2018年08月27日

流動化、漂流化を地域単位の中でリアルで実感できていますか?

 障害者自立支援法が施行されて今年で12年になる。

 いろいろな制度的な仕組みもその間に、整備されたものもあり、また、賛否あった施行時の議論が置かれたままのものもあり、着実にブラッシュアップされているものもありだと思う。

 その中で、地域自立支援協議会はいま、どうなっているのであろうか。障害者自立支援法改正時に法定化され、その名称は知られるところになってはいるだろうが、その実、いったい何をしているものなのか、よくわからないのが実情のような気もする。自立支援協議会そのものの話はこれまでも書いてきているし、また、別に書きたいと思っているが、その目的のひとつは、地域の中での関係者間のネットワークをすすめることであった。

 ただ、ネットワークにしろ、チーム支援にしろまた形骸化しているようにもおもえる。

 私自身の問題意識は、この15年=障害者自立支援法より前の支援費ができてからで、「障害者」をとりまく状況はずいぶんかわってきている。中で、そのことを「地域」単位でどの程度のリアルをもっているのか、そのために、何ができるのか。ということになる。

 日本全体でみたときに、法で規定されている「障害者」の数は増えている。情報の古いかたは、それは高齢化の進展からだと思われるだろうが、その実、それだけではない。
 内閣府の障害者白書の数字をみてみると以下になる。
http://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/h28hakusho/zenbun/siryo_02.html

 こどもは減っている。が、身体障害児は横ばいだが、知的、精神はふえている。

 このことが、「地域単位」でどのような影響を与えているか だ。

 障害児教育に少なからずかかわっている人は、こどもが減っているにもかかわらず、いわゆる「障害のあるこども」たちが通うと位置づけられている特別支援学校の児童生徒数が増加しているのは周知の事実だろう。一見すると矛盾しているこの事象も、「地域単位」で何が起こっているのかということを紐解くカギのひとつになる。

 もともと、「障害」のある/なし、は、日本の場合は、世界的にもまれな手帳制度を採用しているゆえに、固定化されているものであるというのが社会通念的である。話がすこし横道にそれるが、「障害」の概念すらまだ旧時代(ICIDH)のままの日本では、実際がだんだんと、その概念に合わなくなっているのも事実である。話をもどそう。日本の制度が旧態依然としていても、実情は日本の概念である障害のある/なしがボーダレス化してきているのである。関係者にはこれも周知の事実だが、軽度化と重度化という両極化が進んできている。重度化は一般には医療の進化によるものと説明される。医(療的)ケアを必要としながら、生活を続けられる方の増加である。そして、軽度化は、障害のある/なしのボーダレス化によるものと説明される。

 このボーダレス化を「地域単位」でどう実感できるのだろうか。

 乳幼児検診で、どの程度のこどもさんがスクリーニングによって、要観察の対象になっているか。
そのこどもさんたちのサポートは、地域の療育支援システムや小児科医療との連携などでどう行われているのか

 療育支援システムで、サポートされたこどもさんたちは、小学校の選択をどのようにされているのか。

 特別支援学校、特別支援学級の在籍児童、生徒数はどのくらいか。小学校卒業時、そして、中学校卒業時の人数とその進路は
 不登校数はどの程度で、どのように把握し、どのように情報共有がされているのか。サポートの体制はどうなっているのか
中学校卒業時の進路の状況はどうなっているのか。

 義務教育時代は、教育の分野が基本のベースになるが、義務教育時代にも、流動化の波は押し寄せている。特別支援学校から地域の学校への転校、いったん取得した療育手帳が、特別支援学校在籍時に、対象外になるなど、ボーダレス化、流動化はどんどん進む。不登校児の中に、サポートを必要とするこどもたちは多い。

 そして、義務教育から卒業すると、一気に、【太い糸】が切れて、「シャカイ」の中に消える。特別支援学校高等部での不登校の問題、高校進学しても、通信制、単位制の学校の増加、定時制高校の中の障害のある子どもさんたちの増加。そして、通えない、修了できない生徒の増加。

 家族機能が低下している中、景気が悪く、雇用が悪ければ、サポステなどにもつながっていたひとたちが大きなつまずきがなく、貧困リアルの中で、自覚なく生活する。

 顕在化してくるのは、精神科やひきこもり相談の臨床場面だ。そして、顕在化は一部でしかない。

 本人や家族の「社会への適応」という強い強い努力の中で、顕在化せず、ゆるやかにもつながれない。
サービス化された市場社会が「フクシ」にも這い入り混んだ中、漂流は進む。

 ワタシタチは、この流動化、漂流化を地域単位の中でリアルに実感できているだろうか。
posted by 凸凸 at 07:02| 大阪 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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