2015年04月11日

放課後デイサービスの減算の考え方について

例の放課後デイサービスの減算の件について。
いろいろな人が「営業時間」だから、いままでと変わりないと言っておられる。
3月31日付けのQ&Aをみてみると確かに「営業時間」と書いてある。
が、この「営業時間」という表現は、都道府県が出している運営規程のひな形などをみていると、「サービス提供時間」のことではないのか?
運営規程および実際の利用に際して、3つの時間があると理解している。
一つは、実際にAさん、Bさん、Cさんという利用者さんが利用する「利用時間」提供実績記録票に書かれる時間だ。
二つは、事業所が運営規程に書いている実際に利用者さんを受け入れることができる体制を整えている時間。これが「サービス提供時間」これには、送迎は含まれない。
そして、三つは、事業所の職員が事業所にいる時間。これが「営業時間」だ。

もちろん、「サービス提供時間」と「営業時間」が同じ事業所もあるだろう。
通所施設の場合は、営業時間は、送迎開始前から送迎終了後まで、サービス提供時間は営業時間より短いところが多いのではないか。
居宅介護系は、逆に営業時間よりサービス提供時間の方がながい(二四時間対応していれば当然そうなる)ところも多いだろう。

とすれば、このQ&Aの文章の「営業時間」とは?上の3つに照らしたときには、「サービス提供時間」のことをさしているようにしか思えないが。。。どうだろうか。
http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/1640/00184996/Q&A27.3.31.pdf

(開所時間減算@)
問71 開所時間減算の対象となる「6時間」はどのように判断するのか。
(答)
○ 運営規程に定める営業時間が6時間未満の場合に減算の対象となる。
運営規程に定める営業時間とは、事業所に職員を配置し、児童を受け入れ
る体制を整えている時間であって、送迎のみを行っている時間は含まれないものであり、営業時間が6時間以上であれば、結果としてすべての児童の利用時間が6時間未満であっても減算の対象とはならない。
【例】
・ 児童発達支援の営業時間を午前(9時〜12 時)、午後(13 時〜16 時)とクラス分けしている場合
→ 営業時間を@9時〜12 時、A13 時〜16 時のように分けている場合で
あっても、営業時間は6時間であり、減算の対象とならない。
・ 平日に児童発達支援と放課後等デイサービスの多機能型事業所において、児童発達支援の営業時間を午前(9時〜12 時)、放課後等デイサービスの営業時間を午後(13 時〜16 時)としている場合
→ 多機能型の特例による場合には、営業時間も合算して判断するため、
減算の対象とならない。多機能型の特例によらない場合には、児童発達
支援は営業時間が4時間未満のため減算の対象となるが、放課後等デイ
サービスについては、減算の対象とならない。
なお、「児童を受け入れる体制」とは、原則として受入可能な児童の数に
応じた人員配置基準を満たすことをいうものであるが、サービス提供時間を確保するために合理的な方法によって行う送迎の際に、直接処遇職員が添乗することにより、当該時間帯の前後に勤務していない直接処遇職員を新たに配置しない限り、人員配置基準を満たさないものの、少なくとも直接処遇職員が1人以上は事業所に配置されている場合は、「児童を受け入れる体制」として差し支えない。
また、重症心身障害児の送迎を行う場合で、今回新たに拡充された送迎加
算を算定する場合にあっては、加算により添乗する職員1人分を評価していることから、当該職員が送迎の際に添乗することにより人員配置基準を満たさない場合は、上記例外的取扱いには当たらないものであるが、送迎のみを行う時間帯については基本報酬で評価していないことから、算定して差し支えない。(完全に営業時間内に行われる送迎については、送迎加算は算定できない。)
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2015年04月09日

リメンバー 映像06 ぼちぼちはうす

この時期、あらためて、映像06「ぼちぼちはうす〜障害者自立支援法の波紋〜」をみることが、必ずある。

もう9年。

映像の中の風景もずいぶん変わってしまった。

出演いただいた親御さん、お二人亡くなってしまった。特に、ぼちぼちはうすができるきっかけをつくって下さったタクヒロコさんのお母さんが亡くなってしまっている。改めて、あの映像からお母さんのことばが聞ける機会だと感じる。彼女はいま、あの家ではないところで、一人暮らしを、試みている。
ほんとうにいろいろなことを学ばせていただいた。

映像をみた学生さんの感想には
「哀しくなるというより、イヤな国に生まれてきたと虚しくなる」というトーキングエイドから、発せられることばに衝撃を受けたと。

私は、何度見ても、あの最後のシーンに、つらかったあの当時を思い出し、なみだがでる


あがきあがきあがき、人生訓さえ曲げて活動をしたあの時。失ったものの大きさも感じつつ、こみあげるものを感じる。

今年、介護保険で、小規模なデイがつぶされていく方向がでた。
どうだろう?

同じような涙を流すような人たちはもういないのだろうか。
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2015年03月28日

「いつでも駆けつけられる」支援の夜

眠れない夜だった。

寝付けないという意味ではない。

ある方の支援の中で、今夜、一泊のみ 体験的にうちの持ち家で寝ていただくという支援。一緒に泊まるのではなく、何かあったら、10分以内にかけつけるという支援。携帯電話を握りしめて仮眠。

何事もなく、夜が明けた。
これがものすごくつらい生活を強いられてきた「彼」の大人への挑戦の第1幕になる。生まれて初めて一人で夜を過ごすこと、「できた」、「できてない」ではない。そのことに勇気をもって挑戦をしたことがすばらしい。

頼れるべき親族がいない
愛を与えてくれるはずの大人たちからの人格の否定
繰り返されるパニック 抑圧の中で防衛的に記憶の引き出しをしまいこみ、自分の人生を消そうとする

支援の中で思うことのひとつ(昭和な感じ)
海援隊の「贈る言葉」の中の歌詞

信じられぬと嘆くよりも、人を信じて傷つくほうがいい

いったいいくつの傷があるかって?
そんなものは、数えられない(苦笑) 
それでも、信じる

信じられるために、いろいろな連携や手段によって、リスクマネジメントをやるようになったけれど。
でも、最後は「信じる」ことがリスクマネジメント

たった、一晩のひとりのすごしを、ドクターに23回も「大丈夫か?」と言われたって(苦笑)

・・・
手持ち金8000円。

一緒に相談にまわる。
知的障害があり、精神障害があり、お金は1000円くらいまでしかわからない
と、事前に伝えているのにね。

「説明責任」があるのは、わかっているけど、説明はだれのためにするの?
わからないことばをならべたくられて、追い返されるのは抑圧的。
お金がないのは、本人のせいではないよ。

27年4月1日から生活困窮者「自立」支援事業がはじまるって?
自立を支援するのって、相手をリスペクトすることかはじまるんだよ。

posted by 凸凸 at 07:16| 大阪 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月11日

不安定的「安定」の中で(1)

 都市部では、自立支援法から総合支援法にうつるころから、いよいよ介護保険同様のサービス乱立がはじまった。特に通所系は、就労系を中心に、どんどん新規参入が盛んだ。ある種の拍車をかけた感があるのが、児童福祉法の改正で、放課後デイ、児童発達支援事業の乱立が続き、呼応するように、生活介護も増えてきた。

 社会福祉法人改革が進む中、またすでに介護保険の世界の圧倒的が、営利法人となっている中、運営法人による選別や評価をすることに、意味がないという意見もあるだろう。それよりも、ミッションやビジョンだ、という見方もできる。

 そこで、システム的に目指されているのは、従前の『安定』ではなく、緩やかな安定だ。専門職に言われ続けているチームケアも、この視点でいうとそのひとつだといえる。ハコモノにトータルにおまかせすることによる『安定』ではない。その意味で、旧然の措置時代に『施設』を作ってきた家族が見てきた、家族が求めてきた『安定』ではない。

ほんとうにこれでいいのか?

これで、障害のある人たちの人生は豊かに保障されるものになるのか?

一方で、健常者と言われる人たちの人生、生活も同じ側面がある。
旧然の安定はない。制度的サービスは、制度の最低基準により運営される。
サービス提供事業者は、最低基準以上のものを提供し、顧客を得ていかなければならない。一定以上の需給バランスを超えてくると、これがはじまる。
制度的ヒジネスの競争である。事業者は選ばれなければならない。

そのことは何をもたらしていくのか?
(続)
posted by 凸凸 at 09:47| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月08日

「青葉園はどこからきて、どこへいこうとしているのか」

昨日おこなわれた。西宮フォーラム。http://www.n-shakyo.jp/information/?p=1349
750名くらいの方が参加された盛況な会になったそうです。

交流会で、お久しぶりにお会いしたCLCの方とお話をさせていただいていて、
某えらい先生が、「日本の働きたくないNPO」の1,2が「寝屋川市民たすけあいの会」と「CLC」だといわれていたと、いう衝撃の話をききました。前後のフレーズがなければとんでもない言い方ですよね。でも、主旨はかわらない強固な頑固さ、貫き通す趣旨の強さ、ぶれなさという意味だそうですから、まぁ、いいとしましょう。

私は、そのオプションの夜の部に、現在は西宮市社会福祉協議会事務局長の清水さんのご指名により対談のお相手をさせていただいてきました。

題して、「青葉園はどこからきて、どこへいこうとしているのか」。
様子の写真は、私のFBに上がっています。
40名くらいの方でしょうか。西宮市社協、青葉園の関係者が半分、外からの参加者が半分といったところでしょうか。

このタイトル、そして、この企画はもともと、清水さんからのもの。
清水さんを知る人は、いろいろな期待を込めて、来られたかと思います。

お話のはじめにもさせていただきましたが、この企画自体は、清水さんの思い(区切り)で行われたもので、清水さんのおことばを借りれば、「今日の西宮フォーラムは、西宮としては、やらなければならないものやった。これは、どうでもいい」。。。「とみたしょうごと居酒屋で二人で飲んでいるのをまぁ、きかせたらええんちゃうか」みたいなこともいっておられました。

まぁ、そうはいわれても、まわりとしては、’あの’清水さんが、これからを語る。。。よくわからない期待みたいなものが、ビシバシ 感じられるわけで。。。

清水さんは、交流会でもうすでにたっぷり飲んでおられますし、まぁ、結局のところは居酒屋で飲んでいるようないつもの話がまわっていくだけだったのですがね。

青葉園がなぜ、青葉園なのか。
たいへん障害の重い方が、生活拠点として青葉園をもとめてきたのか

みなで手を携えていかなければならないか それは、そうしないとすぐ施設におくられてしまうから

清水さんの原点 

青葉園がどこからきて、清水さんがどうしてともに歩まれるようになったのか。

20歳前後のころに出合った方たちとともに、還暦をむかえることのすごさ。感動。

たぶん、フロアーで期待していた方たちの「どこにむかおうとしているのか」という明確なことばは、
予想どおり ひとことも出なかったですね。
珍しく、だいぶ、ゆさぶったつもりでしたけど。

ちょっと、私自身が来てくださった方や来られないけど、メッセージを送ってくださっていた方たちの期待に応えようとしすぎたかもしれませんね。

22時20分くらいに散会し、そのあと1時間くらいいましたが、最後の清水さんのことばは、
「今日のは半分くらいやな。もう一回やらなあかんな」でした。

いつもの戯言ですが、どなたか実現させたいと思う方いらっしゃいましたら、企画してください。
それならば、のりますよ(^^)。






posted by 凸凸 at 10:21| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月13日

障害者総合支援法 報酬改定

障害福祉サービス等報酬改定検討チーム(平成27年度報酬改定)審議会資料 |厚生労働省
ざっとみたところでは、通所系はほとんど基本単価下がっている。居宅は、介護保険と横並びでかなり下がっている。重度者に対するサービスだけは上がっているというところでしょうか。
児童は予想よりは、下がらなかったですね
posted by 凸凸 at 16:58| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月27日

お知らせです。3/1ねやがわ 「ワッショイ 春のハート祭り」ひとり芝居「闇の中、輝く命 統合失調Show♪♪♪」 3/10,11「寝屋川ハート・アート展」

【転載歓迎】
3月に寝屋川市で、精神障害者関係の二つのイベントがあります。
ここでご紹介させていただきます

ねやがわ 「ワッショイ 春のハート祭り」
ひとり芝居「闇の中、輝く命 統合失調Show♪♪♪」

ゲスト:よっちゃん(→紹介BLOG http://ameblo.jp/yukemuri-05/entry-11958629056.html
平成27年3月1日(日)13:30〜 寝屋川市立総合センター2階講堂にて
http://www.city.neyagawa.osaka.jp/…/cent…/1378008577547.html

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※講演会来場者 先着約200名のみなさまに「びわこ号 特製ファイルをプレゼント 」

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当日は、サブイベントのスタンプラリがありますよー

このコーナーは朝10時からはじまります。
・摂南大学ボランティアサークルによる子ども遊び場スペース
・寝屋川市社会福祉協議会「まちかど福祉相談所」ってなぁに
・幻聴幻覚?!体験DVDコーナー
・電通大学電気自動車体験コーナー
・お酒について考えよう アルコールパッチテストコーナー
・菓子工房オアシス お菓子デコレーション
はちかづきちゃんもやってくる!?
バザーや喫茶なお他にもたくさんのブースあり(当日は、寝屋川市障害児者を守る親の会主催のバザーが同時開催!!!)
このイベントは、寝屋川市障害福祉室主催
共催は寝屋川市自立支援協議会
問い合わせは寝屋川市障害者福祉室(浅野・正垣)072−824−1181

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寝屋川市精神障害者地域交流事業Club E&T主催。
「寝屋川ハート・アート展」
寝屋川市内の医療機関、作業所に通われているメンバーの(絵画、写真、手芸など)を展示します。こころに響く作品、温まる作品、ハッと気づかされる作品。ぜひ、みなさんのハートハートと出合う作品をご覧ください。
協力:ねやがわサナトリウム、三家クリニック。
2015年3月10日(火)13〜21時、11日(水)10〜18時。
寝屋川市立市民ギャラリー(1)アドバンスねやがわ2号館3階
問い合わせ:地域生活支援センターあおぞら(担当:花田)072-823-2505
http://www.city.neyagawa.osaka.jp/organization_list/kyoiku_shakaikyoiku/tyuutosyo/garally/
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posted by 凸凸 at 19:45| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月14日

製造業の国内拠点回帰のニュースにおもったこと

ここのところのニュースで、日本の製造業が、生産拠点を、国内回帰させるというニュースが目につく。今朝も新聞にCanonの記事があった。

グローバル経済の中での搾取構造は、世界規模で、複雑階層化している。
単純な話でいえば、中国をはじめとした東南アジアの労働賃金の上昇と円安という説明により、この現象は説明される。

しかしながら、それだけと信じてよい話なのか?
単純な疑問として、少子高齢化が進み、労働力が不足している日本、そして、東南アジアの労働力が高くなったと言ってもまだまだ賃金が高い、それも年々あがっている日本に、企業の製造拠点を戻す意味はなんなのだろうか。労働力コストと言う視点では説明できないように思う。

現在の政権の経済政策はケインズ型であるという評価がある。これも単純に、ケインズ型であるならば、現在でも転覆するほどの借金を抱える国は、間違いなく借金を増やし続ける。バカではないから、だから、直接の公共事業は、それほどは増やせない。高度経済成長期の公共事業のやりかえは、道路にしろ、下水道にしろ、やばい時期にきているらしいわけだから、やればいくらでも公共事業はあるはずだ。でも、借金だらけの国や自治体は、できない。

ところが、見かけの公共事業(見た目は公共事業でない事業、でも、政策誘導的に事業誘導を行っている)は、確実に増やしている。

製造拠点の国内回帰は、グローバル経済の中での日本企業の《経営的敗北》なのだろう。世界で戦えないから戻すわけだろうから。それだけではなく、企業が政策的近似に走り、公共政策的な産業を増やし、労働力の循環を国内のみで、半ば強制的に回していくやり方にみえる。そしてそれは、実は計画経済のようなやりかただ。

製造業の国内拠点回帰のニュースをみながら、そんなことを思った。昔、これに似た議論の本を読んだかなと思いながら。

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2015年01月10日

レトリック・マジック (1)ソーシャルセクター

最近の不勉強ゆえなのか、最近のよくわからない「レトリック・マジック」※が氾濫しているように思う。

あまり、自分の所属している団体の話をすることはないし、好きではないが、この議論をはじめるには、ここからが一番わかりやすく語ることができそうなので、そこから始めてみる。

ご存じの方はご存じだが、私の所属しているNPO法人(いまは)寝屋川市民たすけあいの会は、1978年にできた団体(活動の前史は1975年だが)である。団体ができてから、37年が経過している地域型の団体としては、日本でもかなり古く、かつ、同じような形態の団体で、同形態で現存しているのは唯一だときいている。
いまでこそ、民家を改修して、地域の拠点として、住民がそこに集まりというのは、一般的な福祉や住民活動の一形態として、全国でみられる形態であるが、できた当時は、そんな発想はほとんどなく、そういった地域型活動の草創期活動とエライ先生に紹介されている(らしい)。

まして、その当時からの団体の活動ミッションに「ネットワーキング」、1989年に出版された10周年記念誌のタイトルが「たすけあいからのネットワーキング」である。団体のなりたちから研究者が色濃くかかわっていたからという話であるが、日本で、特に社会の分野でソーシャルな「ネットワーキング」が論じられるようになったのが、90年代の半ばであるから、かなり先駆的な打ち出しをしていたといえるだろう。

その団体だが、私がかかわりはじめてすぐ(私がかかわり始めたのが、1992年)から、団体としての、社会への変革の波にどう対応していくのかという、いまでは「あたりまえ」な議論にさらされてきた。団体の内在的な要因はもちろんあるが、外在的な要因でいうと、@90年代前半のボランティア「学習」A95年の阪神淡路大震災とボランティア元年 B1998年NPO法と2000年の介護保険開始 C2003年 地方自治法改正 指定管理者制度開始 D2010年前から起こった社会起業ブームと2011年東日本大震災、などが時節的にあげられるだろう。寝屋川市民たすけあいの会の現在の事業をよく知る方からみると、ここに障害者福祉の動きがないのを不思議と思われる方もおられるかもしれないが、団体と社会という切り口で見ると、実は障害者福祉制度の動きは、サブ要因でしかないと考えている。

団体としての活動や理念の「うちだし」は、こういった外在的な要因に関して、もちろん、寝屋川市民たすけあいの会でいえば、寝屋川市という地域(注:行政ではない)からのインパクト(要請?期待?はたらきかけ)があった場合/に対して、のリアクションを団体として、どう行っていくのかということになる。

今朝、あるソーシャルセクターに関して積極的に発言をされている方のつぶやき的文章が流れてきた。

・・・14年後半あたりから、NPOは、「NPOということだけでウェルカム」な時代から「ミッションと事業の中身」が急に問われだした気がする。NPOだけで能天気な広報をする団体は、バブリーだ。
また、そのミッションが大雑把で、事業が二番煎じあるいは「本当に困っている人々に届かない」ものしか企画できない団体は、長い目で見て「NPO2.0」(いま始まっていると思う)から乗り遅れる。
それどころか、「1.0」のノリを続けていくと、単なる「社会の補完団体」になるだけで、見た目は華やかではあるが社会の潜在的問題にアウトリーチできないという、ソーシャルセクターとしては致命的な問題を持つ(だから普通の福祉団体になればいい)。
これは現場の問題ではなく、「法人マネジメント」の問題であり、・・・{田中俊英氏


先にあげた@〜Dの要因は、もちろん、時系列に並べていることからもわかるように、単発的に起こっているものではなく、連携的にかつ今となっては重層的である。そして、田中俊英氏のいうように『「ソーシャルセクターとして」のNPO』という波が、「時代」という妖怪のような、実は誰のためのなんのためのものなのか、わかりくい要請として、かなり力強く迫ってきている。

阪神淡路大震災から20年。NPOという仕組みが一般的に意識されてできてきはじめてからおおよそ20年。(といってもいいすぎではないだろう)

@〜Cまでの要因によってできあがってきたNPOバブリー(田中俊英氏のことばからすれば)が、この数年で、本来的な「ソーシャルセクター」により「篩(ふるい)」にかけられてきているということになるのだろう。

しかし、このソーシャルセクターというレトリックには、先にも少しふれたように、実は誰のためのなんのためのものなのか、ということに、きちんと応えていかなければならないというように私自身は思う。

一つは、NPOの古典的な課題でもある資金の問題からみえることがある。新しい寄付文化の創設ということで、特に東日本大震災から(日本の活動に対しての)盛んにいわれるようになっているクラウドファウンティグのような取り組みは、行政の委託事業や指定管理者制度に依存し、本来的な活動のミッションを失う構図と実はどこか似ている。
 「たいへんな人やたいへんなこと」を前面に出す。というやり方は、結局は慈善事業のやり方にしかならず、古典的なやり方になりがちだが、お金は集まりやすい。これもソーシャルセクターというレトリックだ。わかりやすいうちだしというのは、ともすれば、本来、私たちが目指しているはずのことをないがしろにしかねない。
 また、ネットワーク(型)は、形がみえにくいだけに、社会的に認知を得ることが難しくもなる。

もう一つは、私たちのような地域型の団体からすると、実は、こういった議論の中に、もう一匹大きな大きな妖怪がいる。「地域」というレトリックである。

(続く)

※「レトリック・マジック」=造語です。本来はレトリックはマジックのような、といわれることもあるので、同じようなことばがふたつ並んでいるともいえますが
posted by 凸凸 at 09:14| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月02日

新年のごあいさつ

新年のごあいさつを申し上げます。

元旦はあろうことか、大阪も大雪が午後から降りました。
今年の元旦はありがたいことに、緊急の電話は手元から離せないものの、お休みをいただきました。

 2年ほど前の秋にタブレットを買い、ガラケーとの2台もち。それもかなり不効率になってきたので、この秋に、とうとうスマホに変えました。その前から、かなりのネット依存症になっている感があり、昨日は、基本はスマホをさわらないという姿勢で一日望みました。
 また、秋からは、完全に依存していた一日のコーヒーの量を上限3杯にしました。

 一昨年くらいから、少しずつ少しずつ、ものすごく視野の狭くなっていたことを振り返り、劇的に変えるのではなく変えられることから変えようとしています。

 少しずつ変わっていく中で、今年は、もっと変わる予感があります。
 昨年のうちに、2つのオファーがあります。どちらも、すばらしい実践をしっかりした理念に基づいてやってこられた方との対談です。実現するのかどうかはわかりませんが、そのことをオファーされていることが光栄なことです。

 大きな変化はないかもしれませんが、今年もやっていきたいと思います。

 あと、考えるところがあり、少し、このBLOGの更新のペースをおとしていましたが、今年は少し復活させていきたいとおもいます。
よろしくお願いいたします
posted by 凸凸 at 12:18| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月27日

・だいたいが年度動きなので、年々お正月・年末年始という区切りがなくなっていく。

・あたりまえだけれど、人の生活は24時間365日。もちろん、生活の中でのいろいろな区切りはあるけれど、生活をしていく・生活をささえることに代わりはない。

・狭い視点だけ見たら、正月なんてうっとしいだけ、でも、そういった「くらしの区切り」も必要だな、ってようやく思えるようになってきた。自分の生活にはない これもよくないなって。

・いつのまにか、行政の下請け的な仕事が増えていることに、ものすごく自己嫌悪に陥るときがある。

・利用者さんのために、と動いているが、結局は単に行政の下請け、使われている感が強く、「従属サラリーマン」のよう。そんなことをするために,活動してるわけでないと、たまにはき出さないとおかしくなる。

・業界的には計画相談。しりあいのまちは人口40万で、ほぼすべての人の計画相談を相談支援でやれるとのこと、わがまちは。。。方針を失敗したと悔やむ。

・ただ、計画相談がひろまっていっても、ちっともよくなる気がしない。逆に、仕事がしにくくなるだけだと感じ続けているのはなぜだろうか(わかっているけど)

・この春の障害者総合支援法の報酬単価改正とダイレクトBの経過措置の終了で、放課後デイと就労継続B型をやっている事業所がどんどんと計画相談に参入してくるんだろうな。利用者の確保のために

・障害福祉関係者の介護保険制度とその改正に対するそもそもの興味のうすさに憂う。来年の春からはけっこう、大きな影響の波がくる。

・それも介護予防に対しての市町村の動きにも左右されるから始末がわるい。介護保険大手企業の動きの速さに比して、なんとも情けない話。その行政の動きの遅さで、上澄みのところは大手の企業がとって、残りは、どこがとるのか。そういった意味での地域づくりの視点をしっかりもっていないと、また、問題の巣が増えるだけ

・増え続けるサービス付き高齢者住宅。いよいよ障害者も入居できますというものが散見されてきた。18uの部屋で車いす常用者が住めるという前提発想がおそろしい。でも、それすら頼らないといけない社会資源の貧困さ。

・高齢者の窃盗・万引きが増え続けているという統計が明らかで、現場的にもそれは問題であるとわかっているのに、なにも手がうてていない。これこそ、地域ぐるみで、単なる防犯を超えて、取り組んでいける(高齢者だけでなく、障害、こども)課題だとおもうが、これこそが、行政の縦割りの壁が立ちはだかる。

・もともと、貧困地域で活動をしているから、いまさら、貧困化の課題といわれても、何をいまさら と。貧困の連鎖とか、再生産とか、そんなものはすでに2回もまわっている。18歳のおばあちゃんが40台といわれても、びっくりもしない。

・それでも「学びたい」こどもさんはたくさんいる。障害あるから、多国籍だから、関係なく、学びたい。

・でも、支援者支援者してきた輩に、そのことに真摯に向き合う姿勢がない。その芽はつまれていく。

まだ、今年は終わらない
posted by 凸凸 at 08:29| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月16日

高齢社会の日本の現実と「投票率の低下」

14日投開票の第47回衆院選の投票率(小選挙区)が戦後最低の52・66%となったそうだ。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141215/k10013979451000.html

前回の選挙でもそうだったが、投票率の低下についての記事が選挙前後に目につく。

「若者よ投票に行こう」
投票率があがれば・・・などなど

そして、いろいろな識者やマスコミが投票にいかないのは。。。となっている。

確かに、その人たちがいうように、「政治への無関心」「争点のない選挙」などなどそういったことはあるだろう。

しかし、こんなことを言っていていいのだろうか。
ひとつ
私もそうだが、初等教育の中で、政治や選挙についての教育をうけただろうか。
少なくとも私にはその記憶がない
学校で、選挙の意味、政治の意味、民主主義の意味、本質的にそれらを体現しながら、教わった記憶がない。
「べき論」でしかない。
いまの教育でどのように選挙が教えられているのかわからない。
こんな資料があった。
http://www.soumu.go.jp/main_content/000141185.pdf
これによると、日本の学習指導要領ではわずか45分???
選挙に行く行かないは、家庭のしつけ教育であるというのであろうか。

そうなると、今度は家庭環境や別の要因を考えないといけない。
選挙のたびに、聞く話だが、期日前投票については、ほとんどの地域で投票者数が伸びているという話はよくきく話だ。
平日に勤務をし、土日を休むという「若年年代・男性モデル」という社会モデルはいまさらいうまでもないが崩壊している。サービス業、販売業に従事する人が増え、週休2日の人も増えてはいるが、土日が休みという人も減っている。
(古いけど:平日「仕事関連」のことをしているのは、89.6%、土曜日は61.6%、日曜日は36.3%とあり。
https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/yoron/lifetime/pdf/060202.pdf P26から)

一部で、こどもを選挙につれていこう なんていう話が啓発的にでているが、それもできる家庭に限られる話で、それをできる家庭も限られるということだ。

また、もっと大きな問題は、投票にいけない、投票にいっても現行の選挙制度では投票行動がしにくい人が多くなっているということだ。

今回、天候が悪く、日本海側で雪になって、投票率が下がった という話がきかれる。
しかし、そもそも投票所までのアクセスや投票所のアクセスについての話はどうなのだろうか。
一極集中している東京都心部ならともかく、他の日本の地域は、人口分散が進んでいる。また、30,40年前の新興住宅地でも、高齢化が進み、投票所まで30分以上かかるなんて話は、いまではざらにある。しかし、こういった統計的な話は探しても実情のネタすらない。
旧前からいわれているように、住民票を現住所に移していないからというはなしhttp://togetter.com/li/422525 だけではなく、高齢社会が進み、生活環境が変わっていく中で、自治体はすごくたいへんになって努力されているのもわかっているが、投票環境は低下している。

特別養護老人ホームなどに投票所が設けられるという話は、もちろん知っているが特別養護老人ホームに生活しておられる方が要介護高齢者の何%かと考えれば、それは、要介護の高齢者にアクセシビリティを保証しているものとはいえないだろう。また、投票所がバリアフルで、車いすユーザーが投票に行けないという話もよく聞く話である。

そして、投票そのものについても、とても投票ができやすい環境とはいえない。
前回の参議院選挙から、被後見人の選挙権が復活し、そのことについてBLOGに書いた。http://totutotu.seesaa.net/article/369795784.html

今回、一部の自治体で取り組みおこなわれたようだ
http://www.sankei.com/west/news/141212/wst1412120035-n1.html
くだんの方の投票については前回より、ひどかった。
そもそも、自治体のサポートする職員が知的障害や精神障害についての基礎的な知識がない。警察の取り調べのようだった(恣意的、指示的)。そんな対応をされると、ご本人の意思行動は制限されると言うことがわからない。

やはり、選挙は「健康なる成人」のものなのか、と思ってしまう。

政治に反映される民意 とはいったいなんなのか、「投票弱者」の視点 という提起があってもいいように感じる。 
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2014年11月07日

サービス利用計画(計画相談)に関する経過措置

平成26年11月4日実施:主管課長会議資料
http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/shougaishahukushi/kaigi_shiryou/index.html

サービス利用計画(計画相談)に関する経過措置がでました。市町村がプランをたてるのだそうな。

以下、抜粋



これらを踏まえ、今後、平成 27 年度以降の支給決定の際に、遅滞なくサー
ビス等利用計画案等が作成できるか懸念されるとともに、体制整備が進められ
なかったために、障害児者が適切な計画相談支援等を受けられないといった、
不利益がないようにする必要があることから、指定特定相談支援事業者等が対
応できない場合の緊急的な措置を講じていく必要がある。
そのため、平成 27 年度に支給決定を行う利用者に対して、指定特定相談支
援事業者等において、サービス等利用計画案等が作成できる目途が立たない場
合は、暫定的な措置として、各市町村の責任において、サービス等利用計画案
等の代替となる計画案(以下「代替プラン」という。)を作成するようお願い
する。
なお、当該措置については、計画相談支援等の提供が未だ受けられていない
利用者のための平成 27 年度に限った緊急かつやむを得ないものであり、実施
に当たっては次に掲げることを遵守いただくようお願いする。
posted by 凸凸 at 20:39| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月03日

10数年ぶりに

10数年ぶりに、古本市なるものに行ってきました。

京都の知恩寺で今日まで開催していた古本まつり。
http://www1.kcn.ne.jp/~kosho/koshoken/event.html

それこそ、学生時代、院生時代には、毎年のように神田の古本市にいっていましたが、基本、研究職をドロップしたあたりから、古本を探しに行くというモチベーションはなくなり、いかなくなりました。

では、なぜに?今回、行ったかといいますと、誘われたのでございます。

ということなので、それほど、強い購入意欲はなく、買ったものは3冊のみ
FullSizeRender.jpg

それでも、たくさんの本に囲まれることの喜びは、まだまだ、気持ちの中に残っていましたね。

でも、巡ってみて、気づいたこと
@出版本自体がやっぱり右によっているんだなぁ
A思ったより、若い人が多かった。
B外国の方(中国とか台湾かな。留学生の人かな)が散見された。

一緒に私を誘った古本まつり初体験の方は、
こんなに人がいるのに、こんなに静かな 空間があるなんて。。。

というご感想でした。

そんなもんなんですけどね(^^)
posted by 凸凸 at 20:14| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月07日

高次脳機能障害のことについてお話をさせていただきます

もう明後日ですが、機会をいただいて、高次脳機能障害の方の支援の現状についてお話をさせていただきます。(メインは北河内地域の方になるみたいですが、ちょっとくらいならいいみたい )

平成26年度 第2回北河内圏域地域リハビリテーション関係者研修
「高次脳機能障害の方の地域支援 part4」
日時:平成26年10月9日(木) 午後7時から9時
場所:交野市ゆうゆうセンター 4階 多目的室(交野市天野が原町5−5−1)
内容:「北河内圏域高次脳機能障害地域支援ネットワーク構築事業について」
  講義
 「地域生活支援(福祉など)について」寝屋川市民たすけあいの階 冨田昌吾

申し込み 問い合わせ先 
大阪府四條畷保健所 企画調整課 加茂・新海 TEL:072−878−1021

posted by 凸凸 at 09:10| 大阪 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月06日

いまの状況では障害者施策は施設を作っていく方向にしかならない

新聞紙上などで、この時期に毎年取り上げられている各省庁から財務省(政府)に対して行われる国の来年度予算にかかる概算要求が公開されている。全体の予算案が100兆円を超えたという記事が目につく中、関わる予算について、ざっと目をとおす。

ここのところ、「特別枠」というものが、毎年のように看板をかけかえられでてきている。厚生労働省関係の「特別枠」(新しい日本のための優先課題推進枠というらしい)をみていると、「地域生活支援拠点等整備促進モデル事業」というのがあり、目についた。障害者福祉関係者ならご存じだろうが、おおよそ2003年以降の日本の障害者福祉施策を逆回しする可能性のある?高い?施策がいよいよ、はじまろうとしている。

2006年から障害者自立支援法がはじまり、その施策方向性が、介護保険に似せて作られるようになり、当時は介護保険との統合議論が盛んに行われていたことがその背景にあったから、方向性としては、介護保険のようなものになっていくのだろうということは容易に想像できた。そして、2013年からの障害者総合支援法でその方向性ははっきりとでるようになっている。

狭い枠内での議論をすれば、この間行われてきている障害者施策が介護保険に取り入れられているものもあり、また、介護保険の制度への近似性を高めるような施策がどんどんと取り入れられている。

介護保険は3年ごとに改正が行われていて、来春にはここ何回の中では大きな改正が行われる。2006年改正で創設された介護予防が、介護保険事業のコア部分から削られていく。(細かくいえば、そうでないというご指摘がきそうだが、ここでの主題はこれではないので、ざくっといわせていただく)。いわゆる軽度者の切り捨てである。
字面をみると、軽度の人は自分でできることがある人だし、いいのでは?と思われるかもしれないが、どうも巧妙な仕掛けがあるようだ。

ここのところ、私の周りで、介護保険の要介護認定が、とにかく軽く出る事例が相次いでいる。
私たちは介護保険の事業をやっているわけではないので、ほとんどが2号被保険の方になるが、とにかくびっくりするような状況がある。障害程度区分が5の人が要支援ででてきたときには、ひっくり返ってしまった。車いす常用の方である。
上に書いたように、介護保険が軽度の方を切り捨てていけば、その切り捨てる方の人数を増やしていけば、結局は介護保険の対象者が減るわけである。かなり合理的な介護保険制度の財政面からみた保持策ではないか。

介護保険の場合、いわゆる障害が重くなってきて、家族なりの介護力が低いと、入所施設という選択肢が上がる。もちろん、そうでない、そうしたくないという関係者がおられることも重々承知しているが、一般論としてはそうだ。特に私たちのように、いわゆる重い障害のある人たちの地域生活を構築することを目指してきたものにとってみれば、びっくりするほど、簡単に施設入所という選択をされる。もちろん、介護保険の在宅サービスが地域生活を支えるようになっていないという側面があるので、仕方がないともいえるが。
いま、特別養護老人ホームに入所されている方の約88%が要介護3以上。政策誘導として、重度の方は特別養護老人ホームとなってきている。

ここまで、書けば、察しのよい皆さんは、これから介護保険の世界に何が起こっていくことになるのかおわかりいただけるだろう。

介護保険が導入された当時、ドイツの話がそのモデルとして引かれた。州によってばらつきのあるドイツの介護保険制度の中でも、いくつかの州で、いわゆる重度の人しか利用できない実態が紹介されていた。

どんどんと増える日本の高齢者。当然、母数が増えるから、一定の割合で要介護者はでてくるわけだから、当然、要介護高齢者も増える。重い人は公的介護保険で施設中心という色合いが今後強くなっていくのではないだろうか。

今日のエントリーは自虐的であるが、障害者の地域生活支援を行っている諸氏。
この介護保険の状況をして、いま、制度的に同じような障害者総合支援法がみせていく風景は、想像に難くないであろう。なによりも、いま、障害者福祉関係者は、地域で支えられない!地域で支えられない!現状に日々接しているのではないだろうか?

団塊の世代が一通り亡くなった後、このたくさんできてしまった特別養護老人ホームに、障害者が入居させられていく風景を想像できてしまうのは、私だけではあるまい。



posted by 凸凸 at 08:33| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月27日

福祉が専門職化していくとともに蔓延してきた「病」

「年寄りくさい」ということばは、あまり感じのいいことばではないし、いまよく使われる「上から目線」にもつながるからあんまりよくないのかもしれない。
でも、その反面 経験を積み重ねたり、知見を深めていたりしている方からの話は耳を傾けるべき話も多い。
まして、福祉の世界などほんの20年前の世界といまは全く別物になっている。

同じように、20〜30年前とは全く違う世界になっている技術(医療にしろロボットにしろさまざま)とは福祉の世界が別物になっているという話は少し いや かなり違う。

私が大学生の時代 いまから 25年くらい前に日本の福祉の制度的な専門職化が本格的に始まった。
もちろん、業界的にはその前から専門職はおられたしいわゆる専門職議論は行われていた。しかし、具体的に資格が創設されて動き始めたのはその頃だ。
いまや福祉関係の専門職は増えつづけ、制度化にあいまって、一定の社会的認知も得ているといえるだろう。

いまさらここで専門職化が悪かった資格化制度化が悪いといってもなんの意味もない。

福祉の専門職教育の中で、おそらくはだれもが

「きく」

ことの重要性

そして、ニーズは表にでているものではない、またサービスや社会資源をあてはめてみたされるものではない

と、教えられていると思う。


社会福祉の歴史をひもといてみると社会福祉援助の代表的な技術の一つであるケースワークは上で指摘した二つないし三つのことがいかにむすかしいことかを如実に示している。

そう いまもまた

話がきけない

ニーズを表面的なものだくで判断する

ニーズは社会資源をあてはめるだけ

という「病」が蔓延し、深刻化している。

そして このことを治そうと言われているひとたちが 実はさらに重度化を助長している気がしてならない。
posted by 凸凸 at 09:07| 大阪 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月23日

各地の水害、土砂災害について思うこと

昨年に引き続きの福知山、そして、丹波市の水害の話がきこえてきた最中に、広島市の大規模な土砂災害がおこり、そして、無情にも72時間は経過している。いまも多数の方が行方不明になっている。昨年の伊豆大島の土砂災害に続き、かなり集中豪雨によって引き起こされる土砂災害の悲惨な事故が続いている。

土砂災害、水害は全く人ごとではない。
三年前の8月14日寝屋川もやられて、人的被害はなかったものの甚大な被害を被った。http://neyagawatasukeai.org/info/20120814suigai
そのときに、明日は我が身ということをいろいろなところで言わせてもらったが、まさにそのことばどおりになっている。

今回も8月前半の台風の時は、裏の水路がかなりやばい水位まできた。

いまの日本の都市部の排水は短時間でいうと60mmまでしかもたない設計になっているそうだ。ことばをかえていうと、短時間の集中豪雨を想定していないし、また、降ったとしてのリスクをそうもっていない。寝屋川の水害のときに、大規模なマンションの駐車場はすべてため池のようになってしまったのは、マンションは一定の量以上の雨がふると、駐車場に流す構造になっているからだそうだ。ということは、それ以上の雨が短時間に降ると、当然、マンションが水につかっていく。

そもそも、街の構造は、1時間程度で40mmふると、水につかるのは、各地のニュースの映像をみると明らかである。40mmより、ニュースとかでは多い雨量がでているけれど、それは降る範囲やそれまでの降っている時間にもよるわけで、一概にはいえない。

ただ、はっきりいえることは、いまの都市の構造は、現在、各地で起こっている気候条件には耐えられないのだ。

この話をしていると、大学時代に教わった経済地理学の先生のお話を思い出す。
先生が熊本に赴任されることになったときに、熊本のどこに居を構えるか、市役所にいって、歴史地図?をみられたそうだ。現存している昔の地図をみて、水害があったのは、どの地域かをみて、その地域を避けて、居を構えられたそうだ。

もう一つ、広島市の土砂災害の現場の写真をみると、土砂崩れはいわゆる昔の里山だったところで起きているようだ。高度経済成長以降の「里山の荒廃」が深くは関係しているようにも思われる。

本来、人が住めなかったところで、かつ、自然循環系を絶つような形で住宅を造成し、住んでいる。
想定していなかった気候条件になったときに、結局は、自然の力に負けてしまうのだ。

そして、悲しいかな。人間の社会の中の「災害弱者」がその犠牲になっていく。

もう一度。
全国どこにでも起こりうる災害であることをみな肝に銘じよう
posted by 凸凸 at 16:48| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月06日

報道・情報について 個人的に思うこと

 日常身近にあることではなく、飛び込んでくる報道や情報によって気分のわるい日が続いている。

 TVはほとんどみないのだけれど、新聞は読んでいるし、インターネットでニュース、そして、SNS。

 アクセスすれば、飛び込んでくる。


自殺予防 メディア関係者のための手引き
http://www-user.yokohama-cu.ac.jp/~psychiat/WEB_YSPRC/pdf/media2008.pdf

z 努めて、社会に向けて自殺に関する啓発・教育を行う
z 自殺を、センセーショナルに扱わない。当然の行為のように扱わない。ある
いは問題解決法の一つであるかのように扱わない
z 自殺の報道を目立つところに掲載したり、過剰に、そして繰り返し報道し
ない
z 自殺既遂や未遂に用いられた手段を詳しく伝えない
z 自殺既遂や未遂の生じた場所について、詳しい情報を伝えない
z 見出しのつけかたには慎重を期する
z 写真や映像を用いることにはかなりの慎重を期する
z 著名な人の自殺を伝えるときには特に注意をする
z 自殺で遺された人に対して、十分な配慮をする
z どこに支援を求めることができるのかということについて、情報を提供す

z メディア関係者自身も、自殺に関する話題から影響を受けることを知る


「少年」が起こした猟奇的な犯罪というカテゴリーのニュースについてもそうだ。
「酒鬼薔薇事件」や「奈良母子放火殺人事件」の報道で起こったことの反省が何もない。

何を明らかにしようとしているのか。
もちろん、「知る権利」の議論があるのはわかっている。
が、人の死をどうして、なんのために、詳細すぎるほど、詳しく繰り返し報道することが必要なのか。

それは、マスメディアだけではない。
私たちは、マスメディアではないメディアを手に入れつつある。
そうして、SNSで、こどもが爆撃でひきちぎられ、血みどろになっている写真が、タイムラインに、無防備に流れてくることをなぜするのか。
戦争を反対する、こんな悲惨な状況が起こっている。そのことを知らせたい。その気持ちはわかる。
でも、無防備に、だれにでも目にするような形で流していいは思わない。
それは、きちんと情報を説明した上で見るものの選択の中で行われるべきことなのだ。私はそう思う。

いま、私たちは、自分たちで、暴力的な環境を作り出し、暴力的な環境の中に、さらされている
そのことを自覚したい。

繰り返し言う。「知る権利」を否定しているわけではない。
報道を否定するわけではない
でも、私は きわめて不快であるし、そして、暴力的ないまのこの社会を憂う。
だれかではない、大切な命のあるかけがえのない 固有名詞のある命を軽率に扱っているようなこの社会に憂う
posted by 凸凸 at 08:07| 大阪 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月10日

福祉を学ぶ人たちへの人権教育について

 今日、とある学校の講義で、リスクマネジメントの話をする流れで、ずいぶん昔によく使っていたビデオを流した。

 タイトルは「縛られない介護」NHKで1999年に抑制廃止宣言をした病院を舞台にとられたドキュメンタリーである。
ネットで検索したら、Dailymotionにあがっていた(版権はだいじょうぶなんか???)
http://www.dailymotion.com/video/x1fndjo_n%E3%82%B9%E3%83%9A-%E7%B8%9B%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E8%80%81%E5%BE%8C-%E3%81%82%E3%82%8B%E4%BB%8B%E8%AD%B7%E7%97%85%E6%A3%9F%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2-1999_people

 身体拘束は当然してはいけないものだが、昔は平然と施設や病院で身体拘束は行われていたし、してはいけないものであるということを守っていくためには、当然、考えなければならないことがある。
 転倒の防止や、おむつはずしなど、それは単純に身体拘束はだめだからしないではなく、マネジメントの中で考えていくことだ、ということを説明してみていただきました。

 コメント用紙を読ませていただいて。まず。いまの20歳くらいの学生って、身体拘束が当たり前にされていたのって、もう歴史的な話なんですよね。
話としては。

 この映像、はじめに、車いすに抑制している「抑制エプロン」。ベッドへの拘束具。それから、つなぎ服を実際に使っている場面が出てきます。
それに、むっちゃショックやったみたいです。話にはきいていたけれど。。。って。

 そこまではよかったんですが。

 この映像をみたあとに、すくなからずの学生さんが、「このビデオをみて、身体拘束は必要だと思った」というコメントが返ってきました。。。

え・・・。

 それも、そのうちの何人かは、「いままでは、身体拘束はいけないものだと思っていたけれど」という枕詞がついて、です。

 ビデオを見ていただく前に、先に、スタッフの大変さだけに目をとらわれないように、福祉現場のリスクマネジメントには構造的な問題があるから、そのことも考えて、なんて、くだりもいれておったのですが。。。(きいちゃーいねぇー???)

 別に、そういった意見を書いたからだめなんて、学生さんにいうつもりはないですが、福祉学習の現場での人権教育にものすごく憂いを感じたんですよね。
プロトタイプ的に、身体拘束はだめだって入ってるだけなんですよね。きっと。
だって、いまも数多くの施設で行われているエレベーターロックや、施設外への外出を鍵をかけてできないようにしていることも、拘束だよって話をしたら、はじめて知りました。。。ってコメントが返ってくる・・・。

 相手の立場にたってとか、自分がもしその立場だったらという話は、通じないのは、もう数年前から。
だとしたら、もっと、根本的に、人権教育を福祉の現場で徹底してやらないと、最終的には、支援者サイドの理屈に、負けてしまうのでしょうね。
 すごーく憂いました。

 繰り返しますが。学生さんたちが悪いとかいっているんじゃないですよ。福祉現場の人権教育に憂いどるんです。
posted by 凸凸 at 18:14| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする