2016年11月26日

現代社会での「社会保障」と「公衆衛生」と実際

 私自身の不勉強を明らかにする話であるが、ちょっととある「事件」に直面することになっていまの現代の日本地域社会の変遷の中で、こりゃまずいと気になったことがある。社会福祉(保障)の中での「公衆衛生」についてである。

 高齢社会である。地域包括ケアということがいわれて、病院への入院でのケアではなく地域(施設など)も含むケアの時代であると政策的に流れを作っている。作っているというのは事実ではないな。つくらざるをえなくなっている。財政的に。

 「病院」の役割というものは、社会的な「病院」の役割や位置づけという研究がたくさんあって、病院が治療の場であるのか否か。その際の治療とはなにか、という議論も山ほどある。日本の場合は「赤ひげ先生」の話がでてきたりするし、看護の世界の話でいうともっとたくさんでてくる。ここで書きたいのはそこではない。
 事実として「『病院』での『医療』がいまの流れでいえば、在宅医療・地域医療というカテゴリーで流れ出してくる時代」の中で、18世紀?から20世紀にかけての「公衆衛生」のコンセプトが表立ってでてこない中で、果たして在宅医療や地域医療は機能するのだろうか、ということである。
 先に書いておくが、「公衆衛生」の歴史は特に20世紀の中では「福祉国家」の社会保障の中でとくに中心的に取り上げられているので、そこには国家による戦時下(的)管理政策と親和性があり、「負」の側面も当然指摘されなければならない(ここでは特に「優性思想」を意識して書いている)。その「負」の側面を意識下に置きながらも一般論として社会保障のキーコンセプトの「公衆衛生」について考えたい。
 
 というより、私たちがいかにそこに無頓着であるか。という反省である。
 
 私自身、あらためて、「公衆衛生」というものを調べようとしてみて、「えー」という感じになった。
中高生の当時に習った「社会」のレベルから知識がまったく深まっていない事実に愕然としたのである。
 
 なんとなくの知識としてあるのは、都市化・スラム化とコレラの話。そして、上下水道の整備
http://d-arch.ide.go.jp/je_archive/english/society/book_x1_d04.html
 そして健診である。

 それ以上の知識は・・・ない。
 社会保障は年金、医療保険、公衆衛生、雇用保険、社会福祉と5つの横並びと教えているにもかかわらずあまりにあたりまえだ。が、公衆衛生とは何か、と問われると、上にあげた知識以上のものがない。

 先に書いたように、病院が「医療」を提供するようになって私たちの生活は一変した。生活の中で「病」にならないような個人、家族、地域社会、国家の取り組みがすたれ、

「病気」になったものが「病院」に行き「医療」を受ける

ことが当然の生活シーンになった。

最近は、「健康」を消費することが「病気」にならない=「病院」に行き「医療」を受ける、ことにならないというコンセプトになり、「健康教育」が「公衆衛生」然のように語られる。

 感染症についての話も然り。

 だが、この国の現状の崩壊は、感染症に感染したあとの予防施策への公共的投資の貧困さ。
予防するためのという予防薬への投資という「病院」にいき「治療」をうけるという構図をそのままにしたような保健。

 貧困化と高齢化、そして、地域医療の進行の中で、どうにもならない負のスパイラルがすすんでいるように思う。

 災害支援のときに常に言われ続ける話と同じだ。「災害」は、地震や台風だけではない。おそらく「感染症」も私たち「コクミン」にこの国が崩壊している事実をつきつけるだろう。



 
 

 
posted by 凸凸 at 08:18| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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