2016年11月15日

社会保障費の中でも障害者福祉の予算は

昨日、奈良 くらしネットフォーラムの正式なチラシがとどきましたので、文末に。

まずはじめに。

20161113155632_00001.jpg
「子育て支援が日本を救う」柴田悠著 勁草書房 2016

 日本社会が抱えている重大な問題として、まずはあげなければならないのが財政難だろう
日本は1,980年代から史上最速で高齢化し、2005年からは世界一の高齢国になっている。このままいけば、あと半世紀ほどは最高齢国であり続ける。

中略

そのような状況の下では、政府の予算のうち、抑制されがちなのは社会保障だ。その中でも、最も抑制されがちなのは障害者福祉だろう。というのも、社会保障の対象者(高齢者、患者、子供、失業者、障害者、遺族、貧困者など)の中で、権利主張のための言語能力にハンディキャップを抱え、しかも同様にハンディキャップを抱えた高齢者や子供よりも人数が圧倒的に少ない(つまり代議制民主主義において立場が最も弱い)のが、障害者だからだ。
権利主張に置いて(もっとも不利)な障害者のための社会保障は、基本的人権の保障という日本国憲法の立場に立てば、本来は最も優先して確保されるべき社会保障だろう。しかし実際には日本の障害者福祉の予算規模は、先進諸国の中で最低のレベルだ。少なくとも日本では障害者福祉の予算規模は財政に余裕ができないとなかなか拡充されにくいのが実情のようだ。
**********

今年、いろいろな立場の方から評判になったこの著作。著者がはじめにで書いているように、「主観的な印象だけでなく、できるだけ客観的なデーターに基づいて、政策を検討していただきたい」と書かれているように、さまざまな計量的データーを用いて、論をすすめていく。
その著作のはじめに、書かれているのが、この障害者福祉に関する文章である。

著作の中身にはふれないが、この著作は子育て政策こそが今後の日本の唯一ともいえる対策であり、保守・リベラルとも共通に同意できるものであると述べる。

ここでは、その点は主題ではなく、障害者福祉の財源が絶望的な状況にあるということをまず、押さえておきたい。

★★ 現在、クラウドファンディングにチャレンジしています。★★
  寝屋川市で複数の団体と共同して、貧困の世代間格差の解消に取り組もうとしています。
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「地域で育つ子供たちのために!貧困からの脱出/居場所作りへの挑戦」



暮らしネットフォーラム2チラシ.pdf
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2016年11月14日

なら暮らしネットフォーラム 第2回 2017年1月21日でお話させていただきます

まだ、正式なご案内が流れていないようですが。

なら暮らしネットフォーラム 第2回 2017年1月21日でお話させていただきます

今年の2月20日の第1回に続いての第2回になります。
いまおききしている予定でいえば、

私も1時間の枠でお話をするミッションをいただいております。

比較的大きなイベントで長い時間の枠で、ピンでお話するのって、いつくらいだろうか。
(いま、niftyのHPの移行で私のHPがみれなくなっているので、ごめんなさい確認できないですが。いつ依頼か覚えてないくらい)

で、その講演でお話する内容が、すごーく難しいテーマです。
私が、いまそしてこれからをどんな視点でみているのか。。。

かなりおおきなテーマで、すぐにできるようなものではないので、これからしばらくさわりをこのBLOGにアップしていくことにしますので、よろしくです。

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2016年10月31日

障害福祉制度の改革も財務省主導?

 平成30年度の社会保障制度の各各の改正にむけて、国の社会保障制度の改革の指針が昨年出されていて、それに従っていろいろな国の審議会や検討会などがたちあがっているようです。

 関係諸氏は一定の危機感?も持ちながらもどちらかといえば、3年ごとの「いつもごと」のような感じを思われている感じもなきにしもあらずではないでしょうか。(運動団体は別でしょうが)

 しかし、この平成30年改革はかなり大きな改革になり、また、それぞれの制度の改革というよりも国の社会保障に対する仕組みの本気度というか、そこへのアクションの仕方が、いままでは違うのではないか、感じる。

 医療制度については、この間、facebookの方で発信させていただいているが、かなりつっんだ議論がされているのを紹介している。

 その議論をみていても、今回の平成30年度の改革についてはこれまで以上に財務省主導の改革方針がみてとれる気がする。あくまでもこれまで以上に、であるが。
 大西蓮さんが生活保護の母子加算の見直しの議論への危機感をかいておられるが、
 https://www.facebook.com/ohnishiren?fref=nf

 この財務省の資料の中で、障害者福祉についてもかなりつっこんで書かれているので、以下、紹介する。
http://www.mof.go.jp/about_mof/councils/fiscal_system_council/sub-of_fiscal_system/proceedings/material/zaiseia281027.html

ー抜粋ー
障害者支援予算の他の社会保障関係費と比較した特徴
○ 障害者向け予算は、サービスを受ける障害者の数の増加等を反映し、この10年間で2倍近くに増加。その伸び率は、社会保障関係費全体の伸び率の約2倍。
○ 障害者向け予算は、他の社会保障関係費と異なり、高齢化のみではサービス量の増加を説明できない。このため、厚生労働省においては、その要因分析や実態把握が必要だが、その取組は十分とは言えない。
○ 利用者負担が非常に少ないことも特徴であり、コストインセンティブが低く、供給サイドによるサービス増加が起こりやすい。このため、支給決定を担う市町村等は、サービス供給の必要性や内容についてしっかりと精査する責任・役割を担うと考えられる。

分析視点例@:サービス供給量の状況
○ 利用者負担が非常に少ないため、サービスの供給量が多くなりやすい構造。
○ このため、利用者のニーズについて随時把握する必要があるが、厚労省における実態把握は十分とは言えない。
打ち上げ花火 包括的な調査(「生活のしづらさ調査」)の実施は低頻度(5年に1回)。
打ち上げ花火 各利用者のサービスの利用状況(類似するサービスを重複して受けていないか等)も、随時把握するシステムでない。
○ 平成23年の調査では、@「福祉サービスを利用したいが利用できない」手帳保持者の割合は2.1%に留まり、A「利用している者」に対する「利用したい者」の割合も37%に留まる。一方、利用者数は24年度以降も大幅に伸び続けている。
○ 平成27年4月より支援の全例について必要となった「サービス等利用計画案」の作成を担う「計画相談事業者」について、サービスの供給を担う事業者からの「中立性」の確保を推進していくことが課題。

分析視点例A:サービス供給量増加の制度的要因
○ 障害サービスの供給主体である事業者は経営体でもあり、利用者数の増加により収益の向上を求めるのは合理的行動。
○ 事業者にとっては、@支援区分が不要であり、A利用期限がなく、B収支差率が高いサービスほど、安定的な利用者を増
加・確保しやすく、収益も向上させやすいと考えられる(注:要支援の程度が低いほど潜在的な対象者が多いと言える)。
打ち上げ花火 「支援区分不要」のサービスの伸びは、平均的なサービスの伸びを大きく上回る。
打ち上げ花火 「サービスの平均的な支援区分の低さ」(支援区分不要や潜在的な対象者数等を反映)と給付額の増加率は相関。
打ち上げ花火 「収支差率」の高さと給付額の増加率も緩やかに相関。
○ なお、障害者施設は、介護や保育施設に比べ、労働分配率が低く、利益率が高い(良い経営状況)とのデータもある。

分析視点例B:事業者へのインセンティブ付けの在り方
○ 利用者負担がないことは、サービスの質の確保にも供給サイドへの考慮が必要であることを含意。報酬設定における適切
なインセンティブ付けがなければ、質の低いサービス供給につながり得る。
○ 例えば、増加する就労支援の報酬体系においては「利用者が増加するほど、事業者の利益となる」一方、「一般就労への
移行や賃金向上へのインセンティブ付けが十分でない」。また、報酬水準が高く、支援区分も不要。
○ こうした状況の下、実際に事業者による不正受給の事案が問題化。放課後等デイサービスにも同様の問題を抱える。

-抜粋終わりー
詳しいことは資料をみてくださったらいいが、この資料で指摘されている点は、30年の改正について一定反映されることが予想される。
相談支援についてもここで、「中立性」がでてきているし、このままでいけば、訓練等給付を廃止もしくは、訓練等給付にも障害支援区分の導入。就労継続支援の有期限化なども考え得ることにもなるかもしれない。
市町村の権限強化ということをどうするのか、現状の市町村の状況を見ると制度変更無しに市町村の権限強化はできないから、区分にあわせての給付制限の仕組みなどを考えていくこともでてくるかもしれない。
なんにせよ、今後社会保障審議会障害者部会などでの具体的な議論になっていくだろうが、目が離せない議論になっていくだろう。




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2016年10月30日

地域での貧困の世代間連鎖をたちきるための新しい動きをはじめることにしました

 2000年ごろから私となんらかのつながりをもっていただき、当時の講演をおききいただいている方たちはご存じだと思いますが、私が活動している大阪府寝屋川市。

 大阪市の衛生都市として、高度経済成長期に発展をし都市化が進んだ地域ですが、同時にいち早く貧困化が進んだ地域でもあります。それこそ旧然の都市化理論そのままで、ドーナツ化の周辺部分がスラム化したといってもいいでしょう。「地方から流入した安価な労働力がそのまま経済力を高められず定住した地域」という地域特性を市域の中に多く持ちます。
 私の感覚ですが、2000年頃にはもう、貧困の第1代世代間連鎖(保護家庭のこどもが保護になっていく)ということがはじまり、生活保護から抜け出せない家庭がみられるようになりました。そして、その後、その状況は拡大しいまや第2代世代間連鎖がはじまっていき、深度がふかまっていっている気がします。

 以前から大阪の寝屋川市と他地域でお話をすると、「きいたことあります」「あー、最近、虐待でこどもがなくなった事件があったところですよね。。。」
 虐待の多い地域です(虐待は発見のアンテナ課題もありますから、それだけ地域で虐待に対してのアンテナが高いということでもありますが)。

 いつも言っていますように、寝屋川市はそれほど福祉が進んだ地域ではありません(よく勘違いをされます)。確かに、障害児の早期療育システムは行政を中心に構築されていますし、精神障害者の地域医療では、このあと紹介する三家クリニックを中心に行われています。また、社会福祉協議会の福祉委員制度などは先駆的に行われてきています。しかし、全体的なレベルとしては中くらいだと評価しています。

 今年の1月の「ふわりんクルージョン」に登壇させていただいたときにもお話をしましたが、底辺に流れているこの貧困の世代間連鎖をなんとかしないといけないという問題意識がここ2,3年、とくに高まっています。「多問題家族」なんて、ことばでは対応しきれない。複合的多問題家族???変なコトバですが、ともすれば、一家全員がなんらかの障害や病気があるとかはあたりまえ。ジェノグラムに書ききれない登場人物のケース(わかりますか?ステップステップステップファミリーとか)、などがふつーに登場してきます。明日家がないとか、も結構頻繁に出会うケースだったりします。もちろん、そういう対処をしていかないといけませんが、モグラたたきでは、地域課題の解決にはつながらないぞ。と。

 今年度、いろいろな形でのアクションを起こしていこうと準備をしてきました。いまからいくつかのプロジェクトを順次立ち上げていくことにしました。まず、その第一弾でかつ中核的なプロジェクト「NEFNEプロジェクト」です。このプロジェクトは、このような問題意識を共有した三家クリニックとの共同プロジェクトで、寝屋川市の駅前にその拠点施設を立ち上げようというもので、その4階を寝屋川市民たすけあいの会も貸していただこうという形です。その4階を子ども若者支援の拠点にしていくことを想定しています。その拠点全体としては、1階のショップ&ギャラリー、2,3階のカウンセリングルーム、そして3,4階のこども支援という構想です。10月27日から三家クリニックの関さんが改装費のクラウドファンディングをはじめられました。このあと、第2弾、第3弾のご報告になっていきますが、まず、第1弾。ぜひ、ご覧いただき、拡散をよろしくお願いいたします。↓
 https://readyfor.jp/projects/10096




  
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2016年09月29日

専門家時代の幻想から「専門職まがい」の空想の時代へ

 近代化され、専門化されたサービス・システムに本質的に内在する、「愛」と「ケア」という仮面をかぶった特権的な専門家・専門サービス担当者(教師、医者、カウンセラー、弁護士・・・等々)による、人びとを無力化し、人びとの能力を奪う、人間破壊的「援助」について。
(イリイチ)

いまさら、イリイチでもなかろう。
ポストモダンとかなんとか、よくわからない「哲学的あそび」のような議論は、一部の「もてるもの」の遊びでしかない、と。

30年前にアメリカ的文明社会の批判は、10数年前に日本で「ゲンジツ」化し、あたりまえのように私たちの生活に根付いた。

21世紀を目の前にして、いま「失われた20年として」語られる日本のバブル崩壊後の社会は、深化したものとしての高度工業化社会を一気に推し進めたのだろう。と、同時にこれから数十年後に起こる「日本」という国(そのころに「現代国家」という形態が残っているという前提で)の人口再生産の適正的規模=すなわち、人口ピラミッドがほぼ円柱型になるような=時代を想定して、いまからいわゆる団塊の世代に対する「ありがとう」ということばと、「ある一部分」の経済的賦与が行われて、そして葬られていく時代を迎える。

その「世代的一掃の時代」に、「医療的社会」「医源的社会」は中心的アイコンとして存するが、その実、狭い意味の医療は、「医療技術の進歩」という幻想的人間社会の進化を表すものにすぎず、それは宇宙を研究する科学と同義にしかすぎなくなる。これからの「医現的社会」は、中心的アイコンを「健康」にシフトさせてきているのだ。

 今現在、日本は高度に専門家された社会になった。特にそれは、社会保障費という「見せかけの経済」に巣くうように仕組まれた専門家を大量生産した。90年代、工業化社会をベースにした経済成長は鈍化をみせ、新たな産業として、「情報化社会」とともに「家庭外部化社会」を私たちは選択した。シャドウワーク、アンペイドワークといわれる貨幣の媒介をおこなっていなかった労働を貨幣化するために、私たちは専門家を作り出すことによって貨幣化し、「愛」と「ケア」の仮面をかぶる特権階級的専門家を数多く生み出すことに成功してきた。
 しかしいまとなってみな気づいているように、それは単に「団塊の世代」を葬送するために一時的に作られた高度専門家社会でしかない。その財源は枯渇し、姑息的に延命措置的な政策を繰り返すのみである。
そして、税金と二次的税金(社会保険)によって構築されてきた医現的社会は、そういった社会の【シト】として「愛」と「ケア」を仮面的に提供する専門家に、ズブズブにされたのちに、健康というアイコンをみな自己責任で購入しに走るのだ。

ああ、なんということだ。

「健康はすばらしい」と、ほぼだれも否定できないアイコンを、今後は制度的ビジネスではなく、市場的ビジネスから、「愛」と「ケア」の仮面をかぶった専門家といわれる人たちから購入していくのだ。いや、もうしているのだ。そして、そこに空想的社会が広がっていく。【現代国家】の幻想とともに。

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2016年09月27日

医療福祉の専門職は今後どうなっていくのだろうか

今年は、平成30年度の介護保険等を改正を踏まえて、その後の大きな議論をして、いろいろと指針が出されている。

介護保険、医療保険、障害者福祉などの制度の変更、場合によっては統合とともに、人材についての議論も、大きな転換点を迎えている。

経済諮問会議で厚生労働大臣が提案した資料の中で
http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/minutes/2016/0511/shiryo_06.pdf
医療・福祉人材の最大活用のための養成課程の見直し P4
は、専門職の屋台骨をゆるがす大きな指南である。

○ 医療・福祉の複数資格に共通の基礎課程を創設し、資格ごとの専門
課程との2階建ての養成課程へ再編することを検討。
○ 資格所持による履修期間の短縮、単位認定の拡大を検討

介護保険制度施行以後、医療福祉の人材、専門職が「コンビニ化」してきているという批判がある。
専門職養成学校は、人材的ニーズを最優先し、たくさんの人材をだすために、教育の厚みよりも人材の輩出に腐心する。教育課程は、即戦力になるように変更され、卒業して何年も臨床知を積み重ねるのではなく、コンビニ化した普遍化したまがいものの「エビデンス」治療にのみ重点化してきた。また、制度は、専門的な治療ではなく、専門家による治療、専門的治療器具による治療に点数をつけてきている。

その流れの中で、いよいよ専門職の屋台骨を揺るがす改正をおこなっていこうというのだろう。
専門職集団は、結局、本来的に自分たちの専門職アイディンティを保持することができず、即時的な既得権確保をむかうのだろうか。

ユーザーからしてみれば、そんな専門職はいらない、のであるが。




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2016年09月25日

「従属的」で「抑圧的」な賦与される「権利」

「サバルタンは語ることができるか」
もともと、ばおばぶの五十嵐さんに教えていただいた本である。

ここのところの「また」というネット上での大騒ぎに辟易している。

「大衆」の威を借りて、「国家の経済的危機」というレトリックを使い、「従属的」なものたちを「抑圧」化する言説があとをたたず。言説が言説でなくなる事態までが起こる。

だんだん、「想像力がない」というコトバでは語り尽くせなくなってきた現状に憂う。

これは、最近、「社会活動家」といわれる方にも感じる違和感に通じる。○○の手法を使い「社会課題」を解決する。「社会課題」は、「個人」の中にはない。なのに、語られる言説は、どうも「社会課題」を抱える個人を「変える」という方向にいっていないか?ターゲッティングがおかしくないだろうか?

社会全体が表面上穏健な状態を求めているから、「権利」はいつも賦与されるものでしかない。そんな社会では、結局は「従属的で」「抑圧的な」ものは、語るべきことばを持たない。だからといって、センセンショーナルなジャーナリズムをまとったインパクト活動も個人的には好まないのだが。。。

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2016年08月08日

最低時給1500円で介護の世界はなりたつのか

「25歳の単身者が生活するには時給1526円が必要」――全労連のデータが話題、2016年度の最低賃金822円との差は倍近く
2016.8.6
キャリコネ編集部
https://news.careerconnection.jp/?p=26494

 一般産業界でも時給1500円を基準にして、正規・非正規の壁をなくしてしまえば、会社が崩壊するか、失業者があふれると言われている。
 あまり具体的な論考やシュミレーションをみたことは実はなくて、おそらくはそうなるだろうという話として理解をしている。それくらい現実感がないという話なのか。

 ファーストリテイリングが世界同賃金を打ち出したときにそれも非現実的であるといわれた。グローバル経済の中で、先進国ではない労働賃金の安い国に生産を押しつけ、商品の単価をさげるという「ビジネスモデル」が前提であるわけで、そうすると当然これは非現実的であるといわれたわけだ。

 実際に、時給を1500円にしたら、どんな世界が起こるのか。

 介護/福祉/保育の世界は実は制度ビジネスが前提になっているので、それぞれの事業の単価は、国が一定のシュミレーションで決定をしている。その最たるものがヘルパー事業の単価である。
 ヘルパーは一定の時間1対1の「サービス」だから、その単価のうちのかなりのパーセンテージを人件費がしめる。かりに時給を1500円にしてみて、ヘルパー事業がなりたつか。
答えは否である。
あげてみたとすれば、どうなるか。
おそらくは、1対1のサービスであるヘルパー事業はなりたたなくなるのではないか。
それが業界的な一般的な感覚だろうね。

ヘルパーの人件費率がだいたい65%。時給1500円だすとすると逆算すると2308円。家事援助、生活援助、重度訪問、重度包括は無理になっちゃう。身体介護と行動援護しかクリアできない。となると、ヘルパーの事業所はなりたたないだろうね。

ご本人の人権を守る支援と福祉労働者の人権を守ることが相反することは、古くて新しいテーマだったけど、ますます悩ましい話になっているね
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2016年08月06日

深化しているのは何か

 介護保険の次回の見直し、平成30年度〜にむけて、平成12(2000)年からスタートしたこの制度そのものの根幹が問われかねない議論が進んでいるといわれている。が、今日、つぶやきたいことはそれではない。

 介護保険が導入されて15年。この2000年から2015年の15年間。介護保険が「あたりまえ」になる歴史の中で、介護やその周辺(医療や福祉など)が、そのことを前提にした社会(社会システムではない)になってきた。

 ここでいう「介護保険を前提にした社会」と私が指すのは、どちらかといえば、社会心理的な「社会」という意味で使っている。「制度をつくるもの(人)」「介護保険制度を活用するもの(会社・利用者・家族)」だけではなく私たちの暮らしの中で、「介護保険ありき」があたりまえになってきているという「こと」である。

 それは、介護保険があるから安心とか、高齢社会を支えるために介護保険が必要という意味ではない。

 私たちのように介護保険以前から、「福祉」=正確に言うとこのことばにも違和感があるのだが=にかかわってきたものにとってみれば、私たちのまわりの風景は激変した。

 介護保険が導入されて以降、その文化は障害者福祉にも児童福祉の分野にも広がってきた。
その方や家族が生活する上で必要なものを「ニーズ」とよび、そのニーズと「サービス」が結びつけられる。「サービス」はメニュー化、普遍化され、「ニーズ」をあてはめていく人が登場する。
 
 この「文化」があたりまえになった。

 そしてあたりまえになることによって、そのことに疑問をもつ人も少なくなった。
 
 ご本人の情報は、「サービス」を提供するために必要な情報に矮小化され、共に生きるための情報ではなくなった。また、逆に支援専門性を発揮できるような情報共有は好まざるものとされた。個人情報の同意書だけが一人歩きし、「サービス」提供の旗印の下に個人情報が行き交う。事業者はよりよい「サービス」を提供するという金字塔を掲げ、[人」を物化してやりとりする。

そして、自由は与えられた自由になり、与えられない自由を求めるものは、その管理から脱出することになり、「ナンミン」ということばを賦与される。

そんな「文化」が深化したのだこの15年は。

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2016年07月09日

マクロとミクロのあいだに

日本において「地域」は。マクロとミクロをつなぐメゾとは。

communityもlocalも「地域」。「地方」はもともと「国」に対してのことばではなかった「ぢかた」。

近世にて、移動を制限された民が、一定のルールの中で、労働生産性や生産性を高めるために集団(group)にて構成されたlocalな「クニ」。それは税の収集の仕組み。

それが、近代日本の「地域」の素。家族は素ではなく、「地方(じかた)」=生活集団としてのcommunity=「家族」との一定の連続性。familyではない、まさに漢字の意味そのままの「家・族」。

近代日本は、税の収集の仕組みをlocalな政府から中央国家に再編し、精神的に「家族」を国家レベルのイデオロギーとして結びつけた。ありもしない「大家族」をでっち上げたわけ。

こういう日本の近代史、そして、戦後の現代史の中で。

再度、マクロとミクロのあいだは?という問いかけを。実践者として意識する必要があると思っている。

ミクロ(一人や数人のケース)から、マクロにアクションを起こすことはできる。
ミクロからメゾにもアクションを起こすことはできるはずだが難しい
そして、メゾからマクロへのアクションはもっと難しい

だから、とくに社会課題については、ミクロからマクロにジャンプする。
マクロからメゾレベルの政策を変える方が容易だから(もちろん、マクロ アクションはたいへんですよ)

でも、メゾは?
ミクロからメゾ、メゾからマクロにつながるアクション

ミクロからメゾ マクロからメゾ
メゾをどうして変えていくのか。その課題にきちんと向き合おう
posted by 凸凸 at 07:13| 大阪 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする