2017年03月24日

社会保障政策と政策研究、反研究について思うこと

「居場所」は
政策的に
創って広げることを目的にするときには
使われてきたことばだが
今後の政策としては
おそらくは事業としては
「居場所」だけでは補助の対象にはされず
そこに、いろいろな「機能」が付与されなければならないと
なっていくだろう。
「わが・丸」の中心的施策になりながら、
おそらくは、少なくとも国事業としては
消えていくだろう。

この話としては、関係者はわかっていなければならないことだし、

そのことと
地域の中で、必要かどうかの話は別の話である

と同時に
政策的デザインとして、同じ土俵で議論すべきことかどうか、は、現場の者としては、考えておくべきことだと思うし、
そのことを議論されている諸研究者の方たちは、
ボトムアップ型実践をも、トップダウン型実践と同じく議論をしないでほしい。

いまの日本が危機的であるという視点はもちろん共有するが、マクロ(的)議論を仕掛けるための、全体論的思考のために、小さな実践を、自分たちの思考、論考のために「まとめる」ことは、
実は、論理展開そのものが、自分たちが批判をしている政策的論理となんらかわりのない論理展開であることに、きちんと気づいた上でおこなわれるべきだとおもう。

社会科学や政策科学のエビデンス主義的論考ではなく、きちんとした「科学」としての議論は、ミクロとメゾとマクロが、研究としては、必ずしも結びついていないことをきちんと諸科学の研究史から学んでおこなうべきだ。

いまこそ、丁寧な議論を望む。
posted by 凸凸 at 07:41| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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