2020年02月03日

「共感」とクラウドファンディング そして 仮想空間としてではない「クラウド」世界

クラウドファンディング
wikiの紹介文を引用すると次のようにかかれている

クラウドファンディング英語:crowdfunding)とは、不特定多数の人が通常インターネット経由で他の人々や組織に財源の提供や協力などを行うことを指す、群衆crowd)と資金調達funding)を組み合わせた造語である[1][2]。ソーシャルファンディングとも呼ばれ[3]、日本語では「クラファン」と略されることもある[4]

日本人の中には「 l」と「 r」 の区別がうまくできない人がおり、「クラウドコンピューティング(cloud computing)」の「クラウド(cloud)」と混同して ×「cloud funding」と誤表記してしまう人もいるが、これはあくまで誤りであり、正しくは「crowd」である。

寝屋川市民たすけあいの会もクラウドファンディングを行っているし、私のSNSをごらんいただいている方たちはいくつかのチャレンジを応援支援しているのでなじみ深い方もおられるだろう。

本格的に日本で展開されてから10年くらいといわれている。私がかかわることが多い「寄付型」は実は少なく実際は商品開発型やソーシャルファンディングと位置づけられることが多い投資型のプログラムが多い。

寄付型でいうと「READY FOR」と「CAMPFARE」が大手になる。

その「READY FOR」のnoteにこんな文章が掲載されている。

「共感」でお金を集める時代は終わった? 2020年代のクラウドファンディング論

共感でお金を集める、新しい資金調達の形ーー。

クラウドファンディングは、日本にその仕組みが輸入されて約10年、しばしばそんなキャッチフレーズで語られてきました(*1)。

でも2020年、そろそろこの言葉から脱しても良いのではないかと思うのです。

 

そして、その内容の巻末に以下の三つの「共感」に関する文章が紹介されている。

例えばnoteの記事では、これらが記憶に残っています。
https://note.com/yokogao/n/ned6c8a9c64d0
https://note.com/ahs345/n/nc3f219fca60d
「共感」という言葉は使われていないけれど、この記事も。
http://apartment-home.net/long-visiter/border/

文末に

この先の10年は、まずは「共感」という言葉の重石を外して、クラウドファンディングがさらに多様な手段になるように、可能性を模索していきたいと思っています。

と、作者の意図が説明されているので、発信のねらいは理解できましたが、正直、このタイトルには驚かされました。

もちろん、作者がひいた巻末の3つの文章を読んだときに【共感】と【理解】についての思いや対人関係のなかでの【わかる】という「共感」「同意」の暴力性、また、ポリコレ的多様性理解が深まっていくときにおこる悲劇的アイデンティティクライシス。

しかし、そのことがある種の「クラウドファンディング」に近い(あえてコントロールできるとはいわない)キューレーターの公式的な投げかけとして受け止めがたい発信として私自身にはひっかかりがあります。

あえて、文頭にwikiの文章をひきました。そこに、クラウド(群衆)とクラウド(コンピューター 雲)を混同する人がいるという指摘がありますが、このエントリーのタイトルはまさにそれを逆手に使っています。

実際、クラウドファンディングの世界はいまやインターネットをなしには語れません。ReadyforはFACEBOOK、campfareはfacebookとtwitter、LINEというSNSにひもづけされてきました。しかし、congrantなどの新しいサービスはSNSを必要としません。そもそも論で言えば、インターネットがどんどんと仮想社会から日常社会に降りてきている今、クラウド(群衆)性がより高まっているといえるのではないでしょうか。つまり、あらためてのインターネット上の「匿名性」を「群衆」におきかえる可能性がたかまっていると思うのです。

くりかえし指摘がされるようにSNS、とくにfacebookは親和性の高い人たちとの結びつきを指南しています。つまり、共感を得やすい、思想性や思考性が近い人たちを仮想世界でも実現するシステムです。それにクラウドファンディングの世界も依拠してきたように私は思っています。(もちろん、この考え方は偏っているといわれる方もいることも承知しています。)しかし、クラウドファンディングそしてSNSを使えば使うほど、考え方の違う人たちとふれあう機会はかなり無理をしないと難しいです。匿名性の高いtwitterではありうりますが。

このnoteの作者がいわれるように、クラウドファンディングが共感という重い石をはずしていくとするならば、そこにある方法論はクラウド(コンピューター)世界を実社会におとしこめていくことを試行することにもなっていくと思います。もちろんそれはインターネットがそもそももっている可能性にもなるでしょう。しかし、それはたとえばソードアートオンラインの世界観のなかにある危険性を孕みます。つまり、仮想社会と実社会の可逆性をみとめていくことにもなります。

日本の寄付文化の醸成を25年以上前からみてきたものとして、日本には残念ながら寄付文化は醸成されましたが経済的にその余裕がなくなったと感じます。クラウドファンディングをみても、寄付をする人たちは同じ人たちばかりです。寄付をする人としない人にはやはりクレバスが存在していると感じます。それをできる限り乗り越えていきたいそんな意気込みをこの文章から感じながら、あえて、共感をつくりだすための仕掛けを考えていきたいとおもっています。

posted by 凸凸 at 06:35| 大阪 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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