2018年02月21日

重度障害者等包括支援事業について(2)

 昨年の12月22日に、このブログに「重度障害者等包括支援事業について」  http://totutotu.seesaa.net/article/455716129.html
をエントリーした。

そのエントリーの最後は、

「少なくとも、国がもし、いわゆる重度障害者への支援をすすめる上で、重度障害者等包括支援を活用したいと思うのであれば、報酬をあげるだけでは明らかに不十分である。そのことを声高に主張したい。」

という締めで終わっている。

そして、先日2月5日の「平成30年度障害福祉サービス等報酬改定の概要」がでた。
まさか私の声がとりあげられたわけでもあるまいが、請求の方法がかわっていて、これまでとてもとてもわかりにくくなっていた仕組みが廃止になった。

@ 基本報酬の見直し

・ 他の障害福祉サービスの報酬算定の考え方を踏まえ、以下の報酬算定の取扱いを廃止する。
イ 提供したサービスの実績単位数が支給決定単位数の100分の95を超える場合 支給決定単位数とする。
ロ 提供したサービスの実績単位数が支給決定単位数の100分の95を超えない場合 実績単位数の95分の100を乗じて得た単位数とする。

 
確かに、わかりにくい仕組みを廃止した。が、これって、報酬さがるってことですよね?

そして、報酬構造
基本部分
イ 居宅介護、重度訪問介護、同行援護、行動援護、生活介護、自立訓練、就労移行支援、就労継続支援、就労定着支援、自立生活援助
(1) 1時間未満 ( 201単位 )
(2) 1時間以上12時間未満 ( 301単位に30分を増すごとに+100単位 )
(3) 12時間以上24時間未満 ( 2,499単位に30分を増すごとに+98単位 )

これまで、4時間802単位でした。

あれ?下がってますけど・・・

あげるんじゃなかったですか?

ロ 短期入所 1日につき ( 946単位 )
これは・・・(1)福祉型短期入所サービス費(T)896単位に重度障害者支援加算の50単位を足すってことね。

 この仕組み、これまでの重度障害者等包括支援事業の取扱いではとりあげてこられなくて、請求的には通っていたんですけど。
 そもそも2006年に重度障害者等包括支援事業ができたときには、短期入所には(T)(U)はありませんでした。その後の改正で、日中支援をいれた(T)と日中は別サービスの(U)という報酬算定単位ができました。しかし、重度障害者等包括支援は、短期入所の取扱いが難しく(支給決定単位の算定のときに、短期入所も組み入れて計算をする。つまり、短期入所何日という支給決定をしない)、理論的には組み入れになっていました。
 なので、短期入所に別だしで、ヘルパーを派遣したり、2006年当時ルールで、短期入所は一日報酬だけど、日中やヘルパーを使ったりができていました。
 ただ、このたびの改正でいうと(まだ、支給決定計算がでてきていないので、なんともいえませんが)、「他の障害福祉サービスの報酬算定の考え方を踏まえ」といわれると、この取扱いはだめになるということなのかと。
また、
ハ 共同生活援助(介護サービス包括型に限る)1日につき ( 997単位 )
と、もともと、算定基準がよくわからない共同生活援助。
 さきほどの短期入所の議論と同じく考えれば、これは「個人単位で居宅介護等を利用する場合(特例)」を運用して、重度障害者等包括支援のなかで、共同生活援助+居宅のダブルカウントをしていいのか?という話になる。そうすると、報酬的には少し高いですよね。

 詳細の事務処理要領まで待たないとたぶんだめなんでしょうけど、いままでの矛盾点を解消しないままの中途半端な、それも報酬をさげる改定は、ますます、重度障害者等包括支援事業の利用を引き下げてしますのかを懸念します。

posted by 凸凸 at 12:25| 大阪 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月16日

平成30年度 相談支援事業の改正について

先の2月5日の平成30年度障害福祉サービス等報酬改定の概要(障害者の報酬改定チームの資料)をもとに、相談支援事業に係る資料をつくってみました。

いやみったらしく(この前の2月3日の奈良のくらし支援ネットの私の話をきいた人はわかる)、国の居宅介護支援事業の資料の形を流用してつくってみました。

パワポであげるので、まちがいの訂正とか、活用とか、みなさんでお好きにどうぞ。
平成30年度相談支援事業見直しについて.pptx
posted by 凸凸 at 15:55| 大阪 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月14日

制度や法律と、常識との戦い

 この仕事と活動、をしているといわゆる『「身寄り」のない方』の「お見送り」をすることが少なくない。
それも長寿社会の今にしては、若くしてお送りすることになることが多い。

 この週末、脳性麻痺で一人暮らしをされていた方が逝かれた。
私とは20年近くのおつきあい。数年前には、お母さんを亡くされて、葬儀も出された(お手伝いをさせていただいた)。そのあとは、ほんとうに一人で暮らされてきた。

 脳性麻痺の二次障害で、横隔膜弛緩症になり、そこから、肺、腸といろいろな病気がでて、入院をしては、退院。その中で、数年前には腸を切除するという大きな手術も乗り越えられ、この2年ほどは入院もせずに暮らしてこられた。もちろんそれだけではなく、いろいろいろいろいろいろ。メインでかかわってくださったヘルパーの事業所さんには、ほんとうに感謝のことば以外ない。

 夏に一度、危篤になり、そこからいったん奇跡的に生還して、二度目の大きな手術も乗り越え、11月には退院まできまっていたが、残念ながら、帰ってくることはできなかった。

 ただ、ほんとうに、最後の最後まで、自分の意見や希望をきちんと伝えてくださった。そして、そのご意見や希望をただただ、「伝えて」、尊重するのが、私の役割だった。言語障害がきつく、トーキングエイドも使いながら、コミュニケーションをとられる彼は、それでもご本人の意思と理解を深めるためには、関係性と工夫がいる。

 長くかかわってくださった主治医の先生も病院さんも、そうしたご本人の意思や希望を最大限尊重してくださった。それだけではなく、家族ではない私に家族と同様の役割も担わせていただき、臨終のときもお電話をいただきよんでいただいた。

 ほんとうに信頼していただき、「家族」でない自分に病状や治療の方針を丁寧にご説明いただき、私も精一杯、ご本人の代行をさせていただいた。

 いっぽうで、いまの社会の中ではそのことは普遍化されるものではない。
 私は家族ではないのだ。
手術の同意でも大きく躓いたし、最後の最後も、生活保護受給者ということで、見送りの中で、私たちの思いははたせなかった。家族でなくても、なかまや支援者がたくさんいる。ということは、制度や法律の枠を簡単には超えられない。

 明日から、彼の遺志=私(たち)との約束を果たすために、また、戦いがはじまる。制度や法律と、常識との戦いだ。
 
 きっと、彼の思いと私(たち)の思いで、のりきっていける。そう信じている。

posted by 凸凸 at 15:42| 大阪 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月01日

2018年 新年のご挨拶

2018年になりました。
 
 旧年中はいろいろとお世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いします。
 めずらしく年末に風邪をひいてしまいました。2017年の想定外の激務でやっとほっ、とできるということで気が緩んだのでしょうか。それとも、年末に容量以上の激務を押し込んだからでしょうか。
 
 予定通りにいかないのが人生ですが、2017年は、2016年に見直したはずの生活がまた逆戻りをしてしまい、休みのない生活に戻ってしまいました。非常勤講師をやめたことが逆に作用して、べったり寝屋川という時間が多かったです。

 寝屋川では、ご存じの方も多いと思いますが、なんと都市計画道路の立ち退きにかかってしまい、大騒ぎになっています。また、時代の変化とともに、40周年を迎えるにあたり、今後の方向性を大きく変えることになりそうです。

 そんな中で、いろいろな団体さんとのコラボ事業、活動を積極的にすすめていくことになり、めずらしく、新潟県上越市や和歌山市に視察にいくということも経験しました。

 理念を守りつつ、時代に迎合せず、しかし、時代にあわせて、変えていくことが必要になります。しんどい作業です。

 講演などの依頼は、少しずつですが、ここ数年増やしています。
 定藤福祉記念研究会の連続研修会の企画にかかわらせていただいています。
その流れは2018年も続きそうです

いまの予定では、
1月20日(土) 東京 ふわりんクルージョン2018
2月3日 奈良にて くらしネットフォーラム
に登壇予定です。

 あと、少し書きたい思いがでてきています。今年は少しBLOGの更新頻度をあげたいといまはおもっています。

 本年もどうぞよろしくおねがいいたします
posted by 凸凸 at 08:00| 大阪 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月22日

重度障害者包括支援事業について

先週あたりで、医療・介護・障害の分野の報酬についての議論が一通り終わったかんじがある。
診療報酬・介護報酬・障害福祉サービス等報酬改定について
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000188402.html

もちろん、関係者にとってみれば、ここからはさらに具体的な話として、実際の事業の単価がどうなっていくのか、に注目は移っていく。それはご本人の負担にもかかわってくるわけで注目していかなければならないことはいうまでもない。

障害者総合支援法の関係でいえば、今回は法改正時の対応として、いくつかの点での改正や新設のサービスが予定されている。

それとは別に、とても注目していることは、平成18年度に施行された障害者自立支援法の中で、今回はじめて、その事業内容について改正がされるだろう事業がある。それが重度障害者等包括支援事業である。

とみた、そして、寝屋川市民たすけあいの会を知る方は、障害者自立支援法施行当時に、どれだけ苦労をして、この事業にたどりついたか、そして、その後もこの事業に積極的に私たちがたずさわっているか、を、ご存じだろう。
全国で、わずか30人程度しか利用されていない事業のうち、7人がうちである。

そして、施行当時に書いたものが以下である。

重度障害者等包括支援から障害者自立支援法の本格施行について考える
http://totutotu.la.coocan.jp/jiritusiennhoutobira.htm

重度障害者等包括支援事業は、実は平成18年9月27日にでた通知以外にほぼ詳細の事業内容について、まとまって解説したものがない。いわば「忘れられた事業」である。
その忘れさられた事業が、今回の改正で施行後はじめて改正されるそうである。

しかし、いまさら、どう変えようというのだろうか。
これまで、数少ないものではあるが、重度障害者等包括支援事業については研究が行われてきた。
私自身がかかわったものが以下の2つ。発足してすぐのときの研究事業である。
http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/resource/jiritsu-report-DB/db/19/009/report.pdf
http://www.houmon-no-ie.or.jp/office/jiritu-sien/20-jiritu-sien-report-top.html

このふたつに、施行前から、施行してみての課題点と問題点はすでに指摘してしまっている。

その後、障害者自立支援法が平成21年、24年に、そして総合支援法への流れの中で、改正されていく際に、まったく、重度障害者等包括支援事業はおきざりにされて、改正されてきた。

その間にもふたつの研究事業があるようである(私は直接は関係していない)
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/ce/2010/sh01.pdf
http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12200000-Shakaiengokyokushougaihokenfukushibu/h24_seikabutsu-08.pdf

このふたつの研究は、実は重度障害者等包括支援事業の対象者の中のT類型(筋ジスやALSの方を想定)を主たる対象者像として行われているようである。しかし、実は平成18年度施行以来、全国でひとりもT類型の方への重度障害者等包括支援事業のサービスが行われたことがないときいている。

なぜ、重度障害者等包括支援事業が広がらなかったのか
平成18年度重度障害者等包括支援事業ができたとき、重度障害者等包括支援事業の対象者像の支援を考えるときに、いくつかのメリットがあった。たとえば、行動援護のサービスが一日5時間上限であったのを(単価の問題はあるにしろ)、5時間の枠を超えて支援を行うことができた。
そういったメリットは、実はこの3,4回の改正の中で、それぞれのサービスが行えることになり、ほぼ消滅し、矛盾だらけの制度になりさがってしまった。

今回の30年改正にあたり、調査研究がおこなわれ、当会にも調査にきていただいた。
その際の報告書が国立のぞみの園の研究紀要P55〜
「重度障害者等包括支援事業のサービス利用の実態と運営上の課題」
http://www.nozomi.go.jp/investigation/pdf/report/02/ky10.pdf

として掲載されている。
それに、重度障害者等包括支援事業の課題について、まとめてくださっている。
つまるところ、広がらなかった主要因は単価と事務の繁雑さになってくるのだが。

重度障害者等包括支援事業、どう改正するのか

2017年12月12日から行われている障害者総合支援法の政省令案のパブリックコメントでは、以下のように重度障害者等包括支援事業についての改正案の記載がある。
指定重度障害者等包括支援
・ 「重度障害者等包括支援サービス利用計画」を「重度障害者等包括支援計画」に改める。
・ サービス提供責任者が重度包括支援サービス利用計画の策定に際し、担当者会議を開催する等を定めた規定を削除する。

 平成24年の改正において計画相談が全員につくようになった改正時に、重度障害者包括支援事業との矛盾がおこった。どういうことかといえば、重度障害者等包括支援は居宅介護事業に位置付いているにもかかわらず、サービス提供責任者は支援実務の経験のある「相談支援専門員」となっている。では、重度障害者等包括支援事業方のサービス利用計画は、サー責が書くのか、別の方が書くのか。が、不明確なままであった。そして、もっといえば、その役割についてはどう整理していいのか、が全くわからないままになっていた(ちなみに重度障害者等包括支援はサービス利用計画は年に1回の標準になっていて、モニタリングは実質はない=というより、それはもともと重度障害者等包括支援事業の事業の中に含まれている)。

 上に示した内容でいえば、重度障害者等包括支援事業を施設入所支援に近いものとしてとらえて、サービス提供責任者の仕事を施設入所支援のサービス管理責任者のような仕事にするのだろう。
では、それで改正になるのだろうか。

 重度障害者等包括支援事業の一番の矛盾点は、実は請求にかかわることである。
基準になる単位数の計算式が複雑かつ論理性に著しく欠けている。そもそも、4時間で800単位といいながら、その実、請求上では、30分100単位のサービスである。支給決定単位もそれを元にして、支給決定を算出する。そして、GHを利用しているのでなければ、非現実的な3ヶ月95%以下の支援量であれば、プランの見直しである。この仕組みは、請求の複雑さだけを生み出し、その結果として、(利用母数が少ないこともあるが、)対応しているソフト会社がほぼ存在しないという結果を生み出している。

 また、加えて、再委託という仕組みがさらに複雑にしている。もちろん、初期の文章に私が書いたように、再委託の仕組みは利用者サイドからみると、使える部分もある。しかし、事務の繁雑さとともに、処遇改善が導入されて、制度矛盾が如実にあらわれた。重度障害者等包括支援を利用していれば、重度障害者等包括支援の低い処遇改善%になる。再委託先が身体介護であれば、その実、20倍の%差がでるようなことも起こる。
 居宅(訪問)介護の支援として設計され、運用がされている介護保険の小規模多機能型居宅介護が再委託を制度的には行っていない。制度創設当初は、再委託(他事業所の利用)が利用者サイドからはできるようにという声も大きかった。
 その意味で、難しいが、このままの請求の仕組みではなんの解決策にもならない。

 少なくとも、国がもし、いわゆる重度障害者への支援をすすめる上で、重度障害者等包括支援を活用したいと思うのであれば、報酬をあげるだけでは明らかに不十分である。そのことを声高に主張したい。 
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2017年08月01日

「福祉」とスティグマ

「福祉」に【スティグマ】は大前提である。
福祉が「福祉サービス」として、サービス化する中で、「福祉」に付与されていた【スティグマ】が払拭されるという議論はそれこそ1980年代ごろから議論されていたことだった。社会福祉サービスと社会保険の議論でも行われ、それこそ、オランダ・ドイツの議論そして日本の介護保険の創設議論のなかでも行われてきた。

 昨日、FBでシェアさせていただいた「こども宅食」事業にかかる鈴木和樹さんのご意見の中で、この【スティグマ】が登場する。また、彼はフードバンク活動を貧困者支援ではなく「食品ロス」活動が前面にでるべきだという(メディア的に)。そして、どこの地域でも、フードバンク(的な)事業が公的に保障された活動として位置づけばと言われる。

 なるほど。と。思いつつ。
 チャリティ、ボランティア活動の歴史を思ったとき、また、理論的な社会福祉対象論を思ったときに、社会運動・活動としての彼の発信はわかりつつ、厳しいなぁと思ったのも事実。そして、日本でこの10年余、この世界を席巻してきている「社会起業家」という「魔術的」な戦術論が市民権を得たことを見せつけられているのだと思う。起業家は「ビジネスチャンス」を見つけ、それを事業化することによって起業する。社会起業も同じだ。そして、それはニーズをなんてかっこいいような言い方をしているが「社会起業家」も同じだ。ぶっちゃけいえば、彼らの中には、【スティグマ】なんてことばは自分たちの辞書にはないと活動に邁進する方もいるだろう。それは肯定的な意味でもだ。自分たちの活動を続けていくことで、社会・コミュニティが変わりスティグマも払拭されるだろうと。それはおそらくは正しくもあり間違っていることでもあるのだろう。
わかっていることは、その正否をきめるのは、私ではない。スティグマは受けた人、感じた人のものだ。

 こども支援(だけではない)が、「ほんとうに困っている人はつながっていない」のだ。そして、声もあげられないのだ。ファンドですら、自分たちの活動のために、対象者の写真や実情を求める。そのことは彼らにスティグマを付与する。私たちは「見えやすい」「わかりやすい」という権力的抑圧にここでも闘っていかなければならないのだ。あらためてそのことを強く思った文章だった。


 
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2017年06月13日

いわゆる高次脳機能障害者の地域での生活を再構築するための・・・

私が「学会的なもの」とから距離をとって久しい。そんな中で、とあることからそういった「学会的なもの」との接点を「視点」として、再度もつ必要がでてきた。
あまり、自分自身、研修というものに参加することもなく、現場で使われていることばも理念と解離されて使われていることも多いから、あまりそこに、力点をおくこともなかった。
また、福祉の分野でいえば、あふれまくる「カタカナ」用語のひどさは、90年代以降、どうしようもなくなっているわけで、そのどうしようもなくなっていることにきちんと立ち向かう気もなくしているから、改めて対峙するつもりをもたないと結構、どうしようもないなぁ、と感じていた。

 きっかけは、現場から。2年ほど前からうちに理学療法士さんが来てくれた。その理学療法士さんと会話を重ねる中で、おもったり、感じたりすること、そして、彼らの理念や専門性テリトリーを垣間きくなかで、自分たちがやっていることと、実際の多職種連携の支援のなかでおこってくる「すきま」と、「支援の連続性のためのマネジメント」をどのようにするべきなのだろうかという疑問を強くもつようにもなった。

 今回のエントリーのタイトル、実によくわからないタイトルだ。このタイトルをつけるにあたっても、さまざまな、横文字のことばをならべてみた。が、少しそれを調べてみると、あいかわらずのわけのわからない「カタカナ」用語の乱発で「意味がわからない」状況になっていることだけが露呈する。では、このことは、医療従事者なら(医療モデルなら)解消する、、、わけでも[ 当然]ない。検査の方法や術式などきわめて数値化ができているものをのぞけば、実はよくわからないことばがあちらも乱立しているようだ。その最たるものがエビデンスとナラティブだったりする。
 話をもどそう。
 当初はICFからの生活モデル、とか。ストレングスモデル、とか。つかってみようかと思ったが、いくつかの文献をみた瞬間にやめた。そのことばを使うことで誤解を招く気がしたからだ。

 いま自分たちは、大きな仮説をもとに、多職種支援のアプローチを実践している。この多職種支援ということばもよくわからないことばで、誰と誰、どの専門職とどの専門職がみたいな話になるとまた、めんどくさい。とりあえず、ここでは、かっこよく、理学療法士、精神保健福祉士、社会福祉士、介護福祉士、相談支援専門員 といっておこう。そうすると、多職種支援といっていいだろう。個人的には、毒を吐けばそれぞれどんな専門職やねん、資格をもっていれば専門職といえるんかい、といいたいところだが。だから、はじめにこの取り組みをするときに、それぞれの役割をきちんと明確化した。福祉職のスタッフはどうもここらあたりが苦手で、とくにうちのスタッフはすぐに「よりそって」しまう。別の場面ではとってもすばらしい実践力なのだが、今回のプロジェクトでは、そこは修正をしていただいた。

 高次脳機能障害者に限らず、中途障害者は「リ・ハビリテション」を強いられることになる。まさに、生活を取り戻す。生活を再構築していく。そのことは避けて通れない。進行性の難病による中途障害者と医療的な症状がある種固定される方とでも実は違っていて、再構築のやり方もかなり違う。
 今回の仮説はその中でも、脳損傷の患者で、身体的な障害が少ない(車いすは常用ではない)かつ、記憶障害、遂行機能障害、注意障害などがあると診断された方を対象に、「医療制度の中ではリハビリが終了」し、かつ、「就労支援(就労リハビリ)」の対象ではないといわれている方たちへの「リハビリ視点を加えた」生活再構築プログラムの有効性についての仮説である。
 この前者の「医療制度の中ではリハビリが終了」はわかりやすい。精神科のデイケアをのぞけば彼らに対して行われる医療制度の枠のリハビリは縮小している(もちろん、自費は別)。後者の「就労支援(就労リハビリ)」の対象は、よくわからない。わたしなどのいいかげんな現場的な視点をいえば、本人が就職したいと思ってとりくむことすべて、といいたくなるが、それはおそらくダメだろう。しかし、障害者総合支援法上の就労支援施設や職業訓練校がこれにあたるといわれると、なんかちがうよなとおもいつつ、うけいれざるをえないのかなともおもう。
 また、「生活リハビリ」ということばをつかおうかともおもったが、これもたぶん、違うなと。「生活リハビリ」はかの有名なM氏が高齢者支援の場面で広くつかったことばで、おそらくそちらの意味が強いのでやめた。そうすると、自分たちの思うことばがない。まぁ、ことばがなければつくってもいいが、それはあんまり思ってもいない。

 私たちが対象にしている方は、医療リハビリの世界の中では、リハビリ対象者になりにくい、リハビリの効果のあがりにくい方なのだそうだ。ご本人や、ご家族はリハビリを強く望まれている、が、リハビリを受けることができないという現状がある(訪問リハは除くが)
 批判をしても仕方がない。あたりまえである。医療リハは、短い時間の中で、強い効果性を求めてアプローチを行うものとされているのだから(そのことについてのはなしはここでは主題ではない)。また、退院に近づくにしたがって、とにかくも歩けてADLが自立、に近い方については、生活上のこまりごとは、記憶障害や遂行機能障害、そして、注意障害と称される障害だ。充分な時間がとれないなか、都道府県にある高次脳機能障害の専門のセンターに入所(・通所)して、という方もおられるだろう。そして、そこでは集中的にそれらの障害へのリハビリ?が行われる。
 そのセンターからの「地域移行」の支援ニーズがうちに近年、多く寄せられている。

 高次脳機能障害として称される
/なぜ、こんな言い方をするかというと高次脳機能障害という言葉がそもそも行政用語でしかないからだ。最近、このカテゴリーづけはやめてほしいと思う。「難病」というカテゴリーも広すぎて困る。狭い意味の「社会福祉」でいえば、支援の共通項は一定以上存するので、許容できなくはないが、医療から福祉、生活へのマネジメントのなかでは、かなりうっとうしい。共通言語化(コンセプト化・コード化)しにくくてしかたがない。/
「障害」も実はかなりあいまいで、また、それぞれの「障害」もよくわかっていないらしく手探りのようだ(私はここの専門家ではないのであいまいな表現になる)。脳損傷特有の半側空間無視などはもっと研究されてほしいと思う。
 わかっていることは、「なんらかの」脳の障害によって、行動に一定の「行いづらさ」があり、生活のしづらさが起こるという点である。中途障害に必ずある「障害の受容」はここでは前提中の前提なので横に置いておく(これはこれで大きな課題なのだが)。

 そこで、最近、研究や実践が進んでいる発達障害の方へのその中での支援・アプローチ方法を応用することと脳と身体の相互作用に強く着目して、生活スキルの向上と再構築に効果がみられるだろうという仮説をたてて実践を行っている。特に参考にさせていただいたのは、 水野敦之さんの「「気づき」と「できる」から始める フレームワークを活用した自閉症支援」です。
記憶障害や遂行機能障害、注意障害は、自閉症スペクトラムよりもADHDの方の行動に似ているように思われるかもしれませんが、方法論的には、フレームワークをつかい、
@視覚的なわかりやすさ →見通しをたてる →忘れたときにも確認ができる 
※記憶障害支援に使われるメモリーノートとの併用によって、日常生活の代償手段として身につけていただく
A遂行機能障害や注意障害のある方は、細部よりも全体に注目がいきがちになるので、細部に注目する特性をいかしたこの方法論を逆に活用して、細部への注目を行うように構造化を行う。
B環境のセットアップを「個人で集中できる環境」と「グループで行える環境」とを併用し、かつ、プログラムを個人・集団/グループだけではなく、「パラレル」=同じ作業をあえてグループにせず、個々で行うプログラムを導入して、注意の切り替えをトレーニングする。
C生活上にとくに課題にならない身体的な障害=麻痺に対しても、積極的にアプローチを行う

そして、この限られた空間・時間だけでなく、生活上にこれらのアプローを生かす工夫をいれていただく(実はこれが一番、難しい)。また、ご本人にはつらいだろうが、就労訓練もセットし受けていただく、などの総合的なアプローチを行う。この部分は、障害の受容にもかかわる。

 こういったアプローチは、いわゆる「福祉」ではない。また、「医療」でもない。個人のストレングスに着目するアプローチからすれば、介入しすぎだろう。しかし、過渡的に時期を決め、ICFでいう環境要因に対してのアプローチを「あえて作り出す負荷」によって行うことによって、生活スキルの向上と再構築に寄与できるのではないかと思っている。←これが仮説

 さて、こういった実践が、はたして学会的なものなのか、どうなのかは今後、問われていくだろう。現状は、その地平にはかなりの距離があることはよくよく承知しているが。 
posted by 凸凸 at 09:07| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月07日

今日が自分の49回目の誕生日だと???

おもっきり忘れていました。
今日は5月7日。自分の誕生日でした。

SNSで、まわりの方に教えていただいて気づくという
なんともはや。。。

この春は、何年かぶりにこれでもかこれでもかというくらいに忙殺されています。

昨年、48歳(4回目の年男)を気に、かわろう、かえようと、一年してきました。

そうして、いろいろなことが大きく変わろうとしています。

とっても忙しくまわっていない春。
相方から、そんなにこんつめてもできないから、一日ぱっと休みをとったらと助言をもらい一日休みをとりました。

気分転換に

野田藤
http://nodafuji.com
の町歩き

りっぱな恵比寿神社
http://www.noda-ebisu.com

に、出会いました。

で、

賢人
https://www.facebook.com/kashikobito/

で、昼まっから、とてもおいしい、にごり酒を。

このお店、何を隠そう、私の弟がやっている店です。開店して1年少しになります。
みなさんにかわいがっていただき、1年になりました。

おかげさまで、気分転換できました。

49歳になりました。
この一年、またいろいろと、変わっていくと思います。

よろしくおねがいいたします
posted by 凸凸 at 23:18| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月24日

社会保障政策と政策研究、反研究について思うこと

「居場所」は
政策的に
創って広げることを目的にするときには
使われてきたことばだが
今後の政策としては
おそらくは事業としては
「居場所」だけでは補助の対象にはされず
そこに、いろいろな「機能」が付与されなければならないと
なっていくだろう。
「わが・丸」の中心的施策になりながら、
おそらくは、少なくとも国事業としては
消えていくだろう。

この話としては、関係者はわかっていなければならないことだし、

そのことと
地域の中で、必要かどうかの話は別の話である

と同時に
政策的デザインとして、同じ土俵で議論すべきことかどうか、は、現場の者としては、考えておくべきことだと思うし、
そのことを議論されている諸研究者の方たちは、
ボトムアップ型実践をも、トップダウン型実践と同じく議論をしないでほしい。

いまの日本が危機的であるという視点はもちろん共有するが、マクロ(的)議論を仕掛けるための、全体論的思考のために、小さな実践を、自分たちの思考、論考のために「まとめる」ことは、
実は、論理展開そのものが、自分たちが批判をしている政策的論理となんらかわりのない論理展開であることに、きちんと気づいた上でおこなわれるべきだとおもう。

社会科学や政策科学のエビデンス主義的論考ではなく、きちんとした「科学」としての議論は、ミクロとメゾとマクロが、研究としては、必ずしも結びついていないことをきちんと諸科学の研究史から学んでおこなうべきだ。

いまこそ、丁寧な議論を望む。
posted by 凸凸 at 07:41| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月21日

「制度化」とひとりひとりにむきあうこと

 ここのところ、ずーと同じ疑問の中をぐるぐるとまわっている。

 まだ、アウトプットできるほど「ことば」にのっかっていない。

 つまりは。
 ○○な人を支援する とか、○○なこどもを支援する とか。
と、
ひとりひとりにむきあったときの「ズレ」をどう考えていったらいいのか。ということ。

 私たちは事業をやるときに、○○を対象にするといいます。
それが制度内だろうと私的サービスだろうと、公益的なサービスだろうと。

 それが必要であるといわれます。
お金を集める 制度でやる なんでもそうです。見える化が必要であるとも言われます。

 私たちはいろいろなきっかけで、いろいろな方に出会います。出会い方はさまざまです。
それは、○○な人を集めるではないのです。
 
 出会った人に対して、できることをする。それはカテゴリーではないのです。
でも、なにかをしようとすると、そのカテゴリーに因らないといけないことになっています。

 すっきりしないのです
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2017年03月16日

インフィニティ

ものすごく思いつき的な書き込みですが。
インフィニティマークってあるじゃないですか。

これね
地域福祉っていうのかな、地域活動、地域政策っていうのかな。
どんどん、小地域、居住地域ベースのローカル・コミュニティをベース理論にしようとしているじゃないですか。
それは一方で、閉鎖性を伴うわけで。
そのいろいろな弊害も当然あるわけでしょう。
もちろん、効果性も当然ありますけど。

サービスの近接性(アクセシビリティ)としてのローカル・コミュニティだけでは語られない部分があるわけで、それがいまの「我がごと丸ごと」(我・丸=わがまる、っていんだってね)なんかには見え隠れするわけで。まぁ、ある種の政策的示唆ですわな。おそらくイデオロギー化しそうだったりもするし、そうなっているかもしれないけど。

日本で言えば、そもそもは(歴史的にいえば)地方政府が、コミュニティの集合体によって、形成されてきてみたいな歴史があるから、中央政府がそれを活用しようという政策的な打ち出しはこれまでも何度もおこなわれてきたし。

ただ、考えなければならないことは、残念ながら、ローカルコミュニティ政策は、それだけではインクルーシブなコミュニティにはなりきれず、かならず「排除」システムが起動すること。また、ローカルコミュニティ自体が排他性を起動し、そのコミュニティが、構成員ひとり一人の「幸福満足度」をたかめるために、コミュニティ自体の独立性を担保しようとうごくこと。すなわち、その意味でも多様性を排除すること。

社会課題を解決するというNPO、社会企業という仕組みすら、日本ではどうもローカルコミュニティベースに傾きがちになってきている昨今。

ものすごく、思いつきで、インフィニティマークのように動く人がいるよなぁ、って。
伝わるかしら?

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2017年01月31日

自分自身の立ち位置

 1/21の奈良 くらしネットフォーラム
 1/29のふわりんクルージョン

 その間に地元 寝屋川での浜松 ダダクリニックのみなさんとの勉強会

数年ぶりのこの話を続ける過密スケジュール。もちろん、この時期のバタバタは当然、おこるわけで。

ついでにインフル渦もくるわけで💦

 奈良は廣瀬明彦さんを偲んで、というより、彼に(清水さんのことばを借りれば)薫陶をうけた奈良のメンバーが昨年からやりはじめたフォーラム。生前、さんざんにお世話になった廣瀬さんへの少しの恩返しの気持ちで、これだけはオーダーを断らず、いつもの「超めんどくさいやつ」を返上して、素直に応じているお話です。まぁ、きっかけは、西宮の清水さんの「やりたないんか!」といういつもの飲み会の席のひとことできまった話だったりしますが。
 昨年は、山田優さんの体調不良によるキャンセルがあり、それはそれという会でしたが、そのリベンジで今年は山田優さんのお話をお聞かせいただき、北野誠一先生と清水さんとのセッションというある意味、いつものメンバーで、西宮でないところでそれをやったという感じもありつつ。
 ですが、なにが違うって、今回は、北野先生をはじめみなさんの「とみたの頭の中、思考をのぞきたい」という恐ろしいオーダーがあり、それにお応えをしました。

 もう二度とないです。暴れ馬を放牧するとどういうことになるか、よくおわかりいただいたとおもいます。

 ききにきていただいた旧知のすばらしい実践家であり理論家の方が、「まとめてほしかった」とFBにお書きいただいていましたが、おそらく聞かれていた方は、私が何を話しているのかが、ほぼおわかりいただけなかったのではないか、と思います。

 講演の時間のはじめにも申し上げたのですが、おおよそ福祉とは無縁の話が、それもばらばらの分野で展開をしていきます。「地域」の話になるとまさにその論理展開になってしまいます。ミドルレンジが私の本来のフィールドなので、全方向性の中から可能性をさぐる方法論を常に頭の中で展開をしつづけていっているのでなかなかにむちゃくちゃになります。
 自分の中では論理性があるのですが、学術的に理論化されているAの分野のものと学術的に理論化されているBの分野のもの でもそのAとBは関連性に言及されていないものを「人のくらし」というリアリズムでつないでいるという論理性はなかなか共有しにくいものなのだとおもいます。
 すいません。って感じです。おそらくは、バラバラで、鮮烈なリアルキーコンテンツだけが残られたのだろうと。
 ただ、講演の中でも申し上げましたが、9月にほんとうに久しぶりに、千葉・ばおばぶの五十嵐さんとお話をさせていただいたときに、「わかりやすい話はしない」という意味のことをおっしゃっていて、それにとても共感をさせていただきました。なんでも「わかりやすく」しないといけないということは、ともすれば、「考えない」「調べない」ことにつながっているいま。みなさんがそれぞれ考えていただければ、と。偉そうですがそんなメッセージを込めさせていただきました(これが前回のエントリーの大学の講師をやめることの理由の一つでもあります)。
 考えましょう 疑問をもちましょう みなさん

 で、一昨日は始発で東京へ。
 いまや超有名人の戸枝さんからの年に1度の生存確認のための出席依頼のふわりんクルージョンなんですが、こちらに関しては、まったく素直でないいつもの「超ひねくれ者」。今回も、さんざんにひねて出演拒否を繰り返しておりました(すいません。私、基本、講演を素直にお受けしませんので。)。
 週末に自分も支援に入っている一人暮らしのメンバーさんがインフルになり、それにかこつけて、ドタキャンも考えましたが、(実はまじにうつされたと思いました。いまはまだだいじょうぶですけど)結果、参加させていただきました。
 こちらは、超有名人の豊中市社協 勝部さん。毎日新聞の論説委員の野沢さん。SNOW DREAMS 山口さん、そして横浜市 小林さん。とご一緒という またしても、気後れする(だれですか、うそだと言っている人は)メンバーの中にぽつりと一人。場違い感満載。
 奈良のときに、山田優さんが、NPO法人 抱樸 の奥田知志さんとのお話をされていました。時期を同じくして、ちょうど寄り添い支援のことで、奥田さんも書かれていた本を読ませていただいていて、そしてまさにこのシンポジウム&分科会での与えられたテーマが、「生きづらさ」を抱える人への寄り添い支援というテーマでした。
 ひねくれている私は、おなじく登壇されるみなさん(周知のかたばかりですので)がおそらくされるだろうお話を予測して、あえての課題提起をもち、私たちとともに歩んでいただいている「多久寛子さん」をお連れしました。多久寛子さんについては→動画です
 生きづらさを抱えるとか、寄り添い支援とかいうと、なぜか発達障害とか軽度の障害の方(だけ)がクローズアップされてしまいます。それは議論を矮小化することにしかならず、課題や問題を覆い隠してしまいます。私は「支援とは何か」「サービスに絡みとられない生活とはなにか」そんな問題意識をもっています。
 今回、当初はやまゆり園の件の話をしてほしいという応えられないオーダーがあり、そのことは裏テーマのように分科会では少しだけ話されましたが、私としては、ご自分によっての「地域」を作り、そこで堂々と「多久寛子」として生きておられる彼女(あたりまえなんですけど)をどまんなかでご紹介させていただくことが当初、そして、今回のテーマに関するお答えであり、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。
 冨田のところの でもなく 寝屋川市民たすけあいの会に支援されている でもなく 重度の知的障害者のでもなく、 そんな冠言葉はいっさいない 「多久寛子」という人をして。

 控え室、分科会はなかなかに濃かったです。何しろあのメンバーでずっと話をしているわけですから。って言っても、野沢さん、小林さんとは15年ぶりくらいに直接お会いしましたし、勝部さんにいたっては20年くらい前に一度お会いしただけなんですけど。すばらしい時間を過ごさせていただきました。
 その中で、地域の中での発達障害の方の支援の話や高次脳機能障害の方の支援の話、そしてその方たちとの精神科医療との話もしました。ちょうど22日に寝屋川で浜松ダダクリニックの方をおよびして寝屋川のメンバーとの勉強会をしていました。その話は、また改めてにします。このときは寝屋川市社会福祉協議会社会福祉法人みつわ会、そして、三家クリニックというメンバーでした。
 そうそう、私の所属する寝屋川市民たすけあいの会はあくまで、地域の触媒役であり、先駆性と開拓性をもつことをミッションにしているので、事業をバンバンやっている団体でも事業所でもないでしし、本来、実践を外でお話できるようなレベルのことができているわけではないです。
 外でお話をさせていただくと、なんだかすごいことをやっているようにきこえてしまって、ものすごく罪の意識にさいなまれます。現場では毎日毎日、うまくいかずへこむことの繰り返しです。「おまえは偉そうにしゃべっているらしいが、なにもしてくれないではないか」といわれるばかり。でも、少しでもなかまを増やし、少しずつ歩んでいくしかない。それが前だろうが、後ろだろうが、右だろうが左だろうが。

 ふわりんクルージョンが終わった後、帰る前に、戸枝さんと少しだけ、お話させていただきました。
 もうすぐお互い50歳。
 「50歳、大きいよな」

 大きな人生の転換期 節ですね。

 今日、また生きていきます。
 
posted by 凸凸 at 07:29| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月28日

今年度で大学などの非常勤講師をやめます

お知らせ?
 私は24歳のときから大学や短大、専門学校の教壇に立たせていただいてきました。2003年に院生を引退?し、ほぼ現場の人としてやってきた間も非常勤講師として、数校行かせていただいてきました。
 
 が、今年度限りで大学、専門学校の非常勤講師はやめさせていただきことにしました。

 いままでありがとうございました。
posted by 凸凸 at 16:21| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月01日

2017年1月1日 新年のご挨拶

 2017年になりました。
 旧年中はいろいろとお世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いします。
 2016年も熊本・大分地震をはじめ、日本国内でもさまざまな災害がおこり、たいへんな一年になりました。
人智を越える自然の力に対して畏敬の念を抱くしかないと同時に1日1日を大切に生きるこを感じる毎日です。

 2016年で4回目の年男をむかえ、日々の生活を見直すことを考えました。
そういった意味では大きく考え方を変えました。おこがましい言い方をさせていただければ、「トップランナー」をあきらめいろいろな意味でプライドを捨てました。自分しかできないこと、自分がいる前提でしかつくっていなかったことを見直しました。少しずつ、休みをつくるようにもしました。また、数年来行っていなかった外にも出て行きました。
 もちろん、すぐには変えられないことも多いので2017年も引き続きになります。

 2017年ですが、いまの予定では、大学院の博士課程に進学したときからずっとやらせていただいていた大学、専門学校の非常勤講師をやめます。ここ数年は半期だけお世話になっていた大学があったのですが、こちらの調整と先方の事情があわず、いよいよやめることになりました。
 逆に、講演などの依頼は、少しずつですが、ここ数年増やしています。いまの予定では、
1月21日 奈良にて くらしネットフォーラム

1月29日(日) 東京 ふわりんクルージョン2017

2月23日(木)北河内高次脳機能障害ネットワーク主催北河内高次脳まつり 高次脳機能障害地域支援の実際

 が決まっています。
 そんなにたくさんの講演をどんどんお受けする気はありませんし、また、そんなニーズもないでしょうが(もう時代遅れでしょうから)、ぼちぼちとやっていこうとおもってます。

 所属団体では、今年はいろいろな意味で打って出る昨年からの流れがより進んでいくと思います。

 本年もどうぞよろしくおねがいいたします。

 
 
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2016年12月17日

鈴木大介「脳が壊れた」新潮新書

フェイスブックではたまに、本や映画を紹介することはあるけれど、自分が興味があるとか読んだ、みたくらいの紹介で、この本をぜひ!ということはめったにないのですが、この「脳が壊れた」はぜひ、手にとって読んでみて欲しい一冊です。

鈴木大介さんというライターさん。
私たちの世界に近接している分野の方は目にされたことがあるライターさんかもしれません。「最貧困女子」など社会の「底辺」といわれるところで生活している方たちの現状をルポという形でこれまでも多く取材し、発信してきた方のお一人です。

この本、その彼の仕事のスタンスをもろに反映した形で書かれていますが、中味は高次脳機能障害体験記になっています。一体験記としては、「体験記」としての意味としてのそれぞれの評価がありますが、一番興味深いのは、彼が自分が苦しんでいる症状が、これまで取材などを通して接してきた方たちの「症状」に類似していることに気づくところです。彼の表現をお借りすれば「苦しみを他者に伝えられない」ことであり、目線をあわせて会話ができない、などの症状の共通性を高次脳機能障害と発達障害の共通性や精神疾患をかかえる女性、虐待をうけて育ってきた方の症状との共通性を自分の症状としてのべていくのである。

P232 「やはり原因が脳梗塞であれ脳出血であれ、脳外傷や先天的障害であれ、脳を壊した人間の感覚やパーソナリティの表出には、共通性がある。」

彼はリハビリ医療(←この言い方には違和感があるが)に対して、高齢者にだけ消費されるリハビリをもっと、自分たちが出会っているこどもたち、青年たちにまわしてほしいという。それは、自分が体験したリハビリを発達障害や精神疾患などをかかえるこどもたちのために活用として欲しいと体験から思うからだと。

まさに、これはいま私(たち)が、高次脳機能障害とともに取り組んでいる視点と共通する。
そして、それは批判をおそれずにいえば、いまのリハビリが病院内視点にどんどんと押し込められていて、細分化縦割りになり、トータルな生活的視点を失っていることにもなる。また、リハビリの一番大きな「要因」の一つであるメンタリティーの課題をつきつける。病院での「患者」(役割)でなく、社会復帰したい、社会へ参加したいとおもう「回復(recover)」者へのリハビリの可能性をみせてくれる。

ぜひ、福祉、療育、リハビリにかかわる専門職のみなさんに読んで欲しい一冊である。

https://www.amazon.co.jp/脳が壊れた-新潮新書-鈴木-大介/dp/4106106736/ref=cm_cr_arp_d_product_top?ie=UTF8
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2016年12月12日

奈良フォーラム

2017年1月21日土曜日の出番。
北野先生にすごいお題をあたえられています。

いま、お話することを考えていますが、

国の考えていること
これからの社会でおこること、考えないといけないこと

マクロとメゾ

私の思考
あんまり、政策的なことばかりになってもおもしろくないでしょうから、
マクロメゾとミクロ
四つを

四等分して
話させてもらおうかと思っています
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2016年11月26日

現代社会での「社会保障」と「公衆衛生」と実際

 私自身の不勉強を明らかにする話であるが、ちょっととある「事件」に直面することになっていまの現代の日本地域社会の変遷の中で、こりゃまずいと気になったことがある。社会福祉(保障)の中での「公衆衛生」についてである。

 高齢社会である。地域包括ケアということがいわれて、病院への入院でのケアではなく地域(施設など)も含むケアの時代であると政策的に流れを作っている。作っているというのは事実ではないな。つくらざるをえなくなっている。財政的に。

 「病院」の役割というものは、社会的な「病院」の役割や位置づけという研究がたくさんあって、病院が治療の場であるのか否か。その際の治療とはなにか、という議論も山ほどある。日本の場合は「赤ひげ先生」の話がでてきたりするし、看護の世界の話でいうともっとたくさんでてくる。ここで書きたいのはそこではない。
 事実として「『病院』での『医療』がいまの流れでいえば、在宅医療・地域医療というカテゴリーで流れ出してくる時代」の中で、18世紀?から20世紀にかけての「公衆衛生」のコンセプトが表立ってでてこない中で、果たして在宅医療や地域医療は機能するのだろうか、ということである。
 先に書いておくが、「公衆衛生」の歴史は特に20世紀の中では「福祉国家」の社会保障の中でとくに中心的に取り上げられているので、そこには国家による戦時下(的)管理政策と親和性があり、「負」の側面も当然指摘されなければならない(ここでは特に「優性思想」を意識して書いている)。その「負」の側面を意識下に置きながらも一般論として社会保障のキーコンセプトの「公衆衛生」について考えたい。
 
 というより、私たちがいかにそこに無頓着であるか。という反省である。
 
 私自身、あらためて、「公衆衛生」というものを調べようとしてみて、「えー」という感じになった。
中高生の当時に習った「社会」のレベルから知識がまったく深まっていない事実に愕然としたのである。
 
 なんとなくの知識としてあるのは、都市化・スラム化とコレラの話。そして、上下水道の整備
http://d-arch.ide.go.jp/je_archive/english/society/book_x1_d04.html
 そして健診である。

 それ以上の知識は・・・ない。
 社会保障は年金、医療保険、公衆衛生、雇用保険、社会福祉と5つの横並びと教えているにもかかわらずあまりにあたりまえだ。が、公衆衛生とは何か、と問われると、上にあげた知識以上のものがない。

 先に書いたように、病院が「医療」を提供するようになって私たちの生活は一変した。生活の中で「病」にならないような個人、家族、地域社会、国家の取り組みがすたれ、

「病気」になったものが「病院」に行き「医療」を受ける

ことが当然の生活シーンになった。

最近は、「健康」を消費することが「病気」にならない=「病院」に行き「医療」を受ける、ことにならないというコンセプトになり、「健康教育」が「公衆衛生」然のように語られる。

 感染症についての話も然り。

 だが、この国の現状の崩壊は、感染症に感染したあとの予防施策への公共的投資の貧困さ。
予防するためのという予防薬への投資という「病院」にいき「治療」をうけるという構図をそのままにしたような保健。

 貧困化と高齢化、そして、地域医療の進行の中で、どうにもならない負のスパイラルがすすんでいるように思う。

 災害支援のときに常に言われ続ける話と同じだ。「災害」は、地震や台風だけではない。おそらく「感染症」も私たち「コクミン」にこの国が崩壊している事実をつきつけるだろう。



 
 

 
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2016年11月18日

これまでの20年これからの20年(1)

 2000年に介護保険がはじまってから5期15年がたち、もうすぐ16年目がすぎようとしています。
日本の「社会福祉」制度にとって、劇的な変化・ターニングポイントとして語られる介護保険の制定は、いよいよ次の段階に入ろうとしているように見えます。もちろん、政治的な視点を欠かすことはできません。民主党政権下の話をどう評価するのか、いまの政治的な流れをどうみるのか。
 しかし、社会の流れとして、世界的な政治的な流れではなく、世紀がかわってからの15年。日本の「お得意な」外在的な影響ではなく、内在的な要因からの社会構造の変化をきちんとキャッチアップできずに、また、有効な対策を打てずにここまできていることはしっかり認識をしておく必要があるように思います。

 1989年ゴールドプランができました。その前後に語られていたのは、「2025年に日本の高齢化は25%を超えます。そのための対策を」でした。その人口推計の甘さは当時から一部指摘されていたところではありましたが、その当時にこれらのことに触れていた人間にとっては「2025年」が政策的ターゲットであったことはいうまでもありません。この2025年がいつ修正されたのか、実はそれほど遠い話ではなく、実際に25%に近づいてから言わなくなった感じがします。というより、そういう言い方をやめたというのが正しい語りになるでしょうか。結局、高齢化率のことだけでいえば、2012年から13年にかけて25%をこえてしまったわけです。1990年を起算にすれば、予想の1.5倍近くのスピードで高齢化が進んだという言い方になるでしょうか。

 高齢化のスピードについて触れることがここでの主題ではありません。また、みなさんご存じのとおり、またたくさんの方が言われているように、日本のこの手の政策の方向性がいまだに高度経済成長期の政策もモデルの域を脱しておらず、方法論的には根本的な対策をうてないままにきているという指摘が正論なのでしょう。「いまだ高度経済成長の幻想にとらわれている」、と。

 そんな評論的な事実をみながら、それをただ「狂った歯車」とみるかどうかなどとやっている時間はわたしたちにはありません。人は生き、生活をしていくわけですから。そのために、いろいろなことが考えられています。が、事実として起こっている現象について、政策的かつ評論的に示される事実よりも悲惨な現状が目前にあります。

 私が今後の20年を考えたときに(自分も生きているかどうかわかりませんが)、一番の憂い(国内)は東京圏一極化集中と地方の消滅です。
 過疎ということばはご存じかと思いますが、過疎なんていうことばで語れない現状がいま日本の国内でおこりつつあります。もともと日本の中で過疎ということばが使われたのは、高度経済成長まっただ中の1965年ごろです。実は高度経済成長そのものの裏でおこっていたのが過疎化だったわけです。
 福祉や医療の世界の中でも、過疎地域の話は高度経済成長期やその後の時期でも繰り返し取り上げられてきていますよね。社会福祉協議会の住民主体をうたった旧「基本要綱」もその策定の会議が行われた山形などの実践を色濃くもったものでしたし、地域医療の実践も岩手や長野などが有名な実践として繰り返しいわれてきました。もともと、なぜここまで国土の隅々までという話も歴史的にはいろいろな背景がありますが、主題と関連ずけられるのは、日本列島改造論以降、80年代から起こってくる全国隅々までの道路網の整備と「ストロー現象」といわれる現象がおこってくる時期になると思います。
 日本は都市計画という考え方がきわめて薄い国です。また、それゆえか、歴史ゆえか、都市計画がなじみにくい国でもあります。(続く)

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2016年11月17日

「医療介護の保険者機能の強化」

「医療介護の保険者機能の強化」

ききなれないことばだが、昨日ふれた経済財政審議会の資料や財務省の資料の中で、今年よくみることばである。
簡単にみつけることができる資料が以下である。

厚生労働大臣が経済財政審議会に出した資料である。
http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/minutes/2016/0511/shiryo_06.pdf

この資料、5pのスライドだが
1 基本的考え方
● 社会保障制度の充実・強化とともに、重点化・効率化を進め、国民負担の伸びを抑制
経済・財政と調和のとれた社会保障制度に。
● 中長期的な視野に立った社会保障のあり方を見据え、その実現を図る。
改革工程表に則って着実に改革を推進

2 医師の地域偏在・診療科偏在の解消に向けた強力な取組の推進
経済財政運営と改革の基本方針2015(平成27年6月30日)
「人口構造の変化や地域の実情に応じた医療提供体制の構築に資するよう、地域医療構想との整合性の確保や
地域間偏在等の是正などの観点を踏まえた医師・看護職員等の需給について、検討する。」

3 医療・福祉人材の最大活用のための養成課程の見直し
複数の医療・福祉資格を取りやすくし、医療・福祉人材のキャリア・パスを複線化。
→具体的な取り組み 
○ 医療・福祉の複数資格に共通の基礎課程を創設し、資格ごとの専門課程との2階建ての養成課程へ再編することを検討。
○ 資格所持による履修期間の短縮、単位認定の拡大を検討。

4 地域包括ケアの深化に向けた新たな施策展開
地域包括ケアシステムは、高齢者等の多様なニーズに応え、自立し充実した地域生活の実現
を目指すもの。これまで、地域医療介護総合確保法等に基づき高齢者施策を軸に推進。
今後はさらに、地域の生活支援サービスの育成・支援を図る仕組みを整備しつつ、医療、介護
等の公的サービスとの適切な組み合わせにより、高齢者のみならず、地域で支援を必要とする
方々の暮らしを支えられるよう、地域包括ケアを深化させていく。具体的には、
アクセプト 医療・介護の保険者機能を一層強化し、そのリーダーシップの下で、医療・介護の質の
向上や予防等の取組を強力に推進。
アクセプト 高齢者のみならず、地域住民の多様なニーズに応えるため、地域コミュニティにおける
「支え合い」の機能の充実や民間事業者による保険外サービスの育成・活用を推進。
対象者ごとに整備されている福祉サービスも、「タテワリ」から「まるごと」へと転換(「地域
共生社会」の実現)。
アクセプト 医療分野等のイノベーションを促進する振興策を積極的に展開。また、公的サービスを補
完する民間の活力・資金を積極活用(ソーシャルインパクトボンド の活用等)。

5 イノベーション促進と民間活力の積極活用
医療・介護サービスの質の向上 関連産業の振興によるサービスの充実 社会保障の効率化


この資料に凝縮された現在の施策の方針のエッセンスが盛り込まれている感じがある。

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2016年11月16日

「経済・財政再生計画 改革工程表」

「経済・財政再生計画 改革工程表」というものをおききになったことがあるだろうか。
もともとは平成27年の12月に 経済・財政一体改革推進委員会 のなかで提示されたものであり、順次分野ごとに改革の工程表というものがしめされている。

昨日、引用させていただいた柴田悠氏の著作にもあるように、日本の財政問題は超高齢社会のなかで社会保障費の抑制の問題に中心がおかれるようになっている。もちろんそのことを盲目的に受け入れる必要があるのか、否かという課題もあるし、世代を超えた形での再生を担っていかないとそもそも国が沈没するという趣旨の立て方もある。しかしながら、官僚的(?)には、とにかく目の前のことを分析し、対策をたてていく必要があるという立て方をされているように見える。

社会保障分野に関する工程表
http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/reform/280428_devided/report_280428_3_1.pdf
• 医療・介護提供体制の適正化
• インセンティブ改革
• 公的サービスの産業化
• 負担能力に応じた公平な負担、給付の適正化
• 薬価、調剤等の診療報酬及び医薬品等に係る改革
• 年金
• 生活保護等

となっている。
この資料にそれぞれの細目分野に改革の工程表がついている。

この工程表をよくみてみると、最近によくマスコミに取り上げられる項目がすでに取り上げられていることがわかる。
そのもとになっている経済財政諮問会議。その中に実は社会保障ワーキングという検討会議があり、その会議の中で、財務省からこのところ繰り返し出されてきている資料の基になっているような資料をみることができる。
http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/reform/wg1/index.html
数日前から騒がれている年金の方式の改革なども「きちんと」この会議の中に取り上げられている。

http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/reform/wg1/index.html
平成27年8月からすでに15回開催されているこの会議。

その内容や方向性が現在の政策的な方向の軸になっているが、その中身はでは一体何なのか。

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暮らしネットフォーラム2チラシ.pdf
posted by 凸凸 at 07:12| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする