2016年09月25日

「従属的」で「抑圧的」な賦与される「権利」

「サバルタンは語ることができるか」
もともと、ばおばぶの五十嵐さんに教えていただいた本である。

ここのところの「また」というネット上での大騒ぎに辟易している。

「大衆」の威を借りて、「国家の経済的危機」というレトリックを使い、「従属的」なものたちを「抑圧」化する言説があとをたたず。言説が言説でなくなる事態までが起こる。

だんだん、「想像力がない」というコトバでは語り尽くせなくなってきた現状に憂う。

これは、最近、「社会活動家」といわれる方にも感じる違和感に通じる。○○の手法を使い「社会課題」を解決する。「社会課題」は、「個人」の中にはない。なのに、語られる言説は、どうも「社会課題」を抱える個人を「変える」という方向にいっていないか?ターゲッティングがおかしくないだろうか?

社会全体が表面上穏健な状態を求めているから、「権利」はいつも賦与されるものでしかない。そんな社会では、結局は「従属的で」「抑圧的な」ものは、語るべきことばを持たない。だからといって、センセンショーナルなジャーナリズムをまとったインパクト活動も個人的には好まないのだが。。。

posted by 凸凸 at 07:18| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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