2017年06月13日

いわゆる高次脳機能障害者の地域での生活を再構築するための・・・

私が「学会的なもの」とから距離をとって久しい。そんな中で、とあることからそういった「学会的なもの」との接点を「視点」として、再度もつ必要がでてきた。
あまり、自分自身、研修というものに参加することもなく、現場で使われていることばも理念と解離されて使われていることも多いから、あまりそこに、力点をおくこともなかった。
また、福祉の分野でいえば、あふれまくる「カタカナ」用語のひどさは、90年代以降、どうしようもなくなっているわけで、そのどうしようもなくなっていることにきちんと立ち向かう気もなくしているから、改めて対峙するつもりをもたないと結構、どうしようもないなぁ、と感じていた。

 きっかけは、現場から。2年ほど前からうちに理学療法士さんが来てくれた。その理学療法士さんと会話を重ねる中で、おもったり、感じたりすること、そして、彼らの理念や専門性テリトリーを垣間きくなかで、自分たちがやっていることと、実際の多職種連携の支援のなかでおこってくる「すきま」と、「支援の連続性のためのマネジメント」をどのようにするべきなのだろうかという疑問を強くもつようにもなった。

 今回のエントリーのタイトル、実によくわからないタイトルだ。このタイトルをつけるにあたっても、さまざまな、横文字のことばをならべてみた。が、少しそれを調べてみると、あいかわらずのわけのわからない「カタカナ」用語の乱発で「意味がわからない」状況になっていることだけが露呈する。では、このことは、医療従事者なら(医療モデルなら)解消する、、、わけでも[ 当然]ない。検査の方法や術式などきわめて数値化ができているものをのぞけば、実はよくわからないことばがあちらも乱立しているようだ。その最たるものがエビデンスとナラティブだったりする。
 話をもどそう。
 当初はICFからの生活モデル、とか。ストレングスモデル、とか。つかってみようかと思ったが、いくつかの文献をみた瞬間にやめた。そのことばを使うことで誤解を招く気がしたからだ。

 いま自分たちは、大きな仮説をもとに、多職種支援のアプローチを実践している。この多職種支援ということばもよくわからないことばで、誰と誰、どの専門職とどの専門職がみたいな話になるとまた、めんどくさい。とりあえず、ここでは、かっこよく、理学療法士、精神保健福祉士、社会福祉士、介護福祉士、相談支援専門員 といっておこう。そうすると、多職種支援といっていいだろう。個人的には、毒を吐けばそれぞれどんな専門職やねん、資格をもっていれば専門職といえるんかい、といいたいところだが。だから、はじめにこの取り組みをするときに、それぞれの役割をきちんと明確化した。福祉職のスタッフはどうもここらあたりが苦手で、とくにうちのスタッフはすぐに「よりそって」しまう。別の場面ではとってもすばらしい実践力なのだが、今回のプロジェクトでは、そこは修正をしていただいた。

 高次脳機能障害者に限らず、中途障害者は「リ・ハビリテション」を強いられることになる。まさに、生活を取り戻す。生活を再構築していく。そのことは避けて通れない。進行性の難病による中途障害者と医療的な症状がある種固定される方とでも実は違っていて、再構築のやり方もかなり違う。
 今回の仮説はその中でも、脳損傷の患者で、身体的な障害が少ない(車いすは常用ではない)かつ、記憶障害、遂行機能障害、注意障害などがあると診断された方を対象に、「医療制度の中ではリハビリが終了」し、かつ、「就労支援(就労リハビリ)」の対象ではないといわれている方たちへの「リハビリ視点を加えた」生活再構築プログラムの有効性についての仮説である。
 この前者の「医療制度の中ではリハビリが終了」はわかりやすい。精神科のデイケアをのぞけば彼らに対して行われる医療制度の枠のリハビリは縮小している(もちろん、自費は別)。後者の「就労支援(就労リハビリ)」の対象は、よくわからない。わたしなどのいいかげんな現場的な視点をいえば、本人が就職したいと思ってとりくむことすべて、といいたくなるが、それはおそらくダメだろう。しかし、障害者総合支援法上の就労支援施設や職業訓練校がこれにあたるといわれると、なんかちがうよなとおもいつつ、うけいれざるをえないのかなともおもう。
 また、「生活リハビリ」ということばをつかおうかともおもったが、これもたぶん、違うなと。「生活リハビリ」はかの有名なM氏が高齢者支援の場面で広くつかったことばで、おそらくそちらの意味が強いのでやめた。そうすると、自分たちの思うことばがない。まぁ、ことばがなければつくってもいいが、それはあんまり思ってもいない。

 私たちが対象にしている方は、医療リハビリの世界の中では、リハビリ対象者になりにくい、リハビリの効果のあがりにくい方なのだそうだ。ご本人や、ご家族はリハビリを強く望まれている、が、リハビリを受けることができないという現状がある(訪問リハは除くが)
 批判をしても仕方がない。あたりまえである。医療リハは、短い時間の中で、強い効果性を求めてアプローチを行うものとされているのだから(そのことについてのはなしはここでは主題ではない)。また、退院に近づくにしたがって、とにかくも歩けてADLが自立、に近い方については、生活上のこまりごとは、記憶障害や遂行機能障害、そして、注意障害と称される障害だ。充分な時間がとれないなか、都道府県にある高次脳機能障害の専門のセンターに入所(・通所)して、という方もおられるだろう。そして、そこでは集中的にそれらの障害へのリハビリ?が行われる。
 そのセンターからの「地域移行」の支援ニーズがうちに近年、多く寄せられている。

 高次脳機能障害として称される
/なぜ、こんな言い方をするかというと高次脳機能障害という言葉がそもそも行政用語でしかないからだ。最近、このカテゴリーづけはやめてほしいと思う。「難病」というカテゴリーも広すぎて困る。狭い意味の「社会福祉」でいえば、支援の共通項は一定以上存するので、許容できなくはないが、医療から福祉、生活へのマネジメントのなかでは、かなりうっとうしい。共通言語化(コンセプト化・コード化)しにくくてしかたがない。/
「障害」も実はかなりあいまいで、また、それぞれの「障害」もよくわかっていないらしく手探りのようだ(私はここの専門家ではないのであいまいな表現になる)。脳損傷特有の半側空間無視などはもっと研究されてほしいと思う。
 わかっていることは、「なんらかの」脳の障害によって、行動に一定の「行いづらさ」があり、生活のしづらさが起こるという点である。中途障害に必ずある「障害の受容」はここでは前提中の前提なので横に置いておく(これはこれで大きな課題なのだが)。

 そこで、最近、研究や実践が進んでいる発達障害の方へのその中での支援・アプローチ方法を応用することと脳と身体の相互作用に強く着目して、生活スキルの向上と再構築に効果がみられるだろうという仮説をたてて実践を行っている。特に参考にさせていただいたのは、 水野敦之さんの「「気づき」と「できる」から始める フレームワークを活用した自閉症支援」です。
記憶障害や遂行機能障害、注意障害は、自閉症スペクトラムよりもADHDの方の行動に似ているように思われるかもしれませんが、方法論的には、フレームワークをつかい、
@視覚的なわかりやすさ →見通しをたてる →忘れたときにも確認ができる 
※記憶障害支援に使われるメモリーノートとの併用によって、日常生活の代償手段として身につけていただく
A遂行機能障害や注意障害のある方は、細部よりも全体に注目がいきがちになるので、細部に注目する特性をいかしたこの方法論を逆に活用して、細部への注目を行うように構造化を行う。
B環境のセットアップを「個人で集中できる環境」と「グループで行える環境」とを併用し、かつ、プログラムを個人・集団/グループだけではなく、「パラレル」=同じ作業をあえてグループにせず、個々で行うプログラムを導入して、注意の切り替えをトレーニングする。
C生活上にとくに課題にならない身体的な障害=麻痺に対しても、積極的にアプローチを行う

そして、この限られた空間・時間だけでなく、生活上にこれらのアプローを生かす工夫をいれていただく(実はこれが一番、難しい)。また、ご本人にはつらいだろうが、就労訓練もセットし受けていただく、などの総合的なアプローチを行う。この部分は、障害の受容にもかかわる。

 こういったアプローチは、いわゆる「福祉」ではない。また、「医療」でもない。個人のストレングスに着目するアプローチからすれば、介入しすぎだろう。しかし、過渡的に時期を決め、ICFでいう環境要因に対してのアプローチを「あえて作り出す負荷」によって行うことによって、生活スキルの向上と再構築に寄与できるのではないかと思っている。←これが仮説

 さて、こういった実践が、はたして学会的なものなのか、どうなのかは今後、問われていくだろう。現状は、その地平にはかなりの距離があることはよくよく承知しているが。 
posted by 凸凸 at 09:07| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月07日

今日が自分の49回目の誕生日だと???

おもっきり忘れていました。
今日は5月7日。自分の誕生日でした。

SNSで、まわりの方に教えていただいて気づくという
なんともはや。。。

この春は、何年かぶりにこれでもかこれでもかというくらいに忙殺されています。

昨年、48歳(4回目の年男)を気に、かわろう、かえようと、一年してきました。

そうして、いろいろなことが大きく変わろうとしています。

とっても忙しくまわっていない春。
相方から、そんなにこんつめてもできないから、一日ぱっと休みをとったらと助言をもらい一日休みをとりました。

気分転換に

野田藤
http://nodafuji.com
の町歩き

りっぱな恵比寿神社
http://www.noda-ebisu.com

に、出会いました。

で、

賢人
https://www.facebook.com/kashikobito/

で、昼まっから、とてもおいしい、にごり酒を。

このお店、何を隠そう、私の弟がやっている店です。開店して1年少しになります。
みなさんにかわいがっていただき、1年になりました。

おかげさまで、気分転換できました。

49歳になりました。
この一年、またいろいろと、変わっていくと思います。

よろしくおねがいいたします
posted by 凸凸 at 23:18| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月24日

社会保障政策と政策研究、反研究について思うこと

「居場所」は
政策的に
創って広げることを目的にするときには
使われてきたことばだが
今後の政策としては
おそらくは事業としては
「居場所」だけでは補助の対象にはされず
そこに、いろいろな「機能」が付与されなければならないと
なっていくだろう。
「わが・丸」の中心的施策になりながら、
おそらくは、少なくとも国事業としては
消えていくだろう。

この話としては、関係者はわかっていなければならないことだし、

そのことと
地域の中で、必要かどうかの話は別の話である

と同時に
政策的デザインとして、同じ土俵で議論すべきことかどうか、は、現場の者としては、考えておくべきことだと思うし、
そのことを議論されている諸研究者の方たちは、
ボトムアップ型実践をも、トップダウン型実践と同じく議論をしないでほしい。

いまの日本が危機的であるという視点はもちろん共有するが、マクロ(的)議論を仕掛けるための、全体論的思考のために、小さな実践を、自分たちの思考、論考のために「まとめる」ことは、
実は、論理展開そのものが、自分たちが批判をしている政策的論理となんらかわりのない論理展開であることに、きちんと気づいた上でおこなわれるべきだとおもう。

社会科学や政策科学のエビデンス主義的論考ではなく、きちんとした「科学」としての議論は、ミクロとメゾとマクロが、研究としては、必ずしも結びついていないことをきちんと諸科学の研究史から学んでおこなうべきだ。

いまこそ、丁寧な議論を望む。
posted by 凸凸 at 07:41| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月21日

「制度化」とひとりひとりにむきあうこと

 ここのところ、ずーと同じ疑問の中をぐるぐるとまわっている。

 まだ、アウトプットできるほど「ことば」にのっかっていない。

 つまりは。
 ○○な人を支援する とか、○○なこどもを支援する とか。
と、
ひとりひとりにむきあったときの「ズレ」をどう考えていったらいいのか。ということ。

 私たちは事業をやるときに、○○を対象にするといいます。
それが制度内だろうと私的サービスだろうと、公益的なサービスだろうと。

 それが必要であるといわれます。
お金を集める 制度でやる なんでもそうです。見える化が必要であるとも言われます。

 私たちはいろいろなきっかけで、いろいろな方に出会います。出会い方はさまざまです。
それは、○○な人を集めるではないのです。
 
 出会った人に対して、できることをする。それはカテゴリーではないのです。
でも、なにかをしようとすると、そのカテゴリーに因らないといけないことになっています。

 すっきりしないのです
posted by 凸凸 at 06:15| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月16日

インフィニティ

ものすごく思いつき的な書き込みですが。
インフィニティマークってあるじゃないですか。

これね
地域福祉っていうのかな、地域活動、地域政策っていうのかな。
どんどん、小地域、居住地域ベースのローカル・コミュニティをベース理論にしようとしているじゃないですか。
それは一方で、閉鎖性を伴うわけで。
そのいろいろな弊害も当然あるわけでしょう。
もちろん、効果性も当然ありますけど。

サービスの近接性(アクセシビリティ)としてのローカル・コミュニティだけでは語られない部分があるわけで、それがいまの「我がごと丸ごと」(我・丸=わがまる、っていんだってね)なんかには見え隠れするわけで。まぁ、ある種の政策的示唆ですわな。おそらくイデオロギー化しそうだったりもするし、そうなっているかもしれないけど。

日本で言えば、そもそもは(歴史的にいえば)地方政府が、コミュニティの集合体によって、形成されてきてみたいな歴史があるから、中央政府がそれを活用しようという政策的な打ち出しはこれまでも何度もおこなわれてきたし。

ただ、考えなければならないことは、残念ながら、ローカルコミュニティ政策は、それだけではインクルーシブなコミュニティにはなりきれず、かならず「排除」システムが起動すること。また、ローカルコミュニティ自体が排他性を起動し、そのコミュニティが、構成員ひとり一人の「幸福満足度」をたかめるために、コミュニティ自体の独立性を担保しようとうごくこと。すなわち、その意味でも多様性を排除すること。

社会課題を解決するというNPO、社会企業という仕組みすら、日本ではどうもローカルコミュニティベースに傾きがちになってきている昨今。

ものすごく、思いつきで、インフィニティマークのように動く人がいるよなぁ、って。
伝わるかしら?

posted by 凸凸 at 07:27| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月31日

自分自身の立ち位置

 1/21の奈良 くらしネットフォーラム
 1/29のふわりんクルージョン

 その間に地元 寝屋川での浜松 ダダクリニックのみなさんとの勉強会

数年ぶりのこの話を続ける過密スケジュール。もちろん、この時期のバタバタは当然、おこるわけで。

ついでにインフル渦もくるわけで💦

 奈良は廣瀬明彦さんを偲んで、というより、彼に(清水さんのことばを借りれば)薫陶をうけた奈良のメンバーが昨年からやりはじめたフォーラム。生前、さんざんにお世話になった廣瀬さんへの少しの恩返しの気持ちで、これだけはオーダーを断らず、いつもの「超めんどくさいやつ」を返上して、素直に応じているお話です。まぁ、きっかけは、西宮の清水さんの「やりたないんか!」といういつもの飲み会の席のひとことできまった話だったりしますが。
 昨年は、山田優さんの体調不良によるキャンセルがあり、それはそれという会でしたが、そのリベンジで今年は山田優さんのお話をお聞かせいただき、北野誠一先生と清水さんとのセッションというある意味、いつものメンバーで、西宮でないところでそれをやったという感じもありつつ。
 ですが、なにが違うって、今回は、北野先生をはじめみなさんの「とみたの頭の中、思考をのぞきたい」という恐ろしいオーダーがあり、それにお応えをしました。

 もう二度とないです。暴れ馬を放牧するとどういうことになるか、よくおわかりいただいたとおもいます。

 ききにきていただいた旧知のすばらしい実践家であり理論家の方が、「まとめてほしかった」とFBにお書きいただいていましたが、おそらく聞かれていた方は、私が何を話しているのかが、ほぼおわかりいただけなかったのではないか、と思います。

 講演の時間のはじめにも申し上げたのですが、おおよそ福祉とは無縁の話が、それもばらばらの分野で展開をしていきます。「地域」の話になるとまさにその論理展開になってしまいます。ミドルレンジが私の本来のフィールドなので、全方向性の中から可能性をさぐる方法論を常に頭の中で展開をしつづけていっているのでなかなかにむちゃくちゃになります。
 自分の中では論理性があるのですが、学術的に理論化されているAの分野のものと学術的に理論化されているBの分野のもの でもそのAとBは関連性に言及されていないものを「人のくらし」というリアリズムでつないでいるという論理性はなかなか共有しにくいものなのだとおもいます。
 すいません。って感じです。おそらくは、バラバラで、鮮烈なリアルキーコンテンツだけが残られたのだろうと。
 ただ、講演の中でも申し上げましたが、9月にほんとうに久しぶりに、千葉・ばおばぶの五十嵐さんとお話をさせていただいたときに、「わかりやすい話はしない」という意味のことをおっしゃっていて、それにとても共感をさせていただきました。なんでも「わかりやすく」しないといけないということは、ともすれば、「考えない」「調べない」ことにつながっているいま。みなさんがそれぞれ考えていただければ、と。偉そうですがそんなメッセージを込めさせていただきました(これが前回のエントリーの大学の講師をやめることの理由の一つでもあります)。
 考えましょう 疑問をもちましょう みなさん

 で、一昨日は始発で東京へ。
 いまや超有名人の戸枝さんからの年に1度の生存確認のための出席依頼のふわりんクルージョンなんですが、こちらに関しては、まったく素直でないいつもの「超ひねくれ者」。今回も、さんざんにひねて出演拒否を繰り返しておりました(すいません。私、基本、講演を素直にお受けしませんので。)。
 週末に自分も支援に入っている一人暮らしのメンバーさんがインフルになり、それにかこつけて、ドタキャンも考えましたが、(実はまじにうつされたと思いました。いまはまだだいじょうぶですけど)結果、参加させていただきました。
 こちらは、超有名人の豊中市社協 勝部さん。毎日新聞の論説委員の野沢さん。SNOW DREAMS 山口さん、そして横浜市 小林さん。とご一緒という またしても、気後れする(だれですか、うそだと言っている人は)メンバーの中にぽつりと一人。場違い感満載。
 奈良のときに、山田優さんが、NPO法人 抱樸 の奥田知志さんとのお話をされていました。時期を同じくして、ちょうど寄り添い支援のことで、奥田さんも書かれていた本を読ませていただいていて、そしてまさにこのシンポジウム&分科会での与えられたテーマが、「生きづらさ」を抱える人への寄り添い支援というテーマでした。
 ひねくれている私は、おなじく登壇されるみなさん(周知のかたばかりですので)がおそらくされるだろうお話を予測して、あえての課題提起をもち、私たちとともに歩んでいただいている「多久寛子さん」をお連れしました。多久寛子さんについては→動画です
 生きづらさを抱えるとか、寄り添い支援とかいうと、なぜか発達障害とか軽度の障害の方(だけ)がクローズアップされてしまいます。それは議論を矮小化することにしかならず、課題や問題を覆い隠してしまいます。私は「支援とは何か」「サービスに絡みとられない生活とはなにか」そんな問題意識をもっています。
 今回、当初はやまゆり園の件の話をしてほしいという応えられないオーダーがあり、そのことは裏テーマのように分科会では少しだけ話されましたが、私としては、ご自分によっての「地域」を作り、そこで堂々と「多久寛子」として生きておられる彼女(あたりまえなんですけど)をどまんなかでご紹介させていただくことが当初、そして、今回のテーマに関するお答えであり、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。
 冨田のところの でもなく 寝屋川市民たすけあいの会に支援されている でもなく 重度の知的障害者のでもなく、 そんな冠言葉はいっさいない 「多久寛子」という人をして。

 控え室、分科会はなかなかに濃かったです。何しろあのメンバーでずっと話をしているわけですから。って言っても、野沢さん、小林さんとは15年ぶりくらいに直接お会いしましたし、勝部さんにいたっては20年くらい前に一度お会いしただけなんですけど。すばらしい時間を過ごさせていただきました。
 その中で、地域の中での発達障害の方の支援の話や高次脳機能障害の方の支援の話、そしてその方たちとの精神科医療との話もしました。ちょうど22日に寝屋川で浜松ダダクリニックの方をおよびして寝屋川のメンバーとの勉強会をしていました。その話は、また改めてにします。このときは寝屋川市社会福祉協議会社会福祉法人みつわ会、そして、三家クリニックというメンバーでした。
 そうそう、私の所属する寝屋川市民たすけあいの会はあくまで、地域の触媒役であり、先駆性と開拓性をもつことをミッションにしているので、事業をバンバンやっている団体でも事業所でもないでしし、本来、実践を外でお話できるようなレベルのことができているわけではないです。
 外でお話をさせていただくと、なんだかすごいことをやっているようにきこえてしまって、ものすごく罪の意識にさいなまれます。現場では毎日毎日、うまくいかずへこむことの繰り返しです。「おまえは偉そうにしゃべっているらしいが、なにもしてくれないではないか」といわれるばかり。でも、少しでもなかまを増やし、少しずつ歩んでいくしかない。それが前だろうが、後ろだろうが、右だろうが左だろうが。

 ふわりんクルージョンが終わった後、帰る前に、戸枝さんと少しだけ、お話させていただきました。
 もうすぐお互い50歳。
 「50歳、大きいよな」

 大きな人生の転換期 節ですね。

 今日、また生きていきます。
 
posted by 凸凸 at 07:29| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月28日

今年度で大学などの非常勤講師をやめます

お知らせ?
 私は24歳のときから大学や短大、専門学校の教壇に立たせていただいてきました。2003年に院生を引退?し、ほぼ現場の人としてやってきた間も非常勤講師として、数校行かせていただいてきました。
 
 が、今年度限りで大学、専門学校の非常勤講師はやめさせていただきことにしました。

 いままでありがとうございました。
posted by 凸凸 at 16:21| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月01日

2017年1月1日 新年のご挨拶

 2017年になりました。
 旧年中はいろいろとお世話になりました。本年もどうぞよろしくお願いします。
 2016年も熊本・大分地震をはじめ、日本国内でもさまざまな災害がおこり、たいへんな一年になりました。
人智を越える自然の力に対して畏敬の念を抱くしかないと同時に1日1日を大切に生きるこを感じる毎日です。

 2016年で4回目の年男をむかえ、日々の生活を見直すことを考えました。
そういった意味では大きく考え方を変えました。おこがましい言い方をさせていただければ、「トップランナー」をあきらめいろいろな意味でプライドを捨てました。自分しかできないこと、自分がいる前提でしかつくっていなかったことを見直しました。少しずつ、休みをつくるようにもしました。また、数年来行っていなかった外にも出て行きました。
 もちろん、すぐには変えられないことも多いので2017年も引き続きになります。

 2017年ですが、いまの予定では、大学院の博士課程に進学したときからずっとやらせていただいていた大学、専門学校の非常勤講師をやめます。ここ数年は半期だけお世話になっていた大学があったのですが、こちらの調整と先方の事情があわず、いよいよやめることになりました。
 逆に、講演などの依頼は、少しずつですが、ここ数年増やしています。いまの予定では、
1月21日 奈良にて くらしネットフォーラム

1月29日(日) 東京 ふわりんクルージョン2017

2月23日(木)北河内高次脳機能障害ネットワーク主催北河内高次脳まつり 高次脳機能障害地域支援の実際

 が決まっています。
 そんなにたくさんの講演をどんどんお受けする気はありませんし、また、そんなニーズもないでしょうが(もう時代遅れでしょうから)、ぼちぼちとやっていこうとおもってます。

 所属団体では、今年はいろいろな意味で打って出る昨年からの流れがより進んでいくと思います。

 本年もどうぞよろしくおねがいいたします。

 
 
posted by 凸凸 at 07:22| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年12月17日

鈴木大介「脳が壊れた」新潮新書

フェイスブックではたまに、本や映画を紹介することはあるけれど、自分が興味があるとか読んだ、みたくらいの紹介で、この本をぜひ!ということはめったにないのですが、この「脳が壊れた」はぜひ、手にとって読んでみて欲しい一冊です。

鈴木大介さんというライターさん。
私たちの世界に近接している分野の方は目にされたことがあるライターさんかもしれません。「最貧困女子」など社会の「底辺」といわれるところで生活している方たちの現状をルポという形でこれまでも多く取材し、発信してきた方のお一人です。

この本、その彼の仕事のスタンスをもろに反映した形で書かれていますが、中味は高次脳機能障害体験記になっています。一体験記としては、「体験記」としての意味としてのそれぞれの評価がありますが、一番興味深いのは、彼が自分が苦しんでいる症状が、これまで取材などを通して接してきた方たちの「症状」に類似していることに気づくところです。彼の表現をお借りすれば「苦しみを他者に伝えられない」ことであり、目線をあわせて会話ができない、などの症状の共通性を高次脳機能障害と発達障害の共通性や精神疾患をかかえる女性、虐待をうけて育ってきた方の症状との共通性を自分の症状としてのべていくのである。

P232 「やはり原因が脳梗塞であれ脳出血であれ、脳外傷や先天的障害であれ、脳を壊した人間の感覚やパーソナリティの表出には、共通性がある。」

彼はリハビリ医療(←この言い方には違和感があるが)に対して、高齢者にだけ消費されるリハビリをもっと、自分たちが出会っているこどもたち、青年たちにまわしてほしいという。それは、自分が体験したリハビリを発達障害や精神疾患などをかかえるこどもたちのために活用として欲しいと体験から思うからだと。

まさに、これはいま私(たち)が、高次脳機能障害とともに取り組んでいる視点と共通する。
そして、それは批判をおそれずにいえば、いまのリハビリが病院内視点にどんどんと押し込められていて、細分化縦割りになり、トータルな生活的視点を失っていることにもなる。また、リハビリの一番大きな「要因」の一つであるメンタリティーの課題をつきつける。病院での「患者」(役割)でなく、社会復帰したい、社会へ参加したいとおもう「回復(recover)」者へのリハビリの可能性をみせてくれる。

ぜひ、福祉、療育、リハビリにかかわる専門職のみなさんに読んで欲しい一冊である。

https://www.amazon.co.jp/脳が壊れた-新潮新書-鈴木-大介/dp/4106106736/ref=cm_cr_arp_d_product_top?ie=UTF8
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2016年12月12日

奈良フォーラム

2017年1月21日土曜日の出番。
北野先生にすごいお題をあたえられています。

いま、お話することを考えていますが、

国の考えていること
これからの社会でおこること、考えないといけないこと

マクロとメゾ

私の思考
あんまり、政策的なことばかりになってもおもしろくないでしょうから、
マクロメゾとミクロ
四つを

四等分して
話させてもらおうかと思っています
posted by 凸凸 at 09:17| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月26日

現代社会での「社会保障」と「公衆衛生」と実際

 私自身の不勉強を明らかにする話であるが、ちょっととある「事件」に直面することになっていまの現代の日本地域社会の変遷の中で、こりゃまずいと気になったことがある。社会福祉(保障)の中での「公衆衛生」についてである。

 高齢社会である。地域包括ケアということがいわれて、病院への入院でのケアではなく地域(施設など)も含むケアの時代であると政策的に流れを作っている。作っているというのは事実ではないな。つくらざるをえなくなっている。財政的に。

 「病院」の役割というものは、社会的な「病院」の役割や位置づけという研究がたくさんあって、病院が治療の場であるのか否か。その際の治療とはなにか、という議論も山ほどある。日本の場合は「赤ひげ先生」の話がでてきたりするし、看護の世界の話でいうともっとたくさんでてくる。ここで書きたいのはそこではない。
 事実として「『病院』での『医療』がいまの流れでいえば、在宅医療・地域医療というカテゴリーで流れ出してくる時代」の中で、18世紀?から20世紀にかけての「公衆衛生」のコンセプトが表立ってでてこない中で、果たして在宅医療や地域医療は機能するのだろうか、ということである。
 先に書いておくが、「公衆衛生」の歴史は特に20世紀の中では「福祉国家」の社会保障の中でとくに中心的に取り上げられているので、そこには国家による戦時下(的)管理政策と親和性があり、「負」の側面も当然指摘されなければならない(ここでは特に「優性思想」を意識して書いている)。その「負」の側面を意識下に置きながらも一般論として社会保障のキーコンセプトの「公衆衛生」について考えたい。
 
 というより、私たちがいかにそこに無頓着であるか。という反省である。
 
 私自身、あらためて、「公衆衛生」というものを調べようとしてみて、「えー」という感じになった。
中高生の当時に習った「社会」のレベルから知識がまったく深まっていない事実に愕然としたのである。
 
 なんとなくの知識としてあるのは、都市化・スラム化とコレラの話。そして、上下水道の整備
http://d-arch.ide.go.jp/je_archive/english/society/book_x1_d04.html
 そして健診である。

 それ以上の知識は・・・ない。
 社会保障は年金、医療保険、公衆衛生、雇用保険、社会福祉と5つの横並びと教えているにもかかわらずあまりにあたりまえだ。が、公衆衛生とは何か、と問われると、上にあげた知識以上のものがない。

 先に書いたように、病院が「医療」を提供するようになって私たちの生活は一変した。生活の中で「病」にならないような個人、家族、地域社会、国家の取り組みがすたれ、

「病気」になったものが「病院」に行き「医療」を受ける

ことが当然の生活シーンになった。

最近は、「健康」を消費することが「病気」にならない=「病院」に行き「医療」を受ける、ことにならないというコンセプトになり、「健康教育」が「公衆衛生」然のように語られる。

 感染症についての話も然り。

 だが、この国の現状の崩壊は、感染症に感染したあとの予防施策への公共的投資の貧困さ。
予防するためのという予防薬への投資という「病院」にいき「治療」をうけるという構図をそのままにしたような保健。

 貧困化と高齢化、そして、地域医療の進行の中で、どうにもならない負のスパイラルがすすんでいるように思う。

 災害支援のときに常に言われ続ける話と同じだ。「災害」は、地震や台風だけではない。おそらく「感染症」も私たち「コクミン」にこの国が崩壊している事実をつきつけるだろう。



 
 

 
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2016年11月18日

これまでの20年これからの20年(1)

 2000年に介護保険がはじまってから5期15年がたち、もうすぐ16年目がすぎようとしています。
日本の「社会福祉」制度にとって、劇的な変化・ターニングポイントとして語られる介護保険の制定は、いよいよ次の段階に入ろうとしているように見えます。もちろん、政治的な視点を欠かすことはできません。民主党政権下の話をどう評価するのか、いまの政治的な流れをどうみるのか。
 しかし、社会の流れとして、世界的な政治的な流れではなく、世紀がかわってからの15年。日本の「お得意な」外在的な影響ではなく、内在的な要因からの社会構造の変化をきちんとキャッチアップできずに、また、有効な対策を打てずにここまできていることはしっかり認識をしておく必要があるように思います。

 1989年ゴールドプランができました。その前後に語られていたのは、「2025年に日本の高齢化は25%を超えます。そのための対策を」でした。その人口推計の甘さは当時から一部指摘されていたところではありましたが、その当時にこれらのことに触れていた人間にとっては「2025年」が政策的ターゲットであったことはいうまでもありません。この2025年がいつ修正されたのか、実はそれほど遠い話ではなく、実際に25%に近づいてから言わなくなった感じがします。というより、そういう言い方をやめたというのが正しい語りになるでしょうか。結局、高齢化率のことだけでいえば、2012年から13年にかけて25%をこえてしまったわけです。1990年を起算にすれば、予想の1.5倍近くのスピードで高齢化が進んだという言い方になるでしょうか。

 高齢化のスピードについて触れることがここでの主題ではありません。また、みなさんご存じのとおり、またたくさんの方が言われているように、日本のこの手の政策の方向性がいまだに高度経済成長期の政策もモデルの域を脱しておらず、方法論的には根本的な対策をうてないままにきているという指摘が正論なのでしょう。「いまだ高度経済成長の幻想にとらわれている」、と。

 そんな評論的な事実をみながら、それをただ「狂った歯車」とみるかどうかなどとやっている時間はわたしたちにはありません。人は生き、生活をしていくわけですから。そのために、いろいろなことが考えられています。が、事実として起こっている現象について、政策的かつ評論的に示される事実よりも悲惨な現状が目前にあります。

 私が今後の20年を考えたときに(自分も生きているかどうかわかりませんが)、一番の憂い(国内)は東京圏一極化集中と地方の消滅です。
 過疎ということばはご存じかと思いますが、過疎なんていうことばで語れない現状がいま日本の国内でおこりつつあります。もともと日本の中で過疎ということばが使われたのは、高度経済成長まっただ中の1965年ごろです。実は高度経済成長そのものの裏でおこっていたのが過疎化だったわけです。
 福祉や医療の世界の中でも、過疎地域の話は高度経済成長期やその後の時期でも繰り返し取り上げられてきていますよね。社会福祉協議会の住民主体をうたった旧「基本要綱」もその策定の会議が行われた山形などの実践を色濃くもったものでしたし、地域医療の実践も岩手や長野などが有名な実践として繰り返しいわれてきました。もともと、なぜここまで国土の隅々までという話も歴史的にはいろいろな背景がありますが、主題と関連ずけられるのは、日本列島改造論以降、80年代から起こってくる全国隅々までの道路網の整備と「ストロー現象」といわれる現象がおこってくる時期になると思います。
 日本は都市計画という考え方がきわめて薄い国です。また、それゆえか、歴史ゆえか、都市計画がなじみにくい国でもあります。(続く)

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2016年11月17日

「医療介護の保険者機能の強化」

「医療介護の保険者機能の強化」

ききなれないことばだが、昨日ふれた経済財政審議会の資料や財務省の資料の中で、今年よくみることばである。
簡単にみつけることができる資料が以下である。

厚生労働大臣が経済財政審議会に出した資料である。
http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/minutes/2016/0511/shiryo_06.pdf

この資料、5pのスライドだが
1 基本的考え方
● 社会保障制度の充実・強化とともに、重点化・効率化を進め、国民負担の伸びを抑制
経済・財政と調和のとれた社会保障制度に。
● 中長期的な視野に立った社会保障のあり方を見据え、その実現を図る。
改革工程表に則って着実に改革を推進

2 医師の地域偏在・診療科偏在の解消に向けた強力な取組の推進
経済財政運営と改革の基本方針2015(平成27年6月30日)
「人口構造の変化や地域の実情に応じた医療提供体制の構築に資するよう、地域医療構想との整合性の確保や
地域間偏在等の是正などの観点を踏まえた医師・看護職員等の需給について、検討する。」

3 医療・福祉人材の最大活用のための養成課程の見直し
複数の医療・福祉資格を取りやすくし、医療・福祉人材のキャリア・パスを複線化。
→具体的な取り組み 
○ 医療・福祉の複数資格に共通の基礎課程を創設し、資格ごとの専門課程との2階建ての養成課程へ再編することを検討。
○ 資格所持による履修期間の短縮、単位認定の拡大を検討。

4 地域包括ケアの深化に向けた新たな施策展開
地域包括ケアシステムは、高齢者等の多様なニーズに応え、自立し充実した地域生活の実現
を目指すもの。これまで、地域医療介護総合確保法等に基づき高齢者施策を軸に推進。
今後はさらに、地域の生活支援サービスの育成・支援を図る仕組みを整備しつつ、医療、介護
等の公的サービスとの適切な組み合わせにより、高齢者のみならず、地域で支援を必要とする
方々の暮らしを支えられるよう、地域包括ケアを深化させていく。具体的には、
アクセプト 医療・介護の保険者機能を一層強化し、そのリーダーシップの下で、医療・介護の質の
向上や予防等の取組を強力に推進。
アクセプト 高齢者のみならず、地域住民の多様なニーズに応えるため、地域コミュニティにおける
「支え合い」の機能の充実や民間事業者による保険外サービスの育成・活用を推進。
対象者ごとに整備されている福祉サービスも、「タテワリ」から「まるごと」へと転換(「地域
共生社会」の実現)。
アクセプト 医療分野等のイノベーションを促進する振興策を積極的に展開。また、公的サービスを補
完する民間の活力・資金を積極活用(ソーシャルインパクトボンド の活用等)。

5 イノベーション促進と民間活力の積極活用
医療・介護サービスの質の向上 関連産業の振興によるサービスの充実 社会保障の効率化


この資料に凝縮された現在の施策の方針のエッセンスが盛り込まれている感じがある。

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2016年11月16日

「経済・財政再生計画 改革工程表」

「経済・財政再生計画 改革工程表」というものをおききになったことがあるだろうか。
もともとは平成27年の12月に 経済・財政一体改革推進委員会 のなかで提示されたものであり、順次分野ごとに改革の工程表というものがしめされている。

昨日、引用させていただいた柴田悠氏の著作にもあるように、日本の財政問題は超高齢社会のなかで社会保障費の抑制の問題に中心がおかれるようになっている。もちろんそのことを盲目的に受け入れる必要があるのか、否かという課題もあるし、世代を超えた形での再生を担っていかないとそもそも国が沈没するという趣旨の立て方もある。しかしながら、官僚的(?)には、とにかく目の前のことを分析し、対策をたてていく必要があるという立て方をされているように見える。

社会保障分野に関する工程表
http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/reform/280428_devided/report_280428_3_1.pdf
• 医療・介護提供体制の適正化
• インセンティブ改革
• 公的サービスの産業化
• 負担能力に応じた公平な負担、給付の適正化
• 薬価、調剤等の診療報酬及び医薬品等に係る改革
• 年金
• 生活保護等

となっている。
この資料にそれぞれの細目分野に改革の工程表がついている。

この工程表をよくみてみると、最近によくマスコミに取り上げられる項目がすでに取り上げられていることがわかる。
そのもとになっている経済財政諮問会議。その中に実は社会保障ワーキングという検討会議があり、その会議の中で、財務省からこのところ繰り返し出されてきている資料の基になっているような資料をみることができる。
http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/reform/wg1/index.html
数日前から騒がれている年金の方式の改革なども「きちんと」この会議の中に取り上げられている。

http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/reform/wg1/index.html
平成27年8月からすでに15回開催されているこの会議。

その内容や方向性が現在の政策的な方向の軸になっているが、その中身はでは一体何なのか。

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2016年11月15日

社会保障費の中でも障害者福祉の予算は

昨日、奈良 くらしネットフォーラムの正式なチラシがとどきましたので、文末に。

まずはじめに。

20161113155632_00001.jpg
「子育て支援が日本を救う」柴田悠著 勁草書房 2016

 日本社会が抱えている重大な問題として、まずはあげなければならないのが財政難だろう
日本は1,980年代から史上最速で高齢化し、2005年からは世界一の高齢国になっている。このままいけば、あと半世紀ほどは最高齢国であり続ける。

中略

そのような状況の下では、政府の予算のうち、抑制されがちなのは社会保障だ。その中でも、最も抑制されがちなのは障害者福祉だろう。というのも、社会保障の対象者(高齢者、患者、子供、失業者、障害者、遺族、貧困者など)の中で、権利主張のための言語能力にハンディキャップを抱え、しかも同様にハンディキャップを抱えた高齢者や子供よりも人数が圧倒的に少ない(つまり代議制民主主義において立場が最も弱い)のが、障害者だからだ。
権利主張に置いて(もっとも不利)な障害者のための社会保障は、基本的人権の保障という日本国憲法の立場に立てば、本来は最も優先して確保されるべき社会保障だろう。しかし実際には日本の障害者福祉の予算規模は、先進諸国の中で最低のレベルだ。少なくとも日本では障害者福祉の予算規模は財政に余裕ができないとなかなか拡充されにくいのが実情のようだ。
**********

今年、いろいろな立場の方から評判になったこの著作。著者がはじめにで書いているように、「主観的な印象だけでなく、できるだけ客観的なデーターに基づいて、政策を検討していただきたい」と書かれているように、さまざまな計量的データーを用いて、論をすすめていく。
その著作のはじめに、書かれているのが、この障害者福祉に関する文章である。

著作の中身にはふれないが、この著作は子育て政策こそが今後の日本の唯一ともいえる対策であり、保守・リベラルとも共通に同意できるものであると述べる。

ここでは、その点は主題ではなく、障害者福祉の財源が絶望的な状況にあるということをまず、押さえておきたい。

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2016年11月14日

なら暮らしネットフォーラム 第2回 2017年1月21日でお話させていただきます

まだ、正式なご案内が流れていないようですが。

なら暮らしネットフォーラム 第2回 2017年1月21日でお話させていただきます

今年の2月20日の第1回に続いての第2回になります。
いまおききしている予定でいえば、

私も1時間の枠でお話をするミッションをいただいております。

比較的大きなイベントで長い時間の枠で、ピンでお話するのって、いつくらいだろうか。
(いま、niftyのHPの移行で私のHPがみれなくなっているので、ごめんなさい確認できないですが。いつ依頼か覚えてないくらい)

で、その講演でお話する内容が、すごーく難しいテーマです。
私が、いまそしてこれからをどんな視点でみているのか。。。

かなりおおきなテーマで、すぐにできるようなものではないので、これからしばらくさわりをこのBLOGにアップしていくことにしますので、よろしくです。

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2016年10月31日

障害福祉制度の改革も財務省主導?

 平成30年度の社会保障制度の各各の改正にむけて、国の社会保障制度の改革の指針が昨年出されていて、それに従っていろいろな国の審議会や検討会などがたちあがっているようです。

 関係諸氏は一定の危機感?も持ちながらもどちらかといえば、3年ごとの「いつもごと」のような感じを思われている感じもなきにしもあらずではないでしょうか。(運動団体は別でしょうが)

 しかし、この平成30年改革はかなり大きな改革になり、また、それぞれの制度の改革というよりも国の社会保障に対する仕組みの本気度というか、そこへのアクションの仕方が、いままでは違うのではないか、感じる。

 医療制度については、この間、facebookの方で発信させていただいているが、かなりつっんだ議論がされているのを紹介している。

 その議論をみていても、今回の平成30年度の改革についてはこれまで以上に財務省主導の改革方針がみてとれる気がする。あくまでもこれまで以上に、であるが。
 大西蓮さんが生活保護の母子加算の見直しの議論への危機感をかいておられるが、
 https://www.facebook.com/ohnishiren?fref=nf

 この財務省の資料の中で、障害者福祉についてもかなりつっこんで書かれているので、以下、紹介する。
http://www.mof.go.jp/about_mof/councils/fiscal_system_council/sub-of_fiscal_system/proceedings/material/zaiseia281027.html

ー抜粋ー
障害者支援予算の他の社会保障関係費と比較した特徴
○ 障害者向け予算は、サービスを受ける障害者の数の増加等を反映し、この10年間で2倍近くに増加。その伸び率は、社会保障関係費全体の伸び率の約2倍。
○ 障害者向け予算は、他の社会保障関係費と異なり、高齢化のみではサービス量の増加を説明できない。このため、厚生労働省においては、その要因分析や実態把握が必要だが、その取組は十分とは言えない。
○ 利用者負担が非常に少ないことも特徴であり、コストインセンティブが低く、供給サイドによるサービス増加が起こりやすい。このため、支給決定を担う市町村等は、サービス供給の必要性や内容についてしっかりと精査する責任・役割を担うと考えられる。

分析視点例@:サービス供給量の状況
○ 利用者負担が非常に少ないため、サービスの供給量が多くなりやすい構造。
○ このため、利用者のニーズについて随時把握する必要があるが、厚労省における実態把握は十分とは言えない。
打ち上げ花火 包括的な調査(「生活のしづらさ調査」)の実施は低頻度(5年に1回)。
打ち上げ花火 各利用者のサービスの利用状況(類似するサービスを重複して受けていないか等)も、随時把握するシステムでない。
○ 平成23年の調査では、@「福祉サービスを利用したいが利用できない」手帳保持者の割合は2.1%に留まり、A「利用している者」に対する「利用したい者」の割合も37%に留まる。一方、利用者数は24年度以降も大幅に伸び続けている。
○ 平成27年4月より支援の全例について必要となった「サービス等利用計画案」の作成を担う「計画相談事業者」について、サービスの供給を担う事業者からの「中立性」の確保を推進していくことが課題。

分析視点例A:サービス供給量増加の制度的要因
○ 障害サービスの供給主体である事業者は経営体でもあり、利用者数の増加により収益の向上を求めるのは合理的行動。
○ 事業者にとっては、@支援区分が不要であり、A利用期限がなく、B収支差率が高いサービスほど、安定的な利用者を増
加・確保しやすく、収益も向上させやすいと考えられる(注:要支援の程度が低いほど潜在的な対象者が多いと言える)。
打ち上げ花火 「支援区分不要」のサービスの伸びは、平均的なサービスの伸びを大きく上回る。
打ち上げ花火 「サービスの平均的な支援区分の低さ」(支援区分不要や潜在的な対象者数等を反映)と給付額の増加率は相関。
打ち上げ花火 「収支差率」の高さと給付額の増加率も緩やかに相関。
○ なお、障害者施設は、介護や保育施設に比べ、労働分配率が低く、利益率が高い(良い経営状況)とのデータもある。

分析視点例B:事業者へのインセンティブ付けの在り方
○ 利用者負担がないことは、サービスの質の確保にも供給サイドへの考慮が必要であることを含意。報酬設定における適切
なインセンティブ付けがなければ、質の低いサービス供給につながり得る。
○ 例えば、増加する就労支援の報酬体系においては「利用者が増加するほど、事業者の利益となる」一方、「一般就労への
移行や賃金向上へのインセンティブ付けが十分でない」。また、報酬水準が高く、支援区分も不要。
○ こうした状況の下、実際に事業者による不正受給の事案が問題化。放課後等デイサービスにも同様の問題を抱える。

-抜粋終わりー
詳しいことは資料をみてくださったらいいが、この資料で指摘されている点は、30年の改正について一定反映されることが予想される。
相談支援についてもここで、「中立性」がでてきているし、このままでいけば、訓練等給付を廃止もしくは、訓練等給付にも障害支援区分の導入。就労継続支援の有期限化なども考え得ることにもなるかもしれない。
市町村の権限強化ということをどうするのか、現状の市町村の状況を見ると制度変更無しに市町村の権限強化はできないから、区分にあわせての給付制限の仕組みなどを考えていくこともでてくるかもしれない。
なんにせよ、今後社会保障審議会障害者部会などでの具体的な議論になっていくだろうが、目が離せない議論になっていくだろう。




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2016年10月30日

地域での貧困の世代間連鎖をたちきるための新しい動きをはじめることにしました

 2000年ごろから私となんらかのつながりをもっていただき、当時の講演をおききいただいている方たちはご存じだと思いますが、私が活動している大阪府寝屋川市。

 大阪市の衛生都市として、高度経済成長期に発展をし都市化が進んだ地域ですが、同時にいち早く貧困化が進んだ地域でもあります。それこそ旧然の都市化理論そのままで、ドーナツ化の周辺部分がスラム化したといってもいいでしょう。「地方から流入した安価な労働力がそのまま経済力を高められず定住した地域」という地域特性を市域の中に多く持ちます。
 私の感覚ですが、2000年頃にはもう、貧困の第1代世代間連鎖(保護家庭のこどもが保護になっていく)ということがはじまり、生活保護から抜け出せない家庭がみられるようになりました。そして、その後、その状況は拡大しいまや第2代世代間連鎖がはじまっていき、深度がふかまっていっている気がします。

 以前から大阪の寝屋川市と他地域でお話をすると、「きいたことあります」「あー、最近、虐待でこどもがなくなった事件があったところですよね。。。」
 虐待の多い地域です(虐待は発見のアンテナ課題もありますから、それだけ地域で虐待に対してのアンテナが高いということでもありますが)。

 いつも言っていますように、寝屋川市はそれほど福祉が進んだ地域ではありません(よく勘違いをされます)。確かに、障害児の早期療育システムは行政を中心に構築されていますし、精神障害者の地域医療では、このあと紹介する三家クリニックを中心に行われています。また、社会福祉協議会の福祉委員制度などは先駆的に行われてきています。しかし、全体的なレベルとしては中くらいだと評価しています。

 今年の1月の「ふわりんクルージョン」に登壇させていただいたときにもお話をしましたが、底辺に流れているこの貧困の世代間連鎖をなんとかしないといけないという問題意識がここ2,3年、とくに高まっています。「多問題家族」なんて、ことばでは対応しきれない。複合的多問題家族???変なコトバですが、ともすれば、一家全員がなんらかの障害や病気があるとかはあたりまえ。ジェノグラムに書ききれない登場人物のケース(わかりますか?ステップステップステップファミリーとか)、などがふつーに登場してきます。明日家がないとか、も結構頻繁に出会うケースだったりします。もちろん、そういう対処をしていかないといけませんが、モグラたたきでは、地域課題の解決にはつながらないぞ。と。

 今年度、いろいろな形でのアクションを起こしていこうと準備をしてきました。いまからいくつかのプロジェクトを順次立ち上げていくことにしました。まず、その第一弾でかつ中核的なプロジェクト「NEFNEプロジェクト」です。このプロジェクトは、このような問題意識を共有した三家クリニックとの共同プロジェクトで、寝屋川市の駅前にその拠点施設を立ち上げようというもので、その4階を寝屋川市民たすけあいの会も貸していただこうという形です。その4階を子ども若者支援の拠点にしていくことを想定しています。その拠点全体としては、1階のショップ&ギャラリー、2,3階のカウンセリングルーム、そして3,4階のこども支援という構想です。10月27日から三家クリニックの関さんが改装費のクラウドファンディングをはじめられました。このあと、第2弾、第3弾のご報告になっていきますが、まず、第1弾。ぜひ、ご覧いただき、拡散をよろしくお願いいたします。↓
 https://readyfor.jp/projects/10096




  
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2016年09月29日

専門家時代の幻想から「専門職まがい」の空想の時代へ

 近代化され、専門化されたサービス・システムに本質的に内在する、「愛」と「ケア」という仮面をかぶった特権的な専門家・専門サービス担当者(教師、医者、カウンセラー、弁護士・・・等々)による、人びとを無力化し、人びとの能力を奪う、人間破壊的「援助」について。
(イリイチ)

いまさら、イリイチでもなかろう。
ポストモダンとかなんとか、よくわからない「哲学的あそび」のような議論は、一部の「もてるもの」の遊びでしかない、と。

30年前にアメリカ的文明社会の批判は、10数年前に日本で「ゲンジツ」化し、あたりまえのように私たちの生活に根付いた。

21世紀を目の前にして、いま「失われた20年として」語られる日本のバブル崩壊後の社会は、深化したものとしての高度工業化社会を一気に推し進めたのだろう。と、同時にこれから数十年後に起こる「日本」という国(そのころに「現代国家」という形態が残っているという前提で)の人口再生産の適正的規模=すなわち、人口ピラミッドがほぼ円柱型になるような=時代を想定して、いまからいわゆる団塊の世代に対する「ありがとう」ということばと、「ある一部分」の経済的賦与が行われて、そして葬られていく時代を迎える。

その「世代的一掃の時代」に、「医療的社会」「医源的社会」は中心的アイコンとして存するが、その実、狭い意味の医療は、「医療技術の進歩」という幻想的人間社会の進化を表すものにすぎず、それは宇宙を研究する科学と同義にしかすぎなくなる。これからの「医現的社会」は、中心的アイコンを「健康」にシフトさせてきているのだ。

 今現在、日本は高度に専門家された社会になった。特にそれは、社会保障費という「見せかけの経済」に巣くうように仕組まれた専門家を大量生産した。90年代、工業化社会をベースにした経済成長は鈍化をみせ、新たな産業として、「情報化社会」とともに「家庭外部化社会」を私たちは選択した。シャドウワーク、アンペイドワークといわれる貨幣の媒介をおこなっていなかった労働を貨幣化するために、私たちは専門家を作り出すことによって貨幣化し、「愛」と「ケア」の仮面をかぶる特権階級的専門家を数多く生み出すことに成功してきた。
 しかしいまとなってみな気づいているように、それは単に「団塊の世代」を葬送するために一時的に作られた高度専門家社会でしかない。その財源は枯渇し、姑息的に延命措置的な政策を繰り返すのみである。
そして、税金と二次的税金(社会保険)によって構築されてきた医現的社会は、そういった社会の【シト】として「愛」と「ケア」を仮面的に提供する専門家に、ズブズブにされたのちに、健康というアイコンをみな自己責任で購入しに走るのだ。

ああ、なんということだ。

「健康はすばらしい」と、ほぼだれも否定できないアイコンを、今後は制度的ビジネスではなく、市場的ビジネスから、「愛」と「ケア」の仮面をかぶった専門家といわれる人たちから購入していくのだ。いや、もうしているのだ。そして、そこに空想的社会が広がっていく。【現代国家】の幻想とともに。

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2016年09月27日

医療福祉の専門職は今後どうなっていくのだろうか

今年は、平成30年度の介護保険等を改正を踏まえて、その後の大きな議論をして、いろいろと指針が出されている。

介護保険、医療保険、障害者福祉などの制度の変更、場合によっては統合とともに、人材についての議論も、大きな転換点を迎えている。

経済諮問会議で厚生労働大臣が提案した資料の中で
http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/minutes/2016/0511/shiryo_06.pdf
医療・福祉人材の最大活用のための養成課程の見直し P4
は、専門職の屋台骨をゆるがす大きな指南である。

○ 医療・福祉の複数資格に共通の基礎課程を創設し、資格ごとの専門
課程との2階建ての養成課程へ再編することを検討。
○ 資格所持による履修期間の短縮、単位認定の拡大を検討

介護保険制度施行以後、医療福祉の人材、専門職が「コンビニ化」してきているという批判がある。
専門職養成学校は、人材的ニーズを最優先し、たくさんの人材をだすために、教育の厚みよりも人材の輩出に腐心する。教育課程は、即戦力になるように変更され、卒業して何年も臨床知を積み重ねるのではなく、コンビニ化した普遍化したまがいものの「エビデンス」治療にのみ重点化してきた。また、制度は、専門的な治療ではなく、専門家による治療、専門的治療器具による治療に点数をつけてきている。

その流れの中で、いよいよ専門職の屋台骨を揺るがす改正をおこなっていこうというのだろう。
専門職集団は、結局、本来的に自分たちの専門職アイディンティを保持することができず、即時的な既得権確保をむかうのだろうか。

ユーザーからしてみれば、そんな専門職はいらない、のであるが。




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