2023年05月07日

2023年5月7日 55回目の誕生日に。みなさまに感謝と、今後ともよろしくお願いします

2023年5月7日で55歳になりました。

人生は思い通りにいかないのがあたりまえなのですが、それでもここ数年の世界の激動さは、自分がこの世で過ごす中では想定してなかったなぁ、と思うことも少なくありません。

自分の中ではなんとなく50歳を一区切りにして、人生の次のステージにうつるという感じがあったのですが、この5年は、そういった意味では「思い通りになっていない」5年間だったかもしれません。まぁ、それも人生です。
 特にこの3年は、生来の反抗心と負けず嫌いを最大限に発揮してか、あえて動いてきた3年でもありました。

 そして、世の中が次のステージに移ろうとしているいま。その動きの「原動力」は自分の中では薄れ、自分の中、内発的に、自分が次のステージ(興味関心)に移っていくだろう「声」がきこえてきます。

そんな今年。

 人生80年の時代に55才はまだ人生の1/3を残しているのかもしれませんが、それは机上の算式でしかありません。それよりも何よりも、自分の世代よりも上の人たちばかりが、この社会を牛耳っているような現状に、強い危機意識をもちます。上がいるからと自分が下の世代の上に【君臨する】のであれば、上がいても、自分はそんな【君臨】からは退散するぞ、という気持ちです。
 もちろん世代間バランスのとれた多種多様な社会づくりが自分の中でも大きな目標でもありますから。古いコトバですが、老若男女関係なくなればいいのですが。いまの中では、絵空事にしか感じません。
 上の世代が「あえて」意識して引かないと、バランスはとれていかないような気が個人的にはしています。年齢をとってみて、はじめて気がついたことですが、この社会はこんなにも、年齢と経験が牛耳られる社会なのだとつくづく感じます。自らの一声や指さし一つで、それなりのシステムや仕組みが動いてしまうような「錯覚」に陥ることができる社会はやはりおかしいし、ただただ怖いです。暴力的でしかないと感じます。
なので、ポイントポイントで、「あえて」ひいていく意識をもって今年からは動いていこうと思っています。

 あたりまえですが、いくつかの分野では、時代もかわりました。
 自分が20代の後半頃から拡がりはじめ、30代に社会にねづきはじめたインターネット世界はいまやその時代を確固たるものにして。そして、2010年代のSNSの世界は2020年代に入って、さらに、次世代に入っているなという感じがします。
 パソコン通信からホームページ、そしてSNSでの情報や社会事象の発信を続け、紹介してきましたが、だんだんと自分自身の中での、メリットとデメリットのバランスがかわってきている気もします。二次的な情報の発信を多くすることよりも、違う形の発信をかんがたほうがいいような気もしています。個人が発信できることをメディアが加工できること、メディアに加工しやすいように個人の発信の仕方がかわること、「Attention」がキーになっているといわれるこの構造に与するようなことはできるだけしたくありません。現実には難しくともその意識は持ち続けたいと思っています。
 なので、自分の発信媒体も順次整理をしようと考えています。
 このBLOGも使いにくくなった感じがあり、昔から使っているし、ここにしかない文章もあったので残してきましたが、そろそろ整理の対象かなと思います。
 私は案外とネットだけSNSだけのつながりの方も多いのですが、交流するというより、情報をうけとっていただくって感じの方が多いので、今後どんな風に使っていくのかは、少しずつ考えていこうかなと思ったりします。といっても、自分の生活を切り取ってシェアする趣味はないので、発信するコンテンツがなければ、遠ざかってしまうかもしれないですね。
 なにより、SNSのアルゴリズムに翻弄されている感が強くなっているのが正直気に入らないのであえて使っていくのか、それともやめちゃうのかは考えています。すぐにスパッとやめることはないでしょうけど。

 この3年は、オンラインが進んだことであえてお受けできた講演依頼もありましたが、だんだんと元に戻りつつある中で。私としては、学校の講義と同じく、もう講演はいいかな、と思っていたところなので、今後、さらに、そういった活動はなくなっていくと思います。この3年で、外に講演にでかけたりしていたので、そろそろ、依頼をと思っておられた方がもしいらっしゃったら、ごめんなさい。幻想だっとあきらめてくださいませ。また、やりとりがめんどくさい偏屈人に戻っています。

 少しずつ少しずつですが、あえて変えていく区切りになっていくと思います。そんなことを考えている55歳の誕生日です。アニバーサリーは好きではないのですが、ちょっと、区切りっぽく書いてみました。
何度もいいますが、すぐには何も変わりませんので、引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

posted by 凸凸 at 16:28| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月30日

障害福祉の分野で日常的に使われている【言葉】を「【あなたの言葉】で説明できますか?」ー一緒に考えませんか?

障害福祉の分野で日常的に使われている【言葉】を「【あなたの言葉】で説明できますか?」ー一緒に考えませんか?|冨田昌吾|noteと同じ内容です。)

【障害福祉の常識を問い直す講座season4開催決定】
ここ二年間よりは遅いはじまりになりますが、「障害福祉の常識を問い直す講座season4」を開催させていただきます。

今回も、私、寝屋川市民たすけあいの会の冨田と山口久美さんがコラボしての、障害福祉の常識を問い直す全10回の講座になります。

この三年間のように、基礎編、応用編ではなく、一テーマを2回行い、一度目が基礎編、二回目が応用編と。10回全部参加いただいてもかまいませんし、基礎編だけ、応用編だけでもかまいません。基礎とか、応用とかではなく、自分の頭で考え、自分の言葉にして語るということが、今回の貫通したテーマになると思います。そして、この「常識を問い直す」講座に一貫しているように、「常識」も「答え」もない問いに思考を委ねていきます。ただし、それは「ことば遊び」では決してありません。ことばは時に「暴力」にすらなります。リアリティのない思考のトレーニングではない【ことば遊び】は、福祉の中では「暴力」だと思います。

私は、なんでも3年を区切りにしてこれまで生きてきたように感じます。その冨田が、この講座の4年目をお引き受けしたのはなぜなのか?山口久美さんの言われる「裏テーマ」とも関係しますが、それは、ご参加いただければわかるかとおもいます。
ぜひ、一緒に学びましょう

以下、山口久美さんからのご案内文です。
2023年度の常識講座season4のメインテーマは「あなたの言葉で説明できますか?」です。
日々当たり前に使っている障害福祉にまつわるあれこれ、3歳児の質問に答えるように「そういうものなの!」で押し切っていませんか?
例えば、、、
1.障害ってなんですか?
2.障害福祉ってどういうことですか?
3.「じりつ」するってどういうことですか?
4.「子育て」ってどういうことですか?「こども」ってだれですか?
5.権利擁護ってどういうことですか?

というわけで、season4のテーマはこの5つ。それぞれのテーマを2回ずつ。
1回目は基礎編レベルのお話。
それを受けて2回目は沼の深みへ。
5テーマ全10回、自分の中に大切な言葉を編んでいきましょう。

実は更に深い裏テーマも隠されています。
どこかで明かされるかも!
謎解きにチャレンジしてみてください(⑅•ᴗ•⑅)

【日程・毎月第2月曜日ZOOM開講】
★第1回:障害ってなんですか?@
2023年5月8日(月)19:00〜

★第2回:障害ってなんですか?A
2023年6月12日(月)19:00〜

★第3回:障害福祉ってどういうことですか?@
2023年7月10日(月)19:00〜

★第4回:障害福祉ってどういうことですか?A
2023年8月14日(月)19:00

★第5回:「じりつ」するってどういうことですか?@
2023年9月11日(月)19:00〜

★第6回:「じりつ」するってどういうことですか?A
2023年10月9日(月)19:00〜

★第7回:「子ども・子育て」ってどういうことですか?@
2023年11月13日(月)19:00〜

★ 第8回:「子ども・子育て」ってどういうことですか?A
2023年12月11日(月)19:00〜

★第9回:権利擁護ってどういうことですか?@
2024年1月8日(月)19:00〜

★第10回:権利擁護ってどういうことですか?A
2024年2月12日(月)19:00〜

【対象】
どなたでも参加できます

【参加費】
★1回5,000円
★年間参加:10回35,000円
※参加費は全額、寝屋川市民たすけあいの会に寄付させていただきます。

【お申し込み・お支払いの手順】
★1回ごとの参加の場合
都度1週間前を目処にお申し込み

参加費振込先口座をお知らせ

講座当日までに5,000円をお振込み

★参加希望の回だけお申し込みの場合
ご希望の回をお申し込み

参加費合計、振込先口座をご連絡
初回参加の講座までに参加費合計をお振込み

★年間参加をご希望の場合
年間参加でお申し込み

振込先口座をご連絡
第1回講座までに参加費35,000円をお振込

【お申し込み】
★メール:snow.dream.order★gmail.co (★を@にかえてください)で下記必要事項をご連絡ください
折り返し、参加費の振込先口座をお知らせいたします
(メールでのご連絡が難しい場合、メッセンジャーでご連絡ください)

★お名前、ご所属・職名、お電話番号(講座の変更や中止の場合の連絡用としてのみ使用させていただきます)、ご希望の参加方法

【お問い合わせ】
メール snow.dream.order★gmail.com (★を@にかえてください)
または、メッセンジャーで、山口久美までご連絡ください

posted by 凸凸 at 10:19| 大阪 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月02日

2023年 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2023年 本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 ここ数年と同じく、今年も年賀状は失礼させていただき、BLOGで年頭のご挨拶を発信させていただいています。ただ、このBLOGも、BLOGというものの位置づけが年々変わっていき、かつ運営会社の広告の多さなど、目に余ることもあり、長年続けてきたこのBLOGもどうしたものかと考えつつ、年をまたいでしまいました。

 昨年、2022年はみなさまにとってはどんな年だったでしょうか。私のまわりには、とても積極的に自分のことを発信される方とそうでない方がおられます。年末年始は発信が増え、みなさまのいろいろな一年を垣間見させていただき、ご挨拶いただいた気分になっています。ありがとうございます。

 私にとっての2022年はというと。。

 昨年の年頭のBLOGで書いてあることをみると、テンションが低く、ずいぶん暗いんですよね。迷っていることが文間から垣間見えます。
http://totutotu.seesaa.net/article/485051508.html
「自分の中では2年間はがんばろうと思っていたことですが、2年が過ぎました。しかし、思っていたことの中でのやり残しが多く、2022年、同じスタンスで3年目に突入します。」

そう、2年で終わろうと思っていたのが終われずに3年目に突入した。。。そんな感じの一年でした。でも、4年目はありません。この春からは新しいスタンスに変わっていくことにしています。もちろん、この3年を受けてになりますが。
 
 少しだけ私にとっての2022年を書いてみます。

 寝屋川コミュニティフリッジをどうにかこうにか少しだけ軌道にのせることができた。
岡山の北長瀬コミュニティフリッジさんのノウハウを移転させていただいて2021年10月に開設した寝屋川コミュニティフリッジですが、実際は2022年の事業だと思います。もちろん、2021年にクラウドファンディングにて130万のご支援をいただき開設しましたが、つくづく作ることよりも続けることの方が大変であることを実感します。まして、この活動は市民活動。全くの民間の活動です。
 もともと、寝屋川市民たすけあいの会の活動は自分がかかわりはじめた30年前は全てボランティア活動、市民活動だったわけで、当たり前のことを再びやりはじめたわけなのですが、そうはいっても、2018年の台風被災と立ち退きがあり、失った時間と人脈も数多く、団体も代表も変わり、かなり新たな挑戦という感じの一年でした。
 「フードロス」解消の活動と生活困窮や子どもの貧困支援という2つの大きな目標が掲げられている活動ですが、その実、もっと多くのことを私たちに教えてくれました。
 http://neyagawatasukeai.org/news/news_20221227.html

 おりしも、年末の日経新聞のNPOに関する連載にあったように、NPOはいま、いくつもの大きな転換点にさしかかっています。1998年にNPO法人格ができ25年になる今年は、法律ができてすぐに作られたNPO法人がその活動や事業の継続と「継業(あえてつかいます)」という大きな課題にさしかかります。
 寝屋川市民たすけあいの会は団体設立から今年2023年の5月で45年。法人設立から22年になります。代表は3代目。時代にあわせて、アメーバーのように活動を続けていくためには、活動のさらなる活性化と事業の継続性の担保が必要です。

 2022年の9月、11月にずいぶん久しぶりにメディアに自分自身の写真がでました。
寝屋川市内のNPO法人芽ばえさんがやられている 「小さくうまれてきた赤ちゃんへ  かわいい産着、洋服を贈りたい!」の活動を春にクラウドファンディングで応援させていただいたのですが、その活動がイクハクの「ベスト育児制度賞」を獲得し、毎日新聞と寝屋川市広報に掲載されました。https://congrant.com/project/neyagawa/4374/report#tab_header
 ご存じの方も多いと思いますが、私はこの手のことがとても苦手なのですが、今回は協働事業ということで、お引き受けしました。新聞の写真がフォーマルな服装にみえたらしく(実際はセミフォーマルなんですが)発信後そのことへの突っ込みを多数いただくというなんともよくわからんことになりました。

 2020年の年頭の挨拶にかかせていただいた「オープンイノベーション」http://totutotu.seesaa.net/article/472872975.html 発想で動いている活動の中で、この3年それなりにも動き続けている奈良県宇陀市/アクティブセンターうださんとの活動。
https://activeuda.wixsite.com/activeuda
ココットのパンの移動販売車による高齢化の進んだニュータウンへの定期的な販売活動は、当初のねらいどおりにミニマルシェへの発展をみせた地域もでてきていて、地域づくりへの足がかりになっています。また、旧村を中心に展開している「ゆずってください」という労働力の問題で収穫できなくなってきた柚子をとりにいかせていただき、宇陀のゆずポン酢という商品を作り販売されています。近鉄電車を境にし「ニュータウン地域」と「旧村地域」の橋渡しも徐々に仕掛けられてきています。こちらは、寝屋川の私たちとも日常的にやりとりが起こり、相互交流が進んでいます。つぎのステージも考えています。
もう2,3のプロジェクトが実はあり、それはそれぞれの4年目への整理が必要な時期になってきていますので、今年のどこかでまた発信できればと思います。

 日常的にはいろいろありますが、大きな2022年のトピックを紹介させていただきました。

 2023年も大きく変わっていくだろう社会の中で、変化をおそれずに大事なことは大事というスタンスは変えずに1日1日すごしていきたいと思います。

 どうぞ本年もよろしくお願いいたします。

posted by 凸凸 at 15:57| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年02月11日

障害福祉の常識を問い直す講座season3:Think in their shoes

昨年度〜スタートし、今年度は基礎編10回を開催した「障害者福祉の常識を問い直す講座」が3年目に突入することになりました。3年目は、主宰の山口久美さん的には、「Think in their shoes(あえて訳すなら「他人の靴を履いてみる」」というテーマだそうです。これまで、やってきたいろいろな視点からみてみる−体操競技でいえば、宙返りやひねり技−を今回はアーティスティック・スイミングのように、プールの中の水中で考えてみるって感じになるでしょうか。方法論ではなく、いろいろな見方、考え方をみんなで学びあうという講座です。他にはない貴重な時空です。ぜひ、ご一緒しましょう。

以下、山口久美さんのからのご案内です

**************************

寝屋川市民たすけあいの会・冨田昌吾さんを講師に迎え「障害福祉の常識を問い直す」・・・という沼にはまってしまった人たちのための、第3クール「Think in their shoes編」。


さらに深く問い直す1年をご一緒に!


★☆★新規に沼にはまってみたい方、大歓迎!!です(^^)★☆★


支援orケアor介護or看護or治療する立場で常識を見直してきた2年間。
「される」側から考えてきたか?見てきたか?やってきたか?が問われる時間に、モグモグ、もやもや、ウニウニ、ぐるぐるしてきた私たち。
2022年はLet’s think in their shoes!
他者の靴を履いて歩いてみましょう!
人の靴は履き心地が悪いものです。
でもあえて、いろいろな人の靴を履いてみようという企画。
冨田さんが探してくる靴・・・どんな靴を履くことになるのか・・・どきどき、わくわくの1年間になること間違いなし!です。


◆2022年3月〜12月全10回
 毎月第2月曜日 19:00〜21:00
*参加費をお支払いいただいている方は、後日録画をご視聴いただけます。
◆参加費:
・ご希望の回のみ参加の場合:5,000円/1回
・年間での参加をご希望の方:35,000円/10回+振り返り新年会
 *参加費は、全額NPO法人寝屋川市民たすけあいの会に寄付させていただきます。
◆テーマ
1.2022年3月14日(月)
 「当事者(になるということ)〜親と子という視点から」
2.2022年4月11日(月)
 「市民〜自立を考える」
3.2022年5月9日(月)
 「適応〜社会を考える」
4.2022年6月13日(月)
 「教育・学ぶ〜特別支援教育を考える」
5.2022年7月11日(月)
 「幸せとケア〜自分らしさを考える」
6.2022年8月8日(月)
 「“ありのまま”(の功罪)〜行動障害を考える」
7.2022年9月12日(月)
 「エンパワメント〜empowermentを考える」
8.2022年10月10日(月)
 「問題と課題〜ニーズ・支援計画を考える」
9.2022年11月14日
 「Empathyとsympathy〜「違い」を考える」
10.2022年12月12日(月)
 「福祉〜専門性を再考する」
☆2023年1月16日(月)振り返り新年会♫
*日程、テーマは、変更する場合があります。
 都度お知らせいたします。
◆お申し込み方法
メールでのお申し込みをお願いします。
snow.dream.order★gmail.com(★を@に変えて送信してください)
・件名「常識講座申し込み」
・単回参加または年間参加のご希望
・お名前(ふりがな)
・職業、さしつけなければ所属先
をお知らせください。
折り返し、参加費振込口座をお知らせいたします。
お振り込み確認後、講座前日までにZOOM-IDと当日資料をお送りいたします。

posted by 凸凸 at 19:33| 大阪 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月16日

暮らしネットフォーラム7 廣瀬明彦氏を囲んで。「好きに生き合う 多様性を問い、個の確立を問う

『暮らしネットフォーラム7 〜廣瀬明彦氏を囲んで〜 』が開催されます。
今年のテーマは『好きに生き合う〜多様性を問い、個の確立を問う』です。

画像を拡大表示

画像を拡大表示

毎年このイベントに呼んでいただきます。ここ数年は実は毎年、もう卒業させてほしいとお願いしていますがさせてくださいません(笑)。おそらく廣瀬明彦さんが許してくださってないのだと思います。
それこそ、障害福祉の世界では、私以外のみなさんは日本を代表するような有名な方たちです。そんな中でも私にピンの枠をくださるのは「廣瀬明彦氏を囲んで」という一言に尽きるでしょう。
今年の私は「1990年代」についてお話をします。2020年代に入った今からみた、そろそろ歴史になってきた1990年代。そして、私と廣瀬明彦さんと出会った1990年代を。

廣瀬明彦さんについては、こちらのブログ
https://lessor.hatenablog.com/entry/20130201/1359736000

それから、寝屋川市民たすけあいの会のYouTubeにもお話いただいたときの古い講演ビデオがあります。

https://youtu.be/qoallg7WFbA

以下、主催者からのメッセージです

今年もこの季節がやってまいりました!

『暮らしネットフォーラム7 〜廣瀬明彦氏を囲んで〜 』の案内です。

今年のテーマは『好きに生き合う〜多様性を問い、個の確立を問う』です。


ここ数年ずっと「ほんまもん」の共生社会とは何かを考えてきました。

そこには何気なく使っている言葉の意味を問い直すことから、国連の障害者権利条約や福祉の枠を超えた話まで、色んな視点で原点的な議論がありました。

今年はさらに進みます。進めます。

豪華な講師陣に新しくまたひとり加わってくださり、深く熱い学びの一日になること間違いありません。

また今回は参加者のみなさまから講師陣への質問を募集しています。どんなことでもかまいません。現場の話から地域の話、社会の話、普段疑問に思っていること、悩んでいること、色んなことをお寄せください。可能な限りお答えさせていただきます。

みなさま、ぜひご参加下さい。今年もオンラインで開催します。

3月5日(土)9時45分〜16時45分

参加費3000円

申し込みはPeatixまたはこくちーずでお願いします。昨年参加された方はPeatixの方が簡単かもです。

https://knet-f7.peatix.com/

(Peatix)


https://www.kokuchpro.com/event/496d27b744d51750fad012f446d0d2f8/

(こくちーず)


締め切りは2月19日です。お早めにお申込みください。

posted by 凸凸 at 09:40| 大阪 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月02日

2022年 年頭のご挨拶 一日一日を大切にできることをしていきたいと思います

 みなさまに新年のご挨拶を申しあげます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 昨年も身近な方が多く亡くなりました。2012年、東日本大震災の後は、それでも(それだから)と続けた年賀状ですが、昨年から出すを辞めてしまいました。今年もすいませんが、年賀状は書いておりません。

 「身近な方」というと家族や親族をみなさんは思われるのでしょうか。
看取りをするような医者でもなく、高齢者施設にいるわけでもない私たちにとって、それでも、「死」はそんなに身近なことではありません。
もちろん、私たちのような仕事は医療や福祉の仕事をしている人たちよりは、身近なことなのかもしれません。
いわゆる障害の重い方や生きづらさを強く感じながら生きている方たちの生活は、「生きること」の懸命さと尊さを日々強く意識し、遠い異国の何百万の「死」をも私には身近なものと感じてしまうようになりました。
2021年は、2020年をリバウンドするように死亡者数が増えている(死亡数、コロナ余波で急増 震災の11年上回るペース: 日本経済新聞 )とのこと。
もちろん、日本はこれから多死社会 になるので、死がどんどん身近なものになっていきます。

しかしながら、身近な人たちを若くして亡くす経験をすると、心の中に何か穴のあいた感情をもたざるを得ません。
それも何か「心残りを感じながらだろう」人たちとの過ごしには思うことがあります。
一日一日をほんとうに大切に過ごしたいと感じます。
生きているもの同士が、新しい区切りを共に超え過ごすことができたことを「おめでとう」と言い合うことも必要だと思います。
そして、それをしないこともまた、一つの選択肢だなと感じます。
人に元気で楽しく過ごした一年でした、と、言えない時に、無理矢理につくることもまた違うのかなと思ったりします。
(別に議論をしたいわけではないので、普通に日常お会いする人たちにはご挨拶していますから)



2020年の1月1日に「動きます」宣言をしてから2年がたちました。
パンデミックの中で、思っていたことの半分くらいはできないまま過ぎている感じもあり、それでもずいぶんと「オープンイノベーションと関係人口」というテーマで、それまでと比してダイナミックに動いているかと思います。
 facebookを中心に発信してきましたが、昨年くらいからfacebookもずいぶん変わってしまいみなさんへの見え方が変わっているのでしょう。
noteも2020年の夏前から一年間ほぼ毎日書いてみました。
発信の仕方については、いまも手探り状態です。そして、おそらくはこれには答えがないのだと思います。
そういう意味では東日本大震災の頃に戻ったのでしょう。
パンデミック下では制限されているので厳しいですが、やはり飛び道具ではなく、身近な丁寧なやりとりからしか生まれてこない、そんなことを感じています。

 自分の中では2年間はがんばろうと思っていたことですが、2年が過ぎました。しかし、思っていたことの中でのやり残しが多く、2022年、同じスタンスで3年目に突入します。

 オンラインでの講演会&学習会は今年も続けさせていただこうと思っています。
いまのところ、「障害福祉の常識を問い直す講座」は3期目突入が決定しています。春から3期目スタートの予定です。
少し、自分の勉強もかねて、もう一つくらい定期的なものをお受けしてもいいのかな、と思っていますので、みなさんの中で、もし思われることがありましたら、ご連絡ください。

 寝屋川という地域での活動、特に、オープンイノベーションと関係人口を意識して取り組んできた活動や事業は、それぞれ、次のステージに入ります。
何が成功で何が失敗かはわかりません。ある側面からみれば成功でも、ある側面からみれば失敗でしょう。
それでも、高齢化と貧困化と中核市移行に伴い官僚化が進む街に、私たちの活動を通して、興味関心を持ってくださる人が少しでも増えて、そこから、関係をもってくださる人が増えれば、すべて成功だとも言えるでしょう。
 もちろん、その基準だけで考えているわけではありません。多角的、多層的、そして、多面的に考え、一義を大切に、活動を拡げ、紡いでいきたいと思っています。

 毎年、開催されている奈良のくらしネットフォーラムは、今年は3月5日(土)にオンラインで開催予定とのこと(まだ、案内はでていないようですね)。
私の枠は今年も用意されているそうです。今年は「1990年代」をテーマにお話しをさせていただくつもりでいます。「福祉」や「地域」「NPO」にとって,1990年代は、日本の世の事情でいう「バブルと、バブル崩壊後」の「失われた10年 」という総括にもなるのでしょうが、冷戦終結からEU結成。社会構造の大きな変化、経済システムの変化だけではなく、人権や権利という側面からも大きな変化のあった時期です。
 世界的にみれば、日本の障害福祉がなぜここまでアンバランスなまま、いまに至るのか。
毎年の奈良のくらしネットフォーラムで与えられている「とみたの頭の中を語れ」というオーダーにそって、自分勝手に語らせてもらおうと思っています。

 思うことは、それこそ、何万もありますが、自分の時間と能力には限りがあります。
全開にできることも厳しくもなってきました。そのことは、真摯に受け止めつつ、一日一日を大切に過ごしていきたいと思っています。
 本年もよろしくお願いいたします。
posted by 凸凸 at 16:54| 大阪 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年11月14日

福祉の分断 Social servicesになれなかった日本の「福祉」

私が活動している寝屋川で、10月末から新しい取り組みをはじめた。
寝屋川コミュニティフリッジ

プレゼンテーション1

 2018年の台風21号の被災からとにかく耐え続けてきて、ようやく本来の地域の活動ができるようになったとき、「お互いさま」「たすけあい」というキーワードの中で展開できる活動に出会った。元祖は岡山の「北長瀬コミュニティフリッジ」で、そのシステムを移築して運営させていただく。全国にこの岡山式を広めていくネットワークにも参加し、その開設第1号になる。

 このシステムを導入しようと思ったきっかけというよりも、クラウドファンディングを得て、開設の前段階になってから、予想以上に大きな障壁に突き当たっている。そして、それはここ数年の私の大きな問題意識と完全にオーバーラップする。しかし、それは大きな難題なのだ。

 コミュニティフリッジ・システムを導入しようと思ったきっかけを書かないと言ったが、少しだけ。
 このコミュニティフリッジ・システムは、非接触、非対面を目指しているシステムだ。もちろん、完全には難しいが、システムに参加できるデバイスをもっていれば、ほぼ非接触・非対面が実現できる。開設して1年の岡山は半数くらいがネットからの利用申し込みであり、デバイスをもっていれば、非対面で利用ができているという。実はこれこそが、私がコミュニティフリッジを取り入れようとした大きな理由だった。

 しかし
 予想はしていたことだが、岡山と寝屋川では地域性が全く違う。そして、運営団体の正確や姿勢も違う。同じ「まちづくり」を標榜していても、ベタベタに40年以上「福祉」を前面に活動していた寝屋川市民たすけあいの会は、どうしてもその「色」が出てしまう。そして、普段のネットワークからも圧倒的にその「色」がついている。そして、その「色」が前面にでてくることによって、「デバイス」を持ち得ない層のニーズをかくも拾ってきてしまう。

 もちろん、それも一つの活動の「ねらい」ではあり、多様なコンテンツと方向性をもつ寝屋川市民たすけあいの会としては「あり」ではあるが、そこが一人歩きし、前面に出すぎると、本来の食品ロスを前面にした「たすけあい」活動という緩やかな地域ネットワークの色が薄れてしまう。個人的にはそこにこそ、「コミュニティフリッジ」の非対面、非接触の良さがでると思っているのに、である。

 私は「もっとも困っている人」へ届ける とか、「ひとりも取り残さない」などということばを私たちのような民間のNPOが活動の目標として発することは適切でないと思っている。基本的なセーフティネットは公的に保障されるべきものだ。もちろん、出会った人の「困りごと」を無視するという意味ではない。しかし、そんなことを言ってしまえば、私自身が「困った人」を作りだしてしまう。そして、その構造に自ら身を置くことになる。いまを乗り越え、その先につないでいくことが私たちの大きな役割であると思っている。

 ところが、現実はそうはいかない。その現実がなぜ起こり続けるのかを考えたときに、日本の社会福祉制度がその構造を大きく変えようとしはじめた1990年代から2000年代にこの構造の端は発すると思っている。あのとき、社会福祉基礎構造改革という名のもとに、介護保険が創設され、高齢者介護や障害者福祉、そして、保育が「社会サービス」になったのだ。そう、イギリスの「Social services」のようなサービスメニューを一定の市場システムを導入する【官製ビジネス】として。

(いまの首相がまさに繰り出しはじめているものの中に「公定価格」というおもしろいことばを介護や保育の分野に出してきているが、まじめにあの議論をすれば、1990年代の社会福祉基礎構造改革の失敗というようにしか聞こえない)

 いまやあたり前のように使われる「福祉サービス」ということばは、その深化とともに、新たに、いや、再び「(社会)福祉」を明らかに必要とする構造を生み出してきている。
 もちろん、欧米では、Social servicesには公的扶助(日本で言う生活保護制度)が組み入れられているので、それと同じではないか、と言われる方もおられるだろう。
 日本でこの20余年起こってきていることは、社会サービスとなったそれらの「福祉サービス」が依然として、サービス受給者として、必ず「ラベリング」を含む申請を行い、行政に認定された上でそれらのサービスを受けなければならず、かつ、そのサービスは「困りごと」を解決するのではなく、定式化された「消費サービス」としてメニュー化され、サービスを使える人を限定しているという事実である。
 そして、さらにいうならば、この20年日本の貧困化が数多く指摘されているにもかかわらず、生活保護制度はその仕組みを変えておらず、かつ、その基準は厳しくなり、受給額も減っているという事実である。

ということは、「福祉サービス」利用者と「公的扶助」適応者の間に大きな層を作りだしているということだと感じているのだ。加えていうならば、これは必ずしも、この20年で新たに言われるようになった「ワーキングプア」の概念や層とは一致しない。ワーキングプアは雇用労働面の視点から指摘されることの多い(日本では?東洋では?)がここで私がいいたいのは、福祉政策の視点からであるからだ。

私たちは行政からの委託事業も受けているし、比較的近いところで事業を行っている。もちろん、福祉制度でやれることもある。それがいまの福祉サービスという制度の枠でもだ。しかし、その限界は、刻一刻とそのラインを下げてきているようにも思う。
それは、従来から指摘されているように、サービスを使いたくても使えない人の存在やサービスそのものが充足されない人やサービスのすきまに陥ってしまい、届かない人たちも含まれる。
しかし、それだけではなく、本来、社会サービスとして、誰でもが必要になれば、使えるようになるはずだった「福祉サービス」がその姿を、選別のシステムとして、巨大化させることによってさらなる「ラベル化」を深めてしまい、「福祉サービス利用者」という医療で言う「患者」のような弱者のラベルを濃厚につけてしまったとき、分断は最高潮に達しているように思う。やり直しのきかない私たちの生きるこの社会は、その「ラベリング」を十分に活かし、強化している。

コミュニティフリッジの取り組みは、小さいささやだけれど、そのことについての対抗でありたいと思っている。早くも風前の灯火であるが、消えてしまわないように、少しでも。

(この文章はnoteとダブルポストです)

posted by 凸凸 at 19:37| 大阪 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月21日

大きな困難をみなさまのおかげで乗り越えてこれました。そして、これからのご支援のおねがい

2018年9月の台風21号での被災以来、長く長く、多くのみなさまにご支援、応援をいただいてきました「寝屋川市民たすけあいの会」。
折にふれ、ホームページやSNSでもお伝えしてきていますが、ようやく、新しい建物の引渡しが先日終わりました。
まだ、保存登記、所有権登記といった登記の手続きと内装と外回り、そして引っ越しが待っていますが、1600万円を超える寄付とゆめ風基金様からの支援などにより、ようやくここまで来たという感じです。
 一連の手続きが正式に終わった後に公式にきちんと会として御礼をさせていただきたいと思っています。

IMG_0106.JPG









  IMG_0101.JPG









 寝屋川市民たすけあいの会は1978年発足ですから、今年で43年を迎える団体です。慈善活動からボランティア活動、市民(住民)活動への移行期にその活動はじまり、2000年以降はNPO活動、そして、福祉事業としての歴史をも積み重ねています。
寝屋川という街にずっと根ざしてやってきていますので、当然その活動は、街の変化にも大きく左右されてきました。
 最近、私が寝屋川についてよくさせてもらう発信は、寝屋川という街が高齢化(高齢化率30%)と貧困化(貧困の世代間連鎖四世代目)なんですが、もう一つ付け加えるなら、大阪府北部地震と台風21号から3年、そして新型ウィルスの影響で、この1年ほど、ものすごい勢いで建物のが解体され、更地になっていることです。もちろん、そこに新しい住宅も建ってもいますがバランスとしては、解体の方が圧倒的に多い気がします。
 建物が新しくなることは、自然災害と道路の拡幅による立ち退きでしたので仕方がなかったといえばそのとおりです。しかし、昭和14年からこの地を借り、昭和30年代から建っていた建物の歴史を塗り替えることは簡単ではありません。
今回、福祉とはおおよそ関係のない分野のことをたくさん勉強させていただいています。例えば、寝屋川市民たすけあいの会がある地域が国土交通省の木造住宅密集地帯
https://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-douro-keikaku/iken/by_pref/pdf27/861231.pdf
https://www.pref.osaka.lg.jp/attach/5385/00147448/houshin.pdf
に指定されているということは、改めて突きつけられた現実として、災害と道路、そして、新築にともなうさまざまな規制をいみじくも勉強することを余儀なくされました。自分たちが、権利をもった土地に自分たちの思うものを建てることができないということは全く想定外でした。

 また、わかっていたことですが、資金についてもかなり厳しい状況のまま現在に至っています。NPO法人ができて20年以上たち、資金的にかなり大きなNPO法人も登場している中、それでもまだNPO法人はボランティアであり、事業でなりたつものではない。寄付を収入として事業を成り立たせることは難しいという感覚がまだまだ根強いということも痛感しました。

 文頭に書きましたように、とても多くのみなさまのご支援、ご寄付とゆめ風基金さまのおかげでここまでは来ることができましたが、この先、残っている被災した建物の解体や取り壊しに関してはまだ見通しがたっていません。

 会の世代交代、このご時世の中での事業の今後の方向性、検討することを検討しているのではいったい自分たちが何をやっているのか、が、わからなくなります。

 もちろん、この間に取り組んできたことは継続しつつ、発展させていくこともやっていきますが、寝屋川市内での地域の見据えた活動の打ち出しを少しずつしていきたいと思っています。

 その第一弾が「寝屋川コミュニティフリッジ」の活動です。
6月10日からクラウドファンディングをはじめていますので、ご覧いただいた方もおられるかと思います。

 コミュニティフリッジはいうなれば、冷蔵庫のある小さな無人のフードパントリーです。2010年代のはじめにドイツではじまり、スペインやイギリスなどのヨーロッパとアメリカにひろがっているのだそうです。その日本版(岡山版)がはじまったのが昨秋。岡山の北長瀬コミュニティフリッジです。今回、私たちはそのノウハウ移転を受け、「寝屋川コミュニティフリッジ」を立ち上げようとしています。

クラウドファンディングは、ちょうど折り返しにさしかかってきました。目標額も50%を超えました。今回は、生活困窮支援という位置づけもありつつ、食品ロスへのSDGs視点からの取り組みという側面を大きく打ち出しています。
この間、いろいろな機関との調整や改めての対話をはじめています。

私たちの中では「寝屋川コミュニティフリッジ」はいろいろなきっかけづくりの一つとして考えてもいます。そこから見えてくるもの、食糧の支援を必要とする人たちはどんな人たちか?従前のラベリングからスタートするのではなく、改めて地域を見直すことを行っています。

 生活保護を申請して、保護がおりるまでの間の食べもの
 生活困窮状態に陥っている小さなこどもさんがおられる家庭に必要なおむつやミルク
 生活困窮者支援窓口に相談に行ったが基準をみたさない人の支援
 養育が難しい家庭のこどもたちの食事や学校の用具、生理用品
 学校に行くことができない女の子の生理用品(寝屋川は今年から学校で生理用品の配布事業をはじめています)
 ひきこもりで家からできることができない人に食事を届ける仕組み
などなど。

 この間に、いろいろなところとの対話の中で見えてきた層です。おそらくは数としてはそんなにないのだと思います。でも確実にそんなニーズがみえてきています。これも、私たちが「寝屋川コミュニティフリッジ」で取り組みたいことの一つです。
すべてが「寝屋川コミュニティフリッジ」で解決できるようにすることが目的でも目標でもありません。取り組みをきっかけに、新しく見えてくること、改めて見直すことを取り組んでいきたいのです。

 食品ロスへの取り組みについても、いろいろな基軸で取り組みを作っていきたいと思います。それはまだこれからですが、すでに定期的に自団体で、「フードドライブ」を開催いただけるといった声や、サルベージパーティを定期的に開催してくれる団体など、食品ロスに取り組むことからの教育的な機能と「人の役に立つ」というモチベーションを作っていくようなコンテンツも実装していきたいと思っています。

 寝屋川市民たすけあいの会という名称は1978年の会発足時からの名称です。「たすけあい」という名の示すとおり、困ったときはおたがいさまを体現する名称になっていると同時に、会のミッションは、「人と人との交流の場づくり」「たすけあいのネットワークづくり」「市民による福祉のまちづくり」をめざします、です。「たすけてください」と言える社会づくりとともに、「たすけてください」を言わないでもたすけあえる社会づくりをめざしたいと思っています。
 「コミュニティフリッジ」は収入が入る事業ではありません。寄付をベースにして、立ち上げ、そして、運用を行っていきます。
 改めて、大きな困難を乗り越えて、新しいステージに入りつつある、私たちの取り組みをぜひ応援してください。よろしくお願いします
 https://congrant.com/project/neyagawa/3062
posted by 凸凸 at 20:29| 大阪 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年04月04日

制度化はだれのためのものか?

毎年、2月に奈良で行われる「暮らしネットフォーラム」というイベントがある。今年もその第6回が2月27日に行われた(今年はオンライン開催)。そのイベントで、第1回から午後の一コマを私の講演時間という設定をしていただいている。私は2007年くらいから講演の依頼をほぼ断ってきていたし、もともと、フリーのテーマの講演依頼をいただくことがほとんどなく、シンポジウムのコーディネーターやシンポジストを依頼されることが多かった。その中で、とてもお世話になった方を冠したイベントであり、つながりから講演をお受けすることになり、今年で6回目になった。

実は、フリーで話をすると、おおよそ狭い福祉の話を私はすることがない。私の関心事はいわゆる「地域」や「まちづくり」といった分野になるので、たいがいが前後のお話しとは合わず申し訳ないかぎりであるが、毎年ラブコールがあるので、しぶしぶお受けしている(申し訳ないからもういいでしょう?と毎年行っているのだけれど)。
そんな中で、一度だけ福祉に類するお話しをしたことがある。それが第3回だった。このとき、平成30(2018)年の医療制度、介護保険制度、障害福祉制度などが同時改正になる寸前のフォーラムだった。このとき厚生労働省はこの時期の改革を「惑星直列」と呼んでいた。

この厚生労働省が「惑星直列」と呼んだ改革について解説をさせていただいたのが、このときの講演だった。

奈良2018

そのときの話題の中心になったスライドがこれ。

そして、このときの話をきかれてから、5月に某所での講演の依頼があり、そのときもこの【「医療」の切り口での統合】という話をさせていただいた。

ここ数日、私のSNS界隈で、話題になっているのが

厚生労働大臣が定める医療行為(令和3年厚生労働省告示第89号)である。

1つは、DPI日本会議がこの通知に関して、いま緊急に動きはじめている

タイトルはそのまま

「厚生労働大臣が定める医療行為」により、重度障害者の在宅ケア(医療的ケア)がピンチに⁈

である。

そして、他方で反応しているのが、特に児童の分野の通所や教育分野の人たちである。そもそもこの通知が「令和3年度報酬改定における医療的ケア児に係る報酬(児童発達支援及び放課後等デイサービス)の取扱い等について」で導入された新判定スコアに示されたケアの種類を担保するためのものと理解できるからだそうです。いま、次回の国会に議員立法で上程されようとしている「医療的ケア児支援法」にみられるように、ここ数年の動きとして出てきている「医(療的)ケア」の必要なこどもたち(主に)への支援がより強く出てきたとみることは簡単である。

在宅生活における「医療」行為の話は、さまざまな視点からこれまで繰り返し議論がなされてきた。医師や看護師が法律でその業務として認められている「行為」を医師や看護師以外が行うことを認めるか否か、と、簡単に説明してしまうとそういうことなのだが、実はこれは単純な話ではない。長い間、医師や看護師の主戦場は「病院」であり、そこで行われる行為の話は簡単に説明できるが、病院以外の生活の場になると、とたんに話がややこしくなる。「医療」行為を必要とする人が病院で一生生活するというのであれば別だが、多くの方は病院以外のところで生活をしている。家族がいれば、家族にその行為を医師や看護師が教えて行っていることは日常的な話なのである。つまり、暮らしのために介助や支援が必要であることと同じように医療的ケアがある。そして、それは家庭だけでなく、教育の現場や福祉の現場で家族以外の医師や看護師以外の人たちが暮らしをささえる一行為としておこなってきた歴史がある。

いまのこれらの動きだけを見ていると、またぞろ繰り返される議論かと思いがちだが、はたしてそうだろうか。

私が2018年に奈良でお話しをしたことは、そういう現実のリアリティの話というよりも、この国がいま抱えている政策的な「大きな問題解決」の方向に、いまでの議論がくみとられていってしまうことであった。つまり、「患者」の立場から求める「在宅医療」「地域医療」ではなく、超高齢社会の中での社会保障費をどうしても削減していかなければならないという旗印は、入院医療から在宅医療への大きな舵を切り始めたのが2018(平成30)年改正だった。そして、その波は確実に進んできている。

制度化というのは、官僚化社会である日本においては冷酷である。それが運動で作り上げたものであっても、制度化されたとたんに官僚化し、いわゆる「血のかわないもの」になる。

理念と信念をもって、運動し、制度化が必要なものであると信じて、制度化を勝ち取った後に、「当事者」にとっては、使い勝手の悪いものになってしまう。一方で、全くそういった支援を受けることができなかった人たちにとってみれば、その制度ができたことによって、すばらしい制度ができたとなる。

そういうことをこれまでも見てきたし、体験してきた。

今回の話も、私は来るべき序章でしかないような気がしてならない。
医療のリソースは当然、有限である。圧倒的大多数の高齢者が入院医療から在宅医療への受益者であり、病院とその周辺の経営上の利益を産む構図はすでにできつつある。その実は、単に、病院で行われる治療が、病院でなく自宅などで行われる「だけ」であるという話はすでにききおよんでいる。
そこには「暮らしの中の医療」の欠片すらない。

あまりに大きな話をしたがゆえに2018年のときの話は多くの方に理解されなかったのもしれない。しかし、確実にあのときの話がすすんでいる。

posted by 凸凸 at 15:25| 大阪 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年03月06日

「リバ邸ねやがわ」の立ち上げ 「オープンイノベーション&関係人口増をめざして」

2020年1月1日のBLOGで提唱した「オープンイノベーションと関係人口
徐々に、具体的な形として,動き始めています。

今年度は、寝屋川へと寝屋川から、出て少しずつ動きを固めてきました。

すでに断片的に、動きは具体化しています。

例えば、「み・らいず2」さんとの協働研修企画「ソーシャルワークアカデミー」の開催もその一環ですし、
他にもすでに動いていて、単に行って話をするという以上の動きをいま準備しているものもあります。

その動きのリリース【第1弾?】として、

寝屋川でシェアハウス「リバ邸 ねやがわ」をたちあげます。

リバ邸って何?シェアハウスって不動産賃貸業でもやるの?
いえいえ
リバ邸とは

解放集団Livertyから生まれた、「現代の駆け込み寺」をコンセプトに掲げて各地に展開しているシェアハウスです。

ぼくらLivertyは、社会実験や個を切り売りしながら生きて行くための本拠地として、現代の駆け込み寺シェアハウス「リバ邸」を構えます。
いまの日本には居場所が少ないように感じます。学校か家、会社か家。そのどちらかからこぼれ落ちてしまうと、途端に居場所が無くなってしまう。
リバ邸は居場所でありアジール(避難所、自由領域)です。
行き詰まって前にも後ろにも進めなくなってしまうくらいなら、まずは片道切符だけもって、全国各地にあるリバ邸に遊びに来てください。
「おかえり」と迎え入れてくれる、同じ思いを抱えた様々な仲間がたくさんいます。– リバ邸発起人・家入一真

リバ邸 公式HP リバ邸の理念 ・コンセプトより


それも、寝屋川市民たすけあいの会が直接に運営をするのではなく、このコンセプトに共感してくださった若者との出会いからこのプロジェクトは動き始めています。つまり、協働事業として立ち上げます。

シェアハウスの名前は
「WACOODO リバ邸ねやがわ」です
155498987_265968075154958_1999399404671716654_n.jpg









寝屋川市民たすけあいの会から徒歩数分のところにある一軒家(「すだち」ではありません)を借り、そこをこのシェアハウス事業の拠点にします。
シェアハウスというと不動産の一種のように長く住むというイメージがありますが、このシェアハウスのコンセプトは一時滞在も含めて、いろいろな人が集い、交流するその拠点のような(昔のYouth hostelのようなイメージに近いかも)イメージです。

常々、私たちが感じている寝屋川市の貧困化、高齢化にともなって、いろいろな人に寝屋川に関係する人になってほしい。関係してくださる方を増やしたい(関係人口を増やしたい)。そんな思いを具現化する第1歩になればいいと思っています。
そして、それを実現するために20代の若者たちと協働します!

オープンにむけて、クラウドファンディングがはじまりました!

このクラウドファンディングのリターンの1つに、MUGEN見学ツアーが入っています。MUGENは寝屋川市内の精神障害者値域生活支援にかかわる四団体があらたに作った一般社団法人です(国の精神障害者にも対応した地域包括ケアシステムの資料にも三家クリニックの取り組みとして掲載されています)。今回は、寝屋川市民たすけあいの会の見学を1つにいれますので、私たちの取り組みに興味のある方は、ぜひクラウドファンディングの支援をいただき、寝屋川を訪れてください(時期は要相談になります)。

狭い意味での福祉ではなく、まちづくりを志向していかないと、そして、それは狭い世界の人のつながりではなく、広く多くの人たちとつながっていきつつ、実現していきたい。それが私(たち)が考えるオープンイノベーション・コンセプトの具現化です。

このプロジェクトの協働者の一人である菅原和也さんは「医療介護塾」という取り組みをされていますので、もちろん、医療介護職やそれに関心のある人たちが、【WACOODO】に集って欲しい。そんな思いもあります。

私たちの新しい取り組みに、注目していただくとともに、ぜひ、ご支援ください。

156504539_1062356890924753_637255804604790438_n.jpg





posted by 凸凸 at 15:54| 大阪 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月07日

障害福祉の常識を問い直す講座 基礎編がスタートします

第1回3/8 「知的障害/発達障害/高次脳機能障害/認知症」みなさんが思っている障害の理解は、常識ですか?

昨年約一年おつきあいいただいた。この講座の基礎編がスタートします。

山口久美さんからお声かけをいただき、わかりやすいことをわかりにくく、考えることのヒントを2つずつほど提示しつつ、わかりやすくすることの功罪を常に意識しながら昨年、進めさせていただきました。

なにより自分自身が相当に勉強し直しましたし、本もたくさん買い、読みました。
視点としていまの障害福祉にまつわるさまざまなことを
制度中心になってしまっている
いまの社会風潮に囚われすぎている
ことに対して、1つ1つ自分なりに真摯に向き合う時間でした。

そして、今年は基礎編と題し、月1回の10回シリーズで開催されます。
基礎編ですので、考えたり、わかりやすくすることの功罪をベースにしますが、考えるテーマを1つに絞り、みなさんと考える時間をできるだけとりつつ、進めていきたいと思います。

学びたい、考えたい人たちのご参加をぜひ、お待ちしております。


以下、主催してくださる山口久美さんの紹介文です。


昨年(一部で(笑))「はまる」人が続出し、蟻地獄のようだと高い評価をいただいた「障害福祉の常識を問い直す講座」。
待望の基礎編がスタートします!
マニア中堅以上向けの講座では「難しかった・・・」とか、「モグモグ」「ぐるぐる」「ウニウニ」などのワードが流行語になるなど、冨田節が炸裂するまさに「常識はずれ」のわかりにくい=自分の常識を問い直し考えるしかない学びの時間になりました。


基礎編は、障害福祉ビギナーや、障害福祉分野との連携を考える、または、連携している方向けに、障害福祉に携わる楽しさや難しさを学べる「わかりやすい(冨田氏談)」講座になる予定ですが、年齢制限も経験年数も関係なく、どなたでも受講していただけます。

この講座は、障害福祉の常識を易しくお伝えする講座ではありません。
障害福祉の世界で常識と言われている(思われている)ことを、いろいろな角度から問い直してみることで、障害福祉の仕事に携わる者として、どう自分の仕事に向き合うかを考える(きっかけを見つける)ための講座です。
基礎編なので「問い直す」脳の使い方を易しく&優しくお話してくださるはずです。
みなさま、ふるってご参加ください!


◆受講費: 5,000円/1回、
*年間受講は割引になります:35,000円/10回(年間受講の場合、第1回目にご入金をお願いします。お振り込み後は、いかなる理由があっても返金はいたしませんのでご了承ください。)
*受講費は、全額、NPO法人寝屋川市民たすけあいの会に寄付させていただきます。
*お振り込み手数料は、受講者負担とさせていただきます。
◆日時:2021年3月〜月1回・全10回予定
    19:00〜21:00
*基本的に毎月第2月曜日になります(講師、事務局の都合で変更をお願いすることがあります。その場合できるだけ講座の中で日程調整させていただきます。)
参加費をお支払いいただいている方は後日録画視聴していただけます。
◆講師:冨田昌吾さん(NPO法人寝屋川市民たすけあいの会)
◆テーマ・内容
1.2021年3月8日(月)
「知的障害/発達障害/高次脳機能障害/認知症 」
*2回目以降次のようなテーマを考えています。
2.多機能、他職種連携
3.療育とリハビリテーション
4.くすり
5. 福祉サービス
6.支援、援助、介護
7.保健と健康とwell-being
8.支援計画
9.障害福祉の倫理
10.講座の進捗によって加えたい、または、加えるべきテーマのために保留(9回までの途中に入る場合もあります)

振り返り懇親会(無料)を予定しています
◆お申し込み方法
メールまたは、Messenger、LINEで、「お名前(ふりがな)、職業、所属」をお知らせください。
折り返し、参加費振込口座をお知らせいたします。
お振り込み確認後、講座前日までにZOOM-IDをお知らせいたします。
Mail:snow.dream.order★gmail.com (★を@に変えてください)
担当:山口久美全10回。

https://www.facebook.com/events/1071984279967061/

posted by 凸凸 at 08:37| 大阪 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月06日

奈良 くらしネットフォーラム 6

今月の27日に開催されます。
締め切りが来週の土曜日13日になります。
今年はオンラインですので、全国どこからでもご参加いただけます。

今年はNHKバリバラの玉木幸則さんが登壇。

とみたは毎年のごとく、一時間少しの枠をいただいています。
ピンで、かつ、フリーテーマで話をすることがとても少ない とみた がこのフォーラムだけは話をさせていただけます。

ぜひ、ご参加ください。

流行廃りに囚われず、人と人とのつながりと支援、共同についてを考えます。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
「暮らしネットフォーラム6」の案内です。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

今年も『暮らしネットフォーラム』を開催することとなりました。
有志で集まり企画されるこのフォーラムは、原点を確認すること、国や社会の
現状を明らかにし、これからを考えること、そしてそれらを踏まえ自らがどう
行動するのかということを問う大切な機会です。今回はこの状況下なので、オ
ンラインのみでの開催とさせていただきます。しかし私たちは学びを止めませ
ん。全国から様々な立場の方が集まり、その輪を広げていけたらと思っていま
す。今回も非常に豪華で濃い…いや個性的な講師陣に登壇していただきます。
オンラインなので普段は参加の難しい遠方の方もぜひご参加ください。熱い学
びの日にしましょう。ご参加お待ちしております。

================================================================
『暮らしネットフォーラム6オンライン〜廣瀬明彦氏を囲んで〜』
       この国はほんまもんの共生社会へ向かっているのか? vol.2
================================================================
日 時:2021年2月27日(土) 9:45〜17:00
会 場:オンライン(※)参加の詳細は下記申し込みページをご参照ください
定 員:・オンライン参加 zoomウェビナー 90人
    ・オンライン参加 YouTubeLIVE  410人
参加費:1,000円(※)コンビニ/ATM決済の場合は1枚あたり220円の手数
             料が購入者負担となります

≪開催プログラム≫
 9:45 開 会
10:00 対 談『共に生きていくことができる社会について語り合う
            〜新型コロナウイルスも包容しながら、
                障害者基本法などの改正に臨んでいく〜』
        対談者:玉木幸則氏
              (NHK Eテレ『バリバラ』コメンテーター
               内閣府障害者政策委員)
            尾上浩二氏
              (認定NPO法人DPI日本会議 副議長
               特定非営利活動法人ちゅうぶ 代表理事)
12:00 休 憩
13:00 講 演『次代を斬る!
           思考の回路「思いと共感×仮説と実験」の実践論
                        「協力」を手がかりに』
        講師:冨田昌吾氏(寝屋川市民たすけあいの会 事務局長)
14:15 休 憩
14:30 シンポジウム
      『「地域共生社会」?それよりちゃんと「共生」を考えようや』
       シンポジスト:
        清水明彦氏(西宮市社会福祉協議会 常務理事)
        冨田昌吾氏(寝屋川市民たすけあいの会 事務局長)
        尾上浩二氏(DPI日本会議副議長/ちゅうぶ 代表理事)
        玉木幸則氏(バリバラコメンテーター/障害者政策委員)
        竹内聖典氏(大和郡山育成福祉会 統括施設長
                      /暮らしネット運営委員)
      (進行)北野誠一氏(共生のまちづくり研究・研修所 所長)
17:00 終 了

≪申し込み方法≫ 下記のページからお願いします。
 ●Zoomウェビナー申し込みページ:
    https://knet-f6-1.peatix.com 【先着90名】
 ●YouTubeLive申し込みページ:
    https://knet-f6-2.peatix.com
posted by 凸凸 at 14:59| 大阪 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年12月29日

だれがウィルスと「戦争」したがっているのか?

冬に入って日本においても新型コロナウィルスの第3の波が起こっていて、連日のPCR検査での陽性者の数のレポートは続き、特に12月に入ってからは、医療者の悲鳴というタイトルで、時に、コロナ病棟を担当されている医療者ご本人や看護師ご本人が、SNSやマスコミなどに、生の声を発信されることを見ることも増えた。

また、昨年冬の流行初期から、マスメディアをにぎわせてきた人たちは、その職業がなんであれ(医者も含めて)、あいかわらずのようである。

みながそれぞれの主張で、みながそれぞれの立場でお話しをされたり、自説を述べることを私は否定しない。

新型コロナが風邪であるのか、どうか。などは、その専門ではない私にとってはわからない。
ことば遊びをするな、とお叱りをうけるかもしれないが、そもそも「風邪」というものを説明する能力を私は持たない。
だからわからない。

ただ、知っていることがある。
1つは実際に、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)にかかった人がいて、その治療をうけている人がいること。
そして、その治療法は、幾人かの専門のドクターが発信され、国の機関の報告でも述べられているような病態、そして、治療法(おもに薬物)が用いられていること、また、ハイリスクと言われている基礎疾患症状のモニターが病院ではきちんとされており、「病気」に対する「evidence」が積み重なれてきていること。

もう1つは、この新型コロナウィルス感染症が広まっていることにより、政府がさまざまなメッセージを国民に対して行い、そのことによって、生活様式を変えている人たちが少なくなく、特に経済的な影響を強く受けている人や業種があるということ。

前者は身近に行っている事実であり、後者は因果関係として起こっている事実である。

今年の春に「ふわりんクルージョンSD」への登壇の機会をいただき、その際にお話しをしたこと、その後、書いたものが雑誌(福祉労働168号特集:社会的距離(ソーシャルディスタンス)と共生)にも掲載された。そのときは「分断」をテーマに書いた。実は、続けて、福祉労働169号にも、今後は「共生」というテーマで書いている。その内容の一部はこちらにも書いた。

いまは、共生と分断もどちらも私たちは強いられているというのが一貫した私の主張だ。

第3波といわれる現象がはじまり、メディアの論調が、感染拡大がおさまらないことをして、とても気になる表現が多く現れるようになった。
実は春から欧米ではずっと、ウィルスとの戦いやウィルスとの戦争 ’War with aVirus'という表現が使われているようだ。まさに、戦争。。。

そもそも、西洋の哲学において、自然と人間の共生というものはなく、人間は自然を征服していくという意識が強いと言われている。
いま、言われている共生の哲学は、東洋的なものであり、そこには、自然と人間の共生も含まれている。ただし、それは、寄生というコンセプトも含めた共生だ。共生は必ずしも、「相利共生」を意味するものではない。戦うのではなく、うまく共存共生していく。一部の日本の感染症医が繰り返し言われていることばだ。

しかし、いまの世論はそうではない。
ウィルスをいかに排除するのか、という前提にたち、ワクチンを最優先として、その先にオリンピックの開催をおいているようにきこえる。ウィルスに打ち勝った証しとしての東京オリンピック

第3波が深刻化しはじめてから、医療崩壊ということばが踊り、「最前線で戦う医療者」が、ペルソナとして、アイコンとして、活字に踊らされる。まさに、戦時下だ。
いつのまにか、日本でも新型コロナウィルスとの戦争がはじまったのだ。
前線に送られているのは、医療者である。地域の現場の司令部は保健所。
そして、その後方支援をしているのは、ことさらに取り上げられないが、「ハイリスク群」をサポートしている高齢者・障害者をケアしている施設や介護者たちである。関係者はわかっているのだ。この後方支援部隊が崩れてしまえば、前線は持たないと。

私は第2次世界大戦をはじめ、戦争を知らない世代だ。活字でしか、その様子をしらない。まして、その活字が事実かどうかもしらない。
太平洋戦争のある作戦を比喩として使った感染症専門医の著作が不謹慎だと批判にさらされているようだが、なぜ、不謹慎といえるのだろうか。

配給も物資もこない。十分な支援が受けられない、人材は送られない。最前線は疲弊し、司令本部は機能停止をし、後方支援はボロボロと崩れていく。私が知っている太平洋戦争のある作戦はこの状況と同じだ。

戦争に例えているのは、いったいだれだ?
戦争に例えて利を得ているのは、医療者でも保健所の職員でも、まして、介護にかかわるスタッフでもない。

戦争状態にしているのは、いったいだれだ?
戦争に例えて利を得ているのは、医療者でも保健所の職員でも、まして、介護にかかわるスタッフでもない。

自作自演でしかない。まさに、ショック・ドクトリンそのものではないか。

それほどではなかった第2波をあいだにはさみつつも、第1波がほぼ終わった5月末から約半年、一体何をしていたのだ。
「戦争状態」に置く必要がないような手立てはあったはずだ。それは多くの人が指摘している。

そう。私たちは「戦争」に「戦争状態」に置かれてしまったのだ。
そして、戦争の相手は、ウィルスではないのだ。戦争をやめ、戦う相手がウィルスではないことに早く気づかないといけない。
そう思っている







posted by 凸凸 at 15:13| 大阪 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月15日

調査や統計グラフ、そして「エビデンス」に注意!じゃあ、どうみたらいいの?をお話しします

 基本的な前提として、社会福祉、福祉介護の分野という限定をつけてになりますが。
調査や統計グラフ、そして「エビデンス」には注意をした方がいいです。

そう、「取り扱い注意!」です。

私は社会学の出身なので、社会調査、社会踏査の基本を学びました。私が大学で学んでいた時代に、ちょうど、エスノメソトロジーや人類学の考え方が扱われるようになり、質的調査についても研鑽しました。
また、教育系の大学にいたために、心理実験のサンプルにも参加させてもらって、心理検査と社会調査の共通性と相違についても学ばせていただきました。

大学院にすすみ、社会福祉の世界に本格的に入ったときに、あまりの原則論のなさに正直びっくりしました。え?これはダメでしょう、という調査設計、調査票、そして、分析方法。そもそも調査とは何か?ということが、軽んじておられることに危惧をもち、大学院や研究会で何度もその話をさせてもらいました。もちろん、きちんと基本を守ってやられる方が多いのですが、少なからず、辛辣な言い方をさせてもらえれば、意味のない調査をしている研究がありました。

福祉系の学会に参加させていただいていたときもよくそういう場面に遭遇しました。もちろん、学会の発表場面ですから、きいておられる方や進行される方から厳しい指摘がされてなされていました。しかし、なぜか、その風潮は直らないどころか、ひどくなっている気もします。
それは、NPOの事務局にいると調査対象としてものすごくたくさんの調査の依頼がくるからです。

みなさん、まず、予備調査というものをされないようです。卒業論文、修士論文、研究論文、シンクタンクの研究論文、そして、行政の研究、いろいろな分野のいろいろな調査がきます。特に、ここ15年くらいはひどいですね。NPO法人のデーターベースがインターネットで調べられるようになったころでしょうか。一気に増えてた気がします。そして、ほとんどが、え?と思うような調査、調査内容です。

ものすごく極端なことをいえば、調査には仮説がありますから、調査を作る時点で、何かを調べるのではなく、何かを証明するために調査をします。調査をみて、何を証明したいのか?つまり、仮説がわからない設問が多い調査は行政系の調査以外はNGです。「NPOの女性政策に対する意識調査」とか、内閣府やそこから委託をうけたシンクタンクがやらならともかく、何を証明したいか、何を調べたいかさっぱりわかりません。予備調査が欠けているのだと思います。

なにより、私たちが調査法を学んだときに一番強く言われたことは、調査が対象になる方から奪うものについてです。つまりサンプルになっていただくことについてわきまえていなければならないことです。相手の時間を使わせていただき、相手の「資源」を使うのです。まったくといっていいほどあてはまらない調査をお願いすることなど論外です。

パソコンが日常的につかわれるようになって、統計の解析方法も格段に簡単にできるようになりました。が、分析につかう解析方法についても明示されてないもの、なぜ、その解析方法を使うのか、も明示されていません。どうなんでしょう。どんな解析方法がどんな調査設計につかわれるのか、きちんと設計できているのでしょうか。またどんな分析を想定しているのでしょう。

難しいことを書きましたが、こんな思いをもちながら過ごしています。
あと、最近のなんでもグラフと詐欺グラフの話と、このブログや私の書いたものや発信によくでてくるエビナラ(エビデンス/ナラティブ)の話をさせていただくのが、今週の木曜日の↓の講演です。ずいぶん優しくポイントつくってお話しをします。

ソーシャルワークタイトルにはありますが、どなたでもご参加いただけます。
申し込みは以下からお願いします
ソーシャルワークアカデミー【そのデータ、信頼して大丈夫ですか?-あらためて、統計、エビデンス、調査について考える-】 2020年11月19日(オンライン・Zoom) - こくちーずプロ

posted by 凸凸 at 14:28| 大阪 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月12日

「障害」の顕在化?「障害者」の顕在化?

今年度は介護保険、障害者総合支援法とも来年度の改定にむけての国の作業が進んでいる。と同時に自治体の計画の見直しの年度でもある。コロナのことでいろいろと想定外がおこっている中、この計画の見直し、策定作業も各自治体苦労されているときく。

この間の寝屋川市の自立支援協議会の精神障害者支援ワーキング、就労支援ワーキングにて、寝屋川市では障害者計画の委員会とは別に、自立支援協議会の部会で、構成メンバーに対する計画策定のためのヒアリングと称して、いまの市域の課題をみんなで話をするという時間をもった。

その中で一つ大きな課題として見えてきているのは、障害福祉計画という枠ではとらえられない、でも、その枠ではとらえるしかいまの現状ではない人たちの話だ。

あたりまえのことを書くが、行政の計画は縦割りだ。この5年以上、「地域包括支援システム」や「重層的支援体制整備」などのことばがおどっていても、それぞれの制度はそのままだし、それぞれの計画はそのままだ。計画のシステム図からいえば、地域福祉計画はそれらを総合するとなってきているが、正直、船頭的な役割になってしまって、実効的なところまで書き込み、PDCAをまわしていくという計画にならない感じがある。

また、それらの中で横軸や斜軸のものとしていわれる生活困窮者自立支援については、その役割は可能性として示されているものの、今度は「生活困窮」という切り口によって可能性と限界性をもっているように感じる。可能性をどのように地域で育てていくのか、財源の問題、人材の問題、と大きな課題として、これから直面していくのだろう。

コロナのことがあるからなのか、それともそうではないのか、おそらく両面なのだろう。

長年、障害があるとか精神疾患があるとかをことさらに明らかにせず、もしくは特に問題がなく一般の企業に就職していた方が、仕事先の事情がかわったり、職場がなくなってしまって、再就職をしようと思ったときに、障害者手帳をとったり、精神科を受診したり

就労先はすぐに見つかるものの、長続きせずに仕事をかわっている方、実は仕事先からは特段の課題の指摘もないのに、自分でやめてしまう。その背景には生活をうまく営めていない現状があるとわかったときに、その方の生活支援をどうするのか?ご本人はとくに、自分の「障害」を認めているわけでもなく(これを専門職的には「障害受容」ができていないと言ってしまうが)、どう支援していけばいいのか。

精神疾患の受けいれには、ご本人およびご家族には一定以上の時間がかかる人が多いのにもかかわらず、いまのシステムでは、どんどんと「援助のベルトコンベア」にのって動いていかなければならず、ご本人やご家族の「心のゆらぎ」や「受けいれのしんどさ」を許容する仕組みがなく、結局また躓いてしまう。そのときに相談できるところがない

たとえば、学校の仕組みがコロナで(だけでもないだろうが)どんどんと変わって、臨機応変をもとめられたときに、対応できない人たちの話

さて、これは、障害者福祉計画のテリトリーで解決していく枠組みの話なのだろうか?
現行のシステムでの答えは否だ。

だが、私たちの目前に顕在化してきている課題なのだ。それを「障害」の顕在化?「障害者」の顕在化?とよぶのか?
社会構造的な議論はともかくとして、言い古された使い方の「グレーゾーン」の拡大を、その「グレーゾーン」の見直しを含めて危急の課題としてわたしたちは直面している。

さて、どうするか。
いまの仕組みだとやはり委託相談支援をがんばるしかないが。。。うーん

************************
こんな寝屋川市の自立支援協議会の活動について紹介している4回のシリーズの講演を販売しています

講演記録販売:シリーズ 地域自立支援協議会について

http://neyagawatasukeai.org/news/news_20201101_2.html






posted by 凸凸 at 06:31| 大阪 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月12日

東京を密にしたのはだれか?そして

ちょっと、頭に浮かんだことを合間の時間に書き留めておきたい。
いつも以上に些末になるのは、ご容赦いただきたい。
前は、この手の話は連ツイしていたのだが、最近、どうもtwitterが苦手だ。なので、ここに連ツイのように書かせていただく。

昨日の夜に、NHKの令和未来会議だったか、コロナの話をミーティングのようにやっていた。


高山先生、坂本先生、岡部先生。コロナウィルスのことが拡がってから、この3人の先生とあと二人のドクターの情報をみて、現状のことをいろいろと考えている。だんだんとそれぞれのお立場もわかってきたので、それぞれのお立場をみながら、発信をみて、勉強させていただいている。私はドクターでもないし、医療職でもないが、これらの先生たちの発信をよくよくみていくと、医療者ではなくてもよくわかる。

今朝というより昨夜に高山先生がFBで発信をしていたことは、私が福祉労働168号でも書いたことと重なる。
つまりは、コロナで見えてきたいろいろな社会の現実は、実は、見えにくくなっていただけであり、その実、すでに社会にあった大きな課題にすぎない。私の福祉労働の文章の元文は5月に書いたものであるから、その時にすでにわかりすぎるほど、わかっていた話である
つまり、貧富の格差や医療システムの問題、そして、都市、特に東京の密など、わかりきっていたことだ。見ないようにして、しのいでいただけであって、すでに蔓延していた。

「新しい生活様式」についてもそうだ。もうすでに言われ尽くしている感もあるが、「新しい生活様式」ともてはやされて、新しい生活様式を送ることができるためには、新しい生活様式に対応した生活様式を送ることができない人たちによって、新しい生活様式はもたらされている。ネットで注文したものが自宅に届くためには、誰がその荷物を運ぶのだ?インターネットはどうやって届くのだ?自宅にこもっていることができるために、ゴミはだれが収集するのだ。そんな当たり前の循環を支えている社会の基礎で働く人たちのことすら、新しい生活様式を賞賛のみする人たちにはわからないらしい。

私は昨年から、つまるところ、日本の問題の一丁目一番地は「東京(圏)一極化集中」ではないかと思っていた。
東京に人があつまること、すなわち「密」になることを解消しなければ、、すべての問題が解消されないように感じていた。
大学時代からすると実に30年ぶりに移住や地方のことを本格的に取り組もうと決めた。
しかし、30年の時は、30年前に自分が現実とみていた地方や過疎の現状とは違っていた。そう当時、20年後、30年後を想像していた状況とも違っていた。

1990年代、まだまだ、田中角栄の日本列島改造論、リゾート列島構想が席巻していた。山を削り、埋め立て、ゴルフ場やスキー場、リゾートを作っていった。都市に対しての「リゾート」としての地方、または工業団地の誘致という方法をとっていた。高速道路は全国各地にでき、新幹線構想、地方飛行場と、東京を中心にした日本全国の交通網ができた。そして、ストロー現象と言われるように、高度経済成長の名残のように、どんどんと人口は東京に吸い上げられていった。

ちょうどそのころ、黒川紀章が「自然と人間の共生」をいい、共生ということばが流行した。コンクリートで自然を壊すのではなく、自然との共生を。90年代にバブルが崩壊し、2006年のリーマンショック前くらいから、地方でも、リゾート化では生き残れない、自然と人間を共生にした地方創生が生まれてきた。しかし、勘違いしてはいけない。それもまた「都市化」でしかない。東京のサテライト化なのだ。

そんなことを感じながら、いくつかの町や村の取り組みを勉強させていただいている。そうではない何かがあるはずだと。
そんな中で、コロナの影響がはじまった。それから約半年。

いま、1つ、自分が真正面から考えなければならないことに突き当たっている。
そう
「東京を密にしたのはだれか?」

大学院時代、柴田善守先生が教えてくれた「ムラ」の明と暗。そう、いまの一般的な解釈とは違う連続した「ハレとケ」。二項対立ではなかった。ムラは必ず多様化を孕んでいた。多様化していなかったムラは滅んでいった。
ソトとウチ。ウチは講や結という経済生活を守るための仕組みであり、人の流動性は常にあった。嫁入り、婿入りは、ヨソモノは歓迎された。表だって受け入れられにくい、はじかれモノは必ず、ムラの境に宿があった。

江戸時代の五人組当時ですら、ムラには自治があり、多様な生活を維持していたらしい。大家族制が明治期になって天皇制支配の仕組みの中で読み替えられたように、日本には大家族は一部の地方を除いてほとんどない。みな、嫁入り、婿入り、そして、奉公にでる。もちろん、貧しい中だ。当然、生きていくために基本的な仕組みがあってもそうはなっていない歴史の史実はたくさんある。それも地方地方にいくとよくわかる。

そう、明治になって変わった。戦争になって、すべてが崩れた。それが、いまの歴史の端だ。わずか100年あまりの間にすべてに近いことが変わっている。地方は田舎といわれ、排除の論理が横行するようになった。当然だ。経済的、労働交換的な講や結がなくなり、単なる顔の見える表面的な関係だけが残る。顔見知りの中でのわずかなもののやりとりは、半面、お互いの「イエ」の中をのぞき見る関係でもある。上下がなかった関係に資本が入り見える化されていく。やっかみという病気は、こどもが東京にいくというステータスを生んでいく。仕事はあるのに、仕事はないと。閉鎖的な面ばかりが強調される。

東京はアングラが許される。人と関係しないでも生きていける町。それを「自由」とよぶ。freeでもlibertyでもない「自由」。そう我儘放蕩でしかない。地方が田舎が都市化の波にのまれ続ければ続けるほど、人は都会へ東京へ行く。自由に吸い込まれていくのだ。人はいて、密なのに、知らない人たちの中に。

移住者が集まる町や村に集う、彼らは、その町や村にアイデンティを求める。「この町を、この村を盛り上げていこう」移住者のコミュニティができ、まさに身内感を出す。国に操作されているのも知らずに。なぜ、自治体間で競争しなければならないのか?そんな疑問はもたないの?隣より移住者が多いです。県の中で一番、関係人口が多いです。だからなに?違うでしょ?
都市化、東京支配に侵されている。
地方や田舎に、二重の「ウチ」が生まれ始めている。対立の構造は何も生まない。争うべきは、自分たち同士でもなく、隣の町でもない。
東京なのだ。

東京圏から人を動かさないとこの国は何も変わらない。東京圏に吸われていく仕組みを変えないとこの国は何も変わらない。

ますます強くそう思う。



posted by 凸凸 at 16:29| 大阪 ☀| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月04日

地域自立支援協議会について考えます

平成18(2006)年に障害者自立支援法が施行され、地域自立支援協議会という仕組みが示されました。その後、平成24年の改正法、平成25年に障害者総合支援法という改正に伴い、法定化されました。

 しかしながらほとんどの地域では立ち上げて数年で壁にぶつかってしまっているのではないでしょうか。

 府の研修に行くとその難しさを語られる人や自治体が多いですし、逆に障害福祉関係者の方からは近年あまりあえて語られることがないように思います。あたりまえの会議になってしまっているのでしょうか。いっぽうで、どこやらの地域では解散したとか休止したとかも言われます。

 なんだかなぁと思います。

 いま、介護保険・高齢者福祉の方で行われている○○地域ケア会議の原型はこの障害福祉の自立支援協議会だと言われています。

この春に一度、予定されていた講演がなくなったので、かわりに勝手に講演して、youtubeにあげているものがありますが

https://youtu.be/CLeeX-gy-10 
寝屋川市の自立支援協議会で行った「地域診断の考え方」ー相談・支援から取り残さないためのコミュニティ・アセスメントー

一度きちんと残しておこうと思って、いつもお世話になっている愛知県田原市総合相談センターの新井在慶さんにお願いをしてご協力をいただきました。

 4回シリーズになります。有料です。以下からお申し込みをお願いします 


 寝屋川市ではいくつかの特徴的な取り組みを行いながら、いまも積極的に活動をつづけています。そんな取り組みを紹介していきたいと思います。

このシリーズは4回の構成になっています
 第1回 地域自立支援協議会とは?歴史と考え方   youtube配信(無料)

      https://youtu.be/BAa395BHHHI

 第2回 寝屋川市自立支援協議会の取り組み(前半) youtube配信(有料 1000円)10/3〜
 第3回 寝屋川市自立支援協議会の取り組み(後半) youtube配信(有料 1000円)10/10〜

 第4回 いま、自立支援協議会は?
  対談 冨田昌吾(寝屋川市民たすけあいの会)×新井在慶さん(田原市障害者総合相談センター)
  2020年10月24日(土)14:00〜        zoomにてオンライン配信 定員100名(有料 1000円)
 第2,3回の内容を踏まえての対談になりますので、ぜひ、2,3回目の配信をご覧いただいてご参加ください

寝屋川市では、平成18年度内に第1回の全体会を開催し寝屋川市自立支援協議会が立ち上がりました。
寝屋川市は、当初よりいくつかの特徴をもって自立支援協議会を運営しています。

@官民協働を是として、自立支援協議会の場では対市交渉をしないルール
A既存の会議をできるだけ活用する(3期までに達成)。予算なしで行っている
B国の自立支援協議会のフレームにこだわらず、ボトムアップで仕組みを作っている。
 全体会の会長、座長はいない。
C障害福祉計画とリンクして、3年でフレームも含めて見直すよう仕組み化している。
D部会ごとに年次計画をたてて、「見える化」をしている。

                              などがあります。
課題はありつつも、かなり活発に活動をしています。
見た目の特徴としては、三層構造(部会【専門会議】/ワーキング/サブワーキング)+プロジェクトチーム+事務局という仕組みになっており、5つの部会があります。だいたい月に関係の会議で10つくらい会議が行われます(年間で100以上)。

そんな自立支援協議会の実践をきいて、自立支援協議会を考えてみませんか? 


posted by 凸凸 at 09:20| 大阪 ☁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月20日

「感染ハイリスク」が障壁になった社会へ 福祉労働168号に掲載

あんまり自分の書いたものを宣言することはしないのですが、今回は、背景があるので。

「感染ハイリスク」が障壁になった社会へと いう6000字くらいの文章が

福祉労働168号 社会的距離(ソーシャルディスタンス)と共生

に、掲載されます。原稿の依頼をうけての執筆です

実は、この文章は、
5月30日に開催された ふわりんクルージョンSDのときにお話しをした内容を元に
(動画みることができます)


そのあとに、公開したこのBLOGの文章およびnoteにまとめた文章をもとに、
縮小して、加筆して書かせてもらったものです。

特に、宣言するつもりもないのですが、関係者のみなさまにこの場で御礼申しあげます。



posted by 凸凸 at 14:01| 大阪 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月12日

「自立とはなにか」を考える2


昨日の夕方に思いついたメモをtwitterにはりつけていたんですけどそれをこっちにまとめときます。
今回の講座はちょっと丁寧にいくので、ここまではいきません。参加される方は考えの背景にはこんなのがあると思ってください。

単純に自立とはどんな状態かという前に考えておきたいことがテーマです。


来週木曜日の障害福祉の常識を問い直す 第6回のテーマは「自立」 あなたは、自立していますか? 自立しているって、何から自立しているの? 何に対して自立しているの? なんで自立が大事なの? 「あなた」はどう考えますか? という問いかけに答えながらみんなで考えます


もともとの貫通しているテーマの設定が、ASDの方たちの支援を考えている中で主催の山口久美さんが疑問に思っていることをお答えしていくシリーズ。前回はのテーマは「ノーマライゼーション」で、前々回は「社会性」。「ノーマライゼーション」は一話完結ぽかったですが、今回はどうかな。


自立の本筋に入る前に、やはり「個」の確立というのが大きなポイントになるよねという同意。個・個人 Individual。共同体から解放され、確立してきたはずの個。日本では明治時代に、社会と個がセットで入ってきて、訳す言葉がなかった。つまり、そういう観念、概念がなかった。いまは?



「自立」ということば、Independentが、特に障害福祉の分野では声高に語られるが、それはどちらかといば抑圧のアンチテーゼとしての「自立」。依存しないと生きていけないといわれる社会からのラベリングに対してのアンチテーゼ。そして、カント主義的な「人格」論におけるアンチテーゼ 自律(Autonomia)



一般に「自立」ということばをひいてみると 身体的自立 精神的・心理的自立 経済的自立 社会的自立 あとは、何かで一本立ちするという意味で自立(仕事とか)みたいな使われ方。ちょっと、社会的自立って意味がよくわからないんだけれど。




他律(Heteronomy)は自らの意志によらず、他から(共同体や他人)の命令、価値観に従属していきること。そもそもこれが自律の対義語。自律(Autonomia)はギリシャローマでは、主に政治的自由自決をあらわすことばだったそうで、その名残でいまも自治という意味するらしい。



自律(Autonomia)が個人の原理とはっきりなったのは、近代以降とのこと。(ここまでの主な参考は「自律と倫理」杉田俊介 「現代思想」2006 vol34-14。 つまり、個の確立をなくして、自律という考え方は存在してこない。これは、自立か自律か、という議論以前に「個」の確立が重要であることを示す




近代社会になって、共同体からの「個」の確立を、市場をして、「労働力」として考える前提にたつのか、そうでないのか、は実は大前提を考えるときにむずかしい。しかし避けて通れない。その前提に立つのであれば、市場に役に立つ労働力になるということが自立といいかえることすらできてしまう。



アリエスのいう「こどもの誕生」もある種同じ文脈なのか 中世までには「こどもと大人」という明確な線引はなかったわけで、7,8歳になれば大人と同じ=人間だったものが近代になり労働力として確立したら大人であるという線ひきがなされてきたらしい。となると、自立(Independent)は経済的自立か?




では、障害者運動の側が「あえて」自立と自律を分けて使い、自己決定という文脈で、本来差別された側のことばであった「自律」を持ち出してきたことはわからなくはない。しかし、それだけでは、カント主義的な意味で差別的である「自律」を乗り越えることはできないのではないのか?


いまの「なんとなくユニーバーサル社会」には適しているのかもしれないが、ではあえて、自律できるのはだれか?という問いかけに答えることができうるのか?「わたしのことはわたしが決める」では、個を確立させない社会の中で、「わたし」とはだれか?という問いに答えられるのだろうか




posted by 凸凸 at 05:19| 大阪 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。