2007年03月06日

ソーシャルワーク

 最近、ソーシャルワークについて考えることが多い。

 自分自身、そんなにネットに時間をかけるタイプではないと思っているのだが、最近よくのぞかせていただいているBLOGに興味深い記事があった。

ソーシャルワークの境界

 自分よりも若い方が、こうして、現場をもちながら、大学院にいき、その中で、こうして議論をされていることを、自分の数年前を思いおこしながら、ふんふんと感心しながら読ませていただいた。

 ソーシャルワークとは何か、などという大上段にかまえた、遠い議論をする感じはない。ただ、相談支援にこだわって、それもコミュニティワークにもこだわってきたものには、なんだか、最近のソーシャルワークの語られ方には、とても違和感を感じるのも正直なところである。
 地域にいて、なぜか、集めてもいないのに、丁寧な広いあげをしていくと、まわりの人が「レア」というケースに出会う。出会っている私たちにしてみれば、それは「レア」でもなんでもなく、ただ、出会うことにすぎなかったりもする。しかし、中には、支援者がその「立ち位置」=専門的な言い方をすれば支援の価値観になるのかな?を、関係性の中で、くるくる変えながら、支援を行っていかなければならない場合も、少なからず存在する。
 もう少しいうと、それが、社会的・経済的にカテゴライズされた、狭い意味の「相談」であったり、「ケア・介護」であったり、「ヘルプ」であったりすることに、支援者の「立ち位置」は左右されない気がする。
 専門職化というある意味の市場経済化は、人の生活を切り取り、人への支援を切り取っていくが、極論すれば、食事介助にも相談的エッセンスは存在するし、障害者計画の策定委員会に出席したり、政治家へのロビー活動にも、相談的エッセンスは存在する。
 それを人は、総合化(ジェネラル)と呼ぶらしいが・・・。

 それにも違和感があったりする。

 地域の課題は、総合化しかつ専門化している。つまり、問題や課題は総合化しているし、複雑化し、高次化している。簡単にとけない問題も数多い。
 前のスレッドで、やばい書き込みをしたが、それがこどもの虐待(abuse&neglect)やDVに関係していると、ほんとうに、そう思う。ソーシャルワーカーたちは、介入ということばを使うが、介入にもいろいろあるような気がしている。

 また、ソーシャル・ワークを考える中で、ソーシャルの意味を考えたり、やはり経済的な問題を抱える方のワークは違う気がするし、ほんとうに考えることは山ほどある。

 でも、ほとんどの方はそれについて、まともな議論をしてない気がする中で、少しでも議論がされているのをきくと、ほっ、とする感じ。


posted by 凸凸 at 06:54| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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