2012年04月16日

制度の制度化

「宅老所の運営について、これまでとは違う考え方をせざるを得なくなってきた。これまで、制度は実践の5〜10年後を追っかけてきた。たとえ制度がなくても当事者の必要に応じて実践を重ねていれば、制度化によってその実践を支え続けることができるという関係が機能していた。しかし、その実践と制度の関係性は介護保険施行後、崩壊した。制度は実践の後をついてこなくなったのである」(村瀬孝生 よりあいレポート36 ブリコラージュ2012.4)

村瀬氏のことばを借りるまでもなく、数年前から強く強く感じていることである。ことばを変えていうならば、実践と制度の乖離とでも言うだろうか。

制度も補助もなにもないところから、もしくはあってもほとんど使えないところから実践ははじまってきている。村瀬氏たちの宅老所、障害者作業所、自立生活センター、共同保育所など社会福祉の有名な実践や運動をそうしてあげていくことができる。
また、これはその地域地域に合わせた形の実践として根付いてきてもいた。
そうした流れは、介護保険と障害者自立支援法によって分断された。国は一律な仕組みを作るということを目標にし、制度を設計し、その制度を保持するためだけに制度のマイナーチェンジを繰り返している。
おそらくは沈むであろう大船にとにかくも命運をかけるといっているよう。まるで第ニ次大戦中の戦艦大和の話のようである。乗せられている当事者はたまったものではない。

この世界の「制度化」の話はもう少し深い論理構造にはまりこんでいるような気もしている。
「制度の制度化」とでもいうのだろうか。ことば遊びのようだが、介護保険や障害者自立支援法の「制度」を利用・使用するために、「制度化されたルール」にのっとらないといけなかったり、制度を利用するためにさらに制度を利用しなければならないという循環に陥る。その一つは市場のルールである。
制度について、私のまわりにいる幾人かの人たちが、最近なんともいえない自分たちの違和感を訴えているが、私も含めてそこからお金をもらっている限り、その制度化の循環からは逃れられない。そのことは個人的には意識的でありつづけたい。だからこそ、どう「制度化」されたふりをして制度をつかうかというけとになるのだろう。
しかし、もう戦艦大和にのるしかないところまできているような気がしてならない。
posted by 凸凸 at 08:26| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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