2008年01月18日

単なるザワザワっとした違和感

 市場社会で企業と競争しないNPOの続編ということになるのでしょうが、ここ数年の勉強不足がたたっているのか、なかなかピンとくるものにも出会わないし、自分の中の言葉としても醸し出せないでいます。

 今日、読んだ雑誌に、湯浅 誠さん(NPO法人自立生活サポートセンターもやい事務局長)の文章(講演録)がのっていて、興味深く読みました。(この件はまた別に)。

 でも、大きく引っ掛かっているのは「社会起業」ということばや概念なんだということがだんだんわかってきました。NPOの世界やその周辺の中で、最近、常に語られる「社会起業」。
 働き方のオルタナティブであるという語りの中でもよく使われます。ここでの意味はつまるところ「雇われない」働き方、という意味ですが、これにザワザワ、っとした違和感を感じているようです。なぜなら、そこに想定されているのが、資本主義的な「強い個人」であるからではないか、と、いまの時点では思っています。資本主義的なということばを拡大して、市民社会的なといってもいいのかもしれません。つまり、自分で判断し、自分の意見を言い、そして、マネジメント能力をもつ個人という存在が前提になっているような気がするからです。
 もちろん、彼らが目指していることを否定しているのではありません。ただ、付け焼き刃的な勉強ではありますが、同じように「社会起業」ということばを使っていても、ずいぶん、そこに使われていることばや考え方は違うものだなという印象はあります。いま、日本の国が進めようとしている、「新しい公共づくり」という行政主導の「小さな政府」化をねらっている中でのNPOの役割として語られる時もあれば、そうではない現在の日本社会の中での「社会的弱者」の生活の可能性として語られるときもありますし、また、資本主義社会の構造に対する対案的なものとして語られているときもあるようです。

 いま、私たちが暮らしている社会の中で、できうることを少しずつ取り組んでいくという視点からみると、当然、これらはありなのでしょうが、どうしても、「資本主義的能力」を前提とした「強い個人」をその主体とする理屈にのって話をするときに、どうしても、ザワザワっとした違和感を感じているようです。

 コメントで、aribouさんが書かれた市民ファンド。ちょうど、昨日のNHKのクルーズアップ現代でやっていたんですね。市民ファンドは、前々から知ってはいます。ただ、数々、ファンド・レイジングを行ってきたものとしては、諸手を挙げて賛同することがなかなかしにくいのも正直なところです。また、寄付の文化の構築というのにも、難しいものを感じています。これについても、また、別に書きますね。ここでのキーワードは「遠からず近からず共感できる距離」です。
posted by 凸凸 at 07:06| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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