2017年01月31日

自分自身の立ち位置

 1/21の奈良 くらしネットフォーラム
 1/29のふわりんクルージョン

 その間に地元 寝屋川での浜松 ダダクリニックのみなさんとの勉強会

数年ぶりのこの話を続ける過密スケジュール。もちろん、この時期のバタバタは当然、おこるわけで。

ついでにインフル渦もくるわけで💦

 奈良は廣瀬明彦さんを偲んで、というより、彼に(清水さんのことばを借りれば)薫陶をうけた奈良のメンバーが昨年からやりはじめたフォーラム。生前、さんざんにお世話になった廣瀬さんへの少しの恩返しの気持ちで、これだけはオーダーを断らず、いつもの「超めんどくさいやつ」を返上して、素直に応じているお話です。まぁ、きっかけは、西宮の清水さんの「やりたないんか!」といういつもの飲み会の席のひとことできまった話だったりしますが。
 昨年は、山田優さんの体調不良によるキャンセルがあり、それはそれという会でしたが、そのリベンジで今年は山田優さんのお話をお聞かせいただき、北野誠一先生と清水さんとのセッションというある意味、いつものメンバーで、西宮でないところでそれをやったという感じもありつつ。
 ですが、なにが違うって、今回は、北野先生をはじめみなさんの「とみたの頭の中、思考をのぞきたい」という恐ろしいオーダーがあり、それにお応えをしました。

 もう二度とないです。暴れ馬を放牧するとどういうことになるか、よくおわかりいただいたとおもいます。

 ききにきていただいた旧知のすばらしい実践家であり理論家の方が、「まとめてほしかった」とFBにお書きいただいていましたが、おそらく聞かれていた方は、私が何を話しているのかが、ほぼおわかりいただけなかったのではないか、と思います。

 講演の時間のはじめにも申し上げたのですが、おおよそ福祉とは無縁の話が、それもばらばらの分野で展開をしていきます。「地域」の話になるとまさにその論理展開になってしまいます。ミドルレンジが私の本来のフィールドなので、全方向性の中から可能性をさぐる方法論を常に頭の中で展開をしつづけていっているのでなかなかにむちゃくちゃになります。
 自分の中では論理性があるのですが、学術的に理論化されているAの分野のものと学術的に理論化されているBの分野のもの でもそのAとBは関連性に言及されていないものを「人のくらし」というリアリズムでつないでいるという論理性はなかなか共有しにくいものなのだとおもいます。
 すいません。って感じです。おそらくは、バラバラで、鮮烈なリアルキーコンテンツだけが残られたのだろうと。
 ただ、講演の中でも申し上げましたが、9月にほんとうに久しぶりに、千葉・ばおばぶの五十嵐さんとお話をさせていただいたときに、「わかりやすい話はしない」という意味のことをおっしゃっていて、それにとても共感をさせていただきました。なんでも「わかりやすく」しないといけないということは、ともすれば、「考えない」「調べない」ことにつながっているいま。みなさんがそれぞれ考えていただければ、と。偉そうですがそんなメッセージを込めさせていただきました(これが前回のエントリーの大学の講師をやめることの理由の一つでもあります)。
 考えましょう 疑問をもちましょう みなさん

 で、一昨日は始発で東京へ。
 いまや超有名人の戸枝さんからの年に1度の生存確認のための出席依頼のふわりんクルージョンなんですが、こちらに関しては、まったく素直でないいつもの「超ひねくれ者」。今回も、さんざんにひねて出演拒否を繰り返しておりました(すいません。私、基本、講演を素直にお受けしませんので。)。
 週末に自分も支援に入っている一人暮らしのメンバーさんがインフルになり、それにかこつけて、ドタキャンも考えましたが、(実はまじにうつされたと思いました。いまはまだだいじょうぶですけど)結果、参加させていただきました。
 こちらは、超有名人の豊中市社協 勝部さん。毎日新聞の論説委員の野沢さん。SNOW DREAMS 山口さん、そして横浜市 小林さん。とご一緒という またしても、気後れする(だれですか、うそだと言っている人は)メンバーの中にぽつりと一人。場違い感満載。
 奈良のときに、山田優さんが、NPO法人 抱樸 の奥田知志さんとのお話をされていました。時期を同じくして、ちょうど寄り添い支援のことで、奥田さんも書かれていた本を読ませていただいていて、そしてまさにこのシンポジウム&分科会での与えられたテーマが、「生きづらさ」を抱える人への寄り添い支援というテーマでした。
 ひねくれている私は、おなじく登壇されるみなさん(周知のかたばかりですので)がおそらくされるだろうお話を予測して、あえての課題提起をもち、私たちとともに歩んでいただいている「多久寛子さん」をお連れしました。多久寛子さんについては→動画です
 生きづらさを抱えるとか、寄り添い支援とかいうと、なぜか発達障害とか軽度の障害の方(だけ)がクローズアップされてしまいます。それは議論を矮小化することにしかならず、課題や問題を覆い隠してしまいます。私は「支援とは何か」「サービスに絡みとられない生活とはなにか」そんな問題意識をもっています。
 今回、当初はやまゆり園の件の話をしてほしいという応えられないオーダーがあり、そのことは裏テーマのように分科会では少しだけ話されましたが、私としては、ご自分によっての「地域」を作り、そこで堂々と「多久寛子」として生きておられる彼女(あたりまえなんですけど)をどまんなかでご紹介させていただくことが当初、そして、今回のテーマに関するお答えであり、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。
 冨田のところの でもなく 寝屋川市民たすけあいの会に支援されている でもなく 重度の知的障害者のでもなく、 そんな冠言葉はいっさいない 「多久寛子」という人をして。

 控え室、分科会はなかなかに濃かったです。何しろあのメンバーでずっと話をしているわけですから。って言っても、野沢さん、小林さんとは15年ぶりくらいに直接お会いしましたし、勝部さんにいたっては20年くらい前に一度お会いしただけなんですけど。すばらしい時間を過ごさせていただきました。
 その中で、地域の中での発達障害の方の支援の話や高次脳機能障害の方の支援の話、そしてその方たちとの精神科医療との話もしました。ちょうど22日に寝屋川で浜松ダダクリニックの方をおよびして寝屋川のメンバーとの勉強会をしていました。その話は、また改めてにします。このときは寝屋川市社会福祉協議会社会福祉法人みつわ会、そして、三家クリニックというメンバーでした。
 そうそう、私の所属する寝屋川市民たすけあいの会はあくまで、地域の触媒役であり、先駆性と開拓性をもつことをミッションにしているので、事業をバンバンやっている団体でも事業所でもないでしし、本来、実践を外でお話できるようなレベルのことができているわけではないです。
 外でお話をさせていただくと、なんだかすごいことをやっているようにきこえてしまって、ものすごく罪の意識にさいなまれます。現場では毎日毎日、うまくいかずへこむことの繰り返しです。「おまえは偉そうにしゃべっているらしいが、なにもしてくれないではないか」といわれるばかり。でも、少しでもなかまを増やし、少しずつ歩んでいくしかない。それが前だろうが、後ろだろうが、右だろうが左だろうが。

 ふわりんクルージョンが終わった後、帰る前に、戸枝さんと少しだけ、お話させていただきました。
 もうすぐお互い50歳。
 「50歳、大きいよな」

 大きな人生の転換期 節ですね。

 今日、また生きていきます。
 
posted by 凸凸 at 07:29| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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