モンスターペアレント(Monster parent)とは、学校に対して自己中心的で理不尽な要求を繰り返す保護者を意味する和製英語である。向山洋一の命名とされる
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
と紹介される。給食費の未払いなど、TVでとりあげられることも多いので、ご存じの方も多いだろう。
では、モンスター・ボランティアということばをご存じだろうか。
知らない?!
当たり前である。さっき、僕がつくったことばである
(なぜか検索するとヒットする あれ? 同じ意味かどうか調べていない)
今日、寝屋川市のボランティア物品支給の説明会に参加した。
平日の昼間の開催である。当たり前のように、平日の昼間に開催する市も市だとおもうが、それに参加しているボランティアグループの代表の方たちは、おおよそ、名のある会社を退職されて、第2の人生を歩んでおられる男性の方と、主婦系のボランティアグループの方たちである。
ここ数年は、こういう会合にあまり自分がでていくことがなかったので、びっくりした。
まさに、モンスター・ペアレントをもじった「モンスターボランティア」たちがそこにうようよいる。
開始時間は守らない。説明はきかない。説明したことの揚げ足をとり、罵声をあびせる。そもそも、この物品支給を「あたりまえ」と思っている人たちがそこにいた。
びっくりした。
と、同時に、モンスターペアレントの年代の親の年代の人たちが、第2の人生として、地域に戻ってきたときに、彼らは、地域社会の常識に自分たちが合わせようとはされないのだということを痛感した。
時代錯誤なのかもしれないけれど、僕が育ってきたボランティアの土壌は、少なくともまず、感謝であった。へつらうのではない。まず、感謝からであった。
そのかけらも感じないあの人。どんな活動をされているのかは知らないが・・・。
なんだか、正直、あんな人たちとひとくくりに「ボランティア」といわれることにすら、違和感を覚えたわ。いっちゃいけないんだろうけど。




「モンスター・ボランティア」、とみたさん及びさきのaribohさんとはちょっと違った意味でも適用しうるのなら、被害を被ったことがあります。そのおかげで、いまだにボランティアなるものには、(不当な・過剰な)屈折した思いを抱き続けております。
違った意味でというのは、ボランティアの現場での「モンスター・ボランティア」ではなく、個人対個人、ボランティア経験者とそうでない人、その現場に飛び込めた人間としたくてもできなかった人間との関係性においてでも、「モンスター・ボランティア」問題は発生しうるし、それならば今に始まったことではない、という意味においてです。話題のファールを承知で書き込んでいます。
私が大学院に進学してまもなく持病が悪化し、郷里に強制送還、入院を経て療養のまま越年していた時のこと。震源からは距離がある隣県だったとはいえ、私の下宿をも揺らしたはずの阪神大震災は、テレビのなかでの出来事でした。
全国からボランティアが駆けつけたということもテレビや新聞でたびたび接しました。自宅を出ることすらほとんどない私には、自らボランティアに参加するとしないとにかかわらず、本来ならば身近な出来事であったはずの阪神大震災は、どこまでもメディアの中での出来事でした。
一年浪人して福祉系の大学に進み、卒業を控えていた同郷の友人から電話がかかってきたのは1月末だったか2月に入ってからだったか。依然として私は実家でくすぶっていました。
友人は、阪神大震災の現地へボランティアに行って来た、と、生々しい見聞を語ってくれました。現地の様子や、N○Kの生きすぎた取材など、郷里にいるときから“語る男”だった彼の話は、説得力があり、聞き入りました。
ところが、とめどなくつづく彼の話を聞いているうちに、私は初めに抱いていた興味深さではなく、不快感ばかりを募らせるようになっていました。それでも、今はそうでもありませんが、他称“聞き上手”であった当時の私は、聞く一方の長電話になっています。
できることなら何かをしたい、恐らくあの当時、多く人間がそう思ったでしょう。本来なら身近な災害として体験したはずだった私は、ここに至ってやりきれなさを自覚し、発生直後からなんとなくおぼえていた複雑な心情が顕在化してくるのを覚えました。
大学では人様の役に立たない、実用性も喫緊性もないことを学び、しかし決してデモシカではなく大学院に進みましたが、その生活も中断を余儀なくされ(不摂生からではなく、予防接種による可能性が高いB型肝炎でした)、実家でくすぶっている私にとっては、電話の向こうから聞こえてくる話は、そうした複雑な感情に油をそそぐばかりでした。しかし、役に立たないことばかりやってきた人間は、福祉やボランティアの話、しかも全国的に社会問題となっている話には、無条件降伏せざるをえません。
しかし主体性のない“聞き上手”だった私は、一方的な長電話をこちらから中断できず、ドツボにはまるばかりでした。今だったら、彼が無自覚のうちに抱いていた(と少なくとも電話の相手には感じさせる)優越感や自己英雄視的イメージ(彼はそうではありませんが、「青年の船」の類に参加した人間によくみられる現象……というと語弊があるでしょうか)を指摘したでしょう。
また、目の前の(正確には電話の向こうの)相手に対する想像力をまるで欠いておきながら、何が福祉だボランティアだ、と一喝したでしょう。携帯電話などない時代、実家はコードレスでさえなかったですから、電話のある寒い玄関のホールは冷え込むばかりです。そんなことまで想像力を求めるのは無理ですが、ドツボにはまる聞く一方の私は、心も体も冷えていくばかりでした。
しばらくしたある夜半、狂ったように叫び、玄関のガラスを叩き割る、ということがありました。すべての営みを中断しての自宅療養の空しさと、もはや事実関係の究明もできない(と、当時は思いました)衛生面の杜撰な予防接種、肝炎ということからそれまで蒙ってきた言葉の暴力への憤りなどがないまぜになってのものでしたが、電話の向こうの「モンスター・ペアレント」が引き金を引いた部分もあったように思いかえしています。
ごくごく個人的な経験から、我田引水に終始して失礼しました。とんだ書き込みを御放念の程、またレス等御放念の程、お願い申し上げます。