう思えてならない。
専門職養成をするための技術的な研究と基礎研究、応用研究、そして経営論がごちゃまぜになっている。このままでは現場だけで進んでいき、そしてその先には荒涼たる世界しかない、そんな気がして仕方がない。
posted by 凸凸 at 09:08| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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