ほんとうは今日は違う話題でと思っていたんだけれど、このBLOGに直接コメントを書いてくださる方もいれば、ご自分のBLOGに、ここでの話題を取り上げてくださる方もいて、その中の何人かは近しい方で、僕自身は、その方のBLOGをみていたりします。
今日は、昨日書いた「ザワザワ」に共感して、書いてくださった方がいまして、そのことについて、もう少し。
スルメ コラム 2008年01月19日
「資本主義的能力」へのザワザワっ感
12月に私を山梨県の相談支援専門員の研修の講師に導いてくださった彼の方は、私よりかなりお若く、精力的に研究に取り組んでおられる方です。
彼は、私が昨日書いた『「資本主義的能力」を前提とした「強い個人」をその主体とする理屈』に共感をしてくれたようで、その事から、組織論に展開をしていかれています。
強い個人を前提とした社会という理屈は、特に、重度の障害のある方の支援をしているものの「一部」の人たちにとっては、とても共感していただけるフレーズなのかもしれません。一方で、障害のある人も納税者にとか、ヴォルフォンスベルガーの「ノーマライゼーション」論のように、「一級市民」を目指すことが、社会構成員としての義務だといわれる方には、とうてい受け入れられない議論かもしれません。また、自省的にいえば、所詮はこの議論も二項対立的な近代社会科学的な議論になっているのかもしれません。
ただ、私が自分自身の生き方の問題として、ボランティア活動や市民活動を考えていくときに、みなが語る「個人」が他者との対比の中でしか語られず、また「あなたはあなた。そのままのあなたがすばらしい」という人権尊重の原点が、どうしても、「強い個人」論の中では、薄まってしまっているような気がして仕方がありません。
ずいぶん前にも、書いたかもしれませんが、カナダ人の友人と話をしているときに、「しょうご。あなたは何を望むの?何をしたいの?」と明確な意見をなにげない会話の中で、求められ続けたときに、「個人」とは?ということを強く考えさせられました。
昨日の文章自体が、「ザワザワ」とした感じとかいているように、私自身の中でも、まだまだ、すっきりおちている感覚ではないのです。でも、このことをして、いろいろ議論が深まってきたらいいなぁと思います。
2008年01月19日
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