2008年01月20日

遠からず近からず共感できる距離1

 来月2月22日に滋賀県社会福祉協議会が主催する滋賀県社会福祉学会のメインのシンポジウムにシンポジストとしてよばれている。
 
 大きなテーマは「つなぐ」ということで、たすけあいの会の「つなぐ」実践についてということで、依頼が入っている。

 あまり、こういった形でたすけあいの会の活動を紹介したり、発表したりすることは、実は少ない。
 実は、たすけあいの会の活動じたいをそんなたいそうなものではないと思っているところもあったりするし(苦笑)、うまくまとめていっているわけでもないので。
 でも、たすけあいの会も30年をむかえて、そんなこともいっていられないことになってきてもいるので、今回あえてうけている。
 で、まだ内容について、つめきれているわけではないが、ひとつオーダーがきているのが「財」について話をしてほしいということである。

 市民活動やNPO活動を語る時に、最近とくによく話題になるようになったのが、資金についてである。もちろん、昔から重要事として議論されてきたが、最近特によくとりあげられるようになった印象がある。

 前のaribohさんにいただいたコメントにも、市民が独自の金融ファンドをもつ時代に入ったのではないか、というご指摘がでてきた。さて、資金である。

 私がたすけあいの会というボランティア組織(ここではあえてNPOという言い方をしない)にかかわりだして、15年以上が経過した。つまり、私がたすけあいの会にかかわりはじめたのは15年以上前だから、1990年に入ってすぐのころである。もちろんいまもではあるが、金はなかった。
 事務局をお手伝いするようになって、いまでいうファンド・レイジングを覚えた。何か事業をするといえば、助成金を探し、申請し、物や資金をえて、事業を行った。当時、大阪ボランティア協会からの補助金を中心に運営していたこともあり、助成金や補助金は、自分たちの活動を充実させるだけでは、得られないということをよく議論されてた。いまのNPO活動では当たり前なのだろうが、「対価性」ということを意識して、資金獲得活動(ファンド・レイジング)に取り組まないといけないということだ。
 日本では(だけとは思わないが)、寄付行為が「かわいそう」とか「たいへんそう」とか、「自分にはできない」といった感情と結び付いているという指摘がよくされる(共同募金は除く=あれは大半が地縁的)。
 いまはずいぶん減ったが、昔、そういった助成金もたくさんあったらしい。ちょうと、私がやり始めた時期が、民間の助成金団体も、助成金の効果といった指標をもちはじめたころだったのだろう。自分たちの活動をどう「魅せるか」ということに腐心した。いや、腐心している、か。ファンド・レイジングのテクニックというものが、ほんとうにあるならば、それはやはりプレゼンテーション技法につながるものなのだろうなと言う気がする。
 そうして、数十件?やっていると、自分たちの活動のための助成金申請が、その実、助成金獲得のための活動になりがちなことに気がついてくるのである。本末転倒というやつである。
 
 そういった活動をしていると、市民活動を育てるとか言っていても、それらのお金には、一定の意図=いわゆるヒモ、が働いていることに気が付いてくるのである。行政の補助金、企業や民間の助成金、どれもそうである。
 市民ファンドの設立や、そういった市場社会システムからのがれた金融ファンドも、行政や企業から「ヒモのつかない」資金の獲得が主目的である。ナショナルトラストなんかがその古典的で代表的な活動だということができるだろう。もっといえば、日本の入会地(いりあいち)が、共同財産という意味をこえて、そういった活動だということもできるだろう。
 それを現代社会にあわせて、企業の寄付ではない資金で、市民がお金を集めて、そのお金で、市民活動、NPO活動を支援していく。いっけん、市民活動の独自性を担保していけるすばらしい活動にも見える。しかしちょっと待っていただきたい。

 市民による金融ファンド作りがひとつの有効な方法論であることは否定しない。しかし、そこから拠出されるお金に「ヒモ」がつかないことにはならない。また、資本市場社会の中でのお金の循環の一環であることには変わりはない。そこは注意しなければならない。そして、それよりも市民活動の本質が示している「財」が「金」だけではないことを考えるべきではないだろうか。

 そもそも、現代社会の中でなぜこれほどまでに市民活動やNPO活動が注目されるのかということと、[エネルギー] 市民活動やNPO活動の「財」の話はとても深くつながっているように思う。(つづく)
posted by 凸凸 at 19:28| 大阪 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
(続く)を心待ちにしますが、「ヒモ」(冨田さんと私では共通認識がある厄介な存在です)については考えていませんでした。
 ただ、90年代における日本のNPO・NGOに対する見方と今日とでは明らかに期待の寄せられ方が違うと思っています。
 たとえば会の目的の達成、こんな新たなサービスを創出できるというのが現代の「ヒモ=期待」ではないでしょうか。
 もちろん、ファンド=分配をしなければならないという「新しいヒモ」も生まれていることは確かですが。
 あらためて(続く)に期待しています。
Posted by ariboh at 2008年01月21日 02:46
 1月のはじめの方に書いた「開放系システムと閉鎖系システム」の話との関連でもあるのですが、続きは、できるだけ早いうちに書きたいと思っています。
Posted by とみた at 2008年01月21日 07:01
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