2019年のふわりんクルージョンに関係する話は12月22日のBLOGに書きました。そのエントリー自体は、戸枝さんの終わりの挨拶に私の名前がでた衝撃から今後を憂うという書き方をさせていただきました。
2019年のふわりんクルージョン、有名な川北秀人さんと岡山NPOセンターの石原達也さんとご一緒させていただいたのは、とても刺激的な時間でした。
少し批判的になってしまうのですが。
私が寝屋川市民たすけあいの会の活動に参画するようになったのは、1990年代のはじめ。
中学校、高校時代にいわゆる重い障害のある級友との出会いから、現在の小規模作業所づくりの「走り」のような活動に入り、大学時代は環境社会学のゼミに入り、富山県五箇山のフィールドワーク、静岡・藤枝の水車村。ネットワークということばが日本でも少しずつ紹介されることをして卒業論文を書きました。そんな自分が、大学院の博士課程に進学する前にきっかけがあって寝屋川市民たすけあいの会にかかわるようになりました。まぁ、当時 会の活動はほぼ行われておらず、そこからいろいろなことを興していくわけですが。
寝屋川市民たすけあいの会の10周年記念誌は「たすけあいからのネットワーキング」というタイトルで上程されています。これは私がかかわる前に発行されたものですが、1989年に編纂された書籍の中に「ネットワーキング」ということばが入っていること自体すごいことだと思います。「住民主体のネットワーク」ですね。このフレーズにはときめきを覚えましたが、一方で現実との乖離に悩まされたものです。
1990年代は、ボランティア活動が少しずつ社会的に認知を広めていった時期です。学生が夏休みの間にボランティア活動を行う、といったことが全国的に広まりはじめ、その是非が議論されていました。一方で、バブル期の終わり頃にいたる90年代のはじめは、CSR(企業の社会貢献活動)の議論が盛んに行われていて、市民活動が一部の地域ですが盛んになってきていた時代でもあります。
そして、1989年のいわゆるゴールドプランが策定され21世紀の高齢(化)社会の議論が本格的に行われるようになります。住民参加型サービスがおこりはじめるのもこのころです。旧前の「社会運動」と結びついているものもあり、また、まったく新しい形のムーブメントもおこりはじめます。
高知大学の大野先生が「限界集落」ということばを提唱したのが1991年、その時期に、私自身は当時、高齢化率が全国で最も高かった山口県の東和町で開かれた「過疎地サミット」に参加しています。
1995年に阪神淡路大震災が起こり、こういった活動が一気にいい意味でも悪い意味でも「集積」し、「NPO時代」に突入していきます。
最近はNPOとそのリーダーたちを世代分けする議論も散見されますが、私自身は、すでにほとんどの2000年以前に設立されたNPO(市民団体)が、NPO法人とその活動形態を保持できず、消滅しているか、活動形態を変えていることをして、やはり特定非営利活動促進法ができた1998年、まあ、2000年を境にして、前史とNPOの時代のスタートが区切られている気がします。つまり、NPOや市民活動の「事業化」です。
1990年代の後半に、寝屋川市民たすけあいの会の活動に参加をしていた私は、地域の中でのネットワーク活動に積極的に取り組みます。寝屋川市民たすけあいの会自体はボランティアさんたちが集まる拠点のみをもっている団体ですから、自分たちだけで事業を行うことはほぼできません。場所も他を借り、お金は寄付と会費とバザー、人はボランティアでやっているわけですから、ボランティアコーディネートといっても、いろいろな団体組織とのつながりを強くもっていくことが活動の下支えになります。少し思い出話的ですが、1995年の阪神淡路大震災のあと春に寝屋川で支援イベントを行いました。会が発足当初からボランティア先としてお世話になっていた老人ホームの職員さんたちとの協働事業で、寝屋川市民会館の大ホール・小ホールを借り切り、市内の市民団体障害者団体に声をかけ、イベントとバザーで一日で400万近いお金を集めました。1000人から2000人以上の方が参加してくださったと思います。そのあと、その活動は、市の環境イベントでのフリーマーケットの開催を担うという流れに動きます。足かけ3年間行ったイベントは10万人以上を集めるというイベントになりました。
なぜ、こんな昔話を書いているのか、というと理由は2つあります。一つはこの頃のネットワーク・エネルギーを検証し、いまの時代に生かしていくためのヒントを整理したこと。もう一つは、批判的なと書いた理由と深くかかわかります。
90年代の終わりに先に書いたとおりに、寝屋川市民たすけあいの会は、ネットワーク型の活動を深く行い、かかわった方、かかわりはじめた方たちの発想と「やりたい」という気持ちに共感し、主にイベントではありますが、どんどん行っていきましたが、まだ、当時は大阪ボランティア協会からの支援を資金的に中心に運営を行っていました。大阪ボランティア協会は「創出会議」「予算会議」というものを行っておられて、その会議に出させていただくようになりました。その中で私は、徹底的に「事業の運営」は「善意」ではできないということを言われました。思えばいち早く「事業化」のspiritをたたき込まれたわけですね。当時は正直ものすごく反発しました。大阪ボランティア協会がきっかけになって生まれたといっても、別組織。いまは法人解散されましたが隣市にあった「北河内ボランティアセンター」との支援の差など、会の内部での不満もあり、その後、完全な自立(自律)運営にいち早く舵をきります。1990年代の終わりに行ったその流れが、大阪ボランティア協会と共有できず、まさに、「人・モノ・情報知識」をシェアリングすることができなかった。資金の話だけに終始してしまったことが、いまとなってはとても悔やまれます。
今回、岡山の石原達也さんのお話をおききしていて、寝屋川市民たすけあいの会の「産みだし」が、戸枝さんが制度外から「支援」を生み出してきた同志として評価していただけたとしても、それはあくまで「クローズ(閉じる・接近する)・イノベーション」にすぎず、もともと、私自身がもっていた意識と乖離しているように感じて「しまいました」。
2020年、私のテーマは「オープン・イノベーション」。動きます。
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オープンイノベーションという概念が生まれたのは2000年代の初め。米ハーバードビジネススクールのヘンリー・チェスブロウ博士により提唱されたイノベーションに関する概念の一つです。その概要は次の通りです※。
「オープンイノベーションとは、企業が技術の価値を高めようとする際、内部のアイデアとともに外部のアイデアを用い、市場化の経路としても内部の経路と外部の経路を活用することができるし、また、そうすべきであると考えるパラダイムである」
「オープンイノベーションは、企業が自らのビジネスにおいて外部のアイデアや技術をより多く活用し、自らの未利用のアイデアは他社に活用させるべきであることを意味する」
「オープンイノベーションとは、内部のイノベーションを加速し、イノベーションの外部活用市場を拡大するために、その目的に沿って知識の流入と流出を活用することである」
※出典: 文部科学省 「平成29年版 科学技術白書」
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