2017年08月01日

「福祉」とスティグマ

「福祉」に【スティグマ】は大前提である。
福祉が「福祉サービス」として、サービス化する中で、「福祉」に付与されていた【スティグマ】が払拭されるという議論はそれこそ1980年代ごろから議論されていたことだった。社会福祉サービスと社会保険の議論でも行われ、それこそ、オランダ・ドイツの議論そして日本の介護保険の創設議論のなかでも行われてきた。

 昨日、FBでシェアさせていただいた「こども宅食」事業にかかる鈴木和樹さんのご意見の中で、この【スティグマ】が登場する。また、彼はフードバンク活動を貧困者支援ではなく「食品ロス」活動が前面にでるべきだという(メディア的に)。そして、どこの地域でも、フードバンク(的な)事業が公的に保障された活動として位置づけばと言われる。

 なるほど。と。思いつつ。
 チャリティ、ボランティア活動の歴史を思ったとき、また、理論的な社会福祉対象論を思ったときに、社会運動・活動としての彼の発信はわかりつつ、厳しいなぁと思ったのも事実。そして、日本でこの10年余、この世界を席巻してきている「社会起業家」という「魔術的」な戦術論が市民権を得たことを見せつけられているのだと思う。起業家は「ビジネスチャンス」を見つけ、それを事業化することによって起業する。社会起業も同じだ。そして、それはニーズをなんてかっこいいような言い方をしているが「社会起業家」も同じだ。ぶっちゃけいえば、彼らの中には、【スティグマ】なんてことばは自分たちの辞書にはないと活動に邁進する方もいるだろう。それは肯定的な意味でもだ。自分たちの活動を続けていくことで、社会・コミュニティが変わりスティグマも払拭されるだろうと。それはおそらくは正しくもあり間違っていることでもあるのだろう。
わかっていることは、その正否をきめるのは、私ではない。スティグマは受けた人、感じた人のものだ。

 こども支援(だけではない)が、「ほんとうに困っている人はつながっていない」のだ。そして、声もあげられないのだ。ファンドですら、自分たちの活動のために、対象者の写真や実情を求める。そのことは彼らにスティグマを付与する。私たちは「見えやすい」「わかりやすい」という権力的抑圧にここでも闘っていかなければならないのだ。あらためてそのことを強く思った文章だった。


 


posted by 凸凸 at 08:36| 大阪 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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